意見の相違
優子の葬儀は、滞りなく終わった。
健一郎は一気に老け込んでしまい、会社は会長職へと退いて、後を間下に任せていた。
彰は忙し過ぎてそれどころではないので、前回と同じパターンだった。
紫貴も、大層悲しんでいたが、あいにく大勢の子供と、新たに生まれた葵の世話があって、腰を据えて悲しんでもいられなかった。
彰は、ぼんやりと窓辺で外を眺める、祖父に近付いて行って、言った。
「お祖父様。もっと暖炉の側に。ここは未だにセントラルヒーティングではないのでしょう?冷えますよ。」
健一郎は、首を振った。
「いや、ここで。優子がいつもここで茶を飲んでいたのでね。」
彰は、仕方なく膝掛けをもう一枚持って来て、祖父の膝に掛けた。
そして、前に座った。
「…別れの寂しさは、私にも分かります。前回はあなた、ステファンと相次いで癌で亡くして、最後は紫貴すら見送った。すぐに追い掛けましたがね。何しろ私も老衰で、後がない状況で看取りましたから。」
健一郎は、遠くを見た。
「…私も、お前のように戻れるのだろうか。今度こそ、優子をあの男の前に見つけて、真っ当に手にすることができるのか。」
彰は、苦笑した。
「分かりません。私はどうしてこうなっているのか、わからないのですよ。それでも、今回は長く紫貴と共に居られて、多くの子達に囲まれて幸福です。あの頃には、思いもしませんでしたが。」
健一郎は、頷いた。
「お前がうらやましいよ。」と、彰を見た。「…実は、優子は知っていたのだ。」
彰は、眉を上げた。
「何をです?」
健一郎は、苦笑した。
「私が、あの男にトラップを仕掛けたことをだ。」彰は、目を丸くした。健一郎は続けた。「あの男が優子にわざわざ話しに来たらしい。だが、優子は私がそこまで自分を望んでくれたのかと思っただけで、そんなものに引っ掛かった男のことは追い返したらしい。知らなかった…まさか、何十年も優子がそれを知っていて、それでも私を愛してくれていたなんて。もう一度会って、謝りたいのだ。そんなことしたと黙っていた私を。そんな暇もなく、あれは逝ってしまった。それでもずっと愛していたし、愛していると言い置いて。私も愛していると言うのが精一杯だった。」
彰は、まさか祖母が知っていたとはと、ただただ驚いていた。
それでもこの祖父を愛して側に居た。
そこまで深く愛されていた祖父が、うらやましかった。
紫貴なら、どう感じてどうしたのだろう。
彰は、思った。
「…あなたがうらやましい。」彰は、言った。「それほど愛されていたのですから。私もそうありたい。紫貴が私を、そこまで愛してくれるのか、私にはまだ自信がないのですよ。」
健一郎は、フッと笑った。
「あれほど子を作っておいてか?」と、聴こえて来る子達の笑い声を振り返った。「お前は幸せだ。愛する妻、賢い子供達。私達の子供は一人で、それは私の頭脳を継がなかった。判断を誤って今もどこに居るのかさえわからない。お前が居て、私達は救われた気持ちだったのだ。私が遺す全てを、お前と子供達に託そう。お前なら、きっと上手くやる。人類を助けるのだろう?まだ23歳でしかないのだ。私の財を使って、やるが良い。」
前回は確かに祖父の財産を継いだので、それを元手に多くの研究を進めることができた。
恐らく今回も、そうなるのだろうが、しかし祖父にはまだ、生きていて欲しかった。
前回、新が必死に自分達を留めようと、できようはずもない不老不死を目指して研究していた気持ちがよく分かる。
しかしそれは、到底なし得ない遠い道だった。
人は皆、どう足掻いても死ぬことになるのだ。
それとも、不可能ではない…?
