22. 王妃のロマンス
勇者たちが旅立っていったのは、花木が色づく春だった。
そこから季節は巡り、陛下の遠征演習やそれに続く初夏のお誕生日祝い、忙しない夏の社交を経て、あっという間に今度は葉が色づき始める時節を迎えた。
勇者たちの旅路についての進捗報告は、北方の宿場町を過ぎ、シシリの女王と邂逅したあとから途切れている。きっといまはもう、魔界、いや裏世界に到達しているのだろう。
そしてわたくしはといえば。
「歌劇はもう手を引いてもよさそうね。今度はもっと文化に造詣が深い層へ届く小説にしようかしら」
「それはようございますね。知識層も取り込めば妃殿下の新説――――いえ再解釈はますます盤石になられるかと」
相も変わらず、『世界の裏には悪い邪神を封じるために残った同胞がいた』という認識を世に広めるべく、ファーウェイを巻き込んでせっせと裏工作にはげんでいた。
最初はごく解りやすい、単純な悲劇を戯曲にしたわ。伝承に残る三千年前の大戦で、勝利した人間たち。けれどその勝利の裏には尊い犠牲があった……みたいなやつにね。出てくるのはあくまで人間と人間。生き残りはおらず、邪神は単純な悪でしかない。
それを少しずつ、大事な花が根腐れしないよう気を付けて水を与えるように、少しずつ神殿の伝承から裏世界の真実へと近づけていったのよ。少しずつ、尊い犠牲を、その数を増やして、増えた分だけ、希望を与えて。
『もしかしたら――――いま魔界と呼んでる世界には、本当に自分たちの同胞が生きてるんじゃないか?』
そんな疑念を、大衆たちへ抱かせるようにね。
ただ『魔族』という認識については、今の段階で手を出すのは危険すぎるから放置してる。単純に否定すれば異端とみなされる。そんなことになれば、全ての努力が水の泡よ。
わたくしは薄氷を踏むような、危うい綱渡りをしてる。
その自覚だけは、いつだって失えなかったわ。
わたくしにあるのは、人を動かす力だけ。その力は本来わたくしの手に余るもので、うかつに振るえば自分の評判どころか立場を失ってしまう危険な力だという自覚。
その手の話を考えてたせいかしら。少し眉が寄っていたのね。
追加のお茶菓子を持ってきたエディスが、それらを並べながらわたくしに問いかけた。
「妃殿下、いかがされました?次の歌劇の内容でお悩みですか……?」
「え?ああ……ちがうの。歌劇なら、もうひと段落させるところよ」
「ええっ!歌劇の演出、おやめになられるんですか?」
エディスが目に見えて残念そうな声を上げる。
まあ、お前は舞台俳優が『推し』だものね。わたくしと共通の話のタネになる歌劇からわたくしが手を引く、というのは惜しいことでしょう。
「歌劇方面はもうわたくしが手を出すまでもないくらい成熟した、ということよ」
「そんなぁ……せっかく最新のロマンス劇について、殿下とお話できるかと思ってましたのに……」
いやだ。そんなにしょげないでちょうだい。
わたくしが物凄い悪人みたいじゃないの。そこの笑ってる狸、どうにかしなさいよ。
わたくしの眼光に気づいたかどうかは定かじゃないけど、へらへら笑ってたファーウェイが慌ててエディスへ声をかける。
「ロマンス劇ですか。巷で最近話題でございますね。そういえば」
「!そうなんですよ!!」
途端に勢い込んだエディスが、空になったお盆を抱いたままファーウェイに振り返る。
よくやったわ狸。そのまま圧倒されなさい。その熱量に。
しかしわたくしの他人事面は、そう長くは続かなかった。
「あの『再会の抱擁』をモデルにしたロマンス劇で、いまとっても話題なんです!」
「ほほー『再会の抱擁』と申されますと、あの」
「はい!あの、円卓会議から戻られた陛下と妃殿下の!」
ごふっ。
……危うくハーブティーを噴きかけたわ。王妃の威厳どころか淑女としての尊厳まで失うところだった。
というか、なに?その頭の痛くなりそうな恋愛戯曲みたいな名詞は。
「なんなの。それ」
声が低くなったのは仕方のないことよ。熱いハーブティーを一息で飲み込んだんだから。
「え、ご存じないですか殿下?あの時の陛下の熱烈な抱擁……!それが話題に話題を呼んで、殿下と陛下をモデルにしたロマンス歌劇がいま大人気なんですよ」
「ご存じないわよ!だ、大体なんなのロマンス歌劇って!抱擁の一つ程度でそんな」
「いやいやいや、それは殿下、人の噂など一人が口にすれば二倍に、二人が口にすればそのさらに倍……と膨れ上がっていくものではございませんか」
ご存じでしょう?とカップを掲げたファーウェイに言われて、わたくしはぐうの音も出なかった。
何故なら全力でわたくしが振り回してた力。その原動力こそ人の噂話そのものだったから。
それよりエディス、お前その話題でわたくしと盛り上がろうとしてたの?
