第2章 世界を守る盾が歪む──南極環流という最後の循環構造
地球には、外から見えない“盾”がある。
それは、南極の周囲を取り巻く、巨大な海流──
南極環流(Antarctic Circumpolar Current)。
この海流は、メキシコ湾流や黒潮のように誰かに語られることは少ない。
けれど、その力は、地球上のあらゆる流れの中でも群を抜いている。
世界で唯一、大陸に遮られることなく、
地球をぐるりと西から東へ回り続けているこの環流は、
地球の熱と塩、そして深層の冷水を全球にめぐらせる**“熱と命の動脈”**として機能してきた。
南極環流はまた、氷を守る盾でもあった。
この流れがあることで、暖かい海水が南極の氷床に接近することを阻まれ、
脆い氷の基盤が、しばらくのあいだ持ちこたえてきた。
それは、構造が生んだ秩序のひとつの姿だった。
けれど今、その盾に、静かな亀裂が入りつつある。
南極環流は、かつて「温暖化が進めば勢いが増す」と予測されていた。
表層の温水が増えれば密度差が生まれ、海流が速まるはず──
そう考えられていたのだ。
だが現実には、その逆のことが起きている。
海氷の融解によって流れ出した冷たく軽い雪解け水が、
南極周辺の海に密度成層をつくり、深海の混合を阻害している。
その結果、地球最大の海流は、むしろ速度を落としているのだ。
研究によれば、このまま進めば、2050年までに南極環流の速度は最大で20%低下するという。
世界を取り囲む盾が、
今、音もなく“巡る力”を失おうとしている──
この構図は、やがて地球全体を巻き込む、
さらに大きな崩壊の連鎖へと繋がっていく。