ギリースーツと潜入ミッション
憲兵の詰所から無事解放され、俺はカートレット分隊の面々と共に転移魔法陣の上に立っていた。
この街の転移魔法陣は、やはり首都だけあって頻繁に使用されるらしく、特に物珍しいものでもないらしい。
そのため、この間田舎町で転移した時のような、衆人環視はなかった。
「それでは少佐、ご武運をお祈りしております」
「ええ。頑張ってきます」
さりとて、カートレット大隊の分隊長たちは見送りに来てくれた。
中には一昨日の飲み会を引きずって、まだ顔色の優れない者もいた。
別れの挨拶を済ませると、アリシアが転移魔法陣に手をつき、魔力を流し込んだ。
まばゆい光が徐々に薄れていくと、俺達は兵士に囲まれていた。それも全身鎧に身を包み、明らかに臨戦態勢だ。
まさか、敵の待ち伏せかと一瞬思ったが、鎧を見るにどうやら帝国軍らしい。
「誰か来たぞ…って、カートレット少佐だ!」
その中の一人が、アリシアに気づくと声を上げた。
それを聞いた兵士たちは、各々が手に持つ武器を地面に突き立てる敬礼をした。
石畳に金属が跳ねて、キンと澄んだ音を立てた。
「ああ、もう。良いんですよ、そういうお堅いの」
そのアリシアの言葉で、兵士たちは"休め"の姿勢を取った。
「ですが、これは軍の決まりですから」
「私そういうの、あんまり好きじゃないんですよね」
「存じ上げておりますが…。それで少佐。此度はどういったご用件で?」
「ふふふ、それは秘密です」
アリシアは意味ありげに、口元に人差し指を立てた。
「……はぁ」
「くわしくは、後でお話ししますね」
恐らく、アリシアは公の場で会話することにリスクを覚えたのだろう。
ここは国境沿いの町だ。スパイが紛れ込んでいないとも限らない。
「これから共和国を侵略します」とは、おいそれと発言できなかった。
「そういうことですか。分かりました」
アリシアと会話した、恐らくこの中では最も階級の高い兵士は、アリシアの意図を汲んでくれたらしかった。
それから俺達は、今晩泊まる宿に荷物を置きに行った。
もちろん、ギルドのSSランク報酬によって無料で泊まり放題の、この街の最高級宿だ。
アリシアは流石に、今作戦に集中しなければならないと思ったのだろう。
部屋を分けて泊まってくれるみたいだった。
「……」
それはゴレアスの無言の圧に、耐え兼ねての事だったのかもしれないが。
だが、そんなアリシアの配慮を意に介せず、当然のようにエルカは俺と泊まりたがった。
「ぐぬぬぅ。この、合法ロリめ…」
と憎まれ口をたたくアリシアだったが、俺が「エルカと泊まる分には問題ない」と合意すると、とても悲しそうな顔をした。
「良いですよ…私は所詮、作戦に支障をきたす女ですよ…」
と、両の人差し指の先をツンツンとぶつけて、いじけた。
俺とエルカが通された部屋はだだっ広く、部屋の隅に大きなツインベッドが置かれていた。
調度品の類は相変わらずの趣味の悪さで、少々居心地が悪い。
俺は、次から次へと調度品を壊していく国王を思い出した。
そしてふと、目の前にあった花瓶に手を掛けそうになり、「いやいやいかんいかん」と首を振って思い直した。
俺はその後、エルカと共にベッドで二人横になった。
思えば、クエストから帰ってから怒涛の勢いでここまで来たのだ。
一時も休む時間がなかった。
隣でエルカがすぅすぅと寝息を立て始めると、俺もなんだか安心して、心地よい眠りへと誘われた。
薄れいく意識の中で、俺は今日一日の出来事を思い返していた。
Aランククエストを攻略したり、自らギルドに赴いた国王から勅命を受けたり、街中を買い物で駆けずり回ったり、憲兵に逮捕されたり…。
俺はその中でも、神を名乗るパピルスとの会話を、強烈に思い出していた。
(俺は神の思い通りに、操られているだけかもしれない)
モニターの前に、マウスとキーボードに指を乗せゲーミングチェアに座る神と、画面の中、ゲーム内のキャラクターである俺。
それは的を得ない空論でしかないと分かっているのだが、一度思いついてしまったアイディアに、俺は何となくの興味深さを覚えていた。
心の奥底で渦巻いていた漠然とした不安が、パピルスによってはっきりと言語化されたのだ。
考えずにはいられなかった。
俺は何の気なしに、普段からゲームをしていた。
だが、もしゲーム内のキャラクターに、意識があったなら同じことを考えただろうか。
そもそもゲーム内の彼らにとって、神とは誰にあたるのだろうか。
ゲームの開発者?
