アルタ・ラグナロク その3
幼い私はぐりぐりとクレヨンで拙い絵を描き出していく。描きだしていたのは母の姿、二年前、謁見を済ませた母は珍しく、美しい花が咲き乱れる公園に連れてきてくれた。巡礼の一部であったのだろうが、ホント珍しく母親らしい家族サービスをしてくれた。そのとき一瞬だけ弛んだ母がとても印象的だったのだ。
「なにをしているの?」
母から尋ねられた。素直に母の絵を見せようかと逡巡したのだが、辞めた。事前に用意した魔法陣を模ったページを母に見せる。
「魔術理論を勉強していました」
偉いわねと頭を優しくなでられる。きっと、前者を見せていたらこうはならなかっただろう。良かった。嬉しいと素直にそう感じた。
「オズ、お前には剣の才能はない。私もそうだった。魔術の道を歩みなさい。お前はオズ、魔法使いでなければただの人。只人であるのなら価値はない」
子供が母から贈られる最初のプレゼント、その名の由来を聞いて幼い私は無意識に描いていた母の絵を強く握りしめていたのだ。
「っ、趣味が悪い! 土槍」
悪夢を振り払い攻撃を仕掛ける。紅月か、第二位階魔法にそんなんあった気がするな。魔道具に仕込んでいたのか。それらしいものを見なかった。恐らく、コンタクトレンズが魔道具となっているのだろう。
「へえ、時間稼ぎにもならなかったな。手練れ相手だとこれだけで決着がつくことも多いのだけれど」
「それは暗に私が手練れでないと言いたいの?」
「ああ、悪い。その気はなかったんだが、嫌味だよね。ならこれはどうだ。№11蒼月」
さっきとは逆側の彼の瞳に月の文様をした血涙ではない。普通より少し青みがかった涙が浮かぶ。
「母さん、やっと二つ名持ちに選ばれたよ」
上ずる私の声とは裏腹に母のそうと抑揚のない返事。書物を読む母の手を止めるものではない。
「末席も末席の第七席だけれど、これから順位も上げていくから。この功績があれば議会に所属することだって……」
悪い癖だと理解していた。親の期待に応えるために、出来もしないことをつらつらと。自分が、そうすることしか出来ない環境に情けなさに堪える。
「やめなさい」
ぴしりと鋭い声。二つ名持ちになれたくらいで鬼の首を取ったような上声が母の気に障ったのだ。
「先日、学園に視察をしにいった。正直に言って度肝を抜かれた。あれらは本当の化け物。お前のごとき器で比肩できるものではない。お前も自覚しているのでしょう? あれらに比べて自分が一回りも二回りも劣っていることを。下に怯えなければならないのはあの中で自分だけだと」
母の厳しい正論に私は。
「じゃあ、どうすれば良いの!? いや、どうすれば母さんは満足してくれるの!?」
今までろくに友達も作らず(作れなかっただけとも言えるが)、娯楽も嗜まず、ずぅと机と向かい合ってきた。第一位階魔法も扱えるようになって、魔術と人格が溶け合うまで、魔術だけが青春だったのにそれを否定されてしまっては。
「ごめんなさい。お前が私の期待に応えるために気を遣ってくれていたことは知っているし、そのことを気づかないふりもしていた。それが虐待に当たることも十も承知だった」
決壊した私に目を丸くした母が答えた。私の落ちる涙を拭うために頬に優しく手を添えられたのはそれが初めての気がした。
「お前を否定したかったわけじゃないんだ。でも、いつかは突き放してでも言わなければならないことだったから。お前は九割九分九厘、順位を上げることは出来ない。そんな目標を持ったところで身を滅ぼすだけだ」
すうと母は息を呑んで吐き出した。
「こういうことに慣れてなくて悪いわね。さっきの論調からは想像もつかないでしょうけれど、つまり、私はこう言いたいの。良くやったと。二つ名持ちに選ばれたことだけじゃない。この十数年、重圧によく耐えてきたと。そしてお前にもう伸びしろはない」
