41話:三度目
枢密院の大広間に通された。
天井が高い。石壁に紋章が並んでいる。王国の最高司法機関。証人として呼ばれた以上、断る選択肢はなかったが、自分の足で来たかった場所ではない。
廃嫡処分の宣告だった。枢密院の審理はすでに終わっている。レオナルドが全て吐いた、と事前にカイルから聞いていた。財務卿に頼まれて緊急扱いの命令書に署名した。自分の署名が何を意味するかも理解せずに。
予想通りだ。あの人に黙秘を貫く根性はない。
広間の正面に、レオナルドが立っていた。ミレーヌが隣にいる。
三度目だった。
一度目はアーレン領への「視察」。辺境の小娘を帳簿係として連れ戻しに来た。収支報告書を突きつけたら黙った。
二度目はトビアスの回収。送り込んだ駒が寝返ったのを確認しに来た。母の治療費も弟子の立場も全部潰して、「覚えてろ」と帰っていった。二度とも同じ捨て台詞だった。
今日が三度目。王族の衣装を着ている。最後の一着になるだろう。
処分が読み上げられた。王族の権限の重大な濫用。公金輸送詐欺への加担。緊急扱い命令書への不正署名。
——廃嫡。
レオナルドの顔が歪んだ。
「俺は利用されただけだ」
声が広間に響いた。高い天井に反射して、自分の言葉が自分に返ってきているはずだが、本人は気づいていないだろう。
「財務卿に騙されたんだ。署名しろと言われて、中身も知らされずに——」
「処分は確定しております」
枢密院の高官が遮った。淡々とした声だった。この場で何を言っても変わらない。そういう声。
レオナルドが黙った。黙れなかった。目がこちらに来た。
「お前のせいだ」
三度目の台詞が来るかと思った。「覚えてろ」。でも違った。
「お前が余計なことをしなければ、俺は——」
「余計なこと?」
声が出ていた。止めるつもりだったのに。
「帳簿を読んだだけよ。あなたが署名した書類の中身を、私が読んだ。それだけ。一度目も、二度目も、今回も」
レオナルドが一歩踏み出した。
グレンが動いた。アイリスの前に半歩出る。音はなかった。ただ、レオナルドとアイリスの間に壁ができた。灰色の瞳が、真っ直ぐにレオナルドを見下ろしている。
レオナルドの足が止まった。目が揺れた。怒りと、その奥にある恐怖。この男は昔からそうだ。当たれる相手にだけ吠える。当たれない相手の前では止まる。
枢密院の高官が護衛を呼んだ。
レオナルドが退場させられていく。途中で一度振り返った。こちらを見た。何か言いかけて、言わなかった。
「覚えてろ」は出なかった。三度目にして初めて。
ミレーヌがその後をついていく。白いドレス。一度目の時も白いドレスだった。辺境の泥道に合わない格好で来た女。変わっていない。何も。
***
広間が静かになった。
退場していく二人の背中を見ながら、ふと鑑定した。
> 【レオナルド・フォン・ヴァイスベルク】
> 現在価値:480
> 潜在価値:450
初めて見た時は現在600だった。潜在は450。王族の肩書きで底上げされた数字が実力を超えていて、落ちるしかないと思った。廃嫡で肩書きが消えた。底上げが剥がれて、潜在に近づいている。まだ30ほど上回っているのは、王族時代の教育や人脈が完全には消えないからだろう。
(でもこの先、もう上がる要素がない。ゆっくり450に収束していくだけ)
それでも、600もあった頃から三度同じ負け方をした男だ。数字の問題じゃない。自分の署名が何を意味するか理解しない。利用されても気づかない。最後まで人のせいにする。
(頭がまともになれば、せめて自分のやらかしくらい理解できる。廃嫡後の人生だってまだやりようがあるのに)
ルッツのことが頭をよぎった。企画力に振っただけで、計画の質が変わった。
(……この男にも、効くのかしら)
試したことは一度しかない。ルッツの時は「100だけ企画力に」と、数字も方向も決めて動かした。あれが再現できるのか、別の人間でも同じように動くのか、まだ何も分かっていない。
ただ——罪悪感はなかった。善意でもない。この男がまた逆恨みで突っかかってくる方が面倒だ。頭がまともになれば、少なくとも同じ間違いは繰り返さない。再発防止。それだけ。
レオナルドの背中を見た。全部、頭脳に。
——何も起きなかった。
いや、起きたのかもしれない。ルッツの時も、感覚としては何もなかった。「動かした」という手応えがない。鑑定し直すしかない。
> 【レオナルド・フォン・ヴァイスベルク】
> 現在価値:480
> 潜在価値:450
> 頭脳:180
(……動いた。でも、180?)
全部頭脳に振ったつもりだった。480全部。なのに180しか動いていない。
(指示が曖昧だったから……?)
ルッツの時は「100だけ企画力に」と、数字も方向も指定した。今回は「頭脳に」としか考えなかった。数字を決めなかったから、中途半端に止まったのか。
退場していくレオナルドの背中を見た。歩き方が、少し変わった気がする。被害者ムーブが止まっていた。さっきまで「俺は利用された」と喚いていた男が、黙って歩いている。足取りが重い。自分がやったことの意味が、初めて足にかかったように見えた。
劇的な改心じゃない。ただ頭がまともになった分、自分の愚かさが見え始めただけだろう。それでいい。
ミレーヌが後をついていく。
(……試すなら今しかない)
ルッツの時は数字を指定して、指定通りに動いた。今回は指定しなかったから中途半端に止まった。なら、数字を指定すればちゃんと動くはず。
ミレーヌを鑑定した。
【ミレーヌ・カスターニュ】
現在価値:350
潜在価値:300
現在350。頭脳に、100。ルッツと同じ数字。同じ指定の仕方。
【ミレーヌ・カスターニュ】
現在価値:350
潜在価値:300
頭脳:50
(……50?)
