私の加護は水を出せるだけ 溺愛版
チョロロロロ…。
「え?これは…」
私が渾身の願いを込めて出した物は、透明で澄んだ水だった。
◇◇◇◇
ルディア・グノース。グノース侯爵家に生まれて15年。宰相である父からはそれはもう溺愛されている。
母は私が幼い頃に儚くなり、父は男手ひとつで私を育てた。乳母のマーサや使用人達も私をデロデロに甘やかして今に至る。
幼い子供の頃、父から貰った絵本にはキラキラとした聖女様が勇者様と力を合わせ世界を救っていた。
「ねぇマーサ」
「何でしょう?ルディアお嬢様」
「この絵本の聖女様になったらお父様も嬉しいかな?」
「旦那様はルディアお嬢様が何になっても喜びますよ」
あの父であればきっとそうだろうなと思いつつも、子供心に聖女様になれば父はもっと喜んでくれるだろうなと勝手に思った。
今日は教会でステータスと生まれ持った加護の認定日。侯爵家の娘である私なら聖女なのではと期待を込めて今日に望んだ。
父と付き添いのマーサはいそいそと付いてきて、二人で盛り上がりながら、最近流行りの小型記録水晶で記録を撮っている。
何だかとっても恥ずかしい。
聖女であります様に。
心からの願いを込め司祭様と父とマーサが見守る中、魔力を練りあげ具現化する。
チョロロロロ…。
「え?これは…」
「水でございますね…」
緊張した空気が緩む。
「え?そんな…水?」
残念そうに私を見る司祭様と驚いた様子の父とマーサ。現れた加護はなんの変哲も無い、ただ水を生成するだけだった。そう水魔法でも無い、『水生成』が私の加護。
「も、もう一度試させて下さい」
「ど、どうぞ」
チョロロロロ。
「もう一度!」
「もう一度!」
痛ましそうに私を見る司祭様や父とマーサの顔がぐるぐるする。
結局、何度やっても水しか出せなかった。とうとう出し過ぎて魔力が枯渇してしまいその場に私は倒れこんでしまった。
「聞きまして?」
「ええ、本当に吃驚しましたわ」
あの日から2か月。今日は、貴族子女の一生に一度のデビュタント。そんな日に私は周りからヒソヒソと小声で囁かれている。
父は私が水しか出せなくてもステータスが過去最高だった事に喜んでくれた。
今日のデビュタントも、気にすることは何も無い堂々としていなさい、と言われた。
それでも侯爵家の娘が碌な加護も持っていないと楽しいのだろう。周りは私を見て小声で話している。
突然私の前に影が出来た。
ニヤニヤと嗤うアーノルド殿下が立っている。気をつけていたのに、いつの間に傍にきたのだろうか。
しかも父がいない時を見計らってくるあたりがとても厭らしい。
「ルディア。水しか出せなかったというのは本当か?」
「アーノルド殿下…はい、本当です」
「そうか。お前はこれら先喉が乾いても困る事が無くていいな。ハハハハハハッ!」
「そうですわね」
幼馴染で私の天敵アーノルド殿下に絡まれた。本当に最悪。
アーノルドの加護は火魔法だからだろう、あからさまに馬鹿にしてきた。
周囲は殿下の大声が聞こえた途端、我先にと嘲笑しはじめた。アーノルド殿下は昔から何かと突っかかってきて嫌になる。
騒ぎを聞きつけロベルト殿下がやってきた。
「アーノルド止めないか」
「ロベルト兄上、何故ですか?
