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 由利亜先輩に元気をもらい一人部屋に入ると、何事よりも先にすることを思い出した。

 先輩の検査結果、カルテをまだ見ていない。いつも通りの大判の茶封筒に入ったA4サイズの紙束を取り出すと、入れ物を放り文字列を追い始める。

 どこからどう見ても、異常は見つからなかった。

 逆立ちしても見つからないだろう。

 見終わったあと、あきらめ交じりに読んでいたこともあり、何も発見できなくてもあまり落胆はしなかったがどう考えても状況は最悪だった。こうなってくると、現状頼れるものはもうほとんどない。

 この世界の、神や仏は頼れるものに入れていいのだろうか?

 ぼけたことを考える頭を、「はっ…」と鼻で笑い飛ばして畳の上に大の字になった。

 医学では解明できない。最初からそう言われていた。

 現代医学では無理なのだと、思っていた。今の、現状の技術では不可能は可能にならないのだと。本当にそうか? この病気は、未来なら治すことが可能になるのか? だったら、あの親はどうだ。今にも死にそうなほど衰弱しきった先輩の両親と、弓削さんの母親、あの三人は助けられるのか?

 ていうか、先輩の両親と弓削さんのお母さん、なんであの三人は全く同じ症状を発症してるんだ、まったく同じなら、じゃあ、


 もう一人、先輩みたいな人間がいることにならないか?


 思考が飛躍し、あらぬ方向に飛んでいくのを首を振ることで止め、思い直す。

 これは病気だぞ? なにが理由で因果関係を持たせて、発光する美人を俺は想像したんだ。人間の命を吸い取りながら、他者が輝き生きるなんてのは病気じゃない、それは、それは―――

「―――それは怪奇現象だ。だろ?」

 突如として現れた存在は、当然のようにそこに立っていた。

 戸を開け、俺を見下ろすように。そこにいた。

「何しに来たんだよ、兄さん」

 俺は体を起こし、いらついた頭で男を迎えた。




「由利亜先輩が怖がるから来るなってあれほど言っておいたのに」

 さっきまで食器の片づけをしていたであろう女子高生の姿のなくなったキッチンには、洗い残された食器と一枚の割れた食器が床に散乱していた。

 俺はそれを片付けながら、いつもながらに突如として登場した兄に愚痴をこぼした。

「だから、いまお詫びを兼ねてこうやって食器洗いを手伝ってるだろ。悪いとは思ったんだけど、お前がそろそろ考えをまとめる頃だと思ってな。その考えを自己否定されないうちに釘を刺しに来たんだよ」

「だったら別に電話でよかっただろ」

「お前さん携帯持ってないじゃん…… それに、まさかこんなに嫌われてると思ってなかったんだよ…」

 地味にショックを受けているらしい。ウケる。

「いや、ウケねえから」

「モノローグに突っ込むな」

 ばかばかしい話をしながらガチャガチャと片づけを進め、あらかた片付くとお茶の準備を始めた。

 いつもは由利亜先輩がやってくれるが、たまには俺がやるのも悪くない。

 食器を棚に戻し、お茶を用意すると、由利亜先輩が引きこもっている部屋の戸をノックする。

「兄さんはそっちの部屋に入ってて」

 目を細めながら言うと、「へいへい」とうなだれつつさっきまでいた部屋の戸を閉めた。

 すると、由利亜先輩が扉を開けて顔を見せる。

「太一くん、なあに?」

 頭から毛布をかぶった由利亜先輩は、チワワみたいでうっかり抱きしめたくなるがそこを理性で抑え、

「お茶です。たまには俺が入れるのもいいでしょ?」

 おどけながら由利亜先輩専用の湯呑を差し出した。

「あ、ありがと」

「すいません、急にあんなの来ちゃって。今日中に帰らせますから、少し我慢してください」

 初対面で恐怖体験させられた相手と一つ屋根の下なんて、ぞっとしないだろう。そう思っての発言だったのだが、目じりに涙を少しためながらも由利亜先輩はフルフルと首を横に振った。

「家族のこと、そんな風に言っちゃダメだよ? 私のことは気にしなくていいから、ゆっくりお話ししてね」

 震える唇で、そんな言葉が紡がれた。

 今日、俺の中で由利亜先輩の株爆上がりなんだけど、なんだろ、風邪?

 俺はそんな由利亜先輩の優しさを無下には出来ないと思ったし、それでもこんなにも震えた状態を、いつまでも続けさせとくわけにはいかないと考えたから。

「わかりました。じゃあ少し、出てきますね」

 入れたばかりのお茶を一息に呷って、俺は笑った。

 由利亜先輩に一言告げると、兄を部屋から引っ張り出し、玄関から放り出した。

 少し歩いて、ああ冬だなあと思わせる気温が肌を突き刺し、自分の出で立ちがかなり薄着なことに遅まきながら気付くが、今から戻るのもなんだか面倒で、結局寒さは我慢することにする。

「寒いな、もう夜はコートが必要かな」

 吐き出す息が白いことに気付きつつ、

「そうかもね」

 独り言のように相槌をうつ。

 一瞬、視線がこちらを向き、しかしそれ以上は何も話しかけてはこない。

 夜の静けさと、月の透き通るような光の下で、俺はただひたすらに考えていた。

「怪奇現象、って、何のこと?」

 俺の思考がまとまって、そのまとまった思考の荒唐無稽さに俺がその考えを否定のゴミ箱に入れようとしたそのとき、この男は俺の思考を読んだかのようにその言葉を口にした。

 怪奇現象。ポルターガイストや超自然的な力に寄って引き起こされる奇怪な現象。でもそんな物と、現在挑んでいる科学の追いつけない秘境とに、何の関わりがある?

