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戦え!水棲少女 伊香保するめ

【第4話】“クラーケン・モード”

変化描写は後半部分に詰め込んでます。




「あ゛ッ!!?」


 するめのスニーカーは史上稀に見るレベルの悪臭を放っていた。前回、風呂場にみつきが闖入してきたせいで、またも洗濯するのを忘れてしまったからだ。

 祖父母は漁協の会合、父親は仕事、母親は買い出しに出掛けていて、家にはするめ以外の人間は誰もいない。その隙を見越してするめの家にやって来たアスティは、あまりの臭さにないはずの鼻がひん曲がり、玄関の三和土にぶっ倒れて伸びている。

「もう!本当に、今日こそ!

 今日こそは絶対にスニーカーを洗いますからね!」

 自分の靴の臭いで失神されたという屈辱から既に半ギレ状態のするめはスニーカーを両手に持って、ずんずんと風呂場に続く廊下を歩いて行った。

 ガラガラガラ……と浴室の扉を開けると。

「こんちゃー。するめちゃん、まだ家にいるのー?

 アスティが呼びに来なかったー?

 待ちくたびれたから、私も迎えに来ちゃったよー」

 そこには、窓から侵入してきたのだろう、白っぽくまん丸いスライム形態に変身したみつきが床タイルの中でポヨンポヨンと飛び跳ねている姿があった。

 ……閉店ガラガラ。

 思わずピシャリとサッシを閉めてしまう。

「あれー?無視ー?」

 どうやら、今日もスニーカーが洗えないことを悟った、すすめだった。





 アスティは単なるアカヒトデである。

 人間であれば鼻をつまめば済む程度の臭いでも、その小さい躯にはかなりのダメージが及ぶようだった。自分の靴の匂いで生命レベルの危機に瀕した相棒を見て、するめは気が遠くなりそうなほどのショックを受けていた。


 仕方がないので、今日のところはスニーカーにはお留守番してもらうこととする。

 幸い、今日は敵の出現による出動要請ではなく、何か他の用事のための呼び出しであるとのことで、するめは代わりにサンダルを履いていくことにする。

 アスティに引率されて、丸首体操服姿の二人は家の裏っ側の林を分け入る獣道から海の方へと歩いていく。

「今日は一体何の呼び出しなんですか?」

「実は、うちの“代表”がこの海域の近くへいらっしゃる用事があるとのことで、折角立ち寄るんだから二人にもご挨拶したいとおっしゃってるんでさ」


 “海の代表者”。

 するめは以前アスティからその名を聞かされていたが、実際にその姿を目にしたことは今までない。その正体は、全ての海の生き物たちの意思、それらが結集し一塊の形に実体化した思念体だという。間接民主制において選出された首長のごとく、この海の行政を司っているらしい。

 その思念集合体は、海の住民たちからはその姿形にちなんで、親しみを込めて“リヴァイアさん”という愛称で呼ばれているという。

 するめやみつきをはじめとした水棲少女たちは、正確には、アスティのようなエリア担当のエージェントを媒介としてこのリヴァイアさんと契約していることになる。いくら超自然的な存在である思念集合体と言えど、分刻みの公務スケジュールの合間を縫って一人ひとりの水棲少女に個別対応することは困難なのだ。

 というわけで、するめは今日初めて、自分の結んだ契約の相手方、その本人(本体?)と顔を合わせることになるわけだ。メールでしかやり取りしたことのない遠方の取引先と初めて顔を合わせる時のような気分である。


「なるほど、結構歩かされるなと思ったらそういうことでしたか。

 なんか緊張しますね……」

「そんなに固くならなくて大丈夫だよー。

 みつきも何回か会ったことあるけど、親戚の面白いおじさんみたいな人だったからさー。

 ほらほらー、するめちゃんもみつきみたいにフニャフニャ柔らかくなっちゃえ〜」

「……う〜ん、みつきちゃんはいつもそんな感じだから、あまり参考にならないかも?」

 片足立ちでヨガのポーズを真似ながら首をクネクネ揺らすみつきに、するめは苦笑いしつつも少し肩の力が抜けたような気がした。

 するめはそこまで人見知りでもないのだが、年齢の離れた初対面の男の人と会うところを想像すると、やはりどこか落ち着かないところは否めない。ましてや、今日会う相手は人間ですらなく、体のサイズからして民家には収まり得ないくらいの巨大な思念集合体だと聞かされている。こうした状況で緊張しない方が無理があるだろう。

