♯2
――翌日。
「……で海ですか」
「うんっ、夏と言えばやっぱり海でしょう?」
晴れわたった、どこまでも抜けるような青空。
足の裏を焦がすように熱を持った白い砂浜。
水面を照らす陽光が眩しく、打ち寄せる穏やかな波。
乱立する海の家、ブルーハワイのかき氷とスイカ割りに興じる少年少女。
そして深い、深い青を称えた大海原―――。
「思ったより空いてるわねー。これならよく泳げそう」
そう、千夏の強引な誘いに乗った僕は千夏と二人、海水浴場に来ていた。
人々でごったがえし、とても泳げない……みたいな混雑を想像してただけに、この空き具合は意外と言えば意外だったが僕は泳ぎ始める前から既に疲れていた。
「……はあぁ」
溜め息しか出ない。
寝起きバッチリな千夏と低血圧な僕が早朝から電車に揺られて二時間半。いくら穴場狙いでもさすがにしんどい。
個人的にはプールでもよかったと思うんだけど今の千夏にそんな事言っても馬に念仏聞かせるほどの意味もなかった。
なんというか……しっかり者で優等生の千夏が稀に発揮するわけの分からない行動力。……今回はそれに完全に巻き込まれてしまったみたいだ。
「ん? 宗士朗? どうしたの?」
千夏が僕の顔を覗き込んでくる。
「いや、なんでもないよ」
「??? ほら、早く着替えて水に入ろう。気持良さそうだよ」
「……うん、そうだね」
ともあれ愚痴っても仕方ない。
僕だって決して嫌々着いてきたわけじゃないんだから……
「よし、行こうか」
それなら、と気を取り直して。
僕は流れに身を任せて楽しむ事にして更衣室へと向かった。
……………………
……………
「じゃじゃーんっ」
ハイテンションな千夏が妙な擬音を発しながら水着に着替えて出てきた。
「この前買い物に行ったときに買った水着なんだけど……どう? 変じゃない?」
「……えぇと…」
こういう時はなんて言えばいいんだろう?
いや、似合ってるか似合ってないかで言えば……問答無用で滅茶苦茶似合ってますヨ?
千夏はプロポーションもよくて……そりゃもう渚のビーナスと言っても言いすぎじゃないですヨ?
ただ、なんというか……千夏が身に付けているその水着というのがビキニってヤツで要するに照れ臭くて直視も出来なければ気の効いた言葉も出てこなかった。
「……あっ、と…」
「え?」
「もしかして……似合ってない、かな……?」
僕の沈黙を否定と受け取ったのか千夏がふっ、と目を伏せうなだれてしまう。
「あ、いや」
慌てて言い繕う。
「あー、なんていうか、その……よく、似合ってる、と思う……」
どう言えばわからなかったけど僕は思った事を正直に伝えた。
「うん、可愛いよ」
「――あ」
するとパアッ、と千夏の表情が明るさを取り戻す。
「ほ、本当に?」
「う、うん」
「嘘じゃない?」
「嘘なんかつかないってば」
「……そっか」
本当に嘘じゃない。正直……一瞬見惚れてしまう程だった。
仄かに頬を染めた千夏は自分の胸にそっと手をおいて……
「よかったあ」
そして照れたように、安心したように笑ったのだった。
「ありがとう、宗士朗」
それはそれは――とても嬉しそうに。
「…………」
その笑顔に……
――ドクン、ドクン。
何故か鼓動が早くなる。
この妙なシチュエーションのせいなのか水着のせいなのか――それはわからないけど。
僕には千夏が。
普段、見慣れたはずの。
幼馴染みのはずの彼女が。
――やけに眩しく、輝いて、そして綺麗に見えたのだった。
「――ほらっ、泳ごう?」
そうして僕は右腕を千夏のしなやかな手に引かれ海に向かって駆け出した。
「とりゃーっ!!」
「うわっぷ」
千夏が水を叩いてしぶきがあがった。
「げほっ、ごほっ……い、いきなり何するんだよ…?」
「あはははっ、ごめーん」
海水が口の中に入って咳き込んだ僕を彼女が笑う。
……全然反省してないな、こいつ。
「……千夏」
「ん?」
「うりゃっ」
「わぷっ?!」
振り向いた瞬間、僕の手からピュッと飛び出した水鉄砲が千夏の顔面に直撃。
「あははははっ! 仕返しだよ」
「げほっ……宗~士朗~っ」
恨みがましい視線が注がれる。
「ええいっ!」
「おっと」
千夏の攻撃をひらりと交す。
「このーっ! 避けるなあっ!」
「ははっ、そう何度も同じ手は食わないよ……それっ」
「ふわあっ?!」
カウンターで逆に水を浴びせてやると千夏はザバーン、と盛大に引っくり返ってしまった。
「はははははっ!」
「ううう……っ」
泣きそうになって髪の毛まで水浸しな千夏を見て思わず笑ってしまう。
こんな何でもない子供のようなジャレ合いがどうしようもなく楽しく感じられるのはなんでだろう?
「やったな~~?」
本当に子供に戻ったみたいに無邪気な笑顔。
……………
ふと、思う。
ずっと、ずっと昔から僕の隣には彼女がいた。
父親や母親よりもずっと多くの時間を共有してきた。どんなに仲のいい友達も彼女ほど距離感は近くない。
いい思い出も、そうじゃない思い出も。そのほとんどに千夏の姿がある。
家が隣同士で年も一緒。
クラスも幼稚園から今までずっと同じ。
…………不思議だな、と思った。
僕と千夏の間には縁とか偶然って言葉じゃ表せない何かがあるんじゃないだろうか?
運命じゃない。僕達を繋ぐものはそんな陳腐なものじゃない。
何か……そう、きっと何か不思議な絆があるんだ。僕達には。
「ねえ、宗士郎っ。あのブイの所まで泳いでみない?」
彼女が眩しい。
「そうだっ、競争しようよっ」
屈託なく笑う。
「ははっ、いいよ」
頷いて頭に浮かんでいた考えを振り払う。
「負けた方はジュースを奢るってのはどう?」
そうだ……今は、何も考えずただ楽しもう。
「いいよ~? 私が宗士郎みたいなもやしっ子に負けるわけないしね」
「もやしっ子って………僕、水泳はわりと得意なんだけどな」
「ふうーん?」
……全然信じてないな。絶対僕に負けるわけがないって顔だ。
「それじゃ宗士郎君の華麗な泳ぎ拝見といきましょうか?」
あ、むか。
「……その言葉、後悔させてやるよ」
僕は千夏と並んで泳ぎ出す。
千夏は体育の成績はいいからかなり本気を出さなきゃ勝てないかも……と思いつつ、ジュースを奢りたくない僕は手加減してやらない事に決めた。
……………
それから。
水泳勝負は僕の勝利で幕を閉じ……ずに負けてムキになった千夏に再戦を挑まれ、それに千夏が勝つまで付き合わされた。手抜きをすると、さすが幼馴染みというかすぐバレてしまうので、最後まで全力で泳ぐハメになってしまったのだった。
明日はたぶん筋肉痛だなあ。