(そういえば『推し』の話題になると周りが見えなくなるんだったわ、この子)
それはともかく、ともかくよ。
「ロマンス歌劇なんていまは置いときなさい!それよりファーウェイ!さっき言った通り次は小説よ!作家の選定を急ぎなさい!」
「はい、はい、確かに承りまして御座います~」
ハーブティーを飲み干した狸が飄々と出て行った後には、至極残念そうな顔をしたエディスとわたくしだけが残された。
思わず脱力し、長椅子の背もたれへ背中を預ける。
人の噂を工作することに慣れすぎて、自分がその対象になる可能性が頭からすっぽぬけてたわ。ちょっと危険ね。我がことながら。
ふん、と腹筋に力を入れて起き上がる。どこの間抜けがそんな噂を流したのか知らないけど、もう形になってしまってるものは仕方がない。
これで無理やり潰そうものなら、自分の評判がガタ落ちするだけだってことぐらい、わたくしにも解ってるわよ。
「殿下、そうお怒りになられずに……歌劇が人気ということは――そう、そうです!殿下と陛下の人気が上がってらっしゃるってことですよ!」
「……まあ、支持率が上がるのは悪いことじゃないわね」
方法はともかくとして。ほんと、ともかくとして。
あとはこの噂を流したのがわたくし本人だとか言い出す大間抜けさえ出てこなければ、見なかったことにしてあげてもいいわ。
そんなことを考えて、ジャムが輝くクッキーを摘まもうとしたときだった。
「そうです殿下!それに、もうすぐ殿下のお誕生日ですよ!きっと王都も大盛り上がり間違いなしです」
言われてみれば、あったわねそんなイベントも。
エディスの盛り上がりに対して、わたくしはさくさくクッキーを食べながら暦を思い返していた。
この九年間、いえ十年間は大した思い出もなさすぎて忘れてたわ。
なにせ昨年は『推し活』で忙しすぎたうえに、誕生月が丁度円卓会議にかぶって――――
「っごほ」
「!大丈夫ですか殿下!?」
「だい、じょうぶよ……ちょっと、クッキーが……」
「お茶、お茶を召し上がってください……!」
エディスが差し出してくれたカップの中身を一気に飲み干す。淑女の尊厳?捨てたわそんなもの。
はあ、と一息ついたわたくしを見て、エディスもほっと息をつきつつ心配そうにこちらを見ているのが分かった。
大丈夫よ。ほんと、ちょっと思い出しただけだから。
思い出しただけ。だから。もう思い出さなくていいから。
そう自分に言い聞かせてもどんどん耳が熱くなるのが止められない。
昨年の誕生日は、円卓会議が被って陛下も不在だったから、ごく簡単に済ませたのよ。ただ、そう、陛下が出発される前、そのことを気にしてらしたから、ちょっと、ちょっとだけよ。陛下の部屋のバルコニーで、二人で過ごした。それだけよ。
大事を控えた束の間の別れだと分かってても、そう、ちょっと気持ちが盛り上がって――――ああああ思い出すなといってるのに!この頭は!
「殿下、お顔が赤く……はっもしやお熱が?さっきの咳も……!」
「ち、ちがうわよ」
そんなんじゃないからと言おうとしたけれど、わたくしは頬の熱を抑え込もうと手を押し付けるので文字通り手一杯だった。
「いいえ!風邪は引き始めが肝心です!侍医を呼んでまいりますから!」
「ほ、ほんとに違うから!というかお前焦ったら転ぶんだから!」
「最近はあまり転ばなくなりました~!」
それって転びはしてるってことじゃない。
「っもう……!」
忙しなく遠ざかっていく靴音に、わたくしはぼふりと長椅子のクッションへ身を預けた。
それから、なんだかたまらなくなってきて、喉の奥からくつくつと笑い声が漏れ出すと、もう止まらなくなった。
「ほんとに、もう……」
ああ、頬が、耳が、全身が熱い。再会の抱擁?そんなの、いくらでも使えばいいわ。
どうせあの時のわたくしには届かない。あの時の胸の熱さと高鳴りには。
でもだからって、ほんとに熱を出すのは話が別だと思うの。
「過労ですね」
侍医は苦笑しながら、けれどきっぱりと言い切った。少しお仕事量を減らされますように、と。
わたくしは押し込められた寝台の上で、目を潤ませたエディスにほとんど泣き落されるも同然に今日の仕事を諦める約束をさせられた。
というか、そんなにしてたかしら。ちょっと世論操作のための文化推奨事業を二、三個と秋の徴税に向けた豊穣祭の準備とわたくしの名前で運営されてる救済院の運営チェックと神殿の動向チェックの密偵手配ぐらいしか。
してたわね。結構。
「……はあ」
暇だわ。寝台で出来ることなんて寝ることと寝返りうつことぐらいじゃない。
『推し』のための仕事がしたい――――なんて思うなんて、じゃあ『推し』に出会うまでのわたくしはどうやってこの虚無時間を過ごしてたの?