だって水ですよ?聖水でも何でもない、侯爵家の娘が唯の水って笑える話じゃないですか! いくらステータスが最高値でも!唯の水しか出せないなんて。ふふ、あはははは!」
こいつの一言一言が私の胸をえぐってくる。昔からアーノルドにはいつも腸が煮えくりかえる思いをさせられる。握り締めていた扇がミシリと音を立てた。
そんな気持ちを知ってか、私を守る様にロベルト殿下が私の前に立ち、弟であるアーノルド殿下と対峙する。この光景は子供の頃から見慣れたものだ。
「ほう…ならば。王族でありながらステータスの値が過去最低を叩き出したお前は恥ずかしくて外も歩けまい。なあ?アーノルド」
「は?え?そ、それを今ここで言うのですか!」
え?過去最低?そんな話は全然知らなかった。アーノルドが必死に隠していた様だ。
真っ赤になって怒るアーノルドに、ロベルトは冷たく圧を掛ける。周囲からは驚きに息を呑む音がする。
「アーノルド。お前はルディア令嬢を貶めた言葉忘れていないよな。加護が水を出すだけだからと笑っていた事。
自身の努力で変えられない事を言われるのはどんな気持ちだ。言ってみろ」
会場は異様な静けさに包まれる。アーノルド殿下のお顔の色は赤くなったり青くなったりと大変忙しい。
そして最後は、私を射殺すかのように睨みつけ足音も荒く会場を後にする。
人知れず私はため息を零す。あぁ折角デビュタントだというのに、皆様のお披露目を台無しにしてしまった。
ザワザワと人の声が会場に戻る。
「人の気持ちを考えない愚弟で申し訳ない。兄として謝罪する」
ロベルト殿下の凜とした声が響く。それは会場にいた人々の心にも響いたようだ。
そこに父が慌ててやってきた。国王様と何か話し込んでいたらしく、助けて下さったロベルト殿下にお礼を言っている。
私はボンヤリとその光景を見つめていた。
ロベルト殿下がいなかったら、もっとこき下ろされていたかも知れないと思うとゾッとする。何故あんなに目の敵にされているのか、サッパリわからない。
母が亡くなって間もない頃、父に連れられ王城に来た時、初めてお会いしたロベルト殿下はとても優しくて、アーノルド殿下は私をひと目見ると、とても驚いて気絶されてしまった。
あの日からアーノルド殿下は私に対しての当りが強い、そもそも理由なんてないのかもしれない。私の存在が目障りなのだろう。
小刻みに震えていたのに気が付いたロベルト殿下が父に何か囁いている。そのまま私は父と帰宅した。
帰りの馬車では気絶する様に寝てしまい。屋敷に着くと、殿下のせいで神経が参ったのだよと父とマーサは私を慰めてくれた。
この世界はステータスも重要なのだが、それと同じ様に加護も重視される世界だ。
部屋に戻り、ボンヤリとベッドに腰掛けサイドテーブルにある水差しとグラスを手に取る。
チョロロロロ。
並々とグラスに注がれている水を見つめて一気に飲んだ。水はやっぱり水だった。
その日の夜、私は不思議な夢を見た。
◇◇◇◇
私はどこかのっぺりとした顔の女になっていた、狭い部屋の中のベッドの上でごろりと横になり、薄く綺麗な紙で出来た架空の恋愛の書物を読んでいる。
『…召喚された先には美しい男性が立っていた。彼は自身を王子だと告げ、私を見つめ真摯に謝罪をしてきた。私は彼に惹かれる自分の気持ちに戸惑ってしまう…』
パラリとページが捲られる。
『…王子である彼にルディア様という婚約者がいたなんて!胸が張り裂けるように痛い。私は気がついてしまった、彼に恋していると…』
え?私の名前?激しく嫌な動悸がして、私は飛び起きた。夢にしては余りにも生々しい。
胸に手を当てて動悸が収まるのを待つ間に空は明けて日の光が差し込んできた。
王子?
ぶるりと寒気がする。
いや、これはただの夢、気にするのは馬鹿馬鹿しいと頭では解っているのに、心がザワザワする。
その日の夜も私は自分で出した水を飲んで眠りについた。
◇◇◇◇
『…王子の婚約者であるルディア様が虚ろな目をして私の後ろに立っていた。トンと背中を押され私は…』
飛び起きた。
ドキドキと心臓が鳴り、嫌な汗が背中を伝って気持ち悪い。生々しい夢と現実が混ざりあう。
あれは夢じゃないの?
怖い、理解できない事はとても恐ろしい。いや、寧ろ夢であって欲しいと思う。
私が人に殺意を抱いて殺そうとするなんて。
この日の夜、水を飲まなかったからなのか奇妙な夢は見なかった。
あれから水は飲まず、夢も見ないのに数日経っても、あの夢が気になりモヤモヤしている。
その日、父に呼ばれた。疲れ切った父の表情に嫌な予感がする。
「ルディア、お前の婚約者が決まった。アーノルド第2王子殿下だ」
「……お父様、今なんと?聞き違いですよね?アーノルド殿下と婚約?」
「済まない」
とうとう夢は正夢になり、私の現実を侵食して体が震える。父は、アーノルドから何かと意地悪をされ泣かされているのを知っている。
私が彼を大嫌いなのも。真っ青になり震える私に父は辛そうに言う。
「明日より妃教育の為、王宮に部屋を頂けるそうだ。ルディア。不甲斐ない父ですまない!」
「……いいえ、いいえお父様」
聞けばアーノルド殿下のたっての願いとか、先日の夜会の意趣返しだろうか?
