氷城の紅月 その5
結論で言うと、ノアの紅孔雀は失敗。
九重に毛が生えた程度の精度しか出せなかった。
「くそ! くそぉお!」
それでも、二つの氷塊の7割は削り、ノアの絶技に懐かしさに魅入ったポンチョの右肩から腹部を飛んだ斬撃が抉り取った。
生存率は凡そ7割ほど、単純に九重を放つよりは好い結果だ。
ノアに出来ることは、残り3割を引かないよう、気合を入れて直撃を待つだけ。
ノアの瞳に涙が滲む。
その右目から滲む涙は光を吸い込むかのような黒色だった。
ノアさえも意識しない第三の選択肢、保険と言って差し支えない能力が現れる。
空間は蒼く歪み、磁場は崩壊する。
氷塊は軽く、打ち砕かれた。
しかし、それは重力によるものではない。
能力は不発に終わった。
なぜなら、発現する理由を無くしたからだ。
ノアの能力発動よりも早く、韋駄天の如く氷塊と彼の間に割って入るものがいた。
「新劇」
掌から爆破を繰り出して、宙を掻っ切ってきたピット。
一瞬で氷塊を砕き、宙に浮くノアを抱き寄せる。
爆破を繰り返し、加速度を得たピットの体は減速することなく地に激突したが、ノアは彼に庇われてダメージは無かった。
ぜーぜーと息を切らすピットは衝突した痛みではなく、ここまで駆け付けた息切れの方が重大であるらしく、立ち上がり、敵を睨みつけながらも、その手は心臓を庇っていた。
「ぎりぎり間に合った」
「あ、ありがとう」
額に汗を浮かべ、呼吸を落ち着かせるピットの姿は彼の本気を表しており、いつも飄々としている彼とのギャップに面食らいながらも礼を述べる。
ピットとポンチョの両者が睨み合い、機を伺う。
そこにノアが入り込める余地はなく、敵方もノアを気かける余裕は無かった。
舞い降りる木の葉の掠れる音が引き金となり、両者が動く。
ポンチョは先と同じように足を踏み鳴らし、氷塊を生成する。
しかし、その質量は先までの2倍はあるだろう。
分かってはいたことだが、まだ余力があるとはと驚愕。
「速い!」
相対するピットも負けてはいない。
ここへ駆けつけるときにも使用しただろう両の手の爆発を用いて推進を得る疾り。
氷塊がピットを捉えるのが先か、ピットが懐へ忍び込むのが先かという勝負。
その勝負に勝ったのはピットだった。
ノアの蜻蛉にも並ぶほどのスピードで敵の懐へと潜り込んだピットは足を振り上げ回し蹴りをお見舞いしようとした。
しかし、目深にかぶったフードから垣間見えたポンチョは掛かったと笑ったように見えた。
ポンチョは恐らく使えるであろう結界を用いての防御ではなくて、腕に氷の鎧を纏い、振りぬく足にカウンターを合わせる判断をした。
にやりと笑ったポンチョとは対照的に、ピットは白けたように言った。
「それで止まると思ってるから、一生負け続けるんだ」
氷の鎧など知ったことかと、ピットは足を振りぬいたし、なんならインパクトの瞬間、足からも爆発を起こして、推進による火力を高めた。
鈍い音が響く。
頭蓋の一部が砕けた音だろう。
ポンチョは吹っ飛ばされ、瓦礫に強打する。
ピットの方はというと、彼の履いていた靴からは断片に金属が見えていた。
合金ブーツ、故にダメージは無かったかというと、そうではなく、そのブーツすらも貫通してピットの足はダメになっていた。
それで一ミリも痛そうにしていないのだから、ドン引きだ。
舞った粉塵が収まり、敵の姿が露になる。
「まだ立てるのか!?」
立ち上がっているポンチョからは鬼気迫る気迫を感じた。
ノアの背筋がぶるりと震える。
最初に会った時の白眉ほどではないが、これは……。
「いいや、やせ我慢だよ」
ピットがそう言ったのと同時に、ポンチョはふらりとよろつき、へたり込む。
ピットの完全勝利だ。
「君、元第三位の吸血鬼だろ? 目的はなんとなく分かってる。ボク達と一緒だ。この子には子供たちの救出のための時間稼ぎとして派手に暴れてもらってた。派手過ぎて誤解させてしまったようだ」
ほらそことピットの指さす先には避難の完了した吸血鬼の少年、少女らがいた。
ピットの言葉が嘘ではないと分かったのだろう。
小柄な吸血鬼は脳味噌がシェイクされた影響で小鹿のように震える足でなんとか立ち上がりながら、ぺこりとお辞儀をして、翅を広げ、帰っていった。
誤解で死にかけたんだが……。
「ピット、その足大丈夫か!?」
「ボクの方は別に。ヤバいのはそっちでしょ。傷口が開いて、どばどば血流れてる」
恐る恐る腹部を見ると、ピットの言う通り、傷口が人差し指ほどに広がっていた。
ドーパミンだか、エンドルフィンだかで全く気が付かなかった。
「ちょっと我慢しなよ」
己のポッケから針と糸を拝借して、腹部を縫い始めた。
「痛ぅぅっったああ! 麻酔! 麻酔!」
「あるわけないだろ? 漢なら文句言わない。さっきの威勢はどうした?」
「さっき?」
いつから彼が見ていたのか知らないが、そんな漢らしさを見せた覚えはない。
「さっき、ボクが助けに入る少し前、技失敗してたでしょ?」
「そりゃ、見ていたか。恥ずかしい」
イキってというわけでもないが、かっこつけて大技かまそうとして、盛大に失敗してしまった。
「恥ずかしいことなんてひとつもない! ボクは心が震えたんだよ。練習で成功していない技をいい機会だとばかりに命の掛かった局面でぶっ放すその根性! あのポンコツ吸血鬼よりもずっと高尚だ。間に合って良かったと本当に思ったよ」
意外にもピットからの好評に少し照れる。
「はい、縫い終わった。安静にしないといけないから、おぶったげるよ」
縫合跡を見てみる。
ピット君、雑い。
縫いもそこそこに、炎で焼いて止血、蓋をしてる。
いや、そうだよな。縫われたくらいでそこまで痛くならんよな、叫ばされたのはこれか。
「悪いね」
ピットの肩に手をかけ、負ぶってもらう。
片手でしがみつき、もう片方はダメ押しの回復をかける。下手くそだけど。
「そういえば、結局あいつは何なの? 知ってる風だったけど」
「あれは元第六位や、君の師匠と同期で、当時の第三位」
まじか。
白眉より強いバケモンと戦わされてたのか、の割には善戦できたな。
いや、それよりもそいつを完封するピットって……。
「第六位の方が威圧感があったけど……」
「まあ、いくら長生きだからって人生の密度が違うと、貫禄も違ってくるよ」
「確かに、デスマーチを経験するのとしないとでは30代で顔の幼さがもろに違ってくるからな」
己の父は私立の教師をしていたが、写真で見る20代の時とまるで別人だった。
公立校の教師をしていた父の友人なんかは棺桶に片足突っ込んでるような顔をしていた。
「デスマーチ? 異世界の言葉か何か?」
異世界という単語にぎょっと驚く。
流石、ピット、勘が鋭い。鋭すぎないか?
アホみたいに強いし、何なんだこいつは。
「まあ、その第三位を倒せるピットは何者って感じ」
「いやあ、あのレベル相手だと勝つのは難しいよ。今回は炎と氷で相性が良かったから、負ける気がしなかったけど」