「怪奇現象は怪奇現象だろ? 言葉の通りだ」

 どこに向かうでもなく進める足に停止を命じ、俺は兄をきつく睨んで再度問いかける。

「怪奇現象、それがこの現状と何の関係がある?」

 三四歩ほど先で足を止めた兄がこちらを振り返り、「ふん」と息をついた。

「最初から、あれが病気でないことは解っていた。」

 は?

 言われた言葉の意味を理解することが出来ず、心の中で変な声が出る。

「まず、俺がこの件にお前を巻き込んだのは、それがお前の周りの人間の事情だったからだ。何も言わなくてもお前は今、俺とこうして面と向かっていただろう。その状況に置いて、心情的には今より俺を否定する感情が強くなっていたはずだ、だから最初から潔くお前を巻き込むことで、その手の負の感情のリスクを減らした」

「ちょっとまて! どういう……!?」

 俺に解らせながら話す気がないのか、淡々と事情だけを説明し始める兄に、俺は待ったをかけるが人の話を聞く気も無いらしい。

「そもそも俺は、お前にこの事に関して何も教える気はなかった。だから、あんな無駄に大がかりな設備まで使って病気であることを強調した。あの患者を検体として利用するために、後輩であり信頼されているお前の名前を使った。

 全てはそれが始まりだった。確かに俺はお前の才能を強く買っているが、まさか、自力でそこまでたどり着くとは思ってもみなかった」

 再び歩を進ませる兄の背を追い、俺も足を動かした。

「なんで、俺に今そんな話をしてる? そもそもあの場面で兄さんが現れなきゃ、俺はこの思考を捨てるはずだったのに。それが分かなかったわけでもないでしょ…」

 兄は前を向いたまま、あえて感情を隠すように告げる。

「思考がそこに至ってしまえば、どんなに馬鹿みたいだと思っても忘れることは不可能だ。なぜなら、それが真実だから。論理的な帰結からもたらされた非論理的な思考は、捨てきることの出来ない物へと変化するんだよ」

「シャーロックホームズじゃあるまいし、不可能は不可能のまま、不可能でしかないと思うけど」

 俺はくだらないと吐き捨てるように言う。

「いいや、ホームズも言ったろ? 『不可能を消去して、最後に残った物がいかに奇妙な物であっても、それが真実となる。』まあ俺、ホームズ嫌いだけどね」

 嫌いなのに台詞が頭に入ってるとか何なの?

 じゃなくて、と声を発そうとして、遮られる。

「ともかく、本当はさ、お前が何か勘違いみたいな思考に陥って、何もかもをぶち壊しにしてくれれば全て丸く収まったんだよ。俺はお前の先輩とその両親のバイタルデータが欲しかっただけだからさ」

「でも俺はそんなポカやらかさない、そんなの解ってただろ」

 バイタルデータ云々は、聞いてもろくな解答が得られないだろうから質問から除外する。

「ああ、解ってた。解ってたけど、でも、もしかしたらするんじゃないかって、思ったんだよ」

 段々と弱々しくなる声に、なんとなく察しがついた。

「兄さんは、いつも俺のことを天才呼ばわりするけどさ、俺は全くそんなことはないからさ、ちゃんと考えて、行動してるんですよね。だから変なところで変なことしないし、こういう時、変な方向に向かったりしない」

 自分のことを語るのは苦手だ。だから端的に言う。

「いや、天才ってのはお前みたいな奴のことを言うんだ。努力が必ず身を結んで、少数の優秀な人材に信頼されて、時には迫害に遭いながらも飄々と生き抜いて見せて、凡人の必死で出した解答に当たり前のように数日で到達する。そういう常軌を逸したことをする奴を天才って言うんだが、お前は全部簡単にやってのけるよな。ほんと、鬱陶しいくらいだ」

 なにを言われてるのか、意味はよく分からないが口は挟まなかった。言われてることがもっともだと思ったからじゃなく、さっきまで淡々としていた口調が、少し微笑み混じりになったから。

「まあいいや、天才とか凡人とか、そういう話は今はどうでも。そんなことよりさ、先輩と怪奇現象の繋がり、話して貰えるんだよね?」

 言いながら、違和感をぬぐえない。

 怪奇現象と繋がるって、なんだそりゃ。

 だが、そんなことを気にした様子もなく、この男はこちらを向いてさも当然のように言った。

「ああ、ここまで来たら全部知ってもらう。今にも神にされそうな女性達の悲劇の話をな」

 その笑った顔に、笑顔はなかった。




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