猫じい
もうリタイヤ生活五年目。もしかして、残りの人生が限られているとしても俺には分かりようもないから焦りようもない。ただ、今現在は毎日が暇ではない俺。嫁の口癖は、「私たちには時間が腐るほどあるから」
果たしてそうだろうか、人間、日常がいつ非日常に変わるか分からない。だから、何でもない毎日でもこうしてこの世に存在していられることを、爺ながら神に感謝!
俺にはやらねばならない一日のルーティンがある。エボリューションとハスラーの外装の磨きだ。雨が降って止めば、拭き取る。その日の内に再び降って止めば、また拭き取る。晴れて車が濡れてなくてもクロスで埃を拭き取る。兎に角、外装が汚れた状態、濡れた状態に我慢ならない。それと監視だ。良からぬ奴がこの住宅街に入ってきて良からぬことをやらないとも限らない。
俺は暇ではないと前述したのはこういう理由だ。監視カメラを付ければ金が掛かるが、昼から夕方に掛けてならハスラーの中に籠る俺が監視カメラの役割を担える。
俺は朝と夜必ず体重を計る。朝飯兼昼飯を10時前後に食ったあとは、夜計るまで、朝の数値に戻ることを祈って大小便を排出する。そのためには昼寝したらまずいことを学習した。去年は飯を食ったあとよく昼寝した。寝ると小便の感覚が薄れる。結果、体重が全く減っておらず、晩飯抜きとか今までざらにあった。それを防止するためにも飯を食ったあとはハスラーの中に籠る。
住宅街の猫たちの動向に注意がいくようになったのもハスラーに籠っていたお蔭だ。で、最初に目を付けたのが斜め前の婆さんの庭で大人しく餌をくれるのを待っていた茶々丸とだんごとゆきなだ。
俺は七年前まで家で飼っていて猫を全匹疥癬で死なせた。それもあって野良猫に餌をやるなんて考えなかったが、茶々丸とたんごのかわいさに、餌で釣ってでも撫でてやりたいと思った次第だ。その内、俺の家の三軒先で生まれたのであろう四匹、アニキ、ステファニー、アムアム、イモコも寄って来るようになって、ステファニーにいたっては抱けるくらいに慣れた。
最初に与えた餌は300円前後の煮干しと鰹節、その後、500円前後のカリカリ餌と198円の猫缶を与えるようになった。婆さんがやっているなら俺も、の論理だった。
俺はブログにアメンバー限定の「体重管理」という記事を付けている。最初は朝・晩の体重と何を食ったかを書き込んでいたが、その内、その日の出来事を簡単に記すようになった。この体重管理に女の子三人のことも何となく書いていたが、もう出会って二ヵ月過ぎた。もうちょっと詳細に残しておこうかと、交わした会話も記すようになった。
今時のかわいらしい12歳の女の子三人の生態、結構貴重ではないかと考えるようになった俺、爺と住宅街の猫とかわいい女の子の交流日記を、「小説家になろう」に永久保存しておくことにした。
俺、小学校六年生の女の子三人から猫じいと呼ばれている。
三人の中で一番近くに住んでいるあいかちゃんから、「ねぇ何て呼んだらいい?」と訊かれたから、「普通においちゃんでええやないか」と、爺という呼び方を回避するように誘導する俺に、すかさず、「猫爺ってどう?」と提案してきた。うへっ!さすが現代っ子。
「猫爺とか俺めっちゃじじいのようやないか!」と儚い抵抗を試みたが、無駄だった。俺の気持ちなどお構い無しに、あいかちゃん、このとき居なかった二人にも、「猫爺に決まったよ」げな。悲惨!
『くそっ!もう受け入れるしかないか』って、考えてみれば60台のおやじなんて、11歳の女の子から見たら紛れもない爺さんだろう。いくら世間的には高齢者の定義が65歳以上だったとしても。
仕方ない、受け入れるとするか。でもちょっと納得できない部分もあってネットで検索してみたら二件ヒットした。
――何じゃ!ちゃんとこの「猫爺」って言葉、世間に存在しとるやないか。
俺がこの小学校六年生三人と知り合ったのは2021年12月5日の日曜日。確かあの女の子たち、近頃時々見ていたような気もする。どこに住んでいるか分からなかったが、俺の家の玄関前の細道を向こうに行ったかなと思ったら戻って来ていた。『何しよん?』ってな感じだった。
翌日が息子の公休日、その前日は帰りが早い。俺が日課の猫の餌やりの最中に帰って来た。数匹の猫を集めて餌をやっている俺を、女の子二人が羨望の眼差しで見ている。俺は堪らず声を掛けてやった、「どう?触りたい?」
女の子二人、嬉々として、「うん触りたい!」
ならと、俺はドチビ、女の子たちがステファニーと呼んでいるキジトラを抱いて近寄ったが、ドチビ、異様に暴れて逃げた。避けられてがっかりしている女の子二人、「どうしたら懐いてくれるの?」と訊くから、「まぁ1か月くらい俺の代わりに餌やりしたら懐くんやない」
「うんやったら毎日来るよ、いい?」
「おう!いいでぇ」
住宅街の猫をざっと紹介すると、俺の家の斜め前に住んでいる婆さん専属のような日常を送っている白毛の入った二匹の茶トラ。一匹は長いしっぽが真っ直ぐ(女の子がつけた名前は最初は「茶々丸」でのち「握り丸」)で、もう一匹は長いかぎしっぽだ(女の子がつけた名前は最初は「団子」、きよのちゃんが顔を引っ掛かれて怒って「肉団子」に変更)。三匹目が、婆さんがくれる餌をいつも茶トラ二匹に独占されているメスのサバトラ(女の子がつけた名前はユキナ)。印象深いのは婆さんが餌をくれるのをじっと大人しくいつまでも縁側で待っている姿。ただこのメスのサバトラ、気が強く、茶トラの真っ直ぐしっぽを下に敷いている。
四匹目は、五匹の子猫の内の一匹、メスのサバトラが産んだか他のキジトラのメスが産んだかは分からないが、俺によく懐いている。俺がドチビと呼んでいるキジトラ(女の子がつけた名前はステファニー)。五匹目は餌を食うとき声を出す、種類は分からないが、サビ猫に近いのか(女の子がつけ名前はアムアム)。六匹目はドチビと良く似ているが、若干小さくしっぼが真っ直ぐなキジトラ(女の子がつけた名前はイモコ)。七匹目はこれもサビ猫に近いか、五匹の子猫の内身体が一番大きい(女の子がつけた名前はアニウエ)。八匹目はクロネコの子猫(女の子がつけ名前はクロコ)。九匹目はクロネコの成猫(女の子がつけた名前はクロ)。十匹目はもしかしたら疥癬に罹患しているかもしれない白毛とキジトラが混ざっている成猫(女の子が付けた名前はシロ)。11匹目がキジトラの成猫だ(女の子がつけた名前はシンイリ)。そして最後の十二匹目がキジトラのオスで顔が異常にデカいが右前足をケガしていてぶらぶらさせている。俺はボスと呼んでいる(女の子もボスと名付けた)。しっぽがまっ過ぎな茶トラの茶々丸が異常に反応するから、やってきたのが直ぐに分かる。