1、黒き目覚め
崩れた壁。根元から折れた木。地面に刻まれた無数の爆発痕。
見慣れた日常風景はどこにもなかった。
見渡す限り焦土が広がっているだけ。
目の前には滴る血と無数の死体。
それが敵なのか味方なのかも判断することはできない。
彼が唯一認識できたのは、憧れの女性リアの横たわる姿だけだった。
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「おはよう、ルーク」
小鳥の囀る朝、木漏れ日が差し込む庭に、爽やかな声が響く。
庭で作業をしていた黒髪の少年は、その癒すような声がした窓へと体を向けた。
そして、窓からこちらを見るハーフエルフの少女に向けて言葉を返す。
「おはようございます、リアお嬢様」
「ルーク、今日ぐらいは働かなくてもよろしいのではないですか?」
「いいえ、そういうわけにはいきません。僕がこうやって生きていられるのも、公爵家の皆様のおかげです。だから、どのような日であろうと、僕は皆様のために働きたいのです」
「でも今日はあなたの17歳の誕生日ですよ。本来であれば、洗礼を受けるべき日なのですから。ジェラルドにも言っておいたのですが」
17歳は誰もが女神の洗礼を受ける区切りの年である。
成人への通過儀礼であり、この日を境に様々な職業への道が開かれるのだ。
「はい、ジェラルド様からも今日は仕事を休むように言われました。しかし、仕事をしないと心が落ち着かないといいますか、」
「だったら、一緒にパーティの準備をしましょうよ!うん、それがいいわ!ジェラルドには私から言っておくから、ルークはすぐに着替えて1階の広間まで来てね!」
「あっ、お嬢様っ!」
金髪をなびかせドアへと走っていく少女の後ろ姿を見ながら、17歳になったばかりの少年ルークは片手を上げたまま、しばしその場で佇んでいた。
「ルーク、誕生日おめでとう!」
「おめでとう!」「いや〜、めでたいめでたい!」「おめでとうございます!」
リアの発声に続き、方々から祝いの声が上げられた。
リアを始めとした公爵家の人たちが開いてくれたルークの誕生日パーティ。
ルークは初めての経験に萎縮してしまい、頭を下げてばかりだった。
そんな彼の元にリアがやってきた。
「ルーク、ごめんなさい。お父様が帰ってこられないだけでなく、ジェラルドも急遽王都に呼ばれてしまったみたいで」
「いえ、お嬢様。公爵様はお国の大事な役職を担う御身。このような場に御出でになる方ではございませんし、ジェラルド様は公爵様に使える筆頭執事様ですから、ここにいらっしゃらなくて当然です」
「そうは言ってもね。まあいいわ。でもルーク、今日はそんなに気を遣わないの。あなたにとって一生に一度の日なのですから。うん、とりあえずそんなに肩肘張らずに、今日は楽しみましょうね。せっかくだから新しいお飲み物を取って来てあげる!」
「えっ、あっ、お、お嬢様!」
そう言うとリアは、またもや髪をなびかせながら颯爽と歩いていってしまった。
ルークはリアを呼び止めようとするも、寄って来た他の者たちに引きとめられてしまった。
「いや〜、あのルークも17歳になったんだね!おめでと!」
「あ、ありがとうございます!アマンダ様」
「本当におめでとう!あなたがここに来た頃が懐かしいわね」
「はい、ありがとうございます!ダニエラ様」
「いつもありがとうね、ルーク!今日は本当におめでとう!」
「どうもありがとうございます!マルガ様」
公爵の相談役、公爵家に仕えるメイド、令嬢に付き従う侍女、その他ルークの先輩使用人達からも次々と声をかけられる。
ルークが公爵家に来て約10年。
下男としての彼の働きぶりやその誠実な性格から、彼はこの屋敷の誰もから好かれており、いつも皆から気にかけてもらっていたのだ。
ルークは、自分には血を分けた家族はいないがこの公爵家の人々全員が家族だ、と心の中で思っていた。
ルークにとって幸せな時間が続いていた頃、公爵家に音もなく近づく無数の影があった。
「じゃあこの辺りで、そろそろ本日の主役から一言いただこうと思います」
メイド長の女性から声がかかり、ルークは恐縮しながら皆の前へ出た。
「本日は自分のためにこのような素晴らしい場を設けていただき、本当に」
ルークが挨拶を始めた直後だった。
ガシャン!バキッ!パリーン!
言葉を遮るように突然の異音が響き、瞬時に辺りが暗闇に包まれた。
ドタドタドタドタ!シュッ!ピシッ!ドカン!
