表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/25

■5-3 封域交戦



 階段を上がるたびに、足音が重くなっていく気がした。

 この上に、所長室がある。継国塵。神格を持つ“記録の番人”。

 メモにあった通り、次の扉を越えた先が、最上階の管理区画だった。


 俺は手すりに軽く触れながら、一段ずつ静かに登っていく。


 ――だが、空気が変わったのは、そのときだった。


 金属の匂い。焦げたような空気。

 上の階から、人の叫び声が微かに聞こえた。


 警備がいる。


 俺は足を止め、気配を殺して角を覗く。

 白い廊下の奥、武装した兵士たちが数人、こちらに背を向けて配置されていた。

 ライフルを構え、動きを警戒している様子。けれど、誰も俺の存在に気づいていない。


 そのときだった。


 ひとりの兵士が、何かの気配を感じたのか、こちらに顔を向けた。

 目が合った。


 「侵入者だ!」


 叫びと同時に、銃口がこちらを向いた。


 ――撃たれる、と思うより早く、俺は一歩踏み出していた。


 バンッ。


 乾いた音が鳴る。銃声。だが――弾は俺に届かなかった。

 空気が弾くように歪み、弾丸は何もない空間に吸い込まれるように消えた。


 兵士たちの顔に混乱が走る。


 「当たっていない!? センサーも反応してない――どういうことだ!?」


 彼らには見えていない。

 俺の“構文”が、世界の認識から外れている。

 これが、フェーズⅢの特性。神格者となった者の、異常な“在り方”。


 俺はそのまま歩き出す。


 兵士たちはさらに銃撃を重ねる。けれど、何も届かない。

 俺はただ、彼らの横を通り過ぎた。

 視線は合っているのに、誰にも触れられない。

 俺だけが、世界の“読み取り”から抜け落ちていた。


 そのとき――


 「確認。フェーズⅢ、未登録神格者。排除を開始する」


 聞き覚えのない声が、廊下の奥から響いた。


 そこには、二人の人影が立っていた。

 ひとりは無言のまま。もうひとりが口を開く。


 「こりゃまた珍しいのが来たな。あんた、神の名前も持たずにここを歩いてんのか?」


 番犬。

 管理庁直属の神格者たち。


 その言葉を認識した瞬間、視界が切り替わった。

 反射のように、俺の眼が“それ用”に切り替わる。


 周囲の空間が淡くきらめき、視界のすべてに黄金の構文が浮かび上がる。

 壁にも床にも、人影にも。意味の網が世界を覆っていく。


 敵か、味方か――その判別さえ完了しないうちに、身体が勝手に準備を始める。

 呼吸は静かに整い、足の裏に重心が沈む。

 この空間に、わずかな違和が生まれた瞬間、構文が即座に“喰らう”対象へと変わる。


 俺はまだ、戦おうとはしていない。

 けれど、俺の中の“何か”が、もう戦う構えをとっていた。


 右側の男が笑いながら近づいてくる。

 その腕に、赤く光る剣のような文様――神紋。


 だが神の名は見えない。神紋の奥にその名は隠されている。こいつらもあの男と同じか。


 「俺は番犬・弐。……ま、斬る力を授かった武神ってところさ」


 男は軽く肩をすくめながら、腰の刀に視線を落とした。

 その動作には飄々とした雰囲気があったが、身のこなしには一分の隙もなかった。


 「名は伏せとくよ。失礼かもだけど……最近、“名前を喰らう”って噂の神格者が出てるらしくてな」


 言いながら、こちらをちらと一瞥する。

 それは冗談のようでいて、冗談ではなかった。

 彼の奥底に、何かを測るような眼差しがわずかに浮かんでいた。


 「……ま、念のためってやつだ。気にすんな、こっちは職務だから」


 そう付け加える声には、どこか乾いた響きがあった。

 まるで自分の“疑い”すらも任務の一部として受け入れているかのように。

 番犬・壱は何も言わず、ただ静かに神紋を浮かび上がらせる。複雑な円環。遮断と封印を示す文様。


 「ふたりで来てるのは、あんたがそれだけヤバいやつって判断されたってことだ。……なぁ、下がれ」


 弐が後ろの警備兵たちに振り返る。


 「こりゃお前たちには無理だ。例え見かけがガキでも、神格者は神格者でしか対応できねぇよ。わかってるだろうが」


 兵士たちはためらいながらも、武器を下ろして後退していった。


 そして、始まる。


 壱の構文が空間を封じ、弐の斬撃がその中心に走る。


 俺はとっさに身を引き、壁際に転がった。

 斬撃がかすめた床が一瞬でひび割れる。


 次の一撃。

 視界の隅から、壱が構文のリングを展開し、俺の動きを封じにくる。

 同時に弐の刃が滑るように伸びる。


 避けたつもりだった。

 それでも、頬にかすかに熱が走った。

 斬られた。


 口元を拭うと、指に赤い線が残った。


 ――やばい。このままじゃ、やられる。


 腹の底で、“それ”がうごめく。

 喰わせろ、と、声がする。

 けれど、視えない。喰えない。


 この二人の神格は、俺の“力”が届く範囲の外にある。


 ……いや、違う。名がわからない。

 喰うためには、その“神の名”を識別しなければならない。


 俺は歯を食いしばる。


 “名前を喰らう神格者”――その言葉が、あいつの口から出た。

 管理庁も、そこまで察しているということか。


 ……いや、まだ“俺”だとは気づかれていない。けれど、名を明かせば、その瞬間に証明になる。

 喰う力を使えば、終わる。

 迂闊に動けない。ここは、飲み込まずに耐えるべきだ――。


 そのとき――。


 バンッ!


 乾いた金属音が響き、壱の頭に何かがぶつかった。

 小さな爆発。煙と火花が上がる。


 壱が一歩後退。


「……へぇ、これでも倒れないんだ。ちょっと驚いたよ」


 軽やかな声が、頭上から降ってきた。


 見上げると、廊下の梁の上――そこに、黒髪の少女が立っていた。


 場違いなセーラー服。けれど、それは着ているだけ。

 彼女の動きには、戦い慣れた者だけが持つ、迷いのない軽さがあった。


 長い黒髪が跳ね、片目にかかった前髪の下から、鋭いまなざしが覗いている。

 右手には金属製の武器。刃のないナイフのような、構文式の杭。


 彼女はゆっくりと飛び降り、軽い音を立てて俺の前に着地した。


 「あんたがこいつらの相手をしてくれてたおかげで、もう一人は倒せました。……はじめまして」


 その顔に、にやりとした笑み。

 挑発的で、自信に満ちていて、どこか寂しげでもあった。


 目の奥には、誰かを守ろうとする強さと、ひとりで立ち続けてきた静かな覚悟があった。


 「……お前が、もうひとりの侵入者か」


 俺がそう言うと、彼女は肩をすくめて言った。


 「東条マユラ。互助会の者です――とか、そういうのは後でいいか」


 女は、ひらりと手を振って自己紹介を打ち切った。

 整った顔立ちに浮かぶ微笑みは柔らかいのに、その目だけが油断なく光っている。

 まるでこちらの懐を探るように、言葉の間合いを慎重に測っていた。


 「今は味方。……たぶんね」


 そう言って、彼女は番犬をまっすぐに見据えた。

 次の一撃に備えるように、杭を握り直す。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