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根回し

その日、間下に連れられて行った図書館は、午後なのもあってか子供は少なかった。

その中で一人、おとなしく児童書の場所の近くの机で、一人本を読んでいる、紫貴を難なく見つけることができた。

彰が慎重に寄って行ったが、紫貴は気付く様子もない。

幼い紫貴は、もうその面差しに紫貴が垣間見えて、彰の心は沸き立った。

適当に一冊近くの棚から本を手に取り、離れて見守る間下を後目に、彰は慎重に紫貴に寄って行った。

「…隣りに座ってもいいだろうか。」

彰が言うと、紫貴はハッと顔を上げて、彰を見た。

そして、言ったのが本当に彰なのかと回りを見たが、彰以外誰も居ない。

なので、頷いた。

「どうぞ。」と、尚も回りを見回した。「一人…ですか?」

語尾を迷っている。

どうやら、ハッキリ話す彰に、子供同士の気軽さで話していいのか戸惑っているらしい。

彰は、首を振った。

「いや、世話係の者と。あちらで本を見ている。」

紫貴は頷いたが、見るからに幼児の彰が大人のように話すので、困っているらしい。

彰は、誤魔化さねばと、言った。

「その、海外に居たので。日本語を話すのが久しぶりで、何かおかしいだろうか。」

紫貴は、子供なりに合点がいったようで、微笑んで首を振った。

「ううん。とても上手なので大人みたいだなって驚いただけなんです。」

彰は、紫貴が笑ったのでホッとして、力を抜いた。

「そうか。ならば良かった。その、大人としか日本語を話していなかったのでそうかもしれないな。」と、紫貴をじっと見つめた。「友達が欲しいと思っていて。私は多勢峰彰。君は?」

