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人狼

その夜、ステファンは昏睡状態に陥った。

クリスは、彰を手伝ってステファンの側についていたが、複雑な気持ちだった。

まさか、あれほど案じて自ら赴いてまで、助けたかったステファンを、検体にするとは思ってもいなかったのだ。

彰は、その経緯を全く話すこともなく、高齢者でのデータを取ると告げて淡々とそれを記録している。

しかしクリスには、この薬が高齢のステファンに耐えられるとは思えなかった。

何しろ、体中の細胞を無理に動かすことになるのだ。

ステファンは、中途半端に狼とヒトを行ったり来たりを繰り返していた。

本来なら、あっさり人狼化して、狼になった後しばらくして安定し、意識を戻してヒトへと戻るはずだった。

だが、ステファンは完全に狼の型になる前に戻るのを繰り返しているのだ。

かなりの負担になっているのは、間違いなかった。

そうしているうちに、呼び出されていた真司が、夜中にも関わらずやって来た。

「…なんだってこんな爺さんに。」真司は、思わず言った。「ジョン、オレには分かるが結構体力を使うんだぞ。狼になってしまえば全く平気だが、型を変える時に汗を大量にかくほど、最初は大変なんだ。病み上がりの爺さんにはキツい。無理だ。」

彰は、答えた。

「うるさいぞ、真司。分かっている、高齢者に使ったことがなかったので、これは新しいデータになるのだ。こうして見ていると無駄に行き来しているだけに見えるが、段々に狼に近付いている。後は、体力の問題だ。」

クリスは、黙っている。

真司は、じっとステファンを見つめた。

「…そこ。」真司は、ステファンに声を掛けた。「聴こえるか?そこだ、何かに吸い込まれる気がするだろうが、それに身を任せて吸い込まれてしまうんだ!そうしたら楽になる!その感覚が、狼だ!ヒトとは違うんだ!」

真司にしかわからない、何か。

クリスと彰は、黙ってそれを聞いていた。

すると、ステファンの姿はスーッと狼へと変化して、そのまま固定した。

そして、繋がれた計器の数値が、狼のそれに安定して、ステファンの呼吸が穏やかになった。

かと思うと、ステファンは薄っすらと目を開いた。

「…ステファン?」

彰が言うと、ステファンはウーッと、唸った。

真司が、言った。

「まだ声帯の使い方が分かってない。」と、割り込んだ。「最初は言葉が上手く形作れないんだ。ヒトに分かる言葉を出すには、コツが要る。」

ステファンは、グルルルと唸った。

すると、真司は頷いた。

「最初はジョンに薬で促してもらって戻ってたんだけどな。オレも前世の記憶だから、どうやってもとに戻る方法を取得したのかもう記憶が遠くて。最初はどうだったかな…とにかく、コツがあって。結局頭なんだよ。切り替えスイッチみたいなのが見つかったら、それ押したら元に戻るような感じで。」

彰が、眉を寄せて言った。

「ステファンは何を言っているのだ。」

真司は、言った。

「どうやってもとに戻るんだってオレに聞いてるから、答えたんだ。オレ達は最初、ジョンに薬を投与されて戻るコツを掴んだから、切り替えスイッチもそれで見つけた感じだったしな。」

彰は、ステファンを見て言った。

「ステファン、かなり無理が掛かったので、明日の朝までこのまま過ごして、朝になったらもう一度検査して、落ち着いていたら戻る事を促す薬品を投与します。これ以上、リスクのあることはできません。真司が居るので、言いたいことがあったら通訳させてください。」と、真司を見た。「すまないが、ステファンについててやってくれないか。」

真司は、ため息をついたが頷いた。

「…仕方ない。今回は人狼にしてくれとずっと頼んでタダでやってもらったしな。」

彰は、頷いた。

「当然だ。そもそも人狼になったら、普通の社会では生活できなくなる。音も何もかもが煩くて生きて行くのが面倒だろう。君は結局、その道を選んだら私と共に生きるしかないのだ。では、頼んだぞ。」

彰は、ポンとステファンの腕を軽く叩いてから、そこを出て行った。

クリスが残って計器の数値を見ていたが、真司が言った。

「今回は紫貴さんも居るし、ちょっとはマシになったと思ったのに。あいつには人の心ってのが無いのか。恩人とか言ってた人まで検体にするなんて。」

クリスは、同感だったが黙っていた。

すると、ステファンが言った。

『私がデータを見て頼んだのだ。』その声は、唸り声でしかなかったが、真司にはハッキリ聴こえた。『私が適合すると。なので、検体にしろとな。ジョンは最初断った。だが、新しいデータを取るために、何でも使えとあれに教えたのは私なのだ。なので、それを言って無理に投与させた。これで、私の歳でのデータが取れただろう?』

真司が、目を丸くしている。

「…やっぱりあいつの師匠だけあって、おんなじなのか。だったらもう良いけどさ。」

クリスが、真司を見た。

「ステファンは、なんと?」

真司は、答えた。

「自分が無理にジョンに検体にしろと迫ったらしい。新しいデータを取るために、何でも使えと教えたのはステファンらしいぞ。ジョンのあの姿勢は、このじいさんのせいなんだってさ。」

