ゲーマーズ廃
ランナーズハイ、という言葉がある。
ランニング中に起こる陶酔状態の事だ。
長時間走り続けると疲労や苦痛を緩和するために、麻薬作用を持つ“β−エンドルフィン”の分泌量が増し、高揚感が得られる。
まあ、走る機会の少ない俺にはほとほと縁遠い。
対して、ゲーマーズハイ。
ゲーム中に起こる陶酔状態の事だ。
ゲームを長時間プレイし続けると、モニターの明滅やブルーライトなどの刺激によって、興奮作用を持つアドレナリンの分泌量が増し、高揚感が得られる。
まあ、24時間ゲーム漬けな俺にはごくごく身近である。
とはいえ実際にこんな言葉はなく、勝手に俺が名付けた現象だが。
その時の俺は、まさにゲーマーズハイだった。
ゲーム開始から既に70時間経過。
しかし意識は鮮明で、心臓はバクバクと早鐘を打つ。
今は平日の昼下がり。
大抵の人が、学業や労働に勤しむ時間帯だ。
こんな時間にゲームなんかをしているのは、学業や労働をほっぽってゲームに全てを注いだプレイヤー。
つまり猛者である。
そして俺もそんな猛者の中の一人だった。
睡眠、食事、入浴、そして排泄。
衣食住の時間すら極限まで削り、すべてをゲームに注ぎ込んでいた。
勉学をさぼり、労働を怠り、ただゲームに没頭するだけの毎日。
紛う事なきクズである。
自分でも深く自覚している。
しかし下には下がいるものだ。
ネットで知り合うニート仲間は皆、俺より一回りも二回りも年上である。
彼らと比べれば、齢18歳の俺なんか足元にも及ばない。
だからまだ大丈夫。彼らと違って俺はまだ若い。やり直しは幾らでもきくんだ。
と、常日頃から自分に言い聞かせている。
下を見て安心する、典型的なダメ人間である。
もっとも、ゲームへの向上心は人一倍だ。
その甲斐あってか、俺は猛者達の中でも一際強かった。
一際どころか、一番強かった。
世界ランク、“1位”。
大会常勝チームのエースアタッカー。
今や人類最強とまで謳われ、チーターだと疑われ、ネットではちょっとした有名人だ。
そんな俺は数あるゲームの中でも、特にFPSを好んでプレイした。
FPSとは、一人称視点のシューティングゲームの総称である。
何よりも没入感を特徴としていて、まるで自分がゲームの主人公になったかのような気分を味わえる。
そして、"シューティングゲーム"と名のついている通り、基本的には銃を撃って戦うゲームである。
こうした特性上、その多くは戦争ゲームだ。
俺が今プレイしている、“C・O・U”も例に漏れず、第三次世界大戦が舞台だ。
近代的なビルが連なる大都市で、銃撃戦が繰り広げられる。
(おら死ね死ね、ゴミクズども!)
俺は画面上の敵を、さながら赤子の手を捻るかのごとくなぎ倒していく。
俺が通った道には、文字通り死体の山が築かれていた。
この時間帯であるにも関わらず、だ。
まさに無双。まさに一騎当千。
人類最強の名は、伊達ではないのだ。
「うっ……!?」
しかし、不意に意識が飛びそうになった。
やはり70時間も連続でプレイしているので、疲労が限界に達しつつあるのだろう。
だが。
俺はまだ屈しない。
今日はやけに調子がいい。
70時間経った今でも、まだ集中が継続しているのだ。
ここで終わりたくはない。
限界に挑戦してみたい。
(うおおおおおおおおおおおお!)
