6話:港町の帳簿
薬草の出荷が四回目を数えた頃、問題が見え始めた。
南の町の薬師との取引は順調だ。品質への信頼も厚い。ただ、一件だけの取引先に頼っている現状は危うい。前世でも見た。取引先が一つしかない会社は、そこが潰れた瞬間に終わる。
帳簿を見直す。売上の全額が一つの取引先に紐づいている。これは帳簿として美しくない。
「セバス、東に港町があったわよね」
「ございます。馬で二日ほどの距離でしょうか」
「商会はいくつある?」
「少なくとも五つか六つは。港町ですので、海外との交易も盛んだと聞いております」
複数の商会があるなら、取引先を増やせる。リスクの分散。それに、帝国との交易があるなら高値で売れる可能性もある。
「行ってくるわ。二泊三日で」
「私もお供いたしましょうか」
「留守番をお願い。帳簿の日次記録、もう一人でできるでしょう?」
セバスは少し誇らしげに頷いた。
「かしこまりました。お気をつけて、アイリス様」
***
グレンと二人で出発した。馬車はない。セバスが手配した荷馬が一頭。
最初の半日は黙って歩いた。いつも通り。グレンが前を歩き、私がついていく。ペースは相変わらず私に合っている。
道が平坦になって、少し余裕が出てきた頃。
「グレン」
「はい」
「王都から辺境に来る前、近衛だったんでしょう。なんで辺境に?」
聞いてみた。前に仮説検証のために質問攻めにした延長で、グレンに話を振ること自体は不自然じゃなくなっている。ただ今回は能力の検証ではない。純粋に気になっていた。
グレンが少し間を置いた。
いつもの「護衛ですから」で切るかと思ったが、違った。
「……上官の不正を報告しました」
「それで左遷?」
「面倒な奴だと」
短い。でもグレンにしては喋った方。
上官の不正を報告して、排除された。
(——前世の、私と同じじゃない)
内部告発をして、握り潰された。正しいことをしたのに、面倒な人間として処理された。
口には出さない。ここで「私も同じだった」と言うのは違う。同情されたいわけじゃないだろう、この男は。
「そう。災難だったわね」
「……護衛ですから」
会話はそこで終わった。でも、何かが変わった気がした。空気が少しだけ軽くなったような。
***
二日目の昼過ぎ、港町が見えてきた。
アーレン領とは空気がまるで違う。潮の匂い。人の声。荷馬車が行き交い、商会の看板が並ぶ通り。活気がある。
鑑定する。
【東の港町】
現在価値:1,200
潜在価値:1,800
悪くない。活きた町だ。ただ潜在との差が600もある。まだ伸びしろがあるのか、何かが足を引っ張っているのか。
商会がいくつか見える。片っ端から鑑定していく。
***
最初に目をつけたのは、通りの角にある大きな商会だった。ヴェルナー商会。立派な看板と、磨かれた扉。
【ヴェルナー商会】
現在価値:400
潜在価値:1,100
数字上は一番ポテンシャルがある。ここに交渉を持ちかけた。
受付で名乗る。レムリア草の安定供給ができること、品質と取引条件を説明した。店主が出てきて、話を聞いてくれた。ここまでは順調だった。
「失礼ですが、お名前をもう一度」
「アイリス・ヴァレンシアです」
店主の表情が変わった。
「……ヴァレンシア。公爵家の」
「元、ですけどね」
「申し訳ございませんが、当商会は公爵家とお取引がございまして。追放された方との取引は……その……」
(あー、はいはい)
政治的なしがらみ。数字には出ない事情。公爵家と取引がある商会は、追放された令嬢と組んだら睨まれる。当然の判断だ。腹は立たないが、面倒くさい。
「分かりました。お時間をいただいてすみませんでした」
退く。
商会を出た通りで、小さく溜息をついた。
「数字は嘘をつかないけど、人間は面倒ね」
独り言のつもりだった。でもグレンが横にいた。
「……あの商会、公爵家の息がかかっています」
振り返った。グレンが自分から情報を出した。
「知ってたの?」
「近衛にいた頃、名前を見たことが。元々は王都に本店がある商会です」
短い。でも明らかに「自分から喋った」。今までのグレンなら言わなかった。
お礼を言おうとしたが、グレンはもう前を向いていた。いつもの背中。