正直、全然思い出せないわ。たしかファーウェイを呼び出したりファーウェイに愚痴ったりファーウェイから買い物してたりはしてたと思うんだけど。
……いやだ。わたくしってあの狸との出来事しか思い出がないわけ?
なんかほかの、ほかのものなかったかしら。
そう思って唸ってたら、ふと、エディスが言ってたことを思い出した。
「誕生日……」
わたくしの誕生日は――――特に結婚したての頃は、満足に夜会をひらけるわけでもないし、本当につまらない顔をしていた記憶しかないけれど。乳母だったアンは、わたくしの令嬢時代からの好物を作らせてお祝いしてくれてたわね。そんな彼女も亡くしてしまってからは、本当に型通りの祝福やごちそうが退屈で。
それでも陛下は、毎年贈り物をくださったわ。
一昨年は真珠の首飾り。去年はいろんな騒動がひと段落してから――もう年は明けてたけれど――アクアマリンの耳飾りを贈ってくださった。
陛下の瞳と同じ、淡い青色の雫のような耳飾り。もったいなくて陛下の前で着けて見せて以来、しまい込んだままだけど。
今年の誕生日は、あの耳飾りを着けようかしら。ティアラにもあうだろうし。
熱っぽい頭でぼんやり考えつつ窓の外を見ていたら、そのまま吸い込まれるようにわたくしは眠ってしまっていた。
そこは暗いけど、恐ろしくはない場所だった。
手を振ってみても、足を動かしても、何かに触れたり進んだりはしない。
上も下もわからない。温かくはないけど、寒くもない。
不思議なところ――――そう思ってたら、ふと、わたくしはなぜ、自分の手足が見えているのかしらと気づいた。
ああ、わたくし自身が光ってるからだわ。
そう気づくと、わたくしの中から小さな光が浮かび出た。
小さな小さな、愛らしい光。目の前のそれに触れようと、わたくしが手を伸ばしたときだった。
「――――……あなた……?」
「……すまない。起こしてしまったか」
わたくしの手――手は、天蓋に向かって伸ばされていたその手を掴む陛下の手の中にあった。
寝室の窓からは西日が差し込んでいる。いつのまにか、ずいぶんと眠っていたらしい。
寝台の傍らに腰掛けた陛下は、執務用の軽装姿のままだった。
「いつから、いらしてたんですか……?」
「君が熱を出したと聞いて、一度様子を見に来たんだ。その時は深く眠っているようだったから、そのまま出たんだが……先ほどは」
「……さきほどは?」
陛下はそこで、妙にきまりが悪そうに言葉を切った。
かえって気になるじゃない。そんな切り方されたら。
じーっと見つめるわたくしの視線に観念したのか、一度瞼を伏せた陛下はその握ったままのわたくしの手へ目をやった。
「君が微笑んで、なにか、大切なものに……愛おしそうに触れようとしていた、ように……見えた、から」
見えたから、だから?
