コッキングとストレイフジャンプ
「アンセストラル・パピルス、か。通称獏と呼ばれるモンスターの、最上位種だな」
俺達はクエストを受注した後、ギルドのロビーでクエストについての簡単な打ち合わせを行っていた。
「ええ。敵は私たち各々が、最も恐れる物を映し出す幻術を使ってきます」
「なにか過去に怖かった経験。そう、例えばトラウマなんか、あったりしないか?」
俺達は互いに、顔を見合わせた。
だが、俺には思い当たる節などなかった。
「それなら大丈夫だ。俺が元居た世界は平和だったから。トラウマになるほど怖い出来事なんて、起こったことがない」
俺にとって恐ろしかったのは精々、ゲーマーである俺を陰キャだのオタクだのとなじってくる、中学時代の陽キャ集団くらいだった。
だが、別にいじめられていた訳でもないし、さほどトラウマになるような出来事でもなかった。
「アリシアが苦手なのは確か、ツル系の植物モンスターだったよな?」
「もう! その話はやめてください!」
ゴレアスはからかうように言った。
その口ぶりから、何があったのかは何となく察しがついた。
“くっころ”だな、こりゃ。
―――ってことはまさか、アリシアは俺以外の奴と……?
「あん時は危なかったな。俺達が助けに行くのが間に合ってよかったぜ」
ゴレアス…!
ありがとう。心から俺は、感謝した。
「まあ、良いってことよ」
ゴレアスは、俺が送る熱い眼差しに気づいて、会釈した。
「そういえば、ゴレアスが怖いものってなんなんですか?」
「んー、やっぱりゴースト系のモンスターかな。あいつら、突然背後から現れて、『わあああああああ』って脅かしてきやがんだ」
「ふーん。ゴレアスもそういうの、普通に怖がるんですね」
「いいだろ別に。俺だって人並みに、怖いもんは怖いんだよ」
筋骨隆々とした見た目のゴレアスが、お化けを恐れるというのは少し意外だった。
見る人が見れば、そのギャップに可愛さを覚えたりするのだろうか。
「エルカちゃんは、何か過去に怖かったこと、ない?」
エルカは少しの間を開けて、おずおずと頷いた。
「エルカ。本当に、大丈夫なのか?」
何か含みのあるその態度に、ゴレアスが詰め寄った。
「大丈夫なら、声を出して答えてくれ」
「……だいじょうぶ」
「そうか、ならいいんだ」
その時のエルカの様子は、少し気がかりだった。
明らかに、何かを恐れていた。
普段から無口なエルカではあるが、何を恐れているかぐらいは伝えて欲しいところだ。
だが本人が口をつぐんでいる以上、無理に詮索するのも野暮だろう。
「こいつは厄介な敵だが、戦闘能力はそれほど高くない。Aランクの中では、割と楽な方のクエストだろうな」
「とは言っても、過去に大きなトラウマを抱えている人なら、例えSSランクの冒険者でも倒すことは困難でしょうね」
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"アンセストラル・パピルス"。
それはそれは、恐ろしい姿をしていた。
というのも、そいつは俺と目が合った瞬間に姿形を変えたのだ。
変身したのは、俺がこの世界にリスポーンして一番最初に見た、ケイブオークだった。
糞リスして目の前に立っていたそれは、俺には実際の寸法より何倍にも膨れ上がって大きく見えた。
パピルスはその時の俺に見えた姿を、模倣していた。
その姿は当時の俺を気絶させ、俺に初めてのFPSスキルを発動させた。が、今の俺は既にFPSスキル発動中。
そんな過去のトラウマも、今やただの画面の中での出来事だ。
「……」
「……」
「……」
3人はしっかりと狼狽えているが、俺だけは冷静になれていた。
「落ち着け、あれは幻覚、あれは幻覚……」
とぶつぶつ唱えながら、真っ先に手前の大岩に身を隠したのはゴレアスだ。
「いや、ちょっと、こないでください…!」
「……」
立ち尽くすエルカの手を引いて、アリシアも同じように身を隠した。
エルカは青ざめて、ブルブルと小さく震えていた。やはり、過去に相当なトラウマがあったらしい。戦うことは愚か、動くことすらままならない様子だ。
こうなっては、俺一人で対処するしかないか。
『ここは俺に任せてくれ』
「ああ、頼むわ…」
ゴレアスの、今にも消え入りそうな声を聞きとどけると、俺は岩陰から低空ジャンプで飛び出して、スコープを覗き込んだ。
とりあえず、挨拶とばかりに俺は一発、ケイブオークの眉間を狙って射撃した。
弾丸はしっかりと目標を捉えていたが、しかし。
『貫通した…?』
考えてみれば、巨大なケイブオークの姿は幻覚であり、実際のパピルスの大きさは一切変わっていないのだ。幻覚を撃ったって、命中するはずもなかった。
俺は遮蔽物に身を隠し、コッキングの動作に入る。
俺が使うボルトアクションスナイパーライフル、M40A5はその精度を担保するために、排莢メカを実装せず、ボルトの解放・閉鎖を手動で行う必要があった。その動作こそが、コッキングだ。
ボルトハンドルを前後させることで、排莢と次弾装填を行う。
がちゃこんと一連の動作が終了し、俺は再び体を晒してスコープを覗き込もうとした。
"ははは、無駄だ。君が何をしたって、意味ないんだよ"
俺は驚いた。
ケイブオークが喋ったのだ。
それも、ただ喋ったのではない。
白い空間で聞いた、"神"の声で喋ったのだ。
『何を言って…?』
"君の銃弾は我には届かない"
『届くさ。だってお前は、ただのパピルスだ』
“果たして、本当にそうかな?”
