最後の二人
〇豊崎・豊崎公園
ブランコ・砂場・鉄棒がある小さな公園の周りに桜並木がある。その上から、不文律に並んだ一軒家と防音シートで覆われた高い建造物が覗いている。
〇佐藤家・拓真の部屋
佐藤拓真(17)、机で勉強をしている。窓の天板で丸くなっているハチ(10)。
拓真「(伸びをしながら)んー! 腹減ったな。もう1時前か。降りるか」
拓真、席を立って歩き出す。扉を開けて部屋を出ようとした時、ドアノブを握ったまま床に崩れ落ちる。ハチ、天板から飛び降り拓真に近づき鳴き声を上げる。階段を駆け上がる音がする。
真奈美の声「拓真!? 」
佐藤真奈美(47)と佐藤和弘(47)、倒れている拓真に駆け寄ってきて側で屈む。
真奈美「またなの!? 学校でもこうして……」
和弘「とにかく病院に。拓真、起きれるか?」
拓真「(弱弱しく頷き)んん……」
和弘と真奈美に肩を担がれて階段を下りていく拓真。ハチ、階段の上からその様子をじっと見ている。
〇豊崎・街並み
防音シートで覆われた高い建造物が疎らにある。所々に立っている木々に止まっているセミの鳴き声が、工事の作業音で殆ど聞こえなくなっている。
〇佐藤家・拓真の部屋
出窓の天板に寝そべるハチ、階段を上
る音にぴくりと反応する。正気の薄い
顔つきでゆっくりと扉を開ける拓真に
駆け寄るハチ。
拓真「ごめんごめん、しばらく会えなくてさ
みしかったろ~?」
拓真、ハチを顔の正面へ抱える。拓真
の両腕が微かに震えている。
ハチの声「ああ、寂しかった、かな」
ハチ、欠伸をするように口を開いて鳴
き声を上げる。
拓真「お? もしかして今、日本語通じたとか? お前すげぇな! (笑顔になる)」
ハチの声「わかるとも。お前が俺に対して、気丈にふるまおうとしていることくらい」
拓真、膝を曲げそっとハチを床へと下ろす。拓真、腰を上げようとして少しぐらつき、床に手をつく。手で床を押して勢いづけて再度腰を上げて衣装ケースへと向かう拓真を見つめるハチ。
ハチの声「手も顔も随分とこけたもんだな…
足取りもおぼつかない」
和弘の声「拓真、入るぞ」
拓真「(入口の方へ振り返り)はーい」
和弘、部屋に入ってくる。片手に大き
い黒色のキャリーケースを持っている。
和弘「おい、準備する時は俺か母さんを呼べって言ったろうに」
拓真「いいじゃん、着る服くらい選ばせてよ。俺は母さんに似てファッションにはうるさいんだよ? 本当は」
和弘「(微笑みながら)入院したら服に気なんて配らないだろ。めんどくさくなって検査着みたいなやつをずっと着るようになると思うよ、俺は。あの患者がよく着てる」
拓真「そうなったら父さん譲りだな、無頓着?っていうのかな」
笑い合う2人。ハチ、出窓の天板へ上
り身体を丸め、お腹に顔をうずめる。
〇豊崎・街並み(夕方)
防音シートが被せられた建造物が疎らな中に、1,2棟程度の高層マンションや背の高いビルが建っている。
〇佐藤家・拓真の部屋(夕方)
佐藤拓真(18)、天板に両手を突き、外を眺めている。側には松葉杖が置かれている。その隣に座っているハチ(11)。
拓真「減ってきたな、工事のうるさい音」
ハチ、真後ろに首を回す。視線の先に
は部屋のど真ん中に置かれた黒色のキ
ャリーケース。
ハチの声「どうやら、こいつとの別れはもう間近らしい」
拓真の声「ハチ」
ハチが振り向くと、拓真が笑っている。
拓真「俺ってさ、趣味とか無いじゃん。んで考え事とかもあんましないから、窓からぼーっと外眺めてんのが好きだったんだわ」
ハチ、目を瞑り右前脚を舌で舐める。
ハチの声「嘘をつけ。趣味がないんじゃなくて、やりたくても出来なかったんだろう。考え事をしないんじゃなくて、しても仕方ないと、早々から悟っていたんだろう」
〇(回想)佐藤家・拓真の部屋(夕方)
自転車を二人乗りしているジャージを
着た男子を、天板に頬杖をつきながら
半目で眺める佐藤拓真(16)。
(回想終わり)
〇(元の)佐藤家・拓真の部屋(夕方)
ゆっくり目を開けるハチ(11)。
ハチの声「お前が眼鏡の人間を心配していたり、部活とやらに興味を持っていたり……お前は感情が豊かな人間だよ、本当は」
ハチが首を上げると、微笑む佐藤拓真(18)が依然としてハチを見ている。
ハチの声「俺は忘れていないぞ。年相応でない落ち着きを持ったお前が、感情の変化を見せた瞬間一つ一つを」
拓真、ハチの頭にそっと手を置き、窓
の外に顔を向け直し、側にある松葉杖
に手を置き直す。
〇(回想)佐藤家・拓真の部屋
天板に頬杖をついて、ハチ(3)の喉元を指でくすぐる佐藤拓真(10)。
拓真「お前は遊びに行かないのか? とか思ってんだろ? ハチさんよぉ~」
(回想終わり)