「なんだ!」「うわっ!」「きゃーっ!」「や、やめろーっ!」
暗闇の中、耳に入ってくるのは地鳴りのような音と甲高い悲鳴。
ルークは反射的に身を低くしたが、すぐに「お嬢様っー!」と声をあげ、リアの立っていた方へとダッシュした。
「お嬢様ーーーっ!ご無事ですか!」
何者かの気配を近くに感じながらも、ルークはリアを探して懸命に部屋の中を走り抜ける。
その最中、ルークは左耳で「シュッ!」という音を聞いた。
直後、鋭い風が自分の左頬を掠めたように感じた。
風圧で一瞬よろめいてしまったが、すぐに体制を立て直す。
そして再度走り始めたが、頬をツーっと何かが滴り落ちるのを感じた。
左頬を拭う手の甲に液体が纏わり付いた。
「血!?頬が切られている!?」
今度は冷や汗がルークの右頬を伝って落ちていく。
「一体何が起きているんだ!お嬢様は無事か?他の皆はどうなった?私兵はどうしたんだ?」様々な考えがルークの頭の中を駆け巡っていると、ようやく暗闇に目が慣れて来た。
ルークは走りながら辺りに目をやった。
あちらこちらに人が倒れている。
アマンダ、ダニエラ、マルガ、その他家族同然の人たちや公爵家の私兵達。
公爵家の家族達が、血だまりの中に倒れている。
その凄惨な光景に一瞬息が詰まり、足がもつれた。
次の瞬間、後ろから衝撃を受けた。
衝撃に押され、ルークはそのまま前に吹き飛ばされる。
椅子やテーブルを巻き込みながら地面を転がり続け、そして壁にぶつかることで勢いは止まった。
すぐに起き上がろうとするが、右肩が動かない。
どうやら今ので痛めてしまったようだ。
ルークはなんとか左腕だけで立ち上がった。
そして顔を上げた瞬間、少年は固まった。
目の前にリアが立っていたのだ、
左腕から血を流しながら。
しかも彼女の前には、長いフードを被った黒装束が3人立っている。
黒装束の真ん中の1人が右腕をゆっくり上げた。
その腕の先で短刀が鈍い光を放つ。
ルークからリアまで十歩程。
間に合うか!
そう思い駆け出そうとした瞬間、リアが振り返りルークの顔を見た。
そして何かを言った直後、黒装束の腕が動いた。
「やめろーーーーーーーーーーーーっ!」
ルークは叫んだ。
その叫び声と同時に、己の内側から何かが吹き出すのを感じた。
胸から、肩から、腕から、手の先から、足の先から。
あらゆるところから何かが溢れ出る。
それは際限なく、濁流のように流れ出てくる。
内から外へ。
マグマのように。結界から放たれた亡霊のように。
ルークはもう自分で自分を制御することができなくなっていた。
しかしそれと同時に、黒装束達の動きも止まっていた。
いや、ルークの異変によって動きを止められていた。
ただそれも、ほんの刹那だった。
ドォゴーーーーーーーーーーーーーー!
巨大な爆音がした。
直後、無数の瓦礫が宙を舞い、月の光が頭上から降り注ぐ。
その瓦礫はつい先ほどまで屋敷だったもの。
それらが全て吹き飛び、その場が月の光で照らされる。
原因は何だ?
黒装束達は空を見上げた。
するとそこには信じられない光景があった。
この世界における最強種、ドラゴンの姿がそこにあったのだ。
公爵家を瞬時に血の海にした黒装束集団も、その最強種の姿に完全に動きを止められていた。リアに短刀を振りかざした腕も、その形のままに。
地上の全ての時が止まったようだっだ。ただ一人の少年を除いて。
全身から黒い靄を吐き出し続けているルークは、目を見開いたまま真っ直ぐ前を見据えている。
そして一言呟いた。
「ダムド」
瞬間、闇夜に紛れるような黒竜から黒い衝撃波が放たれた。
響き渡る爆音
吹き荒れる爆風
抗えない爆圧。
そして、静寂、静寂、静寂。
広がる無音の大地
そこに一筋の風が吹いた時、その場に唯一立っている男ルークは、眠りから覚めるようにハッと意識を取り戻した。
彼の目の前には、見たことがない風景が広がっている。
崩れた壁。根元から折れた木。地面に刻まれた無数の爆発痕。
見慣れた日常風景はどこにもなかった。
公爵家の屋敷、毎日買い物に行った街、リアに連れられていった森や川、全てがなくなっている。
そこには見渡す限り、焦土が広がっているだけだ。
目の前には滴る血と無数の死体。それが敵なのか味方なのかも判断することはできない。
彼が唯一認識できたのは、憧れの女性リアの横たわる姿だけだった。
「あ、あ、うあああああああーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」
ルークは喉が潰れるほど喚いた。
24時間テレビが終わる頃までには、次話を投稿できるようにしようと思ってます。