第二十一話 きっと仲良しでいて
あの夜、セサニア王国の王都陥落から半年経った今日、王城跡に建設されていた慰霊のための神殿が完成しました。王城の再建はしばらく凍結され、神殿の敷地内にある賓客用のゲストハウスに『ブリジット女王』はつつましく暮らしています。円錐形に近い、王城の瓦礫を再利用したゲストハウスは、一時の仮住まいとしては十分過ぎるほどで、謁見用の大広間は神殿に、政務に関わる会議室はゲストハウスに、と国政の機能も司っています。
そこに、実は私も同居しています。なんなら、ラヘルも青年執事として働いていますし、近くの騎士団宿舎にはフィオもいます。
毎日、『ブリジット女王』ことラミアに、お化粧と髪のセットをされています。
朝起きたら、私は選んでもらっていたドレスを着てからサンルームのドレッサーに座らさせられ、使用人は使わずラミアと一対一で話しながら、慣れない『聖女』業のためにと着飾らせてもらっています。今日は伸びてきた髪を編み込みの三つ編みにして、清楚な感じの化粧にするそうですが、すでにラミアは『ブリジット女王』らしく、いつもの長い金髪をクラウンブレイドの髪型にまとめたドレープドレス姿です。私より早起きして準備しているのでしょうか、一国の女王は違います。
ラミアは私の後頭部に三つ編みを作りながら、聞き分けのない子どもへ言い聞かせるように毎日毎日私へ現状を教えてくれます。
「いい? 私は新女王、あなたは聖女! へリナス子爵も了承してくれたわ、紋章研究もこれで問題なしよ」
「そのおかげでお父様とは今度会えるから嬉しいけど、そもそも聖女って何?」
「『豊穣の女神』の紋章を持っていて、なおかつ他者を強化する効果まであるなら、聖女でいいでしょう。セサニア王国として認定すれば、とりあえず名目的にはあなたの身分を保証して、守る大義名分になるわ」
それはまあ道理です。セサニア王国ではあまり馴染みのない『聖女』業ですが、仕方なく私は神殿のお手伝いをしてごまかしています。『ブリジット女王』のお膝元なら、異種族に連れ去られることもありません。
ラミアは真面目に『ブリジット王女』を演じてきただけに——元々優秀なのでしょう——国を差配することにかけては一日の長がありました。今のところ誰からも不満の声はなく、他国も亡き国王やヘルマン宰相のやらかしだけでなく不義理を踏まえて、セサニア王国へは援助を申し出てくれています。それを『ブリジット女王』は丁重に断り、しばしの不可侵を約束するに留めました。このあいだ約束を破られたばかりで信用ならないし、あくまで建前に過ぎない、とはラミアの言です。
「あのー、でも、ラミアは」
「ブリジット! 誰が聞いているか分からないわ」
「あ、はい、ブリジットは……ラヘルのことが好きなんでしょう? このままでいいの?」
お叱りの熱が引かないうちに、ラミア——ブリジットはまた怒って私の三つ編みをぎゅうぎゅうにきつくしていました。痛くはないですが突っ張ります。
「本っ当〜に頭に来る小娘ね……! いいこと!? 吸血鬼の王、ラヘル・ヴェリシェレン王は、たかだか数十年も生きない弱小種族が天寿をまっとうするまで甲斐甲斐しくもお世話なさるでしょうから、私はその補佐をおおせつかったの。つまり、あなたが死んだあとは、かの王のそばには私がいるわけよ! ふん、数十年くらい、待つのはわけないわ。私はもう何百年と待ったのだから、これくらい」
なるほど、長命の異種族だとそういう考えになるのですね。無理にフィオと結婚する話になってしまって大丈夫かしら、と思っていたのでそれなら安心です。私の死後なら、ラヘルも文句を言わないでしょう。
「ちなみにだけど、吸血鬼と人間の間に子どもはできるけれど、確率はごくわずかだから安心しなさい」
「それはあなたとフィオも?」
「あれの子どもなんか産んでたまるもんですか! 何、あの筋肉ダルマ! いいのは顔だけじゃない! 外面はとんでもなくいいから、王配として利用するだけよ!」
散々な言われっぷりですが、フィオは本当に私以外の人には愛想がなく、興味さえないので、仕方がありません。間近で見ていて、大変心配です。
