40話:道連れ
王都への街道を馬車で走っている。
同じ道だった。追放された時に通った道。城壁の不正を暴きに行った時にも通った道。何度目だろう。数えたくもない。
「……また王都か」
馬車の中でぼやいた。窓の外に麦畑が流れている。王都に近づくにつれて畑が増える。豊かな土地だ。追い出された場所なのに。
グレンが向かいの席に座っている。黙って窓の外を見ていた。
「あなたも嫌でしょう。近衛にいた頃の場所に戻るの」
「……そうですね。自分も、最近まではそうでした」
「今は違うの?」
「はい」
グレンが笑った。
目を見開いた。この人が笑ったのを見たのは——いつ以来だろう。いや、こういう笑い方は見たことがない。口角がほんの少し上がっただけ。でも目元が緩んでいた。穏やかで、どこか柔らかい。護衛の顔じゃなかった。
「……そう。よかったわね」
自分の声が少し上ずったのが分かった。窓の外を見た。畑が流れていく。
(何よ、あの顔)
見たことのない顔だった。灰色の瞳が、窓から差す光を受けて少し明るく見えた。あの目で「はい」と言われると、理由を聞く言葉が出てこなくなる。
聞けばよかったのに。「何が変わったの」と。でも聞けなかった。聞いたら何かが動く気がして、今はそれどころじゃない。王都で片付けることがある。
馬車が揺れた。街道の石畳が変わった。王都が近い。
***
監査院の一室。カイルが待っていた。
「お待ちしておりました。——状況を報告します」
カイルの顔は疲れていた。目の下に隈がある。ここ数日、相当動いたのだろう。
「一斉営業停止命令が出てから、王都の商業は混乱しています。物流が止まり、仕入れができない店が出始めている。名目は不正取引の関連調査ですが、現場の感覚では——」
「不正対策に見えない。でしょう?」
カイルが頷いた。
「本題に入るわ。三つ持ってきた。順番に行く」
鞄から書類を出した。
「一つ目。品質不適合による流通停止命令。以前、うちの軟膏が品質NGで止められた件。再検査で品質に問題がないことは確認済みで、記録もそちらにある。なのに同じ商品が王都で高値で出回っていた。止める根拠がそもそも成立していない」
「はい、記録にあります」
「二つ目。一斉営業停止。ヴァルト商会の健全性は、以前の監査で公的に記録されてるわよね」
「はい。あなたの摘発を受けて関連商会の監査を実施しました。ヴァルト商会は問題なしと結論しています」
「そのヴァルト商会が停止対象に入ってる」
書類を並べた。停止命令の対象リストと、監査院の健全性証明。同じ名前が両方に載っている。
「公的に健全だと証明した商会を、不正の関連調査の名目で止めた。根拠はない」
カイルが手元の書類を見比べている。顔色が変わった。
「三つ目。公金輸送詐欺」
公式記録を差し出した。監査院使者の立ち会い署名。開封時の差額記録。護送編成、ギルド伝票、宿駅記録の不整合を指摘した書面。
「命令書にはレオナルド殿下の署名があります。これも添付してあるわ」
カイルがページをめくる手が止まった。
「……開封前に不整合を指摘済み。書類だけで立証している」
「ええ。金庫を開ける前から分かっていた」
カイルが顔を上げた。
「ここからが本題よ」
立ち上がった。
「品質停止、一斉営業停止、公金輸送詐欺。三つとも、同時期にアーレン領に向けて実行されている。品質停止だけなら行政判断で逃げられる。一斉停止だけなら部下のミスで済む。公金詐欺だけなら末端の暴走で終わり。でも三つ同時は偶然じゃない」
「同じ意思決定者がいなければ、こうはならない、と」
「そういうこと」
カイルが目を閉じた。長い沈黙の後、口を開いた。
「……お気づきかもしれませんが。この三つを同時に動かせる立場にある人間は、限られています。——財務卿の関与を疑わざるを得ません」
「証拠は揃えたわ。あとはそちらの仕事」
「レオナルド殿下の尋問は枢密院が行います。殿下が財務卿の指示を認めれば——」
「認めるわ。あの人に黙秘を貫く根性はない」
カイルが苦笑した。否定はしなかった。
「アイリス様。一つだけ」
「何?」
「……お気をつけください。財務卿はまだ逮捕されていません。枢密院が動くまでに時間がかかります」
「分かってるわ」
書類を残して、監査院を出た。
***
同じ頃。財務卿府。
ヴィクトール・ハイゼンの書斎は荒れていた。
書類が床に散らばっている。棚から引き抜いた帳簿が机の端から落ちかけている。ペン立てが倒れて、インクが木目に染みを作っていた。
全て潰された。一斉停止も、公金輸送も、品質妨害も。三つ同時に仕掛けて、三つとも跳ね返された。あの女に。辺境の小娘に。
レオナルドが吐くのは時間の問題だ。あの男に根性はない。枢密院が動けば、自分まで辿り着く。
(どうしてこうなった)
苛立ちが収まらない。机を殴った。拳が痛んだ。痛みで少しだけ頭が冷える。だが冷えた頭で考えても、同じ結論しか出てこない。逃げ道がない。
向かいの椅子に男が座っている。帝国側の連絡官だった。ブレンナー辺境伯の領地に駐在し、交易路の調整を担当している。呼びつけたのはヴィクトールだった。逮捕される前に、やれることをやる。それしか頭にない。
「ブレンナーを使いたい。アーレン領主に縁談を持ちかけろ。政略結婚の体裁で」
連絡官が眉をひそめた。
「……何のために」
「何のためも何もない。あの女を潰す。それだけだ」
声が荒い。自分でも分かっている。だが抑える気がなかった。
連絡官がしばらく黙った後、口を開いた。
「……コンラート・ブレンナーの側室が二人、亡くなっております。一人は転落死、一人は病死。どちらも我々が処理しました。検死報告も診断書も揃えてあります」
「知ってる」
「あの男は女に対してだけ壊れている。側室だけではなく、使用人にも手を上げています。帳簿を開いても何も出てこない。出てこないように、我々が作っている」
「だから使うんだ」
ヴィクトールは身を乗り出した。
「あの女は数字しか見ない。帳簿が完璧なら疑わない。ブレンナーの帳簿は完璧だ。——お前たちが作ったんだからな」
連絡官が黙った。
「自分が落ちるなら、あの女も道連れにする。それくらいさせろ」
散らばった書類を払いのけて、机の上に便箋を広げた。手が震えていた。怒りなのか焦りなのか、もう区別がつかない。
(帳簿で人を測る女には、帳簿で殺す男がお似合いだ)
ペンが紙を走る。字が乱れていた。書き直す余裕はなかった。
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