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ノアの方舟  作者: 望月真昼
霧隠れ編
29/41

赫眼の吸血鬼

「待って」

冷静にしかし、前方数メートルには聞こえるような声量でメヌエットは呼びかけた。

馬を操る行商は私の言葉を聞き、すぐに止まってくれる。

「どうしました?」

三角すわりで、コンパスを凝視していた彼女は立ち上がり、馬車から飛び降りる。

既にその小さな背には大きなカラスの濡れ羽色の蝙蝠羽が出現していて、その瞳もいつもの渦巻き模様ではなく、猫のように縦に割れた赤い瞳に変化していた。

「前を向いて」

端的に伝えた彼女の言葉に行商は言われた通り、前を向いた。

すると、行商も異変に気付く。

「ちょ、ちょっと。止まってくださいよ」

行商の目に映っているだろうノアとピットの二人は歩を止めない。

そして、すぐに行商の目からも彼らの姿が消える。

「幻術!?」

やっと、現状を理解できた行商は声を荒げる。

一般人でもここが変だと伝えれば大抵の幻術は突破できる。

ノアはメヌエットの風景に掛ける幻術に関して、モーフィングクイズのようであり、ウォーリーを探せのようでもあると述べている。

「攻撃されている。私が出るから下がっていて」

獣も自然も魔法を扱うことは無い。

同じ人に攻撃を仕掛けられていることは明白だった。

「わっ、分かりました。本当にいいんですかねえ」

自分と3周りは違うだろう少女を矢面に立たせることに本当にそれで大丈夫なのか、葛藤が浮かぶが、自分が何か出来るわけでもないのは事実であるので素直に下がるしかなかった。

「くだらない幻術に引っかかちゃったな」

馬車の中に籠っていた彼女が異変に気付いたのは、手持ちのコンパスが目的方向の来たから東へと向きを変えていることだった。

このような樹海ではコンパスが磁力によって、機能しなくなるとは聞いたことがあるので、多少のずれは気にもしなかったのだが、流石に大きく変わってきたので顔を出してみれば、幻術によって行くべき道から外れていることはすぐに気づいた。

メヌエットは弱冠、この歳で幻術のスペシャリスト。

最初から顔を出していたら、この程度の幻術、かけられた瞬間に気づいていたものだが、街から出発する前に朝シャンして、うとうとと眠っていしまっていた。

「二人はまあ、大丈夫だよね?」

ここにいない二人に、否ノアに思いを馳せる。

「さあ、出てきなよ!」

メヌエットが小さい腹から声を張り上げると、目の前に一人だけ姿を現す。

「待ってくれ。同族と事を構える気はない」

両の手を挙げながら、幻術を解いて姿を現した30過ぎほどのおっさん。

確かに、その背にはメヌエットに比べると貧相な蝙蝠羽がついていた。

「幻術をかけてまで攻撃してきたのに?」

メヌエットは少し拍子抜けした。

こんな姑息な幻術をかけてくるなんて、ほぼほぼ相手も臨戦態勢だろうと踏んでいたからだ。

「信じてもらえないかもしれないが、勘違いだ。俺たちの集落に誘導したかっただけだ」

「なぜ? 私が同族だから?」

「鋭い、そうだ。俺たちの集落では同族だけを集めて生活している」

メヌエットの予想は当たっているらしい。

別に彼の言葉が嘘だとは思っていない。嘘だろうと真実だろうと同じこと。

真実だとしても保証されているのは彼女自身の身柄だけ、後ろの行商人らや、今ははぐれた二人に安全の保障はない。

「あなたは私と事を構える気はないと言った。それは私がこれから、あなたへの制圧を失敗したとしても身の安全は保障してくれるという認識で構わない?」

どのみち、前の二人と合流するために居場所は吐かさないといけない。

戦う理由がこちらにはある。

「幻術で攻撃したのはこちらからだしな、そのくらいは仕方ないか」

その保証が意味があるのかは置いておいて、彼からの了承を取れたことで、戦いのゴングは鳴った。

「貧相な羽ですね。眼も赫眼でもないですし」

メヌエットは自身の大きなそれと相手のを見比べてそういった。

確かに、彼女の小さな体には体躯に見合わない大きな羽が生えていた。成長するにつれて、もっと大きくなるだろう。

一方の彼のそれは、今の彼女の三分の一もない。

「挑発か?」

「あなたは私に勝てない。いいや、既に負けている。吸血鬼、幻術使い同士で悠長に話すなんてナンセンスです」

瞬間、彼の目にはメヌエットの体は無数の蝶になって霧散したように見える。

「いつの間に?」

驚き、周囲を見渡しても彼女の姿はなかったはずだった。

「最初から」

既に背後に移動していたメヌエットの攻撃におそらく、その「最初から」という台詞が無ければ、反撃できていなかっただろう。

彼は咄嗟に振り向き、反撃できた。

しかし、その大きく拳を水平に振り払った一撃は小さな少女の体には重く、数メートル吹っ飛ぶ。

あの華奢な少女の体躯だ。

骨の二、三本は折れていてもおかしくない反撃に、反撃した当の本人が驚きと罪悪感を覚える。

「大丈夫か!?」

彼の目的はメヌエットを傷つけることではない。

無事に集落へと拉致することである。

なので、彼女の状態が大丈夫か、駆けて近づく。

見下ろす、彼女の自分には無い赤い瞳に見入る。

同じ吸血鬼なのだ。

その紅い瞳の特性は誰より、理解できている。

その特性は魅了、自分が魅了され始めていることに気づいていながら、その十歳ほどの少女の瞳から目を背けることが出来ない。

こんな少女にと自分にドン引きながら、少女に馬乗りになる。

しかし、馬乗りになるだけで彼は何もできない。

まるで時が止まったように、金縛りにあったように何も動くことが出来ない。

そうして少し後、ゆっくりと下に敷いている少女の両の手が動く。

彼女の両手は彼の両手を包み、彼女自身の首へと誘導する。

なされるがまま、少女の猫のような首をキリキリと締め上げる。

首を絞められる少女の顔は苦痛に浮かんではいなかった。

だからか、その締め上げる力はどんどん力を増していった。

「そう、しっかり掴んでいるんだよ?」

少女の言葉は組み伏せた下からではなく、耳元から聞こえてきた。

「いただきます」

メヌエットは左手で男の首を固定、首に犬歯を押し付け、右手は男の目を覆う。

組み伏せた男の体勢から、背の低い少女にも容易であった。

ちゅちゅうと男の首から、血液を奪い、反撃されようものなら首の頸動脈を即座に嚙み切れる形である。

「……不味。水で薄めた牛乳を飲んでいるみたい」

魔力が貧弱、生物としても少女よりも脆弱な男の血は少女にとってはあまり、美味しいものではなかった。

「さあ、きりきりと吐いてもらおうか」

完全に幻術にかかり、型にはめることに成功したため、これからは彼女の質問に男は嘘を吐くことは出来ない。

ここまで綺麗に決まっては、自力で解除することも出来ず、彼女に死ねと命令されれば、そうするしかない。


メヌエット

魔力C

魔力操作D

肉体強度E

継戦能力C

知力B

結界D

精神B

小さな少女の体躯に見合わない大きな黒渦(才能)を生まれながらに

内に秘めている。その燻りの片鱗はだんだんと偏愛と形になってきている。

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