特にフィオは、ラミアに対しては妙に嫌味の口数が多くなるので……それはそれで、他の人々からは仲睦まじいように見られているからいいのですが。
(フィオは私に会いにわざわざ毎日ここへ来るから、余計に『ブリジット女王』との仲がいいと思われているし……色々複雑そうね)
そんな感じで、私たちの奇妙な四角関係はまだまだ続いています。
そうして少しずつですが、ラミアは恋敵の私への頑なな心を溶かし、私が今まで聞かなかったこと——ラヘルの行動について、時間を巻き戻したことの詳細について、ポツリ、ポツリと話してくれるようになりました。
「私は一度だけ、かの王の時間遡行の魔法についてきたのよ」
私の残りの髪の毛に櫛を通して、ラミアがつぶやきます。もう話してもいい、と思えたのでしょうか。
私は、チャンスとばかりに鏡越しのラミアへと懇願します。
「聞かないほうがいいかと思って、ラヘルからは何も教えてもらっていないわ。お願い、少しでもいいから教えて」
すると、ラミアは櫛をドレッサーに置き、手を止めて重い口を開きました。
「……あなた、時間を巻き戻すとき、何年巻き戻っていると思う?」
「それは、私が生まれる前くらい?」
「想像力のない子ね。そのくらいじゃ、あなたの悲惨な未来を変えようがないわ。だから、かの王は何十年、何百年、ときにははるか昔まで遡ったことさえあるのよ」
「そんなに!?」
「『豊穣の女神』の紋章そのものを消し去る方法はないか、探したそうよ。でも、『豊穣の女神』はもっと昔の存在で、あまりにも信仰する人間たちに根付いてしまっていた。だから諦めて、あなたを助けられる未来を探すほうへ尽力して、あの騎士団長、ヴォルテア卿フィオリウスを生み出した」
そんなにも、という感想と同時に、私の頭には不思議な疑問が浮かびました。ラヘルがフィオを生み出した……確か、そうしたら私を救える可能性に気付いた、という話はあの城砦で聞いたはずです。
「生み出したって、えっと……ヴォルテア卿は、フィオのお祖父様だったけれど、ラヘルが」
「そう、若いうちに殺すことでヴォルテア卿の存在をフィオリウスへと変えた。でも、そのフィオリウスは、どこかから拾ってこられた孤児よ。それにかの王が加護を与えた」
なんとも、衝撃の事実です。空いた口が塞がりません。老騎士のヴォルテア家は途絶えてしまっていたのですね。そういえばフィオはラヘルに血が不味くなる魔法をかけてもらったと言っていましたが、それが加護でしょうか。吸血鬼対策としては、まあ、有効なのかもしれません。
「だって考えてもみなさい。ヴォルテア卿を若いうちに殺し、子どもも生まれていなかったとすれば、孫なんて存在しようがないでしょう?」
「あ……な、なるほど?」
「けれど、あなたを救う存在、少なくとも人間側の役を用意する必要があった。かの王だけじゃ助けられないなら、別の味方を——味方といっていいのかはさておき、あなたのそばに送り込んで、守らせればいい。一種の保険のようなものかと思ったけれど、まさかあなたの体液を摂取して化け物級の騎士になっていたなんて、かの王の加護のせいで分からなかったわ」
「待って、体液とか言わないで」
「なら、よだれ? 唾液? 何だっていいのよ。とにかく、かの王にマイナーと呼ばれるヴォルテア卿フィオリウスは生み出され、かの王はヴォルテア家の後継者に我が子であると暗示をかけて育てさせた。それによって『あなたを処刑にかこつけて殺す老騎士ヴォルテア卿』の存在を抹消したのよ」
ラミアは歯に衣着せぬ物言いで、私の知らない、私が生きていくために払われた努力について語ります。第三者視点とはこのことかもしれませんが、しかしながら、事実は大変に複雑怪奇で、予想もしなかった形のようです。
「セサニア王国もヴォルテア家も、すっかり乗っ取られていた、ということなのね……いえ、悪い意味ではなくて、私を守るためにラヘルが必死でそうしてくれていたり、ラヘルのためにあなたが努力した結果だったり」
感心した私の髪の毛をさっさとピンで留めて、ラミアは私の背中を軽く叩きました。
「はい、髪はもう終わり! いいこと? 私より目立たないように。生き残りたければ、ただそれだけを心がけなさい。返事は?」
「はい、承知いたしました、陛下」
