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■2-5 喰わない意味を知っている

 空間に神気が満ちてゆく。


 熱。声。意味。祈り。

 それらすべてが、社の拝殿を中心に、極限まで“集まりきった”。


 風が逆巻く。

 音が潰れる。

 周囲の黒衣たちは顔を伏せ、両腕を天に掲げた。


 像が、燃えている。

 銅の身体に刻まれた傷が、まるで呻くように軋み、

 胸の空洞から立ち昇る神火が、空間を溶かしはじめる。


 行くしかない! 俺は神域に踏み込み、それを見た。


 「――レシェフ、か」


 それを見た瞬間、名が流れ込んできた。

 触れた瞬間に、知ってしまった――これは古い神だ。


 相手の神を口に乗せることで、神域が僅かにずれる。

 その隙間を縫うように、俺は足を進めた。


 像を見上げる。

 その背後に、祈りの芯がある。

 燃える“神の核”。再顕現した信仰の残滓。


 「カナンの神。火と疫病と戦の矢を司る。……なるほど。モロクの眷属にしては、出来すぎた器だな」


 その言葉に、円陣の奥――片目を包帯で覆った男が、わずかに顔を上げた。


 「また……来たのか、“喰らう者”」


 この男には見覚えがある。

 先日の教団で、教祖の側に立っていた男だ。確か、カガミとか名乗っていた。


 あれから、そんなに時間も経っていないのに、自力で神を降ろせるようになった?


 奏を贄にして、教祖が持っていた神格を蘇らせようとしていのか。


 円陣の奥、片目を包帯で覆った男――カガミが、ゆらりと立ち上がった。


 「見せてやる、“火”の再臨を」


 その声とともに、彼の背に神火が渦を巻く。

 空気がひび割れ、皮膚の下から赤熱する光がにじみ出す。


 「俺の名を、神に捧げた。祈りは燃え、肉を変える!」


 叫びとともに、カガミの肉体が軋み、骨が突き出し、背中から熱気が爆ぜる。

 異様に膨れ上がった腕を振るい、地面を抉るように前へ踏み込む。


 「この火は俺だ!祈りの力が、名を媒介に力を与える……!」


 神の矢――それは比喩ではなかった。

 カガミが放った拳が、ただの物理攻撃ではない“圧”を伴って突き刺さる。


 右腕を前に出す。神紋が浮かび、熱をまとった拳とぶつかる。


 轟音。

 火の波。

 爆風が境内を洗い、黒衣の信者たちが吹き飛んだ。


 「なるほど……この身でなければ、一撃で燃え尽きていたか」


 カガミが笑い、追撃に移る。


 火の奔流。破裂する空気。爆ぜる瓦礫。

 信者たちが四方から襲いかかる。

 跳躍。爪。口。人間離れした動き――祈りに染められた“獣”。


 「信仰によって我らは変わる! お前こそ、神を否定する異端だ――!」


 銃声。

 だが弾丸は空中で歪み、撃った者の腕が遅れて“崩れる”。


 俺の右肩がざわつく。

 皮膚の下で、黒い紋様が蠢いていた。


 その瞬間だった。


 腹の底に、灼けつくような熱が噴き上がる。


 声にならない“声”が、内側から囁く。


 ――喰わせろ。

 ――祈りを。名を。神を。

 ――お前の意志など、飢えには無意味だ。


 黒い蛇が、這う。

 腕を。肩を。首を。

 皮膚を焦がすように、這い上がってくる。


 手が、勝手に動く。

 像の方へ。祈りの中心へ。

 喰う。それしか望んでいない。俺の中の“それ”は。


 頭が割れそうだった。


 「やめろ……まだ、今じゃない」


 喉から漏れた自分の声が、知らない音に聞こえた。


 目の前で、奏が跪いている。

 名前が、削がれかけている。

 自分が自分でなくなる寸前で、微かに呼んでいた――誰かを。


 「……まだ、“俺”でいたいんだよ」


 奥歯を噛みしめる。

 手を無理やり下げ、意識を燃やすようにして衝動を押し返す。


 カガミが、燃えながら突進してくる。

 信者の一人が、背後から跳びかかってくる。


 構わない。


 俺は、喰う。


 だが、それは衝動に従うためじゃない。

 俺が選ぶ。俺が望む。

 この名前を、燃やされないために。


 「――もういい」


 右手を構えた。


 祈りが、流れ込んでくる。


 像の胸が爆ぜる。

 火が渦巻き、神火が喚く。

 名を返せと。祈りを焼かせろと。


 その瞬間、像の胸に“名”が浮かび上がる。

 金色の文字列。意味を持たないのに、俺にはそれが“意味そのもの”だとわかる。

 構文が形を持った。だから喰える。今だけは、意味が世界に露出している。


 俺の手が、それに触れた。


 そして――喰った。


 音が、消えた。


 神火が、崩れる。

 像が、溶けるように“忘れられていく”。


 祈りの熱が吸い込まれ、信者たちの脚が抜け落ち、ひとり、またひとりと倒れ伏す。


 焼けたように痛む右腕の文様が、最後に一度だけ脈動した。


 俺は、奏の前に立った。


 「……名前、返すよ」


 その言葉を囁いたとき、奏の瞳が一瞬だけこちらを見た。

 そして――そのまま、彼女は静かに意識を手放した。


 崩れるように倒れかけた体を、俺は反射的に抱きとめる。


 軽い。

 けれど、熱がまだ残っている。

 彼女の中にあった“祈りの余燼”が、まだわずかに揺れていた。


 その匂いが、俺の中の“それ”を刺激した。


 喰わせろ。


 腹の底で、黒い蛇が蠢く。

 皮膚の内側を這い、指先に飢えが集まっていく。


 いま、このまま。

 この少女を、そのまま喰らえば――誰にも止められない。


 違う。


 それは違う。


 「……黙れ」


 喉の奥で呟いて、拳を握る。

 祈りを喰らった熱が、いまだに右腕を焼いていた。

 けれど、俺の意思はまだある。

 それを手放したら、本当に“人間じゃなくなる”。


 俺はゆっくりと息を吐いて、奏の肩を抱き直した。


 境内を出て、鳥居をくぐる。

 夜の気配が戻ってきた道を、人気のない裏路地を選びながら歩く。


 誰にも見られないように、ゆっくりと――

 でも、確かに。

 彼女を守るように、抱きしめたまま。


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