有り得そうだ、婚約者として近くに置いて毎日ネチネチと嫌味を言いたいのだろう。
これでも貴族の娘だ。王族に従えと言われたら従う。それでも、もっと父やマーサの傍にいたかった。
その夜、久しぶりに水を飲み眠りについた。
◇◇◇◇
『…グノース侯爵令嬢と婚約破棄をする!我が愛する人を階段から突き落とす、その卑劣な者が国母になど相応しい訳がない!…』
ゆっくりと私は目を開ける。
百歩譲ったとしてもだ。あのアーノルドに恋心?嫉妬?全く有り得ない。寧ろ熨斗つけて差し上げたい。
「ルディアお嬢様!」
「ルディア!」
バタバタと父とマーサが私の部屋に突撃してきた。二人とも号泣している。
「お父様もマーサも落ち着いて」
「ルディア、あの夢は一体何なのだ!」
「お嬢様の未来が!」
二人には昨日寝る前にタップリと私の水を飲んで貰った。私が見た内容とほぼ同じ様で複雑な気持ちになる。
この加護は何なのだろう。予知だとしても、父もマーサも私の未来を見ている。私個人の未来を他の人も見られるなんて。よくわからない。
「ルディア、あの水なのだな? 陛下にもお前の加護をお伝えする」
父の加護は、真実の目というものだ。我が家の家系によく発現する加護で嘘か真か視えるのだ。という事は、あの夢はほぼ私の未来という事になる。
「お父様…今日から王家にというお話でしたけど…」
「婚約などさせん!王命といえ、従えば酷い目にあうと判っているのにみすみすお前を渡すものか!」
お父様が鬼の形相になっています。
この世界が何なのか、私がいくら考えたって答えは出なかった。きっと私では分からない事なのだ。
父が私の加護を陛下に報告しても、我が家と王家の婚約は成立してしまった。
但し王宮にお部屋は頂かず、我が家へ王妃教育の家庭教師が来てくれることになった。
◇◇◇◇
あの日から3年経った。
今日は、国王主催で夜会が開かれている。
1年前に異世界から少女が召喚された。
神殿に女神の神託より異世界の少女が遣わされた。今日はそのお披露目という名目で。
美しい音楽がゆっくりと流れ人の穏やかな話し声の中突然それは始まった。
「グノース侯爵令嬢との婚約を破棄する!
我が愛する人を階段から突き落とす、その卑劣な者が国母になど相応しい訳がない!」
フンッと鼻を鳴らし得意満面で私に婚約破棄を告げるアーノルド。
この1年、ほぼ夢の通りになっていた。今日のこの茶番は今ここにいる貴族達全てが知っている。陛下も王妃様もロベルト殿下も宰相夫妻も財務長官も騎士団長も王宮魔導師長も大神官様も国政に関わる人達全て。
知らないのは召喚された少女香里奈と、その肩を抱くアーノルド、二人を守るように立つ従者の宰相子息のヨハン、騎士団長子息のロイ、大神官補佐のステファン神官の彼等だけ。
「アーノルド殿下。ひとつ宜しいでしょうか」
「はっ!今更言い訳ではあるまいな!」
「いいえ。言い訳もなにも…私の婚約者はロベルト殿下でございます。ですのでアーノルド殿下とは婚約もしておりませんが?」
「は?なんだと?3年前に婚約し王妃教育もしているではないか!」
「はい。ロベルト殿下の妃になりますから」
「う、嘘をつくな!」
激高して怒鳴り声を響かせた。
「やめよ、アーノルド」
「父上!ルディアが嘘を」
「私の妻となるルディアを呼び捨てにするのはやめてくれないか?
それと王太子は私だ、何故お前の妃が国母になるのだ?」
「兄上!」
そっとロベルト殿下が私を抱き寄せる。
「3年前にルディアと婚約したいとお前が言い出した時には皆が驚いたものだが、この日の断罪の為の婚約だろう。
悪いがルディアは私の大切な婚約者だ。
そんな事はさせないよ?