「思わず、掴んでいた」
「…………」
「……そんな目で見ないでくれ」
あら、どんな目かしら。生憎鏡がついてないのよね。天蓋には。
わたくしはこみ上げる感情のままに口元を緩めながら、わたくしの手を握り続ける陛下のその手を握り返し、上掛けに覆われた胸元の上にそっと置いた。
「わたくしの夫君は、いつからそんなに嫉妬深くなられたのかしら」
「……もう覚えていない」
陛下の頬が赤く見えているのは、西日のせいだけじゃないわよね。
わたくしに取られた右手のせいでねじれた姿勢がつらくなったのか、それともきまり悪さを隠そうとしてか――振り返った陛下が左ひじをわたくしの枕元についたかと思うと、そのままわたくしへ寄り添うように頬杖にした。
「夢にまで嫉妬するなんて、先が思いやられますわね」
「先?」
「あら、わたくしたちは夫婦でしょう?ならこの先――――」
言いかけて、自分が何を言おうとしたのか気づいてしまって。
今度はわたくしが口を閉じる番だった。
この先――――わたくしたちの子供ができたら、なんて。
言っておくけれど、わたくしたちはまだ『白い結婚』だ。いまでも寝室は別だし、あの夜のバルコニーでだって口づけだけでわたくしは自室に戻った。
夫婦ではあるけれど、夫婦関係はまだない。それが現在の、中つ国国王夫妻の現状である。
でも、わたくしは次の誕生日で二十になる。令嬢なら十六で花嫁になるのが当たり前のこの国で、二十ともなれば子供の一人二人抱いていてもおかしくない。
それなら、そうなら。
「……熱が上がったか?」
「そ、そうですね。そうかもしれません」
ああ、最近あらためて身に着けだした、王妃らしい淑女の口調が崩れてく。
でも仕方ないのよ。本当に熱は上がっていたんだもの。額じゃなくて、頬だけれど。
あと掴まれて、いえ、わたくしも掴んだけど、ともかく右手が熱い。だから放してほしいのに、陛下の手はますますぎゅっと、力強くわたくしの手を握る。
「……ベルグリンデ」
「は、はい?」
陛下の表情は見えない。というか見てない。わたくしの目は刺繍が施された天蓋に固定されて、頭上から降ってくる声をただ聞いていた。
「――――次の誕生日は、なにが欲しい?」
「はい?」
誕生日?
今のこの流れで、それ?
「なんでもいい」
「なんでも、と仰られても……」
陛下の声は真剣そのものだった。それがますますわたくしの困惑を煽る。
「それとも……いまは、その夢の中のものしか欲しくはないのか?」
「夢の……」
言われてみて思い出そうとするけれど、今までのやり取りで夢の内容なんて忘れてしまった。なんだったかしら。陛下の言葉を参考にするなら、なにかいい夢を見ていたみたいだけれど。
「…………『推し』か?」
陛下の声が一段低くなった。あ、まずい。
「ちがいます」
脳内に流れた警鐘に従い、わたくしは即答で否定した。
ここ最近、陛下はわたくしの『推し活』は黙認されてるけど、『推し』こと勇者のことをわたくしがあんまり話したり褒めたりすると――そもそも褒めるような話しかしてないのだけれど――分かりやすく嫉妬するようになっていた。そうね。原因はわたくしよ。
解ってるから止めたんじゃない。
「誕生日は毎年、陛下がお選びくださってたではありませんか」
「それは、そうだが」
もっともらしい理由で逸らすことに成功。よし!
伊達に世論操作してないわよ。
「今までは……君の希望を、きいたことがなかった」
「昨年分としてくださったアクアマリンの耳飾りも素敵でした。今年の誕生日の祝賀会にも身に着けようと思ってたんですよ」
「……そう、か」
機嫌上昇。よし!
「なら、俺が贈るものとは別に――君が欲しいものを考えておいてくれ」
「それでは贈り物が二つになってしまいますわ、わたくしが陛下にお贈りしたものは一つでしたのに」
そこまで業突く張りじゃないわよ、さすがに。
六月生まれの陛下には、巡幸用の鞍を贈ったわ。軍馬は素晴らしい名馬がシシリから届いたばかりだったから、その中でも陛下がお気に入りの仔に合わせて作らせた。樫の葉、山査子、麦の穂の刺繍を施したうえで、わたくし自らも針を取って精霊言語で無事の帰還を願う言葉を刺したの。
刺したのはそこだけよ。しょうがないでしょ。刺繍自体初めてだったんだから。
「鞍と、冠もくれただろう」
「あれは……」
確かに贈ったけど、初夏の草花で編んだ冠だ。もう枯れてしまったはず。
陛下は魔法使いを呼んで保存用の水魔法をかけさせようとしてたけど、さすがに止めた。あんな繊細なことができるのはゼニラぐらいの上級魔法使いよ。そのゼニラだって永続は無理と言っていた。
でも、どうしても陛下はわたくしにも選ばせたいらしいようだった。
結局押し問答はわたくしの負け。なにか考えておく、と約束して、わたくしは陛下の手を放したの。
陛下はわたくしの額に口づけて、執務に戻っていった。入れ違いに入ってきたエディスへ晩餐は欠席する旨を伝えるよう頼むと、彼女は頷いて寝室のランプを灯し退出していった。
また一人になった寝室で、私はぼんやりとその明かりを眺めていた。
「……ほしいもの、ね」
わたくし自身の欲しいもの。
欲しいものは――――……まだ、それを口にする勇気はなかった。
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