クリスは、驚いてステファンを見る。

ステファンは、笑うような声を漏らした。

『…面白い。じいさんだって?まあそうだな。こんな老体でも、ジョンの役に立てるのなら本望だよ。』

ジョンのためにか。

真司は、それをクリスに通訳してから、考え込んだ。

クリスも、自分が彰を真に理解していると思っていた事を、恥ずかしく思っていた。

結局、信じてもいなかったし理解もできていなかったのだ。

やはり、もっと彰を信じて、これからは何があってもしっかりついて行こう、とクリスは考えを新たにしていたのだった。


次の日の朝、彰がやって来て採血すると、クリスから昨夜のデータを渡されてそれを見た。

…安定している。

彰は、内心ホッとして、言った。

「…では、元に戻そう。」と、クリスから渡された注射器を手にした。「ステファン、また体が熱くなります。とはいえ今回はあっさり元に戻るはず。促すだけなので、抵抗せずに気を楽にしていてください。」

そう言って、腕に針を刺すと、僅な薬品を体に入れた。

すると、みるみる体の形が変容して、ステファンはヒトの形に戻って行った。

「…なんと魅惑的な経験だったことか。」ステファンは、掠れた声で言った。「自分は自分なのに、体が嘘のように軽い。しかも回りの空気の流れまで聴こえる。何もかもが、若返ったような心地だったよ。」

そう言ったステファンの顔は、何やら少し、シワが減った気がした。

いやそれよりも、髪の色が真っ黒だった。

「…ステファン。あなたは黒髪でしたか。」

ステファンは、眉を上げた。

「若い頃はな。白髪になるのが早くて、君に会った時にはもう真っ白だったがね。」

クリスが、言った。

「…驚きましたね。人狼は若い姿のまま生きていましたが、まさか若返りの効果もあるのでしょうか。」

ステファンが、え、と自分の頬に触れた。

それから、起き上がって脇に立っている姿見を見た。

「…おお。」と、髪に触れた。「なんと。真っ黒じゃないか。」と、点滴を引きずったまま姿見に寄った。「しかもこの顔。そこまで若くなったわけではないが、五十代始めぐらいの時はこうだった。眉まで黒いから、そう思うだけなのかもしれないがね。」

確かに、五十代ぐらいに見える。

とはいえ、問題は中身だった。

「詳しく検査させてください。レポートにも書いてあった通り、人狼達は原因不明の不老で、前世では私の息子の新がなんとか解明しようとしていましたが、私が死ぬ頃までには解明できていませんでした。三十代ぐらいでピタと老化が止まって、そのまま生きていたのですよ。一応老いてはいたようですが、かなり緩やかで。」

真司が、頷いた。

「その通りだ。オレと博正は、ジョンが死ぬ時でもまだ四十代ぐらいの見た目で難なく生きていたからな。新が退所する時、なので、もう充分だとオレ達はヒトへと戻った。その途端に崩れるように老いて、一年ぐらいで死んだ。あの時オレは、もうゆうに百歳超えてた。博正でも百歳近かったんじゃないか。」

不老…。

ステファンは、自分の手を見た。

「…私はそんなものを望んでいたのではない。そこそこデータが取れれば、ヒトに戻れるなら戻って死ぬよ。」

彰は、首を振った。

「それが、まだ戻れる薬はできておりません。」ステファンが驚いた顔をする。彰は続けた。「要という男に開発させて出来上がっていた薬ですが、まだそれを生み出すための前段階の薬品がこの世にない。あれは、かなり後になってやっと出来上がったので。ヒトに戻りたいと最初は言っていた真司も博正も、なのでその頃には人狼に慣れてしまって、ヒトに戻りたいとは言わなくなっていました。何しろその体は優秀で、少々の怪我ならすぐに治してしまいます。視覚、聴覚、嗅覚にも優れ、それはヒトの体になっても維持されていて日常生活をするにも周囲の異常などすぐに察知するので、今さら鈍感なヒトには戻れないと言いました。」

真司は、頷いた。

「そうなんだ。今回も、どこかでそれを覚えていて、子供の頃には見えづらい、聴こえづらいと親を困らせた。記憶が戻って、その意味を知って、人狼に戻りたいとずっとジョンに言い続けて来たんだ。オレとしては、やっと自分が戻って来た気持ちだよ。博正が、羨ましがって仕方がない。」

彰は、顔をしかめた。

「私は子供は検体にしないのだ。せめて高校に入るまで待てと言うのに。」

真司は、苦笑した。

「だから分かってるって。あと二年だろ?」

ステファンは、しばらく姿見の前で自分の顔を見つめていたが、ため息をついた。

「…まあいい。どちらにしろ、これで君の手足になることができるだろう。」彰が眉を上げると、ステファンは続けた。「何なりと私に命じるがいい。私の雇い主は君だ。こんな面白い事をやってのける君と、これからまた研究を続けられるのかと思うと胸が沸くのだよ。堅苦しく話すな。私達はもう、師弟ではない。」

彰は、驚いた顔をしていたが、フッと口元を緩めると、頷いた。

「ならばステファン。まずはあなたのデータを徹底的に取らせてもらうぞ。せっかく無事に人狼化したのだ。最高齢の成功例だ。不老の秘密も解明できるかもしれない。共に楽しもうではないか。」

不老…。

クリスは、心配そうに彰を見た。

今回は、もうシキアオイの組成はできていて、彰に目指す物がない。

あれほどに人生をかけて研究した物が、もうできている以上、まさか新が踏み入ってしまっていた、不老不死の沼に向かおうとしているのではないか。

しかしその時、案じていたのはクリスだけだった。


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