 とは言え、アスティも以前リヴァイアさんのことを『話してみれば気のいいおっちゃん』と言っていたし、みつきの言う事とも一致している。そもそもするめ達はそのリヴァイアさんからお願いされて水棲少女の役目を果たしている立場なわけで、そこまで緊張する必要もないはずだ……と自分に言い聞かせる。


 林を抜けてしばらく歩いていった先、一面が岩場になっている人気のないがらんとした磯浜に辿り着く。そこは外海から繋がる入江になっており、ここならリヴァイアさんの巨体が入ってこれるほど空間に余裕があって、面会にうってつけということらしい。

「代表〜、二人を連れてきやしたよ〜」

 アスティが入江の入り口へ呼びかけると、まもなくその声が届いた辺りから、ボコボコボコ……と陸地の方まで地鳴りのような音を響かせながら水面が泡立ち始めた。その泡立ちは徐々に範囲を広げながら水辺間際の岩場に立つするめ達の方へ寄ってくる。

 近くで見てみると、一つ一つの泡がまるで巨大なシャボン玉のような塊であることが分かる。その泡が水面で冠みたいな飛沫を上げ崩れるたびに、その中で鳴っていた音が水上にも届き始める。水中に潜っていると歪んで聞こえる外部の音が、水面に近づくにつれ徐々にちゃんとした形で聞こえ始める時のように。

 打楽器のティンパニを思わせる低い二つの音程がデンデコデンデコ交互に鳴っていて、それはまるでアニメなどで流れる効果音のようだった。それこそ『殿下のお出まし』みたいな場面で流れるようなそれである。

 そんな大仰なBGMを伴い、眼前の水面いっぱいに広がった泡立ちの中から突然ズゾゾゾゾ……とするめ達の頭上高くまで海面が大きくせり上がる。一瞬のことで呆気に取られているするめをよそに、その盛り上がった水面が一気にリヴァイアさんの巨大な上半身を……するめの身長のおよそ十倍ほどの大きさの人型を成して凝固、定着していく。


 その容姿は、なるほど、以前アスティから聞かされていたように、その昔ホッブズという思想家が書いた政治哲学書『リヴァイアサン』の扉絵に描かれていた巨大な男のそれによく似ている。

 もじゃもじゃにパーマがかった頭に王冠を被り、たっぷりと髭を蓄えている。がっしりとした肩幅から続く両腕にそれぞれサーベルと大振りの杖を構えていて、一昔前に某イラストレーターがSNSに上げてバズったあのド◯顔ダブルソードの写真に負けず劣らずのインパクトがある。

 しかしやはり最も目を引くのはその胴体、ホッブズのあの扉絵では大勢の人間たちが一塊となってリヴァイアサンの肉体を形作っていたところ、“リヴァイアさん”は海の生き物たちの思念の集合体であるため、代わりに数えきれないほどの魚介類が人型の中にひしめき合い、そのでっぷりと貫禄のある腹回りを形作っていた。あらゆる種類の魚、鯨やエイ、タコやイカ、クラゲやヒトデ、海藻や珊瑚やイソギンチャク、どこに目があるかも分からない深海生物…………こうして挙げだしたらキリがないくらいの顔、顔、顔、海の住民たちの思念が表面に浮かび上がっている。


 こうして、海面から現れたリヴァイアさんの上半身、腰から上のその姿がするめ達の前に明らかになった。

 こんな浅瀬に本来これだけの巨体が収まりきるはずはなく、おそらくはその思念集合体としての超自然的な能力によって、コミュニケーションに必要な上半身だけをサイズ圧縮して水上に実体化させているといった具合なのだろう。

