03 ドーナツが起こした奇跡
アリスティアは、エリスティアを連れて魔法の特訓を始めた。中庭で燭台に【ファイア】を唱えては倒れ、部屋で水差しに【ウォーター】を唱えては倒れ、その度にエリスティアは甲斐甲斐しく介抱した。
そんな日々が3ヶ月ほど過ぎたある日――。
「アリスティア様、エリスティア様、本日のティータイムは、近くの湖で取られるのはいかがでしょう? 街でドーナツを買って参りました」
執事長のポールソンの申し出に、2人の姉妹の声が揃って上ずった。
「ドーナツ!? 賛成~っ!」
異世界から迷い込んできた転生人が伝えたと言われるドーナツは、そのとびきりの甘さから庶民のおやつとして定着していた。ただし、手づかみで大口を開ける習慣がない貴族からは、はしたないと敬遠されてもいた。
「奥様にはナイショですよ」
ポールソンの白い口ひげが、悪戯っぽく揺れた。
◆ ◆ ◆
オーキンの城はうっそうとした森の入口にあり、魔物討伐や、隣国との境を守る拠点を兼ねている。
彼方の山まで続く森の奥には、数多くの魔物が潜み、定期的な討伐が必要だった。
とはいえ、城のそばにある湖は開けていて見通しが良く、滅多に魔物が姿を現すことはない。
「いただきまーす!」
湖のほとりのガーデンテーブルで、アリスティアとエリスティアは大きな口を開けてドーナツにかぶりついた。
んぐんぐんぐんぐ……
「おいしーっ!」
口いっぱいに広がる甘さに、声を揃えて大喜び。口の周りも、両手の指も、フルーツグレーズやチョコレートでベットリだが、気にせず頬張っていく。
(旦那様と奥様には、見せられぬ姿ですな)
人目のない湖に連れ出したのは、ポールソンのいつもの配慮だった。おかげで2人は礼儀作法を気にせずドーナツを頬張ることが出来る。
(ドーナツはナイフとフォークで食べるより、手づかみの方が断然おいしいですからな)
用意した6つのドーナツが、あっという間になくなっていく。
「お姉さま、はやーい! もう4つ目」
「だって、おいしいんだもの」
2人に厳しい淑女教育を施しているポールソンだが、年相応の笑顔を前にすると、好々爺のように目尻が下がった。
「むっ!」
そんな表情が一変した。ガサリと、草むらが不審な音を立てたのだ。
ポールソンが身構えると、茂みの奥から鋭い牙を剥き出しにした狼の魔物が現れた。肩から胴体にかけて刀傷があり、血を垂らしている。
「グレイウルフ! 先日の討伐を逃れたのか!」
ポールソンは上着を脱ぐと、グルグルと左腕に巻いた。
(手負いとは厄介な……。威嚇しても退くことはあるまい)
毅然とグレイウルフに歩みを進めるポールソンに、アリスティアが悲鳴に近い声を上げた。
「ポールソン!」
「ご心配には及びません。片付けて参ります」
エリスティアの体が小刻みに震えていた。その小さな体を、アリスティアの細い腕がそっと抱いた。
「お、お姉さま……」
「大丈夫、ポールソンは強いんだから」
そう――この老執事は引退した名家の元騎士であり、グレゴリオがその腕と品位を見込んで雇い入れたのだった。
グレイウルフが、上着を巻かれた左腕を警戒して右に回り込もうとする。そうはさせまいと、ポールソンは上着を正面に向けた。
グアァッ!
手負いのグレイウルフがじれて、飛びかかった。ポールソンはすかさず左腕を鼻面に突き出し、噛みつかせる。
「むぅ……」
牙が食い込んだ上着から血が滴った。
「ポールソン!」
アリスティアが叫んだ。
「ハアァァアァッ!」
右の手刀がグレイウルフの首に叩き込まれた。己の牙によって頭部が固定されたグレイウルフは、のけ反るように首が折れ曲がり、あっけなくその身を横たえた。
「やれやれ、お気に入りのスーツが台無しですな」
片膝をつき、グレイウルフが息絶えたことを確認すると、ポールソンはベットリと血のついた上着を引き剥がした。牙の痕から、ドクドクと血が流れ出ている。
「ポールソン!」
駆け寄ったアリスティアの血の気が引いた。
「エリス、見ちゃダメ! 下がってなさい」
「けど、ポールソンの腕が……」
老執事の額に汗がにじむ。
「ご心配には及びません。屋敷で治療すれば大丈夫です」
「指は……動く?」
「む……」
ポールソンの指先は震えるばかりだ。
「お父さまがおっしゃってた。手首の筋が切れると指が動かなくなるって」
「博識でございますな、アリスティア様は」
エリスティアの小さな指が、アリスティアの腕を取った。
「そんな……ポールソンの指、動かなくなっちゃうの?」
「問題ございません。ティーなら右腕だけでいれられますので」
紳士らしい、穏やかな笑みだった。
「…………」
アリスティアの唇が、きゅっと結ばれた。
なんて歯がゆいんだろう。治す魔法を知ってるのに、使えない。今こそ、使うべき時だというのに。
アリスティアは、天に向かって叫んだ。
「MPがないなら、命を持っていけばいい! ポールソンの腕を治して!」
両手を傷口にかざした。
「ヒーーーーール!」
……何も変化は起きない。いつものことだ……。知識はあっても使えないのであれば、ただの宝の持ち腐れ……。
うつむくアリスティアの体に変化が起こった。内にある何かが両腕の先に集まり、手のひらが暖かくなっていく。そして――
金色の輝きが吹き出した。
「えっ!?」
アリスティアの戸惑いをよそに、輝きはポールソンの裂けた傷口をふさいでいく。
「これは……回復魔法……」
ポールソンが言葉を失った。これほど強い光は、神殿の治癒師でも見たことがない。
やがて光が収まると、腕の傷はすっかり元通りになっていた。腕を振り、指を握って開いてみるがなんともない。
「何て事だ……完全に治っている……」
「お姉さますごい!」
どたーーん!
しがみついたエリスティアを受け止めきれず、アリスティアが大の字に倒れた。
「お姉さま!?」
「アリスティア様!」
全身に力が入らない。へこんだお腹が「ぐ~っ」と恥ずかしい音を立てた。
「お腹……減ったぁ……」
きょとんとしたエリスティアが、クスクスと小鳥のように笑った。
「もう、お姉さまったら、さっき4つも食べたのに」
ドーナツ1つがおおよそ350キロカロリーなので、4つで1400キロカロリー。多大なエネルギーを一気に摂取していたことが起こした奇跡だった。
カロリーとは、人が生きるために必要なエネルギー。アリスティアは、望み通り命となる力を削ってポールソンを助けたのだ。
次回更新は、2/17(木)に『転生少女の七変化 ~病弱だった少女が病床で作った最強7キャラで、異世界をちょっと良くする物語~』をアップ予定です。
https://ncode.syosetu.com/n2028go/
もしくは画面上の、作者:イリロウ のリンクから
どちらも読んでもらえるとうれしいです!
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