表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
豆腐屋さんの社畜日記 ~愉快なブラック企業と労働基準監督署~  作者: 西織


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/49

【心が折れるそのときは】

【心が折れるそのときは】


 話は少し前後してしまうが。




 滝野さんの退職が決定した8月ごろ。いつも通り7時過ぎに出社して、せっせと朝の準備をしているときだ。ふと思った。



「あぁ、もう辞めよう。それを伝えよう」



 特になにかきっかけがあったわけではない。ずっと辞めたかったは辞めたかったが、なかなか言い出せなかった。機が来たら。そう思いながら仕事をしていたのだが、決意したのが何てことはないいつもの朝の準備、というのは自分でも意外だった。


 折れるときは強い衝撃のときばかりではない。押し潰されるようにゆっくりと折れることもある。そういうことだったんだと思う。




 実際、このとき既に心身ともに限界を超えていた。身体へのダメージが凄まじかったのだ。


 この頃のわたしの平均睡眠時間は4時間から4時間半。残業が100時間超えるほど働いているのに、その程度の睡眠時間で走り続けていた。身体も悲鳴を上げる。いつも、頭の中は泥が詰まったかのようにどんよりしていた。身体は重い。全身はガチガチに凝り固まっていた。頻繁に頭が痛くなるので、痛みや熱を感じたらすぐにロキソニンをぶっこむ。昼は必ず栄養ドリンクを一本。朝がしんどいときは、そのときも一本。疲労がどうしても取れないときは、滋養強壮効果のあるドリンクを寝る前にもう一本。栄養ドリンクとロキソニンに生かされた身体だった。


 起きている時間が長いから、朝昼晩の食事はもちろん、間食もする。そのうえ、夜ご飯を食べるのは22時以降だからぶくぶく太る。今の体重より10kg以上太っていた。背中と腹の肉が凄かったです。当時、「痩せなきゃなあ」という思いはあったが、「こんだけ働いてるのに、食べるものまで我慢したらストレスで爆発する」という気持ちに容易く潰されていた。結果太り続ける。


 この会社は、忙しくて食事を取らずに痩せるタイプと、わたしのように太るタイプがいる。滝野さんは前者だ。仕事を終わったあとに食事を取る気力が湧かず、ろくに食べない。朝食べない昼食べない夜食べない。よくそう言っていた。


 同じ営業所の人で、入社から10kg以上痩せた先輩もいる。「豆腐ダイエットのおかげやわ」と言っていたが、やつれているだけだ。豆腐関係ない。だれだってメシも食わずに働いていれば痩せる。社畜ダイエットだ。




 しかし、確かにこの仕事は忙しいが、さすがに睡眠時間が4時間は短い。短すぎる。これは単に、わたしに問題があった。


 この頃は22時、早いと21時半くらいに帰れることもあった。起床時間は6時半。さっさと眠れば睡眠時間は確保できただろう。しかし、そうはしなかった。やりたくなかったのだ。




 帰宅後の生活はこうだ。本を読みながら風呂に入り、テレビをゆっくり見ながら食事をし、そのあとは漫画やパソコンを眺める。友達とスカイプで話すことも多かった。夜遅くまで起きていて、寝るのは2時かそれ以降。そして、6時半にのっそり起きる。その結果がこの睡眠時間だ。


 愚かだと思うだろうか。忙しいからさっさと寝ろ、と思われるだろうか。


 けれど、違う。違うのだ。ここまで起きているのは、忙しいからにほかならない。あまりに忙しくて忙しくてストレスが溜まり、寝ることより遊ぶことを優先してしまうのだ。




 もし、帰宅してから必要最低限のことをこなし、さっさと眠れば身体は楽だ。6時間7時間は眠れる。けれど、そうなればその日はもう仕事だけだ。仕事だけ、仕事しかない一日になる。……それに耐えられないのだ。


 マジで耐えられん。死ぬ。死んでしまう。心がイカれて狂って死ぬ。死ぬのは嫌だ、だから遊ぶ。


 キツすぎる仕事だけをこなし、毎日を過ごす。仕事だけの毎日。それでは頭がイカれてしまう。気が狂ってしまう。ストレスを溜めすぎてしまわぬよう、自分の時間を作って毎日少しずつガス抜きをしている。22時に帰ってきても、就寝時間を2時にすれば4時間は作れる。内の何割かは自分のために使える。そうすることによって、わたしは自分の心を守っていた。睡眠時間を削ってストレスを発散していたわけだ。



 結局のところ、どちらにするか、という話なのだ。


 身体を気遣って、心を壊すか。


 心を守って、身体を壊すかの二者択一。わたしは後者を選んだだけという話。



 忙しい人ほどよく遊ぶ。


 そうでなきゃやってられないからだ。



 同じように多忙で、わたしと全く同じ考えの人がいたのをよく覚えている。その人は海外ドラマにハマっていた。仕事から帰ってきて、深夜まで海外ドラマを観る。早く眠れば身体は休まるだろうが、そうすれば精神が先にぶっ壊れる。だから観る。途中で寝落ちすることも多かったらしいが、それはわたしも同じだった。晩御飯を食べたあと、そのまま意識が飛ぶことはよくあった。脳がスイッチを切っていたのかもしれない。


