霧の村 その1
21話
「それは……。どうにもならないのか?」
「そうですね。その道を利用するには……」
次の町へと入る関門で守衛と何かを話し込む様子の行商。
何やら好ましくない話をしているのは明確だった。
数分、話し込むと決着がついたのか、小太りの贅肉を揺らして小走りにこちらへやってきた。
「街に入れないとか?」
距離も離れていたし、ひそひそと話していたので内容は聞こえなかったが、関門の守衛と話し込む内容なんてこんなもんだろう。
「いや、それよりはマシなんですが」
ほっと胸を撫でおろす。
己以上に安堵していた様子だったのはメヌだ。
年頃の乙女にとっては風呂に入れないことは死活問題らしい。
服も体も綺麗に清めているはずだし、彼女からは体臭も感じ取れないのだが、風呂に入れないと身を清めた気になれないのは理解できる。
己は風呂よりも飯だ。
温かくて美味い飯が食いたい。
野営中にも鍋や、その辺で狩った猪肉などを上手いこと調理したりで満足する飯にありつけることもあるが、基本的には保存食で済ませてしまうことが多い。
日本男児としては飯が不味いことは何よりも耐えがたい苦痛だ。
「これから通ろうと思っていた街道が大規模な土砂崩れに陥っていて、数キロは通行止めになっているらしいんです」
やろうと思えば、風魔法を応用して人を持ち上げることも可能だが、数キロそれも馬車も浮かせてというのは己の力量では不可能。
それに土砂崩れ地帯を空を飛んで抜けられたとしても、ゆるゆるの地盤で馬を走らせることはとても大きなリスクだ。
道が整備されるのを待つか、迂回するより選択肢はない。
「街道の整備には少なく見積もって2カ月かかる予定みたいです」
2カ月……、その規模の土砂崩れの復興期間としては妥当以上のものなのだろうが、こんなところで二カ月も足踏みしていられない。
幸い、メヌには羽がある。
浮遊能力に関しては己よりも優れているだろう。
問題は馬車を捨ててこっから歩き続けられるかどうか。
ノアがそんな風に思案しているとき、ピットが声をあげた。
「ボク知ってるよ。今行こうとしている道が迂回ルートなんでしょ?」
「流石にご存知でしたか。あなたが言わんとしていることは分かりますが」
小太りの承認は困った顔をして、頬をかく。
傍らのメヌエットがちょんちょんと己の裾を引っ張り、どういうことという目で問いかける。
己はさあ? と肩をすくめる。
「教えてあげるよ。この街を抜けて真っすぐ王都に向かうにはデカい森がある」
森か……。
確かに深い森は暗く、そこそこの魔物もうじゃうじゃといるので、ベテランの冒険者でも油断していればお陀仏になる。
余程の事情が無ければ、迂回するのが良いだろう。
そしてその迂回する道が封鎖されている。
しかし、王都の学園の試験に間に合わせるというのは己らにとって余程の事情に該当する。
己、ピット、メヌ戦力も十分だ。
「突っ切るでしょ?」
「ん、ボクも同意見だけど、何がどう危険なのかはきちんと理解してから物事は決めないといけない。決める選択の余裕がある場合はね」
当然、強硬するよねという己の問いかけに肯定を返しつつも、待ったをかける。
「あそこの森は物凄く霧が濃いことで有名。視界が悪い分、位の低い魔物も十分に脅威だし、虫に卵を植え付けられたり、食われたりする死に方は嫌でしょ?」
それは確かに嫌だが、いやにリアルだ。
「迷っても最悪、空を飛んで脱出すればいい。行き詰ったら、リレミトかルーラで最初からっていうのは常識でしょ?」
もしくはあなぬけのひもだ。
迷ったら最初から物資を補充して最初からやり直せばよいだけのこと。
「リレミトもルーラも意味不明だけど、馬車を持ち上げるのはきついだろ? 一度失敗すれば捨てたらいいといって簡単に捨てられるものじゃない。リスクを取るのはボク達じゃない」
まあ、それもそうか。
「これまでのボク達の実力を考慮して強硬するか考えていただきたい。まあ、おそらくボクらは断られたら、ボクらだけでも強行するけど」