 彼の方からもするめ達の姿を認めたようで、体表に浮かび上がったあらゆる魚介類たちの顔すべてが、するめ達の方を向いている。

 字面にすると相当おぞましい光景のはずだが、向けられている視線があまりに多過ぎるためだろうか、するめとしては意外と気にならない。

 余談だが、某国民的アイドルグループのバックミュージシャンとしてドーム球場での数万人規模のコンサートを経験したとあるプロギタリストが言うには、観客数がある一定の単位を超えると、逆に緊張しなくなるそうだ。数万もの人を前にすると、もはや脳の処理能力がオーバーフローしてしまうようで、目の前で蠢いているそれが本物の人間の大群なのだと認識できなくなり、まるで絵画か映像かなんかを見ているような感覚に陥るという。だからむしろ観客一人一人の表情がギリギリ読み取れてしまう千人くらいのキャパの会場で演奏する方がずっと緊張する、らしい。今のするめも、それと似たような感覚に陥っているのかもしれない。


 まもなくリヴァイアさんの人型の頭部、その顔についた二つの目がパッチリと開き、岩場に佇んだするめ達の姿を捉え始めた。まつ毛の一本一本すら途方もなく巨大で、人間からすると鋭い凶器のようだ。


「……あ、ども〜、すいまっしぇん!わざわざこんなとこまで足運んでもろうてすいましぇんね本当にねぇ!

 あんたがするめちゃんやろ!初めまして……やもんね、確かね!

 もう、年取ったら物忘れが激しくなるけ、本当イカーン!わしもこんなおじさんやけ、しょうがないと思うて許してつかぁさい!

 あーそうそう、申し遅れましたけんども、わしが海の代表者ばやらしていただいとります、レ◯ィー・ガガです。違うか!

 ……失敬、皆からはリヴァイアさんと呼ばれとる者ですぅ。よろしゅうお願いしますぅ」

 

 目が合い次第、彼はものすごい勢いでするめに挨拶と自己紹介をし始めた。

 大砲が打たれた時の爆音のような声量と、マシンガントークにするめはただただ圧倒されていた。

 なんというか、予想していたのとは全く違うベクトルのキャラの濃さだった。みつきが『親戚の面白いおじさん』みたいだと表現したのもなんとなく分かる気がする。その巨体を屈めて訛りが強すぎて掴み所のない口調でこちらに語りかけてくる様子に戸惑いつつも、何も返事をしないのも失礼なので、するめは定型分的ではあるがなんとか返事を返す。

「……いえいえ!こちらこそ、わざわざ近くまで足を運んでいただいたのに、お茶をお出しすることもできなくてすみません。

 えーっと、いつもお世話になってます。

 イカの水棲少女をやらせていただいてます、伊香保するめと申します。どうぞよろしくお願いします……」

「あ、これはこれはご丁寧に、すいまっしぇん」

 リヴァイアさんもするめにお辞儀し返す。


「……いやー、アスティしゃんからどんな感じの子なんかなんとなくは聞いとったけんども、えらいしっかりした娘ば見つけてきんしゃったねぇ!」

「リヴァイアさーん、みつきも頑張ってるよー」

「あーら、みつきちゃん! 今日も丸っこうして可愛かねぇー!

 久しぶりに会うてみたら、前より太なったんやないかい?

 ちゃんとご飯ば食べとう証拠やんね!

 年頃の子には大事なことやけ、どんどん食べんしゃい」

「わー、みつき太ったとか言われたー。

 ハラスメントだぁー」

「なーして!太なったーって、大きうなったって意味で言うやろもん!

 あーでも、今時分は、人によってはそれはそれで気にする人もおるやろねぇ、考えてみれば。変なこつ聞いて、ごめんねぇ、みつきちゃん」

「うむうむ、分かればよろしいー。

 みつきがこの通りナイスバデーなのも悪いわけだし、今日のところは引き分けにしといたげるよー」

「かーっ!みつきちゃんにはやっぱり敵わんねぇ!」

 みつきが飄々とした顔つきでその小柄な身体をクネクネ揺らしておどけてみせる姿に、リヴァイアさんはテーン!と杖で自分の頭を小突く。

 ……このノリについていくには、自分にはもう少し時間が必要かもしれない。あと、みつきちゃんにはおじさんキラーの素質があり過ぎる。

 そんなことをするめは思う。


「うんうん、するめちゃんも新人さんやのにえらい落ち着いとるし、みつきちゃんも元気そうやし、この二人がおったらこの辺の海は安泰やね!いつも忙しい忙しい言いながら、なんだかんだ良い仕事しとるやないの!さすがー!」

