埃を払って
お久しぶりです
呼吸が重なる。
握った手は汗まみれで、膝も擦りむいて、服も土で汚れている。
眩しい日差しの下、何か目的があるわけでもないのに、二人で駆け回る。
丘の上は少し風が強くて、背の低い草が波を作っていた。
その草に足を取られて、転ぶ。
顔を横に向けると、当然君がいて、そして笑っていた。
「サクラ」
名前を呼ばれて、ヒナの目を覗き込む。
ヒナは、そんなわたしは御構い無しに笑い続ける。
なんだかよく分からないけど、私も嬉しくなって、だからそんなヒナを抱きしめた。
小学三年生。
夏休み最後の一日のことだった。
オモチャみたいな色をした小さな拳銃を握りしめて、丘を駆け回る。
白いペンキで番号付けされたコンクリートの建物が並ぶ丘は、思いのほか視界が悪かった。
わたしの後に続くのは、小銃を携えた警察だ。目視できる人数だけでも十人はいる。
わたしは今、地球の命運をかけて戦っているのだ。
警察と無意味なアイコンタクトを交わして、右へ左へと駆け回る。
タイムカプセルを埋めよう。
そうヒナが言い出した。
「タイムカプセル?」
「あれ?サクラ知らないの?」
ヒナがわたしの前髪を人差し指で弾く。
「いや、知らないわけじゃないんだけど、なんで急に?」
「暇だから」
なんというか、ヒナらしいとは思った。
「まぁ、いいけどさ。どこに埋めるの?」
埋めるとしたら......やっぱあそこだろうなと、勝手に目星を付ける。
「分かってる癖にぃー」
あくまで自分で言うつもりはないらしく、悪戯っぽく微笑む。
そう出るのであれば、意地でも言わないと決めて、
「じゃ、明日の......あー、と、今日と同じ時間に」と言って、笑い返す。
すぐに約束の日は訪れ、時間通りに丘に二人集まった。小さい頃からの遊び場だ。
「何持ってきた?何持ってきた?」
ヒナがニヤニヤしながら、こっちに歩いてくる。脇にお菓子の缶を抱えて。
「それに入れるの?」
「そう」
ヒナから缶を受け取る。音がするから、ヒナはもう何か入れたみたいだ。
蓋を外し、中を覗く。
小さなストラップが転がっていた。
「これ......」
「サクラはもう覚えてないかもだけど、昔お揃いで買ったやつ」
「こういうのって、未来の自分宛ての手紙とか入れるのが普通じゃないの?」
そう言いつつも、わたしもポケットから取り出したのはストラップ。全く同じストラップだ。
「ありゃ......。これじゃどっちがどっちだか分かんないね」
ヒナが呆れて笑う。
ヒナはそれしか表情のパターンがないのだろうかと思うくらいよく笑う。
「まぁ、分かんなくてもいいんじゃない?」
おんなじものだし、仮に違くてもそれはそれでいいかなって思えた。
「そだね」
わたしがストラップを入れるのを確認してから、ヒナが蓋をする。
「でさ、サクラ。シャベル持ってきてたりする」
その質問に緩慢に首を横に振る。
「あちゃー......」
陽は沈みかけて、地平をオレンジ色が縁取っている。
草を踏む音がわたしの後に続く。何度も、何度も。
先程アイコンタクトを交わした警察から通信が入る。
『本当に思い出したのか?』
通信機を地面に叩きつける。壊れるようなことはないけれど、雑音を発しながら草の上を転がる。
何もかも思い出したさ。
わたしはどうしようもなく、幼稚だった。
敵は一人で、そして何人もいる......らしい。
なんでも、記憶や意識を共有しているんだとか。
だから、敵には圧倒的な知識が経験としてある。わたしは詳しくないからよく分からないけど、何人かの特別な人たちを除いて、わたしたちの敵に関する記憶はロックされてるらしい。
敵って何?敵の目的は?