己たちだけなら、森自体は歩きで抜けて、手間だが後から同じような行商を見繕えばよい。逆に行商達が安全に抜けたいなら己たちを信頼するよりほかはない。
「ま、行きましょうか」
腕を組んで若干3秒ほどで結論を出す商人、その選択の正否はともかく判断が早いのは商人の性質故か。
メヌの見せかけの月なら、商人を操られている自覚すら無しに完全に催眠に掛けることもできる。やろうと思えば、竹馬の友ですら親の敵に認識させることも。
そこまで大胆に過激なことが出来るのは魔力耐性も、精神も未熟な一般人相手にだけだが、己相手でも幻覚、幻聴くらいはかけられる。
ちらりとメヌの瞳を盗み見る。
彼女の瞳はいつものように黒く渦巻いている。
仮に、能力発動中なら彼女の瞳は赤く縦に染まる。
風景にかける幻術として、瞳の色を誤魔化している可能性もあるが、まず確実に商人自身の判断だろう。
あれは可愛い顔して己以上に情け容赦の無い性格をしている。自身の都合のためなら、罪悪感も抱かずに人を利用できる精神性がある。
オズとの修行で依然と比べ物にならない力を得て、否力の使い方を知って、彼女の心はその力に見合うだけのものになりつつある。
単純な戦闘力と体力のあるノアとピットを先頭に馬車を歩かせていた。
街から出発して2時間弱、出発した頃は日もまだ天上にあったのだから、たった二時間で陽が落ちるわけがない。むしろ、今の方が日照りが燦燦と滲む汗に体力を奪われていなければおかしいはずなのだが、実際はその逆かなり肌寒い。
原因はこの背丈の高い樹木たちと数メートル先すらまともに見えないほど霞む霧のせいだ。
木々が密集しているせいで、日光が地まで届かない。霧のせいで見通しが悪く、地形も似ているため、方向感覚を失いやすい。
こういう場所を樹海と呼ぶのだろう。
幻想的で神秘的というのは心を落ち着かせる者も多いだろうが、己は逆もいいところだ。まるで幽霊でも出そうな、そういう怖さか。
だからといって、せいでは逆に危険だ。付かず離れず馬車との距離は確実に20m以内におさめておきたい。
「ノア、気づいているかい?」
隣を歩くピットが歩みを緩めてノアに問いかけた。
「もちろん」
もちろん、気づいていない。
でも、知らない。分からないとは言いたくなかったので、さも当然分かっているように振舞う。
「後ろだろ?」
ノアは賭けに出た。
こういう時は大体後ろに敵が潜んでいると相場が決まっている。右後方の茂みに一人みたいな賭けはやめておいた。
「ちゃんと分かっているみたいだね。そう後ろの馬車だ」
やり~。
若干、予想が外れたがプライドは守られた。
しかし、馬車がどうしたとノアは振り返ってみる。
振り返ってみても何か変化があるようには思えない。う~んと注視していると、目の前の馬車がすうと霧に消えていった。
かなり驚いたが、声と表情には出さなかった。
「幻術。距離誤認?」
「そうだね。まだ簡易な幻術だ」
僕たちには馬車がきちんとついてきている、むしろ距離を詰めてくるように見せることで歩みを早め、馬車側には僕たちが遅く歩いているように見せていたということか。
ここまで気づかずにいたのは、霧に気を取られていたから。
おそらく、この霧それ自体は幻術ではない。
ただでさえ迷いやすい霧に幻術を重ね掛けすることで旅人を迷わせる。
「術者は近くにいるんじゃないかな?」
そうピットに言われて周囲に気を配ると、いるな。
何人、どこからかは正確ではないが人の気配がする。
「おっと」
瞬間、ピットはノアを猫の首を掴むかのように持ち上げ、高くジャンプをする。
己たちが先いた場所には鋭い烈風が吹く。
鎌鼬。
ピットは5mほど宙に浮かぶ地点から、さらに上空にノアを投げ飛ばした。
ノアも自身の役割を理解する。
「旋風・旋毛風」
一時的に周囲の霧が晴れ、五人の下手人が姿を現す。その中には黒の羽を持つ者もいた。
大きさは比べるまでもないが、メヌと同質のもの。
吸血鬼か?
継戦能力
それは普通、戦闘可能時間を示す。魔術師なら魔力量のみを、
剣士なら体力のみを、魔法剣士なら両方の合算値を示す。
その最高峰はどれだけ戦っても息切れしない戦士だろう。