彰は、自分が戻った意味を考えた。
癌の撲滅は恐らくもう近い。頭にシキアオイの組成がある限り、前回より早い段階でそれは成せるはず。
では、今回歴史が私に成せと言っているのは、もしや新がなし得なかったあの…。
彰が固まっていると、健一郎が彰の表情を見て、怪訝な顔をした。
「…彰?」
彰は、ハッとした。
そして、首を振った。
まさか…そんなはずはない。
「…いえ。今回の生で、何を成すべきかと考えておりました。あなたを惜しむ気持ちから、不老不死などという夢を見ようと思ってしまうところでしたよ。」
健一郎は、苦笑した。
「そんなことは人類のためではないな。」彰が眉を上げると、健一郎は笑った。「死ぬからこそ皆、生に執着するのだ。死ねぬなど、地獄でしかない。限りある時間の中で、できるからこそ解放される。何かを成さねばと必死になって、ずっと解放されずに生きては後に狂うだろう。区切りは必要なのだよ。だからこそ、死は訪れる。誰の上にもな。」
不老不死は害。
彰は、なぜかそれが頭に残って、そうして祖父と、そこで何を話すでもなく座っていたのだった。
健一郎は、それから曾孫たちに囲まれて、幸福そうに生きていたが食が進まずに、段々に衰弱していた。
彰が処方する薬や、栄養剤などを点滴して何とか持ちこたえていたが、体はやせ細り、何かあれば大変な事になると案じていたのだが、年が明けてしばらく、インフルエンザにかかって、あっさりと肺炎で亡くなってしまった。
彰の誕生日、直前のことだった。
悲しみ沈み込む彰とは違い、健一郎の表情はとても穏やかで、幸福そうなものだった。
健一郎の遺言は、弁護士に託されていて、全てを彰に相続させる、と書いてあった。
杏美の居場所は分からないのもあったが、これも弁護士の手元に生前贈与されたものが相続の全てで後は放棄する、という書類が残っていて、そもそも権利がない。
ただ、まだ未成年だが樹が居るので、彰は樹にも前回通り一部を相続させることにして、そう手続きを済ませた。
…だが、悲しんでばかりもいられない。
まだ、ステファンが居るのだ。
ステファンの癌がステージⅣで見つかって半年で亡くなったのは、彰が28歳の時。
普通に考えて、発症するのが2、3年前だとしても、25歳にはここを発たねばならない。
そもそも、前回はアメリカでメディカルスクールを出た後、すぐにヨーロッパへと移ってあちらの大学を点々とした。
その後、ステファンが居るドイツの大学に落ち着いて、ステファンを看取った後、ずっとオファーがあったあの、研究所へと向かったのだ。
自分は今、24歳になったが、まだ末っ子の葵が1歳にもなっていない。
来年でもまだ2歳で、紫貴は葵を置いて行くのを嫌がるだろうし、子達を全て連れてドイツへ向かうしかないのだろうか。
クリスは、彰からの求めに応じて祖母の主治医としてここへ来てから、祖父の主治医も務めてその祖父も亡くなり、今は紫貴や子達の健康を見ながら、彰の助手として励んでくれていた。
研究所へ行かなくていいのかと聞いたが、記憶はあるし、これからは彰と共に行動したいと言うので、今はクリスの手伝いが有難い。
恐らく、ドイツへ行くと言えば一緒に来ると言うだろうし、クリスも手伝ってくれるだろうから5人の子達を連れて行っても何とかなりそうな気はした。
ただ、来年には百乃が小学校に入学だ。
英語は話せるが、ドイツ語は教えていない。
これは、皆に今からドイツ語講座をするべきなのだろうか。
彰が悩んでいると、クリスがふと顔を上げて、言った。
「ジョン。ここの数値の予想なんですが…」と、彰が考え込んでいるのを見て、続けた。「…何かありましたか。」
彰は、ため息をついた。
「…来年には、いくら遅くても再来年には、ドイツへ行かねばならないのだ。その際、君はどうする?」
クリスは、間髪入れずに答えた。
「一緒に行きます。同じ大学に私も行けば、手助けできますしね。」
彰は、頷いた。
「そうしてもらえたら助かる。何しろ、子達をどうしたものかと悩んでいるのだ。紫貴だけは絶対に一緒に連れて行くつもりだが、紫貴は恐らく、子達を置いて行くとは言わないだろう。なので、どうあっても一緒に行きたいのだが、手が足りない。間下も今は会社を任せているし、世話係は別に雇うとして基本的に一緒に面倒を見てくれる人員が欲しかったのだ。すまないが、子育てを手伝ってくれないか。」
クリスは、彰から子育てを手伝ってくれと言われる時が来るとは思わなかったが、今だって手が回らない時はクリスも一緒になって子達の話し相手になったりしながら世話をしているので、今更だった。