「いやっはっはっは、それは身に余るご評価ですな……」

 身に余ってる感を出来るだけガチで声色に滲ませつつも、アスティはリヴァイアさんの褒め言葉に笑い返す。


「まあね、話さなんことは本当は色々あるんやけれども、とにかくまずは、水棲少女ちゅう大事な仕事を引き受けてくれとることに、心より感謝申し上げますぅ」

 改まって話をし始めたリヴァイアさんにするめは頷き返す。

「誰彼にでも頼めることやないけ、ホンマありがとねぇ。

 もし何か不安や心配事がありゃアスティしゃんに言うてくれとると思うけんども、言いづらいことでもあればわしにでもよかけ、遠慮なく相談してつかあさい。わしの身が空いとれば、エネルギーコンパクトから連絡繋がるけぇ。

 ……で、今日直接来たんは、するめちゃんに一度ご挨拶せんといかんてのも勿論あったんやけども、それとは別に、二つほど話しとこうと思うとることがありましてん」


 リヴァイアさんの持ってきた二つの用件、その一つは、水棲少女の役目に対する報酬についての相談だった。

 海の中全体を見渡すと、貨幣経済のような個々の価値尺度を即座に調整できる機構が人間社会ほど隅々まで行き届いているわけではない。そのため、任務をどれだけこなせばいくらのお金が貰えるという一律の仕組みというよりは、相談に応じて実現可能な範囲で働きに見合った報酬を与える、という形になっているようだ。

「今すぐ決めるんも難しいと思うけ、何が良いかなーっち追々考えてもらえると助かりますぅ。ま、なんか思いついたら相談してみんね。

 人間が欲しがるもん言うたら、ほら、例えば不凍港とか」

「不凍港……?」

「あとは、ここ一世紀ぐらいは、天然ガスを欲しがっとるもんが特に多かったわなぁ。ただ、あれはわしの立場的にも時勢的にも、今はあんまりお勧めできんのよねぇ。人間からすると、そもそも手に入った後の方が大変ちゅう話も聞くし」

「天然ガス…………?」

「そう言えば、随分前にEEZが欲しいちゅう変わった娘もおった気がするわいね。まあ、あれは人間たちが自分らで勝手に決めた区分やけ、わしらにはどうにもならんかったけんども」

「いーいーぜっと……」

 なんというか、するめにとっては出てくる単語が悉く想像の斜め上過ぎて、ピンと来なさすぎた。どれもものすごく価値の高いものだというのは分かるのだが、一介の女子中学生がそれを貰ったとて……という気がする。なにしろ、価値基準のスケール感が、思っていたのと違い過ぎる。

 報酬の内容を早めに相談しといてくれと言われる理由がなんとなく分かった。


 続いて、リヴァイアさんが持ってきたもう一つの用件というのは、水棲少女の新たな力、新能力追加のお知らせであった。

「悪玉軍の動きもどんどん大規模化してきよるけねぇ。

 特に、どっから連れてくるんか知らんが、超巨大化した海獣をつこうた作戦が増えよるんよ。

 今のまんまで戦うてても水棲少女の皆もダルかろうけねぇ。このたび、能力の大幅アップデートちゅうことで、もう今君らの持っとるコンパクトに、おニューのデータば送り始めとります」

 するめとみつきが携えていた純白色のエネルギーコンパクトを取り出して見てみると、五角形の一辺を丁番にした開閉口から淡いピンク色の光が漏れ出て、明滅している。何かエネルギーを受信しているといった様子である。


「うんうん、順調にいっとるみたいやね。

 大体今夜の、深夜ごろにはダウンロード完了しとると思うけ、詳しい使い方はそんあとアスティしゃんから教えてもろうてくらさい。

 …………あいたっす!話しとる間にこんな時間になってしもうとるやーん!

 おじさんがだらだら喋りすぎたせいやねぇ!イカーン!

 スピーチとスカートは短い方が良いちゅうんはこういうこつたい!

 はよ行かな海鎮祭に遅れてまーう!

 するめちゃん、みつきちゃん、これからもお世話かけますけんども、よろしゅうお願いしときますぅ。

 ほんじゃ、この辺で失礼をば……」

 コンパクトに浮かんでいた時刻表示で長居しすぎたことに気付いたのか、リヴァイアさんは足早にお別れの挨拶を済ませて、水中へと慌ただしくブクブク泡を立てながら沈んでいき始めた。

「えっ、あ、はーい!お疲れ様でしたー……」

「ばいばーい。おじさんまたねー」

「道中お気をつけてー!

