目標はどこに
ステファンが人狼となり、真司が大学を卒業して、表向き彰の会社の社員として雇用され、屋敷に住むことになった。
人狼の二人が検体となって、クリスに手伝ってもらって前世嫌になるほど解析し続けた、その細胞を何度も方向を変えて調べ続けている。
ステファンは、すぐに人狼である自分に慣れて、毎日さっさと真司と共に狼化すると、彰の屋敷の敷地内をランニングして体を鍛えていた。
そんな毎日を過ごしているうちに、ステファンの見た目は若々しくなって行った。
細胞自体は、人狼化した時点で活性化されて瑞々しい状態へと変化してはいたが、そこから特に若返っているというほどではない。が、その細胞を使って、毎日運動など積極的に活動することで、本来の健康な状態へと移行したという形のようだった。
とはいえ、人狼化が細胞を少しでも若返らせるという事実は、高齢のステファンに使ったからこそ分かった事実だった。
これまで、細胞にかなりの負担になる事が分かっていたので、若い検体しか使って来なかったのだ。
ということは、この人狼化の中に、不老のヒントが隠されているのだろうか。
彰もステファンも、毎日人狼化して行く過程のデータや、一体何が作用して細胞が若返るのか、毎日試行錯誤を繰り返していた。
そんな毎日の中で、彰が28歳になろうとしている時に、あのかつての古巣である研究所から、オファーが来た。
正確にはまだ27歳だったので、前回より一年ほど早い。
そして、やはり破格の報酬と最初から所長としての地位を提示されていた。
これは、前と同じだった。
結局、彰には世界中からオファーが来ていたのだが、この研究所からのオファーを待ってずっと断り続けていたのだ。が、そんな事とは知らない研究所は、絶対に獲得したいと何とか首を縦に振らせようと、こんな条件を提示して来ているらしかった。
彰は、もう行くと決めていたので条件などどうでも良かったのだが、所長であった方が好き勝手できるので面倒がない。
なので、前世通り、ここへ入所しようと思っていた。
ただ、問題は今なら会いたければすぐに会える位置に紫貴が居たのに、これからは前世のように、仕事で出勤している間は、紫貴の顔を見られない。
彰は、前世なら我慢できたことが、今生いつでも一緒に居たので、どうにも我慢できないような気がしていた。
「…無理だ、やはりここでやった方が良いのだろうか。」と、頭を抱えた。「紫貴と離れて研究所へ行かねばならないとは。もういっそ、家族みんなで移り住めねば行かないとあちらに答えようか。どうせ子供達も、普通の教育では物足りない風なのだし。研究所に住んでいれば、皆から自然と学ぶだろう。」
クリスは、顔をしかめた。
「あの研究所は特殊で、存在自体を隠しているのに家族で入るなど。子供達も、一切下界の事を知らずに育つのは、後々困った事になりませんか。前世に結婚された後のように、関東の屋敷からヘリで通われたら良いではないですか。」
分かっている。
分かっているが、人生は短いのだ。
紫貴と離れている間の時間が、無駄に思えて仕方がないのだ。
「…クリス、一度人生を終えているからこそ分かるのだ。ヒトの一生など一瞬だ。どうなったのか分からないが、私は幸運にももう一度紫貴に会えたが、まともに死んでいたらどうなるのか全く分からない。今回の人生で、また死んであちらの世界とやらで紫貴に会えるのかどうかも疑問だ。ならば、こうして一緒に居られる時間、一緒に居たいと思うのだ。」
それはそうかもしれないが。
クリスは、答えに詰まって彰を見返した。
ステファンが、言った。
「…まあ、君が何を目的にこの人生を生きているのかで決まるのではないのか?」彰は、ステファンを見る。ステファンは、見違えるほどに若く生気に満ちた様子だった。「前の人生は、そのほとんどを癌細胞の撲滅に使ったのだろう。今回は、もうその組成も頭に入っていて、私達はもっぱら細胞の若返りの理由を探して模索しているだけだ。それがまさか、不老不死に向けた研究ではないだろう。君がそんなに愚かだとは思っていない。ならば、別に妻との時間に重きを置いて生きることを選んでも、誰も文句は言うまいよ。君の選択だ。君はどうしたいのだ?」