100を指定したのに、50しか動いていない。
ルッツは1,700のうち100がそのまま動いた。ミレーヌは350で、100を指定して50。指定の仕方は同じ。数字が違うのは——対象の現在価値が違うから?
(レオナルドにもう一回振れる?)
まだ廊下の先に背中が見える。頭脳に、さらに100。
——動かない。鑑定し直しても、頭脳:180のまま。
(追加できない? それとも、もう限界に当たってる?)
レオナルドは480で、180が限界だった。ミレーヌは350で、50が限界。
480から180を引くと、300。350から50を引くと、300。
(……300?)
二人とも、300で止まっている。動かせるのは300を超えた分だけ。
ルッツは1,700だった。100しか振らなかった。1,700から100を引いても1,600。300よりはるかに上。だから天井に当たらなかった。
(下限が300……?)
三例しかない。断言はできない。でも数字は合っている。
(後で検証する。今日はそれどころじゃない)
***
その日の午後。枢密院の廊下で待っていた。
財務卿の逮捕が執行されると聞いていた。見届ける義務はない。だが見届けたかった。
廊下の奥から足音が聞こえた。
ヴィクトール・ハイゼンが護衛に挟まれて歩いてきた。手枷はまだしていない。正式な逮捕だが、元財務卿という立場への最低限の礼遇だろう。
近づいてくる。顔が見えた。崩れていた。目の下が黒い。頬がこけている。唇が乾いている。
こちらに気づいた。足が止まった。護衛が促しても、動かない。
「……お前か」
声がかすれていた。
「お前が——全部——」
「帳簿を読んだだけよ」
レオナルドにも言った言葉だ。だが相手が違う。この男は帳簿の意味を知っている。数字で何ができるか、理解している。
ヴィクトールが笑った。歪んだ笑い方だった。
「ふざけるな。辺境の小娘が俺の帳簿を読めるだと? 俺の手口は完璧だった。一斉停止の名目も、証拠を回収する手順も——全部筋が通っていた」
(……証拠を回収する?)
引っかかった。
この男は今、一斉停止を「証拠の回収」と言った。自分の帳簿を消すために、商会を止めた。
——それだけ?
あの規模の停止命令で何が起きるか、この男は分かっていたのか。嘘で膨らんだ信用が一気に剥がれて、商会が連鎖的に倒れる。あれが単なる保身の判断だったなら。
(この男、自分が何をしたか分かってない)
「筋が通ってたのは書類だけよ。中身は空だった」
「——黙れ」
「品質停止は再検査で潰れた。公金輸送は運送記録と重量が合ってなかった。全部、あなたが自分で作った書類の中に答えが書いてあった」
ヴィクトールの顔が赤くなった。護衛が腕を掴んでいるのに、前に出ようとしている。
「覚えておくんだな」
ヴィクトールの声が変わった。かすれた声の奥に、妙な余裕が混じった。
「お前みたいな女は——いずれ身の程を知る。俺がいなくても、な」
護衛がヴィクトールの腕を引いた。ヴィクトールは抵抗しなかった。むしろ自分から歩き出した。背中に、さっきまでの取り乱した空気がない。最後の一言だけ、妙に落ち着いていた。
(「俺がいなくても」——?)
引っかかった。負けた人間の捨て台詞にしては、妙に具体的だった。「覚えてろ」とは違う。何かを残してきた人間の言い方。
背中が廊下の角に消える直前、鑑定した。
【ヴィクトール・ハイゼン】
現在価値:300
潜在価値:1,050
(……300)
手が止まった。
潜在は1,050。組織の中で上に行く人間が必ずしも有能とは限らない。それは前世でも嫌というほど見てきた。だから潜在が飛び抜けて高くないことには驚かない。
でも、300はおかしい。
この男は腐っていたとはいえ、国の帳簿を握っていた。周囲と渡り合い、監査の目をかいくぐり、あの位置に座り続けた。手口は雑だったが、政治力がなければあの椅子には座れない。
(300の人間があの仕組みを設計出来るはずがない)
護衛がヴィクトールの背中を押して角を曲がった。見えなくなった。
***
監査院に寄った。カイルに最終報告を渡すためだ。
「財務卿の逮捕を確認しました。ご協力感謝いたします」
「カイル。一つだけ」
「はい」
「さっき財務卿に会ったわ。連行される時に。あの人、一斉停止の目的を『証拠の回収』と言った」
カイルが眉をひそめた。
「帳簿を消すために商会を止めた。それだけ。あの停止命令で市場がどうなるかなんて、考えてもいなかった顔をしてた」
「……しかし、結果としてあの命令が——」
「ええ。あなたに伝えた通りのことが起きた。でも、この男が設計したわけじゃないと考えるのが自然」
間を置いた。
「……まだ何かある。それだけは分かる」
カイルは何も言わなかった。否定もしなかった。
「引き続き、お願い。エルスト商会の件も含めて」
「承知しました」
立ち上がった。
「王都の用件はこれで終わり。帰るわ」
「——お気をつけて」
監査院を出ると、グレンが門の横に立っていた。
勝った。財務卿を倒した。王子も退場した。品質停止も、一斉停止も、公金詐欺も、全部跳ね返した。
なのに、頭の中に残っているのは達成感じゃない。
ヴィクトールの最後の言い方。「俺がいなくても、な」。あの余裕。
それと——300。この人が300のわけがない、という引っかかり。
答えの出ない数字を抱えたまま、王都を後にした。
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