2. 120年後の世界
「し……ししょ……師匠、起きてください!」
聞き慣れたセドルの怒鳴り声が響く
あぁ、今日もまた騒がしい一日が始まるのだと、私は瞼の裏で小さく笑った
「待ってなぁよ、セドル……」
はぁぁ……と大きなあくびをする。
乱れた髪を掻きながら、私は眠い目を開いた
「…………」
「え?……どういう状況?」
視界に飛び込んできたのは、見覚えのある部屋
だが、その光景は異様だった
床も棚も、すべてが埃に埋もれている
鼻を突くのは、カビの匂い
セドルから渡された魔道具だけが壊れたレコードのように、音声を狂ったように響かせていた
「そういえば、私……魔族と戦ったあと、どうなったんだっけ」
最後に見た、泣き出しそうなあの子の顔が脳裏をよぎる。
けれど、指先に触れる冷え切った空気が、これがついさっきの出来事ではないと告げていた
いつもなら、セドルが小言を言いに来るはずだ。
『もぉ〜師匠、また散らかして! 掃除をするのは僕なんですから、程々にしてくださいよ』
そう言って、文句を言いながらもパタパタと部屋を片付けてくれたあの子が、こんな悲惨な部屋を放ってどこかへ行くなんて考えにくい
他の弟子たちからも、よく冷やかされていたっけ
『セドルを困らせて楽しむのは程々にな、師匠』
『ほんとだよ、セドルいつか家出しちゃうかもよ?ママ』
「……これはいけない。私が少し長く寝ている間に、セドルが本当に家出をしたかもしれない」
胸をざわつかせる予感を振り払うように、私は立ち上がる
とりあえず、やることはひとつ
情報収集だ
確か、森の近くに小さな村があったはず
セドルと仲の良かったオリビアという少女なら、あの子の行方を知っているかもしれない
私は埃の積もったローブをパタパタとはたき、小さなヒビの入った杖を手に取り、軋む音を立てる部屋の扉を開け放った。
「……やっぱり、どこかおかしい」
目の前に広がるのは、かつてと変わらぬ深い森。木漏れ日が差し込み、澄んだ空気は美味しいはずなのに
けれど、何かが違う
視界に入る緑は以前より濃く、静まり返った森からは、聞き慣れたはずの「音」が一切なかった
一見すれば平和な森の景色
だが、肌を撫でる風が、「ここにはもう、長い間誰もいなかった」と無慈悲に告げているようだった
「……セドル、本当に家出しちゃったのかな」
杖を握り直し、私は森の奥へと足を踏み出す。
まずは、あの村へ
そこで、この違和感の正体を確かめる他ない
しばらくして森を抜けた私は思わず足を止めた
「村と言うより、もう町じゃん!」
思わず杖を落としそうになる
記憶にあるのは、数軒の家と麦畑が広がるのどかな風景
だが目の前にあるのは、かつての木の柵ではなく、背丈ほどもある石の壁と、頑丈そうな木の門だった
「……あってるよね。私の家から南に歩けば、カザミ村があるはず……」
困惑しながらも、私は門へと近づく
そこには、昔のような農作業の合間に立っていたおじさんではなく、皮の胸当てを着けた村の自警団が二人、槍を携えて立っていた
「止まれ。あんた、見ない顔だな。……その格好、どこの旅の魔導師だ?」
不審なものを見るような視線に、身を竦ませる
120年前のボロボロのローブに、ヒビの入った杖。今の私には、浮世離れした不審者にしか見えないのだろう
「あ、あの。変な者じゃなくて。……ここは、カザミ村じゃないの?」
私の問いに、自警団の若者が顔を見合わせた
「カザミ村? ……ああ、じいさんたちが使ってる古い呼び名か。今は『カザミの宿』って呼ばれてるけど。あんた、ずいぶん古い地図でも持ってるのか?」
「そ、そうなのぉ。実は迷子になっちゃって、手元にこの古い地図しかなかったんだ」
私は引きつった笑顔で、ボロボロの地図をぎゅっと抱きしめる
自警団の若者は、呆れたようにため息をついた
「迷子ねぇ……。まあ、その格好じゃあな。悪いけど、身元の保証がないと村には──」
「――おい、何揉めてんだよ」
背後から、低くもどこか懐かしみのある声がした。振り返ると、そこには一人の青年が立っていた
農作業の帰りだろうか、肩に鍬を担いでいる
その、少し跳ねた茶髪
悪戯っぽく細められた、琥珀色の瞳
「……オリ、ビア?」
思わず口を突いて出た名前に、青年は足を止め、怪訝そうに眉を寄せた
「……あんた、誰だ? オリビアなら、俺の死んだひいおばあちゃんの名前だけど」
オリビアが…ひい、ばあちゃん…
その言葉が、私の頭の中を白く染める
「……え。じゃあ、セドルは?」
「セドル? ああ、曾祖母さんの日記によく出てくる『泣き虫の幼馴染』の話か。……あんた、まさか、うちの家系図でも盗み見てきたのか?」
青年は私を睨んだ。
「……あんた、誰だ?」
疑いの眼差しが突き刺さる。
私は、一瞬だけ言葉に詰まり
そして口を開いた。
「私は──