「良いですよ。私は結婚もしてないし、子供も居ない。今はどこへでも行けますから。」
彰は、え、とクリスを見た。
「…君には、そろそろ家族が出来る頃だったのでは?」
言われてみたらそうだったのだ。
クリスは、30の時に結婚していて、32の頃に第一子が生まれていたはずだった。
後で聞いたので、知っているのだ。
クリスは、苦笑して首を振った。
「私は、今回23の時に研究所へ入所して、前回の事を思い出して。それからあなたがどこに居るのかと本当に探していました。今回は、あなたと研究に没頭して過ごそうと思いました。なぜなら、前回は家族の事も、退職してからやっと省みて、それまで放置でしたから。最後には、後悔する失い方をしましたし。もう、あんなことはやめようと思いました。研究だけに没頭した一生で良いかと思ったのですよ。あなたがあの研究所へ帰る時、私も一緒に帰ります。」
彰は、それがクリスの選択ならばと頷いたが、複雑だった。
今回は、自分は家族に恵まれてそれなりに幸せだ。
まだ小さいので手が掛かるし何をするにも大騒ぎだが、それでも知らなかった忙しさで、楽しいと感じていた。
紫貴も傍に居て自分を愛してくれているし、何より毎日穏やかな気持ちで過ごすことができる。
今回は虐待も受けていないし中途半端に女性に手を出したりもしなかったので、SPが居なくても平和に過ごすことができていた。
何が正解など、本人にしか分からないものなのだろう。
やり直すことができたらと、誰しも思うものだが、自分達にはその機会が与えられているのだ。
彰は、言った。
「…君には君の選択があるし、私もそれには口出しはしない。共に来ると言うのならそれも良いだろうし、私も君が居た方が研究が進むので助かるのだ。それで、ドイツへ渡る件だが。紫貴とも話し合うが、恐らく来年か再来年。来年には百乃が小学校に入学する予定なので、学校があちらになった方がいいのなら、早めに渡ることも考えている。だが、ドイツ語なのだ。」
クリスは、ため息をついた。
「英語は皆完璧ですが、確かにドイツ語には触れていませんね。今朝も全員で衛星放送のBBCニュースを見ていましたよ。本当に子供かと思うぐらい、食い入るように黙って。」
5歳、4歳、3歳、2歳、6カ月の子供が、並んでじっとニュース番組を見ている姿はさすがに異様だった。
一番下の葵はさすがに何も話さないが、最近他の4人の英語がアナウンサーのようになって来たのはそのためだろうと思われた。
「それに加えて、ドイツ語も聞かせておくか。」彰は、考え込むように言った。「恐らく、あれらなら1年も掛からず理解が追い付いて話し始めるだろう。辞書を暗記させよう。私もそれから始めたのだ。」
辞書を丸暗記?
クリスは、顔をしかめた。
「さすがに辞書を丸暗記は…知らない言葉もあるでしょうし。」
彰は、眉を上げた。
「え?百乃と宗太は広辞苑を粗方暗記しているが。」
そうだった、普通の子達ではないのだった。
クリスは、ため息をついた。
「分かりました。では、とにかく少しずつ始めておきましょう。あちらへ行って、困るのはかわいそうですからね。」
彰は、頷いた。
「そうしよう。仮に連れて行かないとしても、知っておいて無駄になることはあるまい。」
クリスは頷いたが、紫貴が子達を置いて行くとは言わなさそうなので、絶対連れて行くことになるだろうなと思っていたのだった。
彰が、子達にドイツ語を教え始めたので、紫貴は怪訝に思っていた。
子達は、新しい言語に目を輝かせていたが、習得が一番速いのは、まだ2歳の新のようだった。
彰の質問に、真っ先に答えて反応するのが新だったからだ。
小さいので発音はたどたどしいのだが、愛らしい様で全員が楽しく、新しい遊びでも見つけたように、毎日励んでいた。
紫貴は、そんな彰に、言った。
「彰さん、お聞きしたいのですけれど。子達にドイツ語を教えているのは、単に興味からではありませんわね?」
彰は、バレたか、と頷いた。
「前から言っているように、ステファンの容態を確認して祖父と同じように治療させ、治したいと思っているのだ。なので、来年か、遅くとも再来年にはあちらへ行かねばならない。あちらの学校へ行くにはやはり、ドイツ語ができねばつらいだろうし、行く前に教えておこうと思って。」
紫貴は、やはり、と葵を抱いたまま、詰め寄った。
