カーナビでラジオを聞いてたらダサ子が出て来ようとするんだが……
俺は荒神雄一郎31歳。長距離トラックのドライバーをやっている。
主に走るのは夜間だ。深夜の高速道路はトラックばかりでぎっしりだ。夜間割引を早く廃止してほしいぜ。
深夜に高速道路を走っていると、その単調さに眠たくなって来る。それを防止するために俺は音が欲しくなる。
いつもはUSBメモリに入れたお気に入りの音楽をかけるのだが、その日はなんだか音楽よりも、人の話し声が聞きたい気分だった。
「ラジオでも聞くか」
リモコンでカーナビを操作し、AMのラジオをつけた。
ちょうど金曜日だった。お気に入りの伊集院煩がパーソナリティーを務める日だ。
「おっ。ちょうどよかったな」
彼がリスナーからの手紙を読み上げ、それにツッコんだり共感コメントを言ったりする。それがいつも俺のツボにハマるのだ。
「今度、俺も投稿してみようかな」
そんな独り言を呟いていると、トンネルに差し掛かった。
ラジオの音声が途切れる。
ガーガーピーピーと雑音だけが煩くトラックの車内に響く。
「……ラジオはこれがあるからなぁ」
特にここの高速道路は山あいを走っているので、トンネル内でないところでも電波が入りにくくなることが多かった。
連続して山の中を通っているので、トンネルがかなり長い。長いところでは5分ぐらいずっとトンネルの中だ。
「ガーガーピ……ってやる……」
なんだかノイズの中に女の声が混じり始めた。
「ザーザーピ……呪ってやるうぅぅうぐ……」
だんだんとはっきり聞こえはじめる。
「誰かいるのか?」
俺は眠気覚ましに聞いてやった。
ナビ画面の中に、長い黒髪を前に垂らした女が立っていた。
背景はどこかの林の中で、古い井戸が映っている。女はそこから出て来たようだ。だんだんと近づいて来る。
白い着物から出した両手を前にぶらんと下げて、恨めしげに、そいつは言った。
「ダ〜サ〜子ぉ〜……」
「ダサ子っていうのか」
俺は思わず笑っちまった。
「ダッセー名前!」
「ころす」
ダサ子は呪いを込めてそう呟くと急接近し、ナビ画面に頭頂部を突っ込んで来た。
「ころすコロスころスコロすぅぅぅう!」
「おいおい……」
俺は心配して言ってやった。
「そんな狭いとこから出て来られるのかよ?」
俺のつけているカーナビは小型のやつだ。スマホぐらいの大きさだ。とても人間大のものが出て来られるような穴ではない。
「むんぐ!」
ダサ子が気合いを入れた声を出す。
しかしやっぱり無理なようだ。頭の形がひしゃげてる。
こんなのどう考えても無理だ。郵便受けから部屋の中へ入って来ようとするようなものだ。
「無理すんなって。お帰りよ」
優しく声を掛けてやると、かえってムキになったようだった。
「ふんっ! ふんっ!」
頑張って、頑張って、遂に首までがナビの中から出て来た。
「ここからが……ここからがぁああ〜……」
「うんうん。そこからは肩の関節でも外さねーと無理だよね? あ、幽霊だから骨とかないのか、もしかして?」
「うらめしや、うらめしや」
ダサ子はぐいっぐい出て来ようとしながら、泣き出した。
「しくしくしくしく……こ、ころしてやるぅ〜……」
「誰をだ? 俺をか?」
「……ます助さん」
「ます助? 俺は雄一郎だぜ? 人違いだな」
「誰でもいい〜……こ、ころしたいぃひぃ〜……」
ます助とかいう野郎に何されたのかな。知らんがよっぽど嫌な目にあわされて幽霊になっちまったんだろう。そう思うと可哀想になって来た。
「手、貸そう。ほらよ」
俺はダサ子の顎の下に手を入れて、力強く引っ張ってみた。
「うわぁ……。ぎっちりハマってんな。これは難しいかもだぞ」