彰は、ステファンを見た。
「私は、ただ紫貴と生きたいのだ。今生、戻ったのだと知った時、真っ先に紫貴と祖父、そしてあなたのことが頭に上った。紫貴を見つけて傍に置き、祖父とあなたを癌から助けて真っ当に生きる事を望んだ。それを成した今、私には目標がない。生み出した組成が頭にあるのは、何も私だけではない。クリスの頭の中にもあるものだ。もう、私でなくともあの薬は作れるだろう。ならば、私は紫貴から離れて研究所へ行って、時間を費やすべきなのだろうかと考えるのだ。シキアオイは、恐らく研究所へ行って数年で完成するだろう。悩んでいた歳月が無くなるからだ。今の私には、その後何をしたいのか全くわからないのだ。不老不死など興味はない。どうせ、ヒトは必ず死ぬのだ。」
ステファンは、苦笑した。
「ならば、良いではないか。何を悩むのだ?私は別に、研究所でもここでも、君と研究を続けられるのならどこでも良い。給料も要らないしな。君に任せよう、彰。」
彰は、まだ悩んでいた。
研究所には優秀な頭脳が集まっているので、そこへ行くのが当然だと思っていたのだ。
だが、そして何をしようと言うのだ。
彰は、それは深く考え込んでいた。
子供達は、一人一つずつ部屋を持ってはいたが、まだ寝る時は全員同じ部屋で寝ていた。
子供達の寝室は、彰と紫貴の部屋の隣りにあって、入って右側の壁には宗太と新のベッドが並んでいて、左側の壁には百百乃、穂波、葵のベッドが並んでいた。
子達の異常が気取れないといけないので、完全防音だった扉は外して倉庫へ移し、今は普通の扉を取り付けている。
そんな様子なので、泣き声などしたらすぐに気取ることができた。
彰がいつものように紫貴を抱いて眠っていると、突然に悲鳴のような声が隣りの部屋から聴こえて来た。
「…!!」
彰は、飛び起きた。
紫貴も、何事かと目を開いた。
「君はここに。」彰は、紫貴に言って自分はすぐにドアへと向かう。「見て来る。」
紫貴は、不安そうに頷く。
彰は、急いで隣りの部屋へと駆け込んだ。
すると、新のベッドの回りに皆が集まって心配そうにしているのが見えた。
彰が入って来たので、皆が振り返る。
百乃が、言った。
「お父さん、新が夢を見たみたいなの。すごく汗をかいてるわ。」
夢見が悪かったのか。
彰は、ホッとして頷いた。
「私が話すよ。君達は寝るんだ。明日も学校だろう?」
皆、少し躊躇いがちに新を見たが、頷いてそれぞれのベッドへと戻った。
彰は、ベッドで身を起こしてまだ汗をかいて震えている、新を見て言った。
「どうした。すごい汗ではないか。着替えよう。君の部屋に行くぞ。」
新は、彰と目を合わさずに頷いて、ベッドから降りた。
…新は私にそっくりで、幼くても夢ごときでこんなに取り乱すことなどなかったのに。
何しろ、もう7歳になるのだ。
今通っている私立の小学校でも、同じようにギフテッドと呼ばれている他の兄弟姉妹より格段に大人びた受け答えだと教師からは聞いていた。
今は百乃10歳、宗太9歳、穂波8歳、新7歳、葵6歳で全員が同じ学校に入っている。
その中でも、新は飛び抜けて優秀で、一度聞いた事を忘れることもなく、他の追随を許さぬ賢さなのだ。
やはり自分の跡を継ぐのは、新だろうと彰は思っていた。
その新が、こんなに動揺するような、どんな夢を見たというのだろう。
新を部屋へと送り、自分で着替えているのを待つ間、彰は寝室に取って返して紫貴に夢見が悪かったらしい、と報告して、そしてまた、新の部屋へと向かった。
新は、着替え終わって部屋でポツンと座っていた。
彰は、声を掛けた。
「落ち着いたかね?」
新は、彰を見た。
そして、驚いたことにポロポロと涙をこぼした。
…え…!
彰は、これはただ事ではない、と思った。
何しろ新は自分と何から何まで同じなので、ここまで感情的になるには大きな理由があるはずだからだ。
彰は、急いで新に駆け寄って、その頭を撫でた。
「どうしたのだ。何を見たのだ?ただの夢だと分かっているのだろうに。」
だが、新は首を振った。
「…ただの夢ではありません。お父さん…私は、思い出したのですよ。」
彰は、撫でていた手を止めた。
…思い出した…?まさか、前世をか?