 あと、スピーチとスカートのくだりはセクハラなのでやめた方がいいですよー。あれは元ネタ自体、ボケとツッコミの一セットで完結してるやつなので……」

 三人に見送られながら、リヴァイアさんの姿はあっという間に海の中へと跡形もなく消えていってしまった。


「……なんか、色々すごい方でしたね。私、大嵐が過ぎ去った後みたいな気分なんですけど」

「……まぁ、うん。その気持ちは正直ワタクシにもよく分かりやす」

「ねー。みつきの言った通り面白いおじさんだったでしょー?」

「…………面白い人ではありましたね、確かに。初対面なのでちょっとビックリしちゃいましたけど」

「……お嬢もお疲れモードのようですので、そろそろこの辺でお開きにしましょうか?」


 アスティは入江から海に直帰するということで、今日のところはこの場で現地解散ということに相成った。

 帰り際、アスティが思い出したようにするめの方を振り返って付け加える。

「あ、そうでした。

 明日の朝、アップデートがちゃんと完了してるかどうか確認したいんで、お嬢の部屋に早い時間に伺おうと思うんですが、大丈夫でしたかね?」

「え? あぁ、大丈夫ですよ。

 明日も朝早くから皆出掛けちゃうんで、家には私ひとりでいると思います」

「了解しやした。その後でみつきちゃんのところにも行きやすんで、どうぞお忘れなく」

「りょ」

 そんな確認を交わし合いながら、アスティと別れたするめとみつきは人家の方へ帰っていく。



 コンパクトの明滅はその晩、床に就く際にもまだ続いていた。

 学習机の上から零れる淡い光を横目に、部屋着にしている丸首とショートパンツの体操服姿で、するめは布団に潜り込む。

 これはよっぽど大規模なアップデートであるらしい……。そんなことを考えながら、するめの意識は深い眠りの底に沈んでいく。





「なっ、なんなのこれっ!?

 私の身体、一体どうなっちゃってるの?!!」

 翌朝、するめがなにやらおかしな夢から眼をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大なイカに変っているのを発見した。


 上から順に見ていくと、丸首体操服を着込んでいたするめの胴体はまるごとイカの外套──縦長の胴体に変化していた。

 彼女の素肌……頭部と両腕は、丸首の襟元と袖口についた緩み防止の赤い縁取りごと、体操服の生地の内側に完全に飲み込まれて見えなくなっている。このうち、肩から先の両腕はイカの身体を形作るうえで退化してしまっているようで、彼女のまだ発達途上の凹凸の控えめな体型がそのままイカの円筒状の胴体に置き換わっているのだった。バキュームベッドの中に密閉されているかのように、するめの身体のボディライン、その面影が丸首体操服の生地が変化した純白色の弾力ある皮膚の表面にうっすら浮かび上がっている。

 エンペラと呼ばれる大きいヒレが両脇に付いている先端部分には彼女の顔の輪郭が浮かんでいて、驚きの表情でだったものをパクパク動かしている。

 丸首体操服の生地がそのまま胴体の皮膚になったためだろう、左胸に小さく赤色でプリントされた校章マークと、胸元にしっかり縫い付けられていたポリエステル生地の大きな名札は外観にそのまま残されていた。当然、その名札に黒字で大きく書かれた『伊香保』という名前と学級名もそのままだ。腕がスポイルされすっかり円筒状になってしまった胴体の中でも、するめの柔らかそうな胸の膨らみだったものは何故かそっくり残されてしまっていて、純白色の生地越しに、その丸みの存在感が無防備に晒されている。乾燥を防ぐためなのか、皮膚の表面は分泌液か何かによってヌルヌルと湿り、光沢を帯びていた。

