表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

秋祭り…はてさて如何とするべきか…

作者: 三河

コロナコロナのこのご時世。

神事祭礼の実施の是非に、悩まぬ関係者は居ない。


神事祭礼は人間の生活活動に必要不可欠な物ではない。

無ければ無いで生きていく事はできる。

しかし、『ハレの日』と言う言葉があるように、非日常を過ごす特別な日が人生を豊かにする。

何の変化も無い日常、『ケの日』を続けるつまらなさは多くの人が感じている事だろう。


『このご時世だから中止もやむを得ない』

何と甘美な言葉であろうか。

何と心惹かれる言葉であろうか。

心動かされない関係者は居るまい。

だが同時に本心のところは実に悩ましい。


簡単に人は言う。

『収束したらやれば良い』

だが、収束はいつなのか?

何をもって収束とするのか?


再開の時、技能は残っているのだろうか?

道具・器材は残っているのだろうか?

資金は大丈夫だろうか?

そして一番重要な、人の気概は残っているのだろうか?


人は二度死ぬと言う。

肉体が死んだ時と忘れられた時、人は死ぬのである。

ならば忘れられた氏神もまた、死ぬのではなかろうか?

詣る人も居らず、神事祭礼も行われず、忘れられる。

それはあまりにも寂しすぎよう。


小さな町の小さな神社の小さな小さな秋祭り。

百円玉を握りしめて団子を買う子供。

くじ引きに当たり、一等景品を掲げて嬉しそうなおばさん。

振る舞い酒に酔っ払い、担がれて帰るおじさん。

投げ餅の多寡を比べる兄弟。

二日酔いで練り歩く神輿。

鳴り響く号砲、耳を劈く爆竹の音、漂う硝煙の匂い。

小さいながらも賑やかで、「今年も良い祭りだなぁ」と笑い合う。

ほんの2年前まであった、そんな『ハレの日』を再び送れる日は来るのだろうか?


何とかしたいと思うのはエゴなのだろうか?

例年通りとは言わぬ、それでも何かしらを行いたいと思う。

しかし、何ができようか?

如何ともし難きこの現状、さてもさても悩ましく、ただ秋の日は過ぎて行く。

大事を取るならやらぬ方が良いのは百も承知。

百どころか千も万も承知。

何処も苦しい時期である。

おそらくこれを機に辞めてしまう町や村も多くあろう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