俺は酷く混乱した。なぜだ。この目の前のケイブオークが、神だとでもいうのか。
否。パピルスが見せる幻術だ。幻術の筈だ。
“我はこの世界の神である。よって、この世界は、我のシナリオ通りに進むのだ”
俺の疑問に答えるように、神を名乗る巨大なケイブオークは続けた。
“君は所詮、我のあやつり人形に過ぎない。だから、我に逆らうことは不可能だ”
『そんな訳、ないだろ。お前の姿はどう見ても、ちょっとでかくなったケイブオークだ』
“ああ、君がこれまでの人生で、最も恐れる姿を模しているからね”
『それはお前が、神ではなくパピルスだからだろ?』
“……”
パピルスは言葉に窮した。
しかし、俺も足がすくんだ。
FPSスキルを発動しているというのに、前進するためのWキーが押せない。押し込めない。
"所詮、君など我の手のひらの上で転がっているにすぎぬ。些末な存在なのだよ"
確かに、このパピルスは神ではない。
だが、本物の神は、俺の人生を操っているのではないか。
俺の意思で行ったと考えていたこれまでの行動も、本当は神に誘導されたものだったのではないか。
俺は身を隠すことすら忘れて、立ち尽くした。
俺は神の操り人形?
すべてシナリオ通り?
何をしても意味がない?
俺は誰だ?
勇者?
世界最強のCOUプレイヤー?
それとも……
湧き上がる疑問の数々。募り積もる疑念の山々。
目の前には、純然たる俺の恐怖を体現した化け物。
「あさると、危ないです…!」
アリシアの声に、立ちすくむ足を何とか動かそうとした。
だが、どう考えても間に合わない。
ぶんっ…!
刹那、空を切る音がした。
次の瞬間には俺は、空中に放り出されていた。
何事かと後方を見ると、ハンマーを巨大化させたエルカがその魔法弾に被弾するところだった。
『エルカ…!』
「……」
エルカはその衝撃に一瞬、苦悶の表情を浮かべたが。
次の瞬間には、いつも通りの無言だった。
だけど、その瞳はいつものジトっとした眼差しではない。
虹彩に光が宿っていて、なんなら恐怖心からか、少し潤んですらいた。
俺はそれを見て、安堵した。
そうだ、俺にはエルカがいるじゃないか。
困った時には手を差し伸べてくれる、ピンチの時にはハンマーを振るってくれる、頼もしい仲間が。
恐怖心をいとわず、エルカは飛び込んできてくれたのだ。
俺はそのことに、安堵した。
安堵したことを皮切りに、少し恐怖心も和らいだ気がした。
俺は神によって、操られていたのではないか。
FPS視点で操作する神と、画面の中で動くキャラクターの俺。
そんな妄想を、俺は密かに抱いていた。
けれどそれは、実際と何も結びつかない不安だ。考えだしたらキリのない杞憂だ。根拠のない邪推だ。的を得ない勘繰りだ。
得体の知れなかった、俺の内なる恐怖の正体を掴んだ途端、ぱあっと視界が開けた気がした。
俺は遮蔽物から身を乗り出すと、パピルスの姿を目に焼き付けようとガン見した。ケイブオークの姿に恐れていた俺は、画面越しであるにもかかわらず目を少しそむけ気味だったからだ。
俺は恐怖ではやる鼓動を抑え、早まる呼吸を押し留めた。
そして気づいたのだ。
パピルスは、視界に入ってコンマ数秒だけ、その元の姿を晒すのだと。
恐らく、視界に入る度に幻術を逐一かけなおしているのだろう。
そのコンマ数秒を狙えば、パピルス本来の正確なヒットボックスを視認できるはずだ。
となれば、することは決まっていた。
ストレイフジャンプ。
低空ジャンプに合わせ、視点をぐるっと一回転させることで、更に飛距離が増す飛び方だ。
今回は飛距離が増すだけでなく、視線をパピルスから外すという目的も、達成しうると感じた。
この技しかない。
果たして。
パピルスは再び、爆裂系の魔法を俺に放った。
俺はそれを見越して、大きく右に走って飛び上がった。
そしてくるっと空中で一回転する。ちょうど後方を向いたタイミングで、ADSのモーションに入る。
そして覗き込みが完了した瞬間、スコープの照準線とパピルスの眉間がぴったり重なっていた。
すかさずトリガーを引く。
だんっと乾いた銃声と共に、命を刈り取る死神がパピルスめがけて一直線に飛翔した。
その音割れしかねないほどの爆音が、俺の中の恐怖を打ち砕いた気がした。
果たして。
狙った場所から寸分たがわず、パピルスは眉間から血を流して倒れた。
幻術が解け、パピルス本体の姿をまじまじと見て、4人で驚いた。
それは豚のような胴体をしていながら、象のような鼻を持つモンスターだった。
非常に小さな体躯で、一見するとこれがAランク冒険者相当のモンスターとは到底思えなかった。
『小さな見た目で、その見た目からは想像出来ないような、とんでもない力を持つ。まるで、エルカみたいなモンスターだったな』
俺は洞窟で、エルカを始めてみた時を思い出した。