それからの母はぎこちなくはあるが、私のことを良く褒め、今までしてくれなかった家族サービスというやつをしてくれるようになった。それに、いつか捨てた絵もゴミ箱からわざわざ拾って大事にしていたらしい。寮生活になって油断していたのだろう。連絡なしに帰ったときにくしゃくしゃになった拙い絵が我が家のリビングに飾られていた。
母からの愛情もそうだが、私はきっと頑張らなくていいという言葉をずっと、求めていたのだろう。重圧に解放された私はより魔術に傾倒していたった。自らの探求心のみで勉強する魔術の面白さ、ああは言われたが、順位を上げてやろうという反骨心。
「だから、紅月効かないんだったら、蒼月も効きやしないよ。泥化」
「精神が高いわけでもないだろうに、復帰が速いな。瞬き程も持たないか!」
他の面々に比べて起伏の少ない人生を送ってきた自覚はある。毒親ではあったが、嫌いな親ではなかった。
アーサーは未来視で跳んで避ける。
「浮かせた。土槍」
「ミッドガルド流弐の型、弐式蒼龍」
懐の剣を抜き、槍はあっさりとはじかれる。
「七位相手、剣を使わず勝てると思ったか!」
「っち、思ったよりもやるな」
アーサーが一瞬、カメラの役目を果たす使い魔の方へ意識を向ける。
「第七位に剣を抜くのは痴態か? 第四位!」
「被害者意識高いよ。女煮詰めてて生き辛そうだな!」
「鎌鼬!」
「№1、聖剣エクスカリバー!」
風と光が真っ向から衝突、爆風が起こる。その風に吹っ飛ばされて背を強打した私は気絶、第四位の勝利に終わった。
「立てるか?」
「ええ」
眼を覚ました時には第四位が手を差し伸ばしていた。その手を受け取らず、立ち上がる。
「聖女様の結界が回復に関しては機能しているはずだから、怪我も後遺症もないはずだけれど、念のため医務室に行くといい。背中から勢いよく強打したからひやりとしたよ。後遺症でも残っていたらと思うと背筋が凍る」
と言い残し、そそくさと観客席の方へと飛んでいく。あれも魔道具か。
向かう先には青年二人、一方は第六位。もう一人は見知らぬ黒髪の青年。さっきの試合はどうだったみたいな楽し気な歓談が聞こえる。
第四位があそこまで親し気に笑っているのを見たことがない。王としての自分をひと時だけ捨てているような、きっと友達なんだろうな。
試合以上に負けた気になったので助言通りに医務室に急いだ。
「そんなところで寝ていると風邪を引くよ」
「……重い。どいて」
顔の上の本をのける。こんな風に寝るのは母譲りだなと母を思い出す。
「嘘つけ。ちょっと腰浮かしてる」
「ああそう」
確かに腰を浮かしている。親しき仲にもなんとやら、というより照れ臭かったのだろう。男の子だな。
「ふぁあ、やっぱ夢か。途中から気づいていたけれど」
「へえ、どんな夢見てたの? いい夢? 悪い夢?」
「どっちかというと悪い夢かな」
「知ってる? 寝ているときに上に乗られると悪い夢を見やすいって」
「お前のせいじゃん」
「あはは。そうかもね。さあ、さっさと起きて。空を見てよ。もうそろそろ、雨が降る」
空は生憎の雲模様。雨どころか嵐さえ来そうな曇り具合だ。本が濡れてしまうのは最悪だ。
「久々に学生時代のこと夢見たし、嫌な予感がするな」
「ほお、なんかかっちょいい」
「嵐が来る。なんちゃって」
「かっちょい~」
まさか嵐以上の厄介者と相対することになるとはこのときは思ってもいなかった。
アーサー
魔力量C
魔力操作C
肉体強度C
継戦能力C(S)
知力S
結界D
精神A
初代以来の王だと囃される最優の王。
自己をも何の忖度も無しに駒の一つと思考できる器は
鬼王よりも鬼神と評せざるを得ない。