「出て来る場所を……出て来る場所をををぉ〜……」
「ああ。間違えたんだよな? 誰にでもあることだ。あるあるだよ。気にすんな。頑張れ」
「ふぅうーんっ! うっ、うっ! はひひぃ〜〜イ……」
「泣くな、泣くな。畜生、運転中じゃなきゃ、ドライバーでバラしてやるとこなんだが……」
「うわああーんっ」
ダサ子は子供のような声で泣くと、ちっちゃくなった。
「おお!」
俺は思わず喜んだ。
「そんなことが出来るのか! なら早くやっとけとも言いたいが……、これで出してやれるぞ!」
ダサ子の左手が、小型のナビ画面から、にゅるんと出て来た。
俺はそれをしっかり握ると、引っ張ってやった。
するんと、抜けた。
「キャハ!」
子供みたいな笑い声を上げながら、ダサ子が俺の膝の上に乗っている。
膝の上がびしょ濡れだ。あったかいならいいが、こう冷たいと……。いや、夏だから、涼しくなっていいか。
「ありがとう、ありがとう」
ダサ子が紫色の唇で何度も俺のほっぺに接吻して来る。
「こらこら」
俺は叱った。
「前が見えないだろ。わかったから、わかったから」
「きゃっ、きゃっ♪」
長い黒髪で隠れていた顔が、今は露わになっている。
蝋のように白い顔に、大きな眼球がぐりんぐりん動いている。結構かわいい。
人間の女とは違う、なんていうかペットのようなかわいさだ。エキゾチックショートヘアー猫にちょっと似てる。
大人の女性かと思っていたが、こうして見るとまだ少女だな。15歳ぐらいだろうか。
「ちゅきちゅき」
そう言いながらしつこく頬に接吻して来る。
懐かれちまったな……。
ま、いっか。
ます助って野郎にどんなことをされたのか、聞きたかったが、ダサ子に悲しいことを思い出させるのが嫌で、俺はただ彼女のことを褒めた。
「よかったよ、たまにはラジオをつけてみるもんだな。お前みたいなかわいい幽霊と出会えて、本当にラッキーだったわ」
そして濡れた黒髪をぱしゃぱしゃ撫で、励ました。
「どんな悲しい過去があったか知らねぇが、俺がお前を愛してやる。すべて忘れさせてやるから、ここにいろ。いてくれ」
トラックの中に一人でいるのは気楽でいいが、寂しくなってしまうこともよくあった。ダサ子がいてくれれば、これからは楽しいだろう。面倒臭い人間なんかより、よっぽど俺はダサ子に側にいてほしかった。
あ……。でも、あんまり親しくなっちまうと、喧嘩することも、ダサ子を俺が傷つけちまうこともあるだろうし、そうしたら、今度は俺がます助さんみたいに恨まれることになっちまうのかな……。
まぁ、いいや。その時はその時だ。
「一緒にいてくれ、ダサ子」
そう言いながら、濡れた長い髪をぺしょりとまた撫でようとした。
しかしそこにダサ子の頭は、なかった。
「あっ!?」
さっきまで膝の上にいたダサ子が、いなくなっていた。忽然と……。ただ一言、すぐ耳元で、冷たい息とともに、最後に小さな声が聞こえた。
「ありがとう」
「おい!?」
見回したが、ダサ子はもうどこにもいない。
「成仏しちまったのか……?」
天井のほうからじわじわと、哀しさが降りて来た。
これから深夜にトラックを一人で運転していても、楽しくなると思ったのに。ダサ子のことも色々楽しませてやって、かわいい笑顔が見られると思っていたのに……。
「まぁ……いいか」
すぐに気持ちを切り替えた。ダサ子は幸せになったのだと思うことにした。俺は寂しいが、ダサ子が幸せになったのなら、それが一番だ。
トンネルを抜けると朝が近づいていた。
雨上がりの路面に水銀灯の光が映り、ぽつぽつという音を立てるように滲みながら、ひとつずつ、俺の後ろへと消えて行った。