開発者にもいろいろあるが、それは開発プロジェクトを統括するディレクターやプロデューサーなのか。
はたまた、音響やグラフィックの細かいディテールを創り上げるデザイナーやエンジニア、プログラマー達の一人一人なのか。
それとも"魂を吹き込む"とも称される、声優さんか。
或いは、彼らを操作するプレイヤー――つまり俺達こそが神なのか。
そんな考え事をしながらまどろんでいると、ふと腹部に急な衝撃が。
何事かと目を開くと、エルカが俺の腹の上で飛び跳ねていた。
エルカの身軽な身体が、ぽよんぽよんと上下していた。
重さは全然感じなかったが、しかし着地する度に息苦しい。
「あっ、そんな、エルカ、激し、ちょ、やめ、あっ…」
俺はエルカが跳ねる度、声を上げた。
その声は意識がはっきりしていない時に出したこともあり、ともすれば煽情的にも聞こえたかもしれない。
突然、がしゃんと力強くホテルのドアが開け放たれた。
ドアを開けるにしては、些か乱暴な音だった。
あれ。そのドア、カギ閉めてなかったか?
まさか、カギごと壊した…?
「エ~ル~カ~ちゃん? あさると様に、何してるのかなあ!?」
雪崩れ込むように大股で入ってきたのは、満面に作り笑いを浮かべた、アリシアだった。
うわあ、怒ってる怒ってる…。
「あさるとを起こそうと思って」
悪びれる様子もなく、エルカはぼそっといった。
「ああ、なんだ、そういうこと…」
俺の腹の上で飛び跳ねるエルカの姿を認めると、アリシアはしゅんと怒りの矛を収めた。
その間も、ぎぃぎぃと音を立て、壊れたドアが開閉し続けていた。
「おいおい。しょっぱなから高級宿のドアを蹴破るとは…」
宿のロビーで、ゴレアスは「先が思いやられるぜ」肩をすくめた。
ドアは、アリシアのポケットマネーで弁償されたが、提示された価格にアリシアは仰天していた。
「うぅ…まさか、こんなに高いなんて……」
その小さな背中は、帝国軍の大隊長という肩書からはかけ離れていた。
その後、この街の兵士の幹部クラスだけを集めて、会議が行われた。
「なるほど。つまりカートレット分隊は、敵地に潜入するのですね」
「ええ。そういうことになりますね」
アリシアが事のいきさつを説明すると、兵士たちは難色を示した。
「敵の国境警備は、中々のものです。歩兵が絶えず往来し、竜騎士も定期的に偵察しに来ます」
「それでも私たちは行かなければなりません」
「俺達は国王様から、直々に勅命をいただいたのでな」
「でしたら……一つご提案があります」
その兵士が提示した作戦は、あまりに荒唐無稽だった。
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「ほんとに上手くいくのか…? こんな作戦で」
「もうここまで来たら、やるしかないですよ…」
真夜中。
俺達は作戦配置に付いていた。
「おっと、作戦開始する前に。エルカ」
エルカは「はいはい分かってますよ」と言わんばかりに肩をすくめ、「んーよいしょ」と、五体投地の姿勢で俺の意識は飛んだ。
落ちていく。
ずっと落ちていく。
どこまでも落ちていくような感覚にとらわれた。
際限のない、ゆるやかな下降。
『はっ』
気が付いた俺は、とある装備を選んでゲームを開始した。
「ははは! あさると、なんだその服?」
「緑のもじゃもじゃが大量に…草が生えてます? これ」
開始早々、散々な言われようだが、これはギリースーツだ。
ギリースーツは山間部や草原において、カモフラージュするために着用するものだ。
衣服から短冊状の布や糸を多数縫い付けて垂らし、草や葉っぱに見立てている。
これを着ることで、着用者を風景に溶け込ませて判別させにくくし、発見されにくくなる。
これはゲーム内だと、狙撃手が選択できる迷彩だった。
そのため、今回持ってきたのも前回に引き続きSRの装備だ。
だが今回は、SRというよりもギリースーツこそがFPSスキルを発動する目的だった。
今回は潜入ミッションだ。
やはり身を隠すというのなら、ギリースーツの右に出る服装はないだろう。
もっとも、アリシアが分隊全体にかける隠密魔法の効果があるので、カモフラージュはプラシーボ程度しか期待していないが。
まあ、こういうのは雰囲気が大事なのだ。
俺達は作戦配置につき、作戦決行のその時を待っていた。
「そろそろ…だと思うのですが」
しばらく沈黙が流れ、俺達の間に不安が募り始めたころ。
ぱん、ぱぱぱぱん
と、連続して爆発音がした。
「よし、作戦開始だ」
ゴレアスの合図で、俺達は匍匐前進で国境を越えた。