 また、大部分が体操服の生地で構成されているせいか、全体的に日焼け止めのような、ツンとした匂いが体表から漂っている。


 そこから下の方へ眼を移すと、元々は赤いショートパンツにピッタリと包まれたするめの華奢な腰回りだった物が、イカの頭部を形成しているのだった。

 水棲少女としての姿の時と同様、骨盤の両脇あたりにはイカとしての両眼が、両脚の付け根の間にはカラストンビと呼ばれる上下一対の嘴からなるイカの口が出現している。

 ただ、普通の水棲少女形態の時と異なるのは、元々人間だった時の顔が胴体の皮膚の内側に飲み込まれている以上、この腰回りに現れた眼や口こそが、イカの姿となった今の彼女にとってはメインの感覚器官であるということだ。

 実際、人間の時の目と同じようにパチパチと瞬きさせているし、カラストンビはその上下の嘴をパカパカと開閉させている。

 また、よく見ると、丸首の純白色でできた外套とショートパンツの赤色でできた頭部の境目のところ、体操服のだったものが一箇所だけペロンと捲れている。その隙間からイカの漏斗──吸い込んだ海水を吐き出すことで泳ぐための推進力を得るための筒状の器官が飛び出ていて、この口もまたパクパクと伸縮運動を繰り返している。その漏斗が飛び出ている箇所、体操服の捲れた隙間には、イカの体内……するめの色白なお腹がチラリと垣間見えてしまっている。


 そして赤い頭部から伸びるイカとしての十本の白い腕は、いずれも丸首体操服と同じ純白色で統一されていて、それぞれ表面に赤い吸盤が一列になって生え揃っている。一つ一つの吸盤をよく見ると、それは丸首の襟元と袖口に付いているあの赤い縁取りとそっくりで、それらをそのまま直径3cmくらいまでサイズダウンしたような見た目であることが分かる。一つ一つにちゃんと彼女の意識が通っているようで、それぞれが呼吸をするように伸縮運動を繰り返している。

 ただ、この十本の腕の中でも触腕と呼ばれるとりわけ長い腕、イカが特に重用するこの二本の腕については例外的に、その平べったくなった先端部分にだけ赤い吸盤がビッシリと密生していた。この二本の触腕についてよくよく観察してみると、その真ん中あたりについている膝小僧や膝関節だったものらしき面影や、ところどころ筋張って筋肉が張っている感じ、先端部分が足のひらの形に似ている点から、元々は人間の姿だった時の両脚が変化したものであることが分かる。

 同時に、他の八本の普通の腕のうち二本だけ、人間の肘みたく真ん中あたりで関節が入って曲げ伸ばしするような形になっており、また先端部分が五つに枝分かれして指のような形を構成していることが見て取れる。これは、元々は肩についていた両腕が胴体からだんだんイカの頭部の方へとスライドしていき、最終的に十本の腕のうちの二本へと変化していった名残である。

 純白色のボディペイントが施された人の手を思わせるこの二本の腕で自分の身体を、特にイカの頭部になってしまった腰回りをベタベタと触って確かめている。

 両腕両脚だったものとはまた別個に生えてきた残り六本の腕についてはまだ感覚が馴染んでいないようで、とりわけ忙しなく、布団の上でバタバタのたうち続けていた。


 こんな感じでするめの身体は、人間大の、体操服模様のイカの姿に変身していたのだった。

 胴体の凹凸や腰回り、腕にところどころ浮かび上がる皺やボディラインが、元々のするめの身体の面影として残されている。

 円筒状の胴体に残された小さな赤い校章マークと名前がデカデカと書かれた大きな名札、そしてそれ越しに浮かぶ胸の膨らみだったものが、イカの身体の全体像の中でなんとも珍妙な印象を持たせていた。



「あちゃー、これは……。

 やはりお嬢も、変身を遂げてしまわれていましたかー……」

 変わり果てた自分の姿を鏡で見て右往左往していたするめのところに、鍵を開けたままにしていた部屋の窓から入ってきたのだろうアスティが急ぎ足で駆け寄ってくる。

「ちょっ、ちょっとちょっとアスティさん!

 な、なんで私、こんなおかしな格好になっちゃってるんですか?!

