解決? いいえ、伏線です。
山野 271話
由利亜先輩との関係が微妙。
やけに鋭い巫女さまにバレたこの数日の事実。
それでなくても鋭い人なのだ。あからさまに話題をさけていたのだから当然バレる。
「まあ、いままでが異常だっただけで、ここ三日間は普通になったって感じな気もするけど」
これまでの由利亜先輩の行動を思い起こせば、どう考えても高校生のほぼ初対面の先輩後輩のやりとり出なかったのは確かだ。
初対面の時点でおかしかったのだ。部活に入れないためだけに突然押しかけてきて、家に居座ったり。家の事情があるとは言え本当の意味でに同居している。
それに、少なからぬ身体接触もあったり。
こんなことは通常起こり得ないことだ。
先輩美少女と一緒に暮らす生活なんて、現実的では毛頭ない。
だからやはり、いままでが異常だったのだ。
その異常を、まるで当たり前であるかのように見せてくれていたのは、他でもない由利亜先輩で。俺はその見た目に甘えていただけで。
由利亜先輩がそう振る舞うのをやめて、現実が見えてきた。今はそういう状態なだけ。
これが普通で、多分、これが真っ当。
「家に住んでいいって言っただけで、俺は何もしてないしな」
