32 淑女の秘密は永遠に
誇らしげに腕を組む脂肪がMPの最強魔法使いにの前に、傷ついた体で歩み寄った騎士たちが跪いた。一番前にいるのは、なんと王太子のアーヴァインだ。目を伏せ、敬服したその姿には、出会いの晩餐会での不遜な態度はない。言葉を発することなく、ただただアリスティアの足下に控えることを喜びとしている。
アーヴァインの背後に立つグレゴリオが、声を震わせた。
「おぉ……アリスティア……何という魔法の力だ……。そなたが……魔法を使うために太っていたとは……。もっと早く気づいておれば……」
アリスティアのほっそりとした顔に、丸々と太っていたときの面影が浮かぶ。満面の笑みに変わりはない。
「よいのです、お父様、私が隠していたことですから。魔法使いにとってMPの残量を知られることは、戦いの駆け引きにおいて致命的。怠惰で太っていると思われた方が、都合がよかったのです」
「何という覚悟……これまで、辛く当たってすまなかった……」
うな垂れるグレゴリオと同様に、跪く騎士たちも肩を落とした。
「だが、これからは違うぞ! お前が太っていることをとがめる者は、もうこの地におらぬ! お前の秘密も必ず守らせよう! 漏らした者の命はないと思え! よいな、皆の者!」
ははーっ! と騎士たちが声を揃えた。アーヴァインも頷く。
「いえ、それには及びませんわ、お父様」
「……どうしてだ?」
「皆様には、今夜のことをきれいさっぱり忘れていただきますから」
「なん……だと?」
エリスティアが、そっと最後のドーナツをアリスティアに差し出した。
「んぐんぐ……」
エリスのドーナツは何個食べてもおいしい。
「ポールソン……いつからの記憶を消せばいい?」
食べながら喋るなどと行儀が悪い、と騎士の誰もが思ったが、目を背ける者はいない。それより、記憶を消す……とは?
老紳士が燕尾服の懐から懐中時計を出して、時間を確かめた。
「アーヴァイン殿下が“軍神の威光”の秘密を吐露される前がよろしいので、半刻前からが適切かと」
ごくんと、アリスティアの喉が鳴った。
「わかった。MPも補給したし、エリスとポールソン以外の記憶を消しちゃうね」
「御意に」
「あとはお任せ下さい、お姉さま」
エリスティアがドレスの裾をつまみ、美しいカーテシーを見せた。
はっとして、アーヴァインが勢いよく身を起こすのと、グレゴリオがすがるように歩を詰めたのは同時だった。
「待ってくれ、アリスティア姫! 我が記憶を消さないでくれ! 俺はそなたを……」
「アリスティア! なぜワシの記憶まで消すのだ! ワシは父であるぞ!」
長いまつげを携える美少女が、ピンクブロンドのツインテールを揺らして小首を傾げた。
「お父様は――隠し事が出来ないから、秘密を知らない方が良いのです」
「な、なんと……」
鎧に身を包んだ巨体が、がっくりと膝をついた。
「確かに……ワシは計略に向かぬ性格……。そなたの言う通りだ……」
「アーヴァイン殿下――」
「なんだ?」
視線を向けたアリスティアの瞳は美しく、碧い輝きに吸い込まれそうになる。
「アーヴァイン殿下が立派な方であることを、私は知りました。次にお会いするときは、陰より支えさせていただきます。――たとえ、殿下の振る舞いが元に戻っても」
微笑む姫のなんと美しいことか――いや、太っていた時も、アリスティア姫の美しさは変わらない。淑女として求められる見た目など、ただの上辺だけではないか。
「アリスティア姫……誓おう。何度でもそなたに恋をすると。俺は……必ずそなたに想いを打ち明ける!」
あっ! エリスティアが息を飲んだ。その不意打ちはズルい――。おそるおそる歩み寄り横顔を覗くと、敬愛する姉は耳まで真っ赤になっていた。
(……お姉さまは、恋に免疫がなさ過ぎる)
やれやれとため息を吐いて、そっと耳元でささやいた。
「お姉さま、そろそろ幕引きを」
「ん……そうね。じゃあ――」
魔法を唱えようと両手を天にかざすアリスティアを見て、グレゴリオが何かを察した。まさか――。
「ま、待て、アリスティア! この数年、不可解なことがある! 魔物の群れに囲まれていたはずが、気づくと全て倒しておったり、街を焼く大火が一瞬で消えたり、それはまさか……」
アリスティアは返事の代わりに、またニッコリと笑って見せた。
「何ということだ……街を護ってきたのは、ワシではなくそなただったのか……」
「いいえ、お父様はこの辺境を率いるに相応しい、強いお方です。私は、少し手助けしただけ」
「アリスティア……」
「では、いつもの日常でお会いしましょう」
ほっそりとした桜色の唇が高らかに告げた。
「【記憶消去】!」
しなやかな指先から発せられた光が辺りを包み、真っ白く塗りつぶした。まるで全てをかき消すかのように――。
次回更新は、明日3/23(日)に引き続き『脂肪がMPの無敵お嬢さまは、美少女なのにちっともモテない!』をアップ予定です。
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