「よろしい。聖女アリアーヌ、務めを果たしなさい」
『ブリジット女王』はそう言って、サンルームを出ていきます。
残された私は、ドレッサーの三面鏡に映るおしゃれした自分を見て、予想もできなかった未来を歩んでいることを実感していました。
☆
サンルームを出たラミアは、扉の向こうで一人待っていた騎士団長フィオリウスを見つけ、眉根を寄せていた。会うたび嫌味を言い合う犬猿の仲だが、他人からすれば仲良く見えていることがあまりにも腹立たしく、何よりも偽装とはいえ結婚相手なのだから否定さえできない。『ブリジット女王』を演じるラミアは、己の義務感の強さに嫌気が差していた。
ラミアはフィオリウスを無視して歩いていこうとしたが、フィオリウスは後をついてくる上に、やはり嫌味を吐いていた。
「殊勝な心がけだな、『ブリジット女王』」
「嫌味ったらしい騎士ね。こんなところまで見張っていたというわけかしら?」
「ああ、この期に及んでお前がアリアーヌに危害を加えないとも限らない」
「ふん、心配性だこと!」
鼻を鳴らして、ラミアは不満を露わにする。この騎士は、あろうことかサンルームの中での会話に耳をそば立てていたに違いない。時間が許すかぎりアリアーヌのそばで、ラミアを監視している。不愉快だが、追い払うほどの力も根拠もなく、ラミアは苛立つ。
だが、そんな不愉快な騎士団長も、今日はしおらしかった。
「それに、僕は孤児じゃない」
「あら、違ったの?」
「僕は、今より五十年ほど前の過去からラヘルが誘拐して連れてきた『ヴォルテア卿』だ。老『ヴォルテア卿』本人さ」
ラミアにとって、それは初耳だった。いかに『ブリジット王女』を務めていたとはいえ、一騎士の家中事情にまで精通しているわけではないし、ラミアはアリアーヌを処刑にかこつけて殺してしまう老騎士ヴォルテア卿と会ったことがなかったため、その顔や匂い、雰囲気までは知らなかったのだ。
やっとその殺してしまう未来から遠ざかった安堵もあってか、フィオリウスは告白する。
「だから、ずっと後ろめたさがあった。僕がアリアーヌを殺してしまう可能性の大きさを、どうしても止めようがない愚かさを、運命という言葉で片付けたかった。僕が望んだのではない、とな。彼女のことは好きだ、でもそれ以上に彼女を殺してきた罪を償いたい気持ちのほうが大きい」
ラヘルが何度時間を巻き戻しても、アリアーヌを何度となく殺してきた老騎士ヴォルテア卿。だったら、老騎士ではなく若い青年の時分にアリアーヌを守ることを決意していればどうか。吸血鬼の王はそんな発想から、フィオリウスを時間を超えて連れてきたのだ。
まだまだラヘルについては知らないことがある、と思い知らされつつも、フィオリウスの心情に触れたラミアは、ほんの少しだけ嫌味を言い合う仲の配偶者(予定)に対する警戒の視線を和らげた。
「なるほど。私たちは、この『アリアーヌが生き残った未来』以外から来たという点は共通しているのね。むしろ……そうでなければ、その運命とやらが変えられないほどに、あの小娘は残酷な死から逃れられなかった。『豊穣の女神』の紋章は、豊穣を約束する代わりに一つの命を貪り食わせる儀式の生贄の証。少なくとも、現状はそうなってしまっていた」
「彼女のキスの一つや二つだけで人間が異種族に対抗できるようになるほど強化されるんだ。その効果の絶大さを知る者を、一人でも多く減らしていく必要がある」
フィオリウスが恐ろしいことを口走っているが、確かにそのとおりではあるのだ。
アリアーヌを誰かの手に渡すわけにはいかない。ラヘルの意思もあるが、それ以上にもう悲劇を繰り返させてはならない。
たった一度、ラヘルの時間を巻き戻す魔法についてきたラミアでさえそう思うのだ。
一体、吸血鬼の王はどれほどの悲劇を体験し、どれほどの時間を巻き戻し、どれほどのか細い未来を引き当てようとしたのか。
ラミアとフィオリウスは、並んで歩く。たとえ嫌い合っていても、同じ目的と認識、秘密を共有する仲間だ。
……なぜだか、その関係を結婚という枠組みにしなくてはならなかっただけなのだ。
なんだかんだと、女王と王配の騎士団長は、この先何十年と付き合っていく羽目になる。