***
最終的に取引が成立したのは、通りから少し入った路地にある地味な商会だった。ロッソ商会。看板は色褪せているが、中は整頓されている。
【ロッソ商会】
現在価値:500
潜在価値:700
ボリュームゾーンの上の方。特別ではないが堅実な数字。
店主は四十がらみの男で、話の聞き方が丁寧だった。レムリア草のサンプルを手に取り、葉の状態を確かめ、香りを嗅ぎ、保存状態を確認する。数字ではなく実物を見る人間。
「良い品ですね。辺境の山で採れるとは」
「群生地を管理して、持続的に採取しています。品質と供給の安定性は保証できます」
「月にどれくらい?」
具体的な数字を出した。採取量、輸送の頻度、価格の根拠。店主は一つひとつ頷きながら聞いていた。
「結構。お取引しましょう」
握手を交わす。
数字で選んだ最適解ではなかった。ヴェルナー商会を選べなかった以上、実際に会って信用できた相手との取引になった。能力だけでは最適解に辿り着けない。でも、悪い結果じゃない。
取引の細かい条件を詰めている間、店主が帝国産の香辛料を棚に並べているのが目に入った。値札を見る。安い。国産品より明らかに安い。
「店主さん、帝国産がこの価格だと、国産品は厳しくない?」
「ええ、まあ……帝国さんとの取引条件が良いので。ありがたい話ですよ」
「帝国との取引は、直接?」
「いえ、うちみたいな小さいところは直接は無理です。エルスト商会が仲介してまして。港町じゃ一番大きい帝国系の商会です」
エルスト商会。聞いたことのない名前。
「そこの取引条件、見たことある?」
「ありますよ。取引先に配ってる条件表がうちにもありますから」
店主が棚から紙を一枚引き出した。エルスト商会の名が入った取引条件表。品目ごとの仕入れ値、卸値、手数料率が並んでいる。
受け取って、目を走らせた。
——綺麗すぎる。
数字の並びが整いすぎている。品目ごとの利幅が均一。季節変動がない。端数のズレが一切ない。
普通の商売なら、どこかに歪みがある。仕入れが遅れた月は数字が凹む。天候が悪ければ取引量が減る。それが一切ない。
(完璧すぎる数字は、逆に怪しい)
前世でもそうだった。粉飾決算の帳簿は、見た目が綺麗すぎる。現実の商売には必ずノイズがあるのに、ノイズが消えている数字は「作られた」数字だ。
「……このエルスト商会、いつ頃からこの港町に?」
「さあ、五年くらい前ですかね。気づいたらいた感じで。でも取引条件がいいから、みんな使ってますよ」
五年。気づいたらいた。取引条件がいいから使っている。
一方的に有利な条件を出す相手は、何かを得ている。前世の感覚。取引条件が良すぎる話には裏がある。安く売るのは市場を押さえるため。シェアを取ってから値上げする。典型的なダンピング——いや、考えすぎか。
条件表を返した。
「ありがとう。参考になったわ」
今は深追いしない。辺境の領地復興が優先。
でも、完璧すぎる数字と、安すぎる為替レート。
(この港町、何かが引っかかるのよね)
頭の隅にメモだけ残して、帰路についた。
***
帰り道は、行きより少しだけ足が軽かった。
販路が二つになった。南の薬師と、ロッソ商会。帳簿の収入欄に新しい行が増える。これでリスクが分散できる。
グレンが前を歩いている。いつもの背中。
人混みの中では、さりげなく私の前に出ていた。港町の市場で人波に押されそうになった時、グレンの肩が壁のように立ちはだかった。何も言わず。振り返りもせず。
ヴェルナー商会で態度を変えられた時は、グレンの手が一瞬だけ剣の柄にかかるのが見えた。すぐに離したけれど。
護衛。そう、護衛の仕事。
「グレン」
「はい」
「ありがとう。今日、助かったわ」
商会の情報のこと。人混みでの護衛のこと。全部ひっくるめて。
グレンは何も答えなかった。
ただ、歩くペースが少しだけ落ちた。私の隣に近い位置に。
前を歩くのではなく、横に。
すぐにまた前に出たけれど。
(……気のせい、よね)
荷馬の手綱を引きながら、私はエルスト商会のことを考えた。完璧すぎる数字。安すぎる為替。
考えても、今は答えが出ない。
でも数字は嘘をつかない。違和感がある数字の裏には、必ず理由がある。
それがいつか、見える日が来る。
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