俺は心の中で一つ雄叫びをあげ、敵の集団に突撃する。
多勢に無勢。だが突っ込む。
火力では絶対的に劣るが、しかし桁違いに勝る命中精度で圧倒する。
……否、普段の俺なら圧倒できた。
しかし今の俺は、疲労が限界に達しつつあった。
正確に狙ったつもりが、手元が狂って乱れ打ちのような形になってしまう。
「はあ、はあ、はあ……」
徐々に息遣いが荒くなってきた。
呼吸の度に肩が上下する。
溜まっていた疲労が、一気に湧き出してくる。
流石にこのラウンドでゲームをやめよう。
そう思いつつ、震える指先で銃をぶっ放していく。
当たろうが当たるまいが関係ない。
最早狙うという概念がなかった。
なにせ、視野が狭い。
ピントが合わない。
それでも戦場は待ってくれない。
銃声を聞きつけ、次々に敵がやってくる。
さらに、意識が朦朧としてきた。
吐き気とめまいも酷い。
「でも俺、FPS止めれないんだけど!」
ラウンドの最後まで戦うのは、FPSプレイヤーとして最低限のマナーだ。ここで止めてしまったら、味方チームに迷惑がかかる。
それに何より、俺は純粋にFPSが楽しかった。寝不足で苦しい以上に。
まだだ、まだ続けたい。
しかしーーー
「……あ゛?」
ーーー遂に弾が底をついた。
同時に自分の中の何かが、プツンと切れたように感じた。
突然、画面に映るキャラクターの視点から動きがなくなり、浴びせられる集中砲火になす術もなく、倒れた。
そして現実の俺も、倒れた。
遂に俺の体が限界を迎えたらしい。
心臓が狂ったように微細動を繰り返す。
口から泡を吹き、白目を剥き、がくりと膝をつき、全身が痙攣し始めた。
息ができない。前が見えない。
右も左も上も下も、
訳も分からなくなった。
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しばらくのたうち回っていた。
そしてのたうち回る体力さえ底をつき、痙攣だけが俺の体内唯一の活動となった時。
突然苦痛が収まり、全身を快感が貫いた。
死の間際には、苦痛を緩和するために大量のβ-エンドルフィンが放出されるそうだ。
その快楽は実に、性感の200倍とも言われる。
今まさに俺は、生まれて初めてのランナーズハイを体感していた。
ゲーマーの俺に、ランナーズハイになるほど走る機会なんてなかったからだ。
にしても、初体験から最高強度のハイを体感できるとは。
ん゛ぎもぢぃ〜〜〜〜〜!
そして俺は幸福感に包まれながら、文字通り昇天した。
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落ちていく。
ずっと落ちていく。
どこまでも落ちていくような感覚にとらわれた。
際限のない、ゆるやかな下降。
『はっ』
気が付けば、見渡す限り真っ白がどこまでも続く空間にいた。
しかしそれだけでなく、ここはまるでゲームの裏世界のようだった。
というのも、頭上にゲームのフィールドを下から眺めたかのような光景が広がっていたのだ。
地面のテクスチャが抜け、家々の内部の空洞が筒抜けになっていた。
しかしそこにあったのはゲームのフィールドではなく、俺が暮らしている周辺の街並みだった。
等間隔に並ぶ電信柱、所々に建つマンション、近所の公園、徒歩5分の最寄り駅、その近くの小学校、遠くの方に見えるショッピングモール。
そんな見慣れた光景を、真下から眺める視点だった。
そして俺の真上には一軒家が建ち並ぶ住宅街があって、その中に自宅があった。
目を凝らすと辛うじて、家の間取りが見て取れた。
“おめでとう! 君は勇者に選ばれた”
どこからともなく声が聞こえた。
定位のよく分からないその声の主を探して俺は視線をさまよわせたが、
やはりここには俺しかいない。
裏世界特有の白い光の残像で、酔いそうになっただけだった。
“君は勇者に選ばれた 喜びたまえ”
ゲームしかしてこなかった俺だが、異世界アニメ好きなオタクのフレンドから、
いわゆるなろう系と呼ばれるジャンルのテンプレートは何となく教わっていた。
だから俺は、勇者という単語にすぐさま思い当たる節を見いだせた。
『勇者ってあの、異世界に行って魔王と戦うやつ?』
“それだ”
『ああ、そう。めんどくさ』
“ふむ あまり喜ばないのだな”
『別に興味ないしね。で、何で俺が?』
“聞くところによると貴様 人類最強だそうじゃないか”
『まあ、一応はね。それが理由?』
“そうだ”
確かに、COUというゲームに限っては、俺の右に出る者は居ないだろう。
しかしCOU以外にも競技FPSというのはたくさんあって、それら全てをひっくるめて俺が最強とは言い難い。
俺が祭り上げられているのは単に、COUが日本で一番流行ったFPSだからだ。
それに何より、俺が強いのはあくまでゲームの中だけということを忘れてはならない。
『だったらやめた方が良いよ。人類最強ってのは誇張表現だし、自分自身そんなに強いつもりないから』
“謙遜しなくても良いのだぞ?”
『別に謙遜じゃねーし。そもそもそれをどこで知ったんだよ』
“この世界の文献
・2ちゃ◯ねる
・ニコニ◯大百科
・アンサイク□ペディア
には 貴様を人類最強とする内容がぎっしりと載っていたぞ”
『イマイチ信頼できないソースばっかだな……』
“ググってみたら 上から3つがこれだった”
『テキトーかよ!』
“そんなわけで 貴様は元々強いらしいから 能力は授けなくて良いだろう?”
『良くねーわ!』
“ええ 必要ないでしょ”
『あるわ!』
“いや実はね 能力授けるのって結構疲れるんだよ”
『知らんわ!』
“まあ そういう事だから 後は自力で頑張ってくれ”
『は? ちょっと待て! そりゃないって! 強いっつってもそりゃゲームの中での話であって……!』
“では 良きセカンドライフを!”