3年前のあの日、お前の魔の手からルディアを守ると誓ったのだ。
お前は何故そこまでルディアを厭うのだ」
憤怒の表情のアーノルド。
「その女が悪役令嬢だからですよ!いや悪役令嬢でなくてはならない!
そもそも兄上がいるから僕は王太子にもなれずにいるんだ!全部!全部!ルディアと兄上のせいだ!」
アーノルドの狂気の告白に側近達は顔色を無くし、肩を抱かれている香里奈は震え慄いている。あれは化け物を見る目だ。
3年前に陛下と王妃様それにロベルト殿下に水を飲んで頂いた。最初は一切信じようとしなかった陛下だが、息子が夢で見た物語をなぞる姿に陛下は覚悟を決められたそうだ。
陛下や王妃様がいくら諌めても、家庭教師を替えても、アーノルド殿下の思想は変わらず。侍従である子供達を違う貴族の子息に替えても、いつの間にか元に戻されている。その奇妙な現象は、まさに陛下からすると悪夢だったろう。
腹を括った陛下は、周りに事情を説明して、さらに私の水を飲んでもらい監視や協力を仰いだのだ。
半信半疑だった者もアーノルド殿下の余りの言い様に言葉を失っている。
「アーノルド。お前は狂っているのか?」
しんと静まり返った空間にぽつりと陛下の声が響く。
カッと目を見開きアーノルド殿下は絶叫した。
「ウアアアアアアアアアアアアアアアア!認めない認めない認めるものか!ここは僕の世界じゃないか!兄上は僕より劣る筈なのに!ルディアが僕より優秀なんて認めない!兄上の婚約者なんて絶対に認めない!こんな世界は認めない!お前等死んでしまえっ!!」
口から泡を飛ばして絶叫すると抱いていた少女を突き飛ばし、アーノルド殿下は練り上げた魔力で私達を焼き殺そうと紅蓮の炎を出した…はずだった。
アーノルド殿下がその手から魔法を放つ瞬間、ロベルト殿下は私を守るように抱きしめ、ロベルト殿下に守られながら私は、アーノルド殿下に練り上げた大量の水を浴びせてやった。
散々馬鹿にしていた水でアーノルド殿下渾身の炎をアッサリと消してやったのだ。
「唯の水に自慢の炎が消されて。今どんなお気持ちです?」
そう言うと、アーノルド殿下は頭から水を被り表情は抜け落ち呆然としていた。
もはや人の声ではない、叫び声をあげながらアーノルド殿下は兵士に取り押さえられ連れて行かれた。
青褪めた侍従と香里奈は大人しく無言で兵士に連れられて会場を後にして、なんとも言えない重苦しい空気の中、夜会は閉じられた。
「ルディアが無事で本当に良かった」
「ロベルト殿下こそ、庇ってくださりありがとう御座います」
これで終わったのだ。
ロベルト殿下は安心したように私を抱きしめる。陛下は難しい顔をされ、王妃様は放心されている。
私の父はロベルト殿下と私の無事を喜び、気が抜けて呆然としている者や、アーノルド殿下の強烈な悪意に当てられ青ざめている者など様々だ。
それでも、皆がゆっくりと会場から帰り支度をしている時に兵士は飛び込んできた。
「へ、陛下!異世界の少女が突然消えました!」
「…そうか、きっと女神のお役目が終わったのであろう。下がって良い」
◇◇◇◇
アーノルド殿下は城の北塔に幽閉され、近いうちに表向きは病死として毒杯を仰ぐそうだ。
将来アーノルド殿下の側近になる筈だった侍従の子息達は2度と登城出来ない誓約をして、あとは各当主の判断に任せると告げられていた。
2度と登城出来ない貴族に未来はないけれど。
あの日からいくら水を飲んでも、あの世界の夢はもう見なかった。
本当に唯の水を出せるだけになってしまったけれど、干ばつの時などは引っ張りだこになっている。なにせ出せる水量がかなり増え小さな領土くらいなら余裕で潤す事ができてしまったからだ。
水の聖女様なんて呼ばれるようになってしまったけれど、増幅の加護を持つロベルト殿下がいてくれるからだと思っている。
今日も雨が降らず困窮している領土へ移動中だ。
馬車の中、お互いに体をもたれ馬車揺れと程よい暖かさで今日も幸せな夢の中だ。