紫貴は、頷いた。

「私は、尾上紫貴。小学四年生です。彰く…さんは?」

どうやら、(くん)と付けるより、さん、と、付ける方が良いと判断したようだ。

…やはり、お祖父様はああ言ったが、紫貴の空気を読む能力は、天性のものだ。

彰は思いながら、答えた。

「私は五歳で。まだ学校には行っていないが、アメリカのギフテッドクラスに入る予定だ。なので、もうすぐ渡米するのだが…。」

紫貴は、首を傾げながらも、頷いた。

「聞いた事があります。ええっと、確かとても頭が良い子達が集まるところですよね?ニュースでやってたから。」

この時代、インターネットはまだないものな。

彰は、頷いた。

「そう。少し他と違うので、そこに行くことになった。」と、紫貴が読む本を指した。「それは、小学四年生には難しい本ではないか?推奨は小学5、6年生と書いてある。」

紫貴は、文字も完璧なのねと頷いた。

「私はあまり友達と馴染めない性格なんです。だから、本ばっかり読んでたから、文字はたくさん知ってるの。だから読めるんです。」

ちょっと誇らしげだ。

思えば紫貴は、結婚してからもよく本を読んでいた。

英語を学んでからは、もっとたくさん読めるようになったと喜んでいたものだった。

彰は、言った。

「幼い頃から英語を学んでおけば、もっとたくさん読めるようになると思う。良ければ私が教えてやりたいが…、」

彰は、ふと思った。

しかし自分はもうすぐ渡米するのだ。

紫貴は、フフと笑った。

「そうですね。でも、アメリカの学校に行くんでしょう?」

彰は、頷きながらも考えた。

この時代、ネットがないので電話でしか交流できない。

安易に教えるとは、言えなかった。

「…では、文通はどうだろうか。」彰は、言った。「君は文章を作るのが得意だろう?あちらへ行ったら、手紙を書く。それで少しずつ英語を学んではどうか?」

図書館で会っただけの相手に、いきなり文通しようとはかなり乱暴な話だ。

だが、紫貴は彰が何やら必死に見えて、友達が居ないと聞いていたので、日本の友達が欲しいのだろうと思っていた。

なので、頷いた。

「いいですよ。文通しましょう。」と、立ち上がった。「ちょっと待っててね。」

紫貴は、タタッと走って受付に行った。

そして、そこで何やらやっていたかと思うと、戻って来て彰に、メモのような小さな紙を差し出した。

「はい。私の住所。お手紙くださいね。私達、お友達だから。私もアメリカにお友達が居るの、すごく嬉しい。」

紫貴は、私に友達が居ないと言ったから、すんなり承知してくれたのだな。

彰は、それを見て紫貴の優しさが持って生まれたものなのだと知った。

こちらの言いたいことを、ちゃんと汲んでくれている。

とはいえ、彰は友達が欲しいわけではなかったのだが。

彰はそれを受け取って、大事そうに胸のポケットに入れた。

「ありがとう。きっと手紙を書く。待っていてくれ。」

紫貴は、頷いた。

「うん。待ってるね。」

実はこんなものが無くても、紫貴が住んでいる所は知っていた。

それでも、彰はそう言って、紫貴の母が迎えに来るまでの間、紫貴ととりとめのない話に花を咲かせていたのだった。


帰りの車の中で、間下が言った。

「…紫貴様は、覚えておられませんでしたね。」

彰は、その事を考えずにおこうと思っていたのだが、仕方なく頷いた。

「…確かに覚えていなかった。私が名乗っても、全く反応しなかったからな。だが、紫貴は紫貴だった。あれほど幼いのに、やはり空気を読むことに長けていた。あれは紫貴だ。私は、まだあきらめない。」と、紫貴にもらった住所の紙を握りしめた。「…とにかく、私にはやることがある。今はこれまで。紫貴とは文通して繋がりを保つ。紫貴は最初の結婚を22の時にしているので、まだ大丈夫だ。後12年、しかし10年も待たせるつもりはないから。」

間下は、顔をしかめた。

「ですが10年後でもまだ、彰様は15。20歳の紫貴様から見たら、犯罪行為ですし、お付き合いも難しいのではありませんか。」

彰は、険しい顔になった。

「うるさい。後で考えるというのに。紫貴の事は本人から聞いてよく知っている。高校を卒業する時に就職に失敗して一年アルバイト生活をするはずだ。その後、金を貯めて入った短大がバブルが弾けて半年で潰れ、またアルバイトしてそこで前の夫に出逢う。それを阻止できたらいいのだ。」

間下は、さらに顔をしかめた。

「…就職先でも斡旋なさるのですか?」

彰は、間下の呆れたようなそれを聞いて、ムッとしたような顔をしたが、そのうちに何かに気付いたようにじっと考え始めた。

「…確かにな。そうか、就職か。ということは、私は13になる辺りには戻って来た方が良さそうだ。」

どうするつもりだろう。

間下は思ったが、彰が決めているようだったので、何も言わなかった。

そうやって、死に別れてから初めて紫貴に会った彰だったが、まだ子供同士で、これからだと自分の立場を固めて行かねばならないと、前向きに渡米することに向き合っていた。


健一郎のやることには、そつがなかった。

何しろ、彼の事業は多岐に渡っていて、それは海外にも拠点があり、情報収集には事欠かないのだ。

そんなわけで、彰はあっさりとその、ギフテッドクラスの試験を受ける事になり、間下と数人のその部下に連れられて、アメリカへと渡って行った。

あちらでは、健一郎の持っている会社の寮として買い上げてあるマンションの一室を彰のために確保し、その両隣りに部下と間下の部屋を確保して、彰を守る体制を整えた。

学校の方は、あっさりと入学許可が下りた。

というか、一応入るが、という感じだった。

何しろ、彰には何もその学校で教えることがなかったのだ。

だが、まだ幼いので一応社会性などを見るのと、どこまでできるのかを確かめるために、入学することになった。

そもそも彰は、何かに特化した能力を持っているわけではなかった。

全てに対して、満遍なく網羅した優秀な能力を持っていたのだ。

ただ、本人の気が向かないと学んだりしないので、全く興味がない分野については、無知で驚くほど何も知らない。

そこを、埋めるためにも詳しく調べたい、ということだった。

彰は、大学への足掛かりとしてそこへ来ただけだったので、毎日質問ばかりで面白くないと言っていたが、あまりにも彰が質問攻めに面倒がるので、学校は午前中だけで彰を家へと帰した。

もちろん、間下が迎えに行くのだが、その際、彰に興味を持った近くの大学の好意で、図書館や研究室の見学をさせてもらえることになった。

その大学こそが、彰が最初に通っていた大学だった。

なので、彰はもっぱら学校よりも、そちらの見学などの方が楽しいと毎日通っていたのだった。


「…細菌学の方を学ぶことにしたよ。」彰は、間下と共に昼食を摂りながら言った。「細胞学の方は、もう十分すぎるほどやったし、今の時代の講義は私の役には立たないからな。私が参考にした細菌は、ここの大学で要が見つけて来た物だった。あれが無ければ進まなかったし、どうしても最後にはあれを培養しなければならない。もちろん基本や少しの応用ならば私にも分かるのだが、専門にやっていたわけではないから。時間も無駄にならずに済むし、細胞学を合わせて単位だけは取るかと思っているところだがな。」