分からないことだらけで、日付けが変わっていく。
そんなわたしに知らせが届く。
内容は指定の医療機関に来て欲しいというものだった。
言われるがまま、病院に向かうと見たこともない拳銃を渡されて、そして見たこともない機械に座らされた。
受けた説明によると、一部の記憶をアンロックするらしい。そして、敵の居場所を突き止めるとか。そんなことが出来るのか、さっぱりだ。
機械に腰掛け、目を瞑る。
未成年最後の年のことだった。
丘の上に二人して寝転がる。
服も汚れだらけで、爪の間に砂が詰まっている。
陽はとうに沈み、虫の声が風に混じって微かに聞こえる。
「久しぶりだね。こんな泥だらけになるの」
薄い闇に阻まれて、表情はよく見えないが、きっとヒナは笑ってる。
結局、穴は手で掘った。
シャベルなりスコップなりをとりに戻ることもできたが、わたしたちはそういう気分じゃなかったのだ。
「ほんと、久しぶり......」
心地よい疲労が、体の末端までじんわり広がる。吹く風が熱っぽい体を冷ます。
「いつ取り出すの......?」
「いつにしよっか」
全く考えるつもりもないようで、適当な返事が返ってくる。
「ねぇ、確かさ......」
薄暗い空を流れる雲を見ながら、ぽつりと呟く。
わたしの言葉にヒナが反応する前に、体の向きを変え、抱きつく。
「昔もこんな風にしたよね」
「暑いんですけど」
そう言いつつも、ヒナも身を寄せる。
この距離なら表情もよく分かる。
「ほんと、暑いね」
受けた説明も、何もかもが吹き飛んで、病院を飛び出す。
いつもの場所いつもの時間に。
なんだか頭が痛くて、訳がわからなくて、ただ丘を目指して走った。走ってしまった。
着いた頃には、たくさんの人たちに囲まれていた。いつの間にか持たされていた通信機からは絶えず人の声が落ち着くように促していた。
『ここなんだな』
違うと言うことも、そうと言うこともできなかった。
でも、彼らはここだと確信しているようだ。
わたしがするべきことは、おそらくこの手に握られている銃でヒナを撃つことだ。
そして、わたしが考えていることは、ヒナを見つけたくないということだった。
普通だったら、来るはずがない。
が、わたしの記憶をわざわざアンロックするような事態ならば、おそらく普通の事態ではないのだ。
多分、わたしがここを去ったとしても無意味。
なら、出くわさないように動くしかない。
幸い、しばらくここに来なかった間に立方体の倉庫が林立しているので視界は悪い。
今日やり過ごせたとしても......その先のことからは目を逸らして、倉庫から倉庫へ、身を隠すように移動する。
通信機が『本当に思い出したのか?』と零す。その声色は、わたしの記憶に対する疑念ではなく、わたしの行動に対する疑念一色だった。
最悪の舞台が出来上がったとき、ついに約束の時間が訪れる。
丘の中央に、まるで最初から居たかのようにヒナが現れた。
銃口が一斉に、草の上に座るヒナに向く。
誰も、ヒナが敵であることを疑う者は居ないようだ。
もう何をしていいか分からず、咄嗟にヒナの方へ踏み出す。
構えられた銃からは、弾が打ち出されない。
不確かな足取りで、ヒナに近づく。
一歩ずつ、一歩ずつ。
「タイムカプセル開けるのは任せたよ」
ヒナは、どうしようもなく爽やかに笑っていた。
その声に、頰がひきつる。
胸に何かつっかえて、言葉が出ない。
ただ視界が滲むばかりだ。
体に力が入らず、拳銃が手から滑り落ちる。
それを見たヒナが少しばかり慌てた様子で、わたしの名前を口にする。
「サクラ!」
拳銃が地面に落ちた瞬間、再び引き金に指が戻されるのを感じる。ただ時間が間延びして、鋭敏になった感覚がわたし諸共撃つという意思をとらえる。
上手く呼吸も出来ないまま、思い通りに動かない足で、ヒナに駆け寄り、そして抱きつく。
久しく忘れていた温度を全身に感じる。
耳障りな発砲音が響くなか、ヒナもまたわたしを抱き寄せた。
そして......そこで目が覚めた。
気がつけばわたしは、あの病院のあの機械に座っていた。
そして目の前にいる彼女に目を剥く。
わたしの目の前には、幼い頃の姿のままのヒナが、にっこり笑って佇んでいた。
「やっぱり、この星は綺麗だね」
そう言って、わたしの眼前にタイムカプセルの缶を突き出す。
受け取り、蓋の埃を払って、そっと開ける。
中には、二つのストラップ。
わたしたちは、夕焼けを背に丘を駆け回る。
そんな今日の日のことだった。
お久しぶりでした