 まさか、水棲少女のエネルギーが暴走でもして……」

「いや、それは大丈夫です。

 むしろ、その姿に変身できているということは、昨晩のアップデートが正常に完了できた証拠なんでさ」

「……アップデート?これが?」

 大きな名札を身体に貼り付けた人間大のイカが、アスティに向き直りキョトンとした表情を浮かべている。

「えーとですね……。

 昨日、うちの代表が、『超巨大化した海獣を使った作戦を悪玉側が使うようになった』って言ってたでしょう。

 それに対抗するために、我々も色々と知恵を絞ったんでさぁ。その結論が、“クラーケン・モード”への二段変身能力というわけです」

「この姿が、超巨大海獣への対抗策……?」

「生身の水棲少女の姿のままでは、奴らに対してチマチマとした攻撃しか仕掛けられやせん。

 それならいっそのこと、水棲少女側も敵と同じぐらいまで巨大化してしまえば、手っ取り早く片付けられるじゃないかという話になったんでさぁ。

 ただ、元の人間の素肌が露出した状態で巨大化するわけにはいきやせんので、まず水棲少女の姿からその形態に二段変身してもらって、そこからさらにエネルギーを浴びて巨大化していただく、っていう順番になる訳で」

「……私、ここからさらに巨大化しちゃうんですか?」

 赤い頭部についた両目で、するめは改めて姿鏡に映るイカの身体を見上げてみる。

 …………うーん、こういう女の子が変身する系の話って、普通はパワーアップするほど見た目が可愛く、ゴージャスになっていくものだと思うんだけどなぁ?

 どうして自分の場合は、だんだん人間からかけ離れたおかしな姿になることを強いられるのだろう……。

 あと、名札が胴体に縫い付けられたままなんだけど、この状態で巨大化しちゃって大丈夫なんだろうか……。自分の個人情報を堂々と掲示したまんま戦う巨大ヒロインって前代未聞では……?

 というか……。

「そもそもなんで、寝ている間に勝手に変身させられちゃってるんですかコレ…………」

「……それに関しては本当に申し訳ないです。技術者側の設定ミスと、我々の確認不足が重なっちまったみたいで……。

 どうやら、深夜のうちに更新作業を完了させたあと、コンパクトが自動で再起動する設定になってたみたいなんでさ。その再起動のはずみで、二段変身機能も勝手に立ち上がっちゃう形になってたみたいです……」

「……………………」

 そうはならんやろ……と言いたいところだったが、アスティが本当に申し訳なさそうな態度を示しているので、するめはその点についてはそれ以上非難しないことにした。

 それにしても、勝手に再起動って……i◯Sの自動アップデートじゃないんだから……。『あとで通知』を押し忘れた結果、翌朝思いもよらずイカに変身してしまう……そんな状況を想像してみる。シュールにも程がある。


「おはよー、するめちゃーん。

 見てみてー、みつきの身体、こんなになっちゃったよー」

 外から聞こえてきた愉快そうな声に、するめが触腕でカラカラと部屋の窓を開けてみると、そこには人間大の巨大な白いクラゲがぷかぷかと浮かんでいた。

 言わずもがな、それは二段変身したみつきの姿だった。

 どういう原理か分からないが、この形態に変身すると空中を泳いで移動する能力が付加されるらしい。

 みつきの身体はするめと同様、こちらもまた丸首体操服と同じ純白色に染まっていて、まるで気球のように丸っこく膨らんだ形状を呈している。クラゲの傘の中ほどには幅2cm程の赤いラインが一列の輪っか状の模様として入っており、また傘の外周をぐるりと囲む縁取りも同じくらいの幅で赤く染まっていて、それぞれが丸首の縁取りとショートパンツの赤色の名残であるらしい。

 そして、前面には『倉下』というみつきの苗字と学級を示す大きな名札が貼り付いている。

 傘にぶら下がる細い触手の束のうち、四本ほど他と比べて径が太いものがあり、おそらくあれが人間の姿だった時の両手足が変化したものであると見て取れる。

「うわー、やっぱり、するめちゃんもイカに変身しちゃってたんだ。すごくかーわいいー。食べちゃいたいくらい」


 部屋の中に入ってきてフワフワと泳ぎ回る巨大なクラゲ、姿鏡の中の体操服模様のイカ、そして申し訳なさそうな様子で佇んでいるアカヒトデ。

 改めて見回したうえで、するめはこんな感想を零す。

「あの、言いたいことは色々あるんですけどね?

 とりあえず一言……。

 …………私たち、もうこれビジュアル的にはほとんど海獣側じゃありませんか?」



もっと変化要素をマシマシにしたいなぁと思っていたので、頑張って考えてみました。

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