間下は、言った。

「ですが、医師免許の方はどうなるのですか?」間下は、案じるように言った。「こちらへ来たのは、それが目的だったのでは。」

彰は、ハッハと笑った。

「あんなもの。一度取っているのだから、特に学ぶ必要もないし、なんとかなる。まず大学を最速で出てからメディカルスクールへ入ることになるが、そこでまた通常四年は学ぶことになるのが一般的だ。しかし私は、何も知らない時でもさっさと卒業してUSMLEの3ステップをクリアしたし、今回も落ちる気がしない。とはいえ…歳が見合わない。今回の留学で、医師免許を取ろうとは考えていない。」

間下は、え、と彰を見た。

「そうなのですか?では、どうしてこちらに?」

彰は、言った。

「とにかくカレッジを出ていないと先へ続かないからだ。アメリカで医師免許を取るにしろ、ヨーロッパで取るにしろ、時間が掛かる。とりあえず四年制の大学を出ておくことが先決だ。アメリカで取っておくのが一番速いと思っているので、19歳になったらもう一度こちらへ来てメディカルスクールに通うつもりでいる。別に、ドイツでもいいのだ。私は前はこちらで医師免許を取ってからドイツへ渡ってあちらで研究をしていたので、比較的あっさり取れたが、あちらでは6年通う必要があるから、面倒でな。試験も四回あって、その後研修医として一年半も働かねばならない。私は臨床医になるつもりもないし、それが一番億劫だ。とりあえず、今は医師免許のことは忘れて、できる限りの事をしようと思っている。体が育たないと、いくら頭の中に膨大な知識を持っていても、どうしようもないからな。」

確かに、こんな小さな体では、とてもじゃないが医師など無理だろう。

その他の事を、出来る限りやって備えるという事なのだ。

「では、そういう事で。ですが、昔通っていらしたという大学でも、あなたを好奇の眼差しで見ているだけで、正式に迎え入れようという感じには見えないのですが。」

彰は、頷いた。

「最初はそれで良いのだ。あちこち回って意見を出していれば、そのうちに私の事が噂になるだろう。そうしたら、試験も受けられるかもしれない。APテストは、こちらへ到着してギフテッドクラスに入った次の日から受けることができたから、ラッキーだったな。あれで単位を必要なだけ取っておいたから、まだ希望もあるわけだ。」

間下は、慎重に頷いた。

「でも…あまりにも出来過ぎなので、再テストをと言って来ているらしいですよ。」

彰は、ため息をついた。

「だろうな。まあいいのだ。とにかく少しずつでも目立たない程度に進めて、大学には見学に入れるし、今の状況を掴むことはできる。どの段階から薬品開発を進めたら良いのか分かるからな。機器のレベルも分かる。一歩一歩進めて行こうと思う。」

間下は、ここへ来て彰が落ち着いて考えているのに、驚いていた。

間下に、お祖父様に会いたいと言った時から、何事にも急いでいる様子もあって、間下が何を言っても聞かないと言うように、前へ前へという感じだったのに、今は落ち着いている。

そういえば、紫貴と文通を始めていて、彰が手紙を送ってから、一週間で紫貴から返事が帰って来たのが昨日。

もしかしたら、そこで何かあったのだろうか。

「…彰様。そういえば、昨日紫貴様からお返事が来ておりましたが、もしかして彰様が落ち着いているのは何か書いておられたからですか。」

彰は、フッとため息をついて、間下を見た。

「…別に、こちらに着いた事から、それからの様子を書いて送ったのだ。それに、同じ文面の英語の物も。紫貴の勉強になるかと思って。そうしたら、紫貴から日本語で返事が来た。頑張って英語を勉強すると言って…それから、私が早く大学を出て帰らねばと書いていたので、大人になるまでまだまだあるから、ゆっくりした方がいい、時間は楽しく使わないと損だと返して来たのだ。思えばお互いにまだ子供だし…こうして、紫貴とも手紙のやり取りができるのだから、無理をせずに進もうと思ってな。」

少しの事で、まだ子供の紫貴様なのに、一喜一憂されるのだな。

間下は、そう思って彰を見ていた。

とはいえ、紫貴が結婚するのは、彰から聞いているところでは22歳。

後12年で、彰はその頃まだ17歳だ。

一度日本へ帰ったとしても、また19歳でアメリカに戻ろうと言うのなら、どうするつもりなのだろうか。

本当に、紫貴様が結婚するのを阻止して、あのままの紫貴様と結婚しようというのだろうか…。

心配は尽きなかったが、間下はただ粛々と、彰を見守っていく事にしていた。

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