〇(元の)佐藤家・拓真の部屋(夕方)
ハチ(11)、部屋の隅にあるゲージを見る。
ハチの声「寝るときでさえも、この天板の上だったことの方が多かったな」
ハチ、窓の外へ首を向け直す。
ハチの声「俺とここから外を眺めることが元から好きだった、ということは本当なのかもな。いや……本当であってほしいな」
佐藤拓真(18)、ハチの頭を撫でる。
拓真「普通なら……いや、普通って何なのかさえもよくわかってないけどさ。本当ならもっと周りの奴らと同じようなことをしたいって、色々わがまま言っても怒られなかったと思うんだ」
拓真、俯いてハチの頭から手を離す。
拓真「けど、そんなこと言っても無駄とかじゃなくて、別に言いたいと思わなかったんだ。それって多分、段々色々なことができなくなっていく自分に、失望したくなかったからなんだって、さ」
拓真、顔をハチに笑いかける。
ハチの声「この家に来てから、俺もこいつと一緒に外を眺めてばかりいた」
拓真、身体を振りながら窓を限界まで
開ける。弱い風が部屋へと吹いてくる。
拓真「俺が窓開けたら、ハチはここに来て一緒に外を眺めてたよな(天板を軽く叩く)」
ハチ、拓真の叩いた場所を一瞥する。
ハチの声「こいつは自分のことで滅多に考え事をしない。だが、こいつが何時に、どのような感情を抱くのかということは、一番理解しているつもりだ。この窓際でのこいつを、俺は長らく見てきたのだから……」
拓真とハチがほぼ同時に向き合う。
拓真「あのさ……」
拓真、微笑んでハチを抱き上げる。
拓真「豊崎なんて、元々景色映えするような街じゃないし、ハチを飼い始めた時にはもう、デカいマンション建てるためにそこら中で工事が始まっててさ。都市開発でうるさい地域に連れてきちゃってごめんな」
〇(回想)豊崎・住宅街・工事現場
クレーン車が骨組みだけになった木造
の建築物を壊している。
(回想終わり)
〇(元の)豊崎・住宅街(夕方)
綺麗な高層マンションに、「業務スー
パー」と書かれた買い物袋を持った親
子が入っていく。
〇佐藤家・拓真の部屋(夕方)
佐藤拓真(18)、部屋を見渡す。
拓真「でも、ここからは工事の音しか聞こえないから、でかい建物がポツポツ増えていってるなってたまーに思うくらいで」
拓真、窓の外を見る。逆光で黒く染ま
った背の高い建物が疎らに見えている。
拓真「知らないうちに、地元とかいって愛着持てるような地域じゃなくなっていってたみたい」
拓真、ハチ(11)の後ろ脚が天板につく形
で出窓の方向へ身体を向ける。
拓真「けど……俺はお前とこうやって、特別景色映えもしない窓の外を眺めてる時間がいつも楽しかったんだ」
拓真とハチの視界の先に、夕焼けに染
まった豊崎の街並みが広がっている。
ハチの声「とりわけ趣深いわけでもない外の移ろいを眺めながら、独り言のように猫に話しかけるのが楽しかったのか。本当に変わったやつだ」
ハチ、小さく鳴く。
ハチの声「けど、俺もお前と一緒に、ここから外を眺める穏やかな時間が楽しかったさ」
拓真「だから寂しいよ、出ていくのは。連れて行きたいくらいだ、本当に」
ハチの声「出ていく、連れて行きたい、か…」
ハチ、身体を拓真の方へ捻る。
ハチの声「こいつのように毎日一緒にいてもよくわからない……いや、わかってはいるけど受け入れようと俺がしていないだけか」
ハチの顔が自分の首元に来るように抱
きかかえ直す拓真、少しよろめく。
ハチの声「俺のような頑固で自身を分かろうとしない奴も人間にはいるだろうが、眼鏡をかけたあいつのように、離れた場所から外見を見るだけで大体の境遇がわかる奴もいる。この違いが、猫の俺に『人間は面白い』と思わせてくれいている」
ハチ、拓真の顔に突っ込むように首を
左右に小さく振り、鳴き声を上げる。
ハチの声「そして、今まさに芽生えている『寂しい』などという、人間と猫が同様に持つ感情もある」
拓真の鼻をすする音に反応し、少し耳
を動かすハチ。
ハチの声「猫と人間で感情の表し方は違う。けれども、互いに気持ちを共有しあえるのはこんなにも嬉しいことなんだな」
拓真の胸元に顔をうずめるハチ。
ハチの声「悲しいという相反する感情を抱くはずなのにな、俺たちの今後を考えると」
拓真「また会おうな。ここで……」
拓真の目尻から出た涙が頬を伝う。涙
の跡が夕日に当たり、拓真のやつれた
笑顔を照らす。
ハチの声「……ああ、会おうな」
拓真、ハチを頭上に持ち上げる。
拓真「さぁ、メシだメシ~! 」
ハチ、窓の方向へと首を捻る。
ハチの声「そういった様々なことを教えてくれたのは、この場所と、この主に他ならない」
窓へと差してくる夕日が、拓真とハチ
を照らし続けている。
(続く)