「海外でこの人数の子達を問題なく過ごさせるのは、難しいと思いますわ。あちらを飛び立つ時に、ボストンの空港で穂波が連れ去られそうになったのは、まだ記憶に新しいです。私は、せめて自分の身を自分で守れるようになってから、また海外へ行くべきだと思っています。子達を連れて行くのは反対ですわ。」
彰は、やはりそうかと、言った。
「だが、子達が来なければ紫貴も来ないと言うだろう?私に一人で行けと言うのか。恐らく2、3年は帰って来られないのだぞ。」
紫貴は、言った。
「それは、確かに一人や二人の子達なら、私もこんなことは申しませんわ。5人なのですよ。しかも、皆年子で一番上の百乃でも、来年は6歳です。私一人で皆を見守るのは難しいです。空港でも、一瞬目を離した隙でありましたでしょう。子達を無用な危険の中に置きたくありません。私には、英語しかできませんし、ドイツで満足に皆を見てやれるとは思えないし、家族のためを思えば、そして彰さんがどうしてもドイツへ行きたいのなら、前回と同じようにお一人で行くべきではないでしょうか。子達を私達の生き方に、巻き込むことはできません。」
彰は、頭を殴られたような気がした。
そうなのだ、子達は自分がやりたいことに、巻き込まれることになるのだ。
紫貴を連れて行きたいばかりに、子達も連れて行かねば仕方がないという考えだった。
子達のために、あちらで何かを学ばせたいから連れて行くというわけではない。
仕事で、仕方がないから渡独するのでもない。
ここに居れば祖父が残した財産で、安全に豊かに生活できるのに、わざわざ自分がステファンを助けたいだけに、あちらへ全員連れて行くと言っているのだ。
紫貴が、怒っても仕方が無かった。
「…すまない、確かに君の言う通り、私は自分の都合で子達をあちらへ連れて行こうとしていた。君が、子達を置いてはついて来ないと思ったからだ。だが…君が言うように、ドイツにこれらを連れて来て、安全に見守るには数が多い。」
紫貴は、頷く。
慣れない異国の地で、この人数の幼い子達を、旅行であっても危ないだろうに、生活するなど大変だ。
しかも、母親が英語しか分からないのだ。
とはいえ、もうそろそろステファンと出会って、その研究室で研究に勤しみ始める時期。
今この時は、ステファンは自分のことなど知らず、自分を案じるようなことを日記に書く事も無く…。
彰は、そこまで考えた時、ハッとした。
そうだ、ステファンが自分を案じていたのは、自分が孤独だったからだ。
他の全てを拒絶するような雰囲気で、研究以外は排他的に生きていた、その生き方を心配していた。
だが、今の彰はどうだろう。
18歳で結婚し、次々に子を成して、今では5人もの子供の親になった。
紫貴を愛していて、全く孤独ではない。
こんな自分を、ステファンはどう思うのだろうか。
「…彰さん?」
紫貴が、怪訝な顔をする。
彰は、紫貴を見た。
「紫貴。私は…もしかしたら、もうステファンとは親しくなれないのかもしれない。」
紫貴は、驚いた顔をした。
「え?どういうことですの?同じ研究室で居た、恩人だと仰っていたのではありませんか。」
彰は、首を振った。
「確かにそうだが、ステファンは独りを好む男で。他の干渉を拒絶する人だった。同じような私に、共感したのか何なのか、あれこれ世話をしていろいろ連れて行ってくれたのだ。そうでなければ、彼は私をあれほど面倒見なかっただろう。後に日記を読んで知ったが、ステファンは私に、自分を見ていたらしい。他を排除して研究だけに生きていて、結局何も残らなかった自分の、若い頃にそっくりだったからのようだ。それは間違っているのだと、まるで自分の息子のように思ってくれていたらしい。なので、最後まで私を案じてくれていたのだ。今の私は…決して、孤独ではない。何も残さなかった最期にはならない…私には、5人の子達が居る。」
紫貴は、そうだった、と口を押えた。
同じような境遇の彰に、自分を見て放って置けなかっただけで、本来ステファンは人見知りで研究ばかりで、人に興味など示さなかったと聞いている。
ならば、今の彰を見て、ステファンが話を聞いてくれるのだろうか。
紫貴が思っているのと同じように、彰も思ったようで、知った事実に愕然としていた。
…何かを得れば、何かを失う。
彰は、その言葉を今、痛感していた。
自分はドイツでのあの生活を、家族を持ったことで失ったのかもしれない。
あまりのショックにしばらく茫然としていた彰だったが、紫貴に促されて、ソファに座って考えに沈んだのだった。




