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第2話:皇城の余香

皇城の門をくぐると、世界の空気が変わった。石畳には権威の匂いが染み込み、金属の鎧や絹の衣服、そして人々の緊張の香りが混ざって渦巻いている。私は思わず深呼吸した——嗅覚は、一瞬でこの城の秩序と狂気を教えてくれた。


「……ああ、やっぱり匂いがうるさい」

小声でつぶやき、背中の鞄をぎゅっと抱える。師匠・藤蔵の言葉を思い出す。『薬は人を救う道具。匂いは人を見抜く道具』——今日、私は両方を使うことになりそうだ。


城内の廊下を進むと、冷たい石の床に金属の軋む音が混ざる。足音が先導するのは、蒼井霧夜——王都特務官だ。背筋がまっすぐで、肩の力を抜かない。感情の匂いはほとんどないが、かすかに血と鉄、過去の痛みの匂いが混じる。——興味深い相手だ。


「椿露華か」

霧夜は無表情に声をかけた。口調は冷たいが、目は鋭い。私を警戒しているのか、それとも興味を持ったのか——匂いだけでは判別できない。


「はい、特務官殿」

私は軽く会釈する。匂いで本性を嗅ぎ分ける私に、警戒心は無駄だと悟られているらしい。


霧夜は手にした書類を広げ、事態を説明した。側近の発作は突如として起こり、原因は未だ不明。宮廷の医師たちは口を揃えて「薬害かもしれない」と言うが、誰も確証を持っていないという。


「では、最初に私が嗅ぐ」

私は書類から匂いを嗅ぎ取ろうとした——紙とインク、そして淡い薬の残香。すると、ふわりと禁草の甘い余韻が漂う。微かだが確かに、記憶を削る香りだ。


「……これは、普通の薬害ではありません」

私は小声で霧夜に告げる。反応を見たかったが、彼は眉一つ動かさない。


「そうか……なら、あなたに調べてもらうしかないな」

霧夜は簡潔に答えた。その声には命令の色はなく、ただ事実を認める冷静さだけがあった。


私は手早く薬壺を取り出し、城内での最初の調合に取りかかる。使うのは、匂いの微細な変化を可視化するための古い調合法——藤蔵にだけ教わった秘薬だ。露華の手が動くたび、淡い蒼色の煙が上がる。それは、匂いの成分が目に見える形になったもの。


「なるほど……側近の体内に、外部から注入された成分が残っている」

私は分析しながら呟く。記憶を消す禁草の量は微量だが、確実に作用している。誰かが意図的に王都の秩序を変えようとしている。


その時、廊下の角から小さな足音がした。振り向くと、皇女の側近らしき少女がじっと私を見つめている。目は驚きと恐怖で揺れていた。


「……椿薬師様?」

小さな声に、私は軽く微笑む。優しい薬は、恐怖の匂いを和らげることができる——匂いだけで、そう分かる。


「大丈夫。すぐに原因を探すから」

私は手を差し伸べる。少女は戸惑いながらもその手を握った。香りが少し和らぐ——恐怖と悲しみが混じった匂いが、薬の蒼い煙に溶けていく。


霧夜はその光景をじっと見ている。彼の目に、僅かな変化があった。警戒だけではない、何かを理解したような、微かな共感の色——匂いでは測れない感情だ。


その夜、私は初めて王都の宮廷で薬師として働いた。匂いで真実を嗅ぎ分け、人を救い、陰謀を暴く。小さな手順のひとつひとつが、やがて国の運命を左右することになる——そう、匂いは教えてくれていた。

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