「…何を思い出したのだ?」
彰が、慎重に言うと、新は彰を見上げた。
「お父さんもではありませんか。お母さんとこんなに早く側に居る。そして、私を若くして生んでくれました。みんな居る…前は、生まれて来なかった葵まで。」
新だ…!
彰は、確信した。
新は思い出したのだ。
「思い出したのか。前を全部?」
新は、頷いた。
「はい。生まれた頃から何やら覚えのあるような事ばかりだったのです。今回は、兄弟姉妹の歳が近いのであれらから教わる事もたくさんありましたが、それに重なるように、今夜全てを思い出しました。私はあなた方を留めるために不老不死を夢見て、成せなかった。あなた方を失って、要も死に、百乃や宗太、穂波を見送り、最後に颯も見送って私は生涯を閉じました。77歳でした。隠居してからは特に検査もせずに自然のままにしていたので、あの症状では恐らく癌だったのでしょうね。そして、今でした。その時、私はまた同じ時を生きているのだと知りました。お父さんとお母さんが、今度は早くに共に居るのを悟って…お父さんも同じなのだろうと。」
新は、また涙を流した。
新は、親しいもの達を見送り続けて最後に孤独に逝ったのだ。
治せたはずの、癌すら放置して…。
彰は、新の肩を抱いた。
「よくやった。新、君が言うように私は覚えているのだ。5歳の時に思い出し、すぐに紫貴を探した。紫貴は何も覚えていなかったが、23歳になる時に思い出して私と結婚した。苦労したのだ、紫貴を誰にも渡さないために。何しろ私はまだ子供で、紫貴に男として見てもらうのも最初は難しかったからな。それでも成せた。クリスも、真司も博正もステファンも思い出している。私達は、なぜかまた同じ時をやり直しているのだよ。」
新は、顔を上げて涙でぐちゃぐちゃになった顔で彰を見上げた。
「…そんなに。どうしてそんなことになっているのか、解明はできましたか。」
彰は、首を振った。
「まだわからないのだ。そもそも、そんな時間と空間の事を学んでいる暇はなかったからな。とにかく早くシキアオイを開発して、それからだと思ってはいる。」
新は、頷いた。
「ならば、今回は私もそちらの事を先に研究しておきましょう。もう、医学は頭にある。このループが、どうして起こっているのか知りたくはありませんか。それを解明しないと、またループすることになったら、また苦労なさることになります。」
確かに、今回は無事に幸福に生きているが、また同じようになるとは限らない。
彰は、言った。
「…それはそうだが、君はやり残したことはないのかね?不老不死はもういいのか。」
新は、そこにはきっぱりと首を振った。
「お父さんが言ったように、あれは成せない夢でした。私は無駄に時間を過ごし、結局お父さんが遺した薬を改良することに最後の時間を費やしただけでした。自分自身で遺したものは、何一つありません。今、私が目指すものなど何もない。思い出す前は、お父さんの後を追って同じ道にと疑いもなく思っていましたが、今は違う。目標を間違えては、時を無駄にするだけなのです。私は…もう、間違えたくはないのですよ。」
不老不死は間違い。
彰は、ハッと我に返った。
そうなのだ、間違いなのだ。
あの時は分かっていた。
なのに、今は何をしているのだ。
不老の秘密を暴こうと、ステファンや真司を調べて…これでは新と同じだ。
新は、結局そこから何も見つけられなかったのだ。
「…君が君の人生を何に使うかは、君が決めることだ。」彰は、答えた。「私も、私の人生を考え直さねばならない。シキアオイは完成した。前の生で。ならば私は、次に何をするべきなのか、まだ答えが見つからないのだ。今は、目の前の疑問を解決しようと人狼の不老の意味を探ろうとしていたが…その先はと聞かれたら、君と同じ沼に迷い込むような気がする。明確な目標が必要だ。それを間違えたら、私は時間を無駄にしてしまうだろう。そんなことのために、戻って来たのではないような気がする。」
新は、頷いた。
「はい。お父さん、人狼の不老の意味は私にも解明できませんでした。お父さんならばやるかもしれない。ですが、とても深い沼であるのは間違いありません。せっかく戻られたのなら、他のことに時間を使った方がと私は思います。」
戻ったのはなぜだ。
彰は、自分に問い掛けた。
人類を救うために人生を使った自分に、今度こそ幸福にとプライズとして与えられた時間なのか。
それとも、他にやることがあるだろうということなのか。
答えは、まだ見つからなかった。