 そうやって途中で力尽きるのはどうしようもないが、わたしたちは眠ることに恐怖を覚えていた節がある。眠りたくない。一日を終えたくない。そういう気持ちがあった。


 眠ってしまえば、その日が終わる。次の瞬間に朝がくる。そうなれば仕事だ。またあの辛く長い一日が始まってしまう。それが、わたしたちにとって恐怖なのだ。



 眠らなければ、朝は来ない。


 起きていれば、仕事に行かなくてもいい。



 そんなギリギリの状態で仕事をしていたが、ここでギブアップだ。もう限界、と白旗を上げた。




 滝野さんと「俺もう辞めるって言いますわー」「あぁ、そうせいそうせい」なんて会話をしながら、それを上司に伝えるタイミングを計っていた。


 しかし、それが難しい。タイミングとしてはかなり厳しい。川崎さんが抜けて土曜日出勤の社員が数名に加え、滝野さんの仕事は全員が引っかぶる。ふたりの穴が埋まっていない。既にカツカツなこの状況で、だれかが抜ける余裕などありはしない。


 とはいえ、「辞めたい」と口にしなければ辞められないのも確かだった。



 そんな思いを抱えながらの8月。


 ビッグニュースである。なんと、待望の新入社員が入社したのだ。




 全営業所で人手不足が嘆かれ、ずっと人を入れろ入れろと言われていたが、ついに!


 正確な数字を出すのは難しいが、わたしが入社してから10人近くは辞めている。元の販売員数は40人。そこからごっそり10人も消えたら、そりゃ忙しいのも当然である。幹部が全員現場に戻されても、まだぜんぜん足りなかった。


 わたしが11月に入社し、ようやく人が入ったのが8月。およそ9ヶ月もの間、人は減り続ける一方だったわけだ。とんでもねえ。




 さて。


 ウン十万の広告費を使い、求人サイトや求人誌に広告を載せ、ひと月で30人もの応募者を落とし、ようやく来てくれた新入社員。


 どんな歴戦の猛者かと思えば――、50歳にもなるおばちゃんだった。




 う、うーん?


 不安になるのも仕方がないだろう。何せ、この仕事は体力勝負だ。クソ激務だ。冬は空が暗いうちに出社し、帰ってくるのも暗い夜。16時間働いて睡眠不足でも、翌日にはぶぅんと車を飛ばす。


 この人は大丈夫なんだろうか。不安に思って見ていたけれど、意外にも元気に働いていた。笑顔が素敵な人で、冗談もわかる話しやすい人だった。すぐ職場にも溶け込んでいたし、そういう点ではこの仕事は合っていたんだろう。



 ただまぁ、体力はやはりなかったようで、居眠り運転で事故を起こしてはいたのだけれど。




 閑話休題。




 そのおばちゃんが入社し、うちの営業所にやってきた。ようやく川崎さんの穴が埋まり、晴れて13連勤組は解散となる。


 わたしはこのとき、少し前のことを思い出していた。19時間の寝坊で無断欠勤をした●●先輩だ。


 あのとき、わたしはどさくさに紛れて辞められないだろうか、と考えていた。もし●●先輩が本当にバックレていて、土曜日出勤をさせられそうになったら、その場で退職願を叩きつける。そうしたかった。しかし、もし本当にそうなったとしても、実際には動けなかっただろう。戸惑っているうちにチャンスを逃していたと思う。辞められず、ずるずると地獄に引きずり込まれていた。




「幸運の女神は前髪しかない」という言葉を思い出した。そうだ。チャンスは決して見逃してはいけない。ここだ! と思ったときにいかなければチャンスは逃げていく。


 そう。例えば、今。今だ。今がそうなのだ!


 新入社員が入った。川崎さんの穴は埋まった。ならば、ここから離れるのは今しかない……!




 新入社員が帰り、ほかの社員も帰る中、わたしは営業所に残り続けた。


 所長と滝野さんは退職の件で話があったらしく、営業所に残っていた。その話が終わるのをわたしは待った。




 時刻は22時半ば。


 滝野さんとの話し合いが終わり、帰ろうとしている所長を捕まえ、わたしは言った。このチャンスを逃してはならない!




「新入社員の方が入ったので、その人に僕の引継ぎをしてもらって、僕を辞めさせてください」



「え。ダメだけど」



 ダメだった。



 ダメだった。




「あの人は土曜日出勤の人を救うための補填であって、お前の引継ぎをさせる余裕はないんや……」



 ぜんぜんチャンスじゃなかった。ただわたしの心証を悪くしただけだった。「こんな帰り際にそんなこと言わないでくれ……」とげんなりとした顔で所長は言い、ふらふらと帰って行く。これ所長の立場からするとホンマ最悪やな。


 そのあと滝野さんと「ダメでした……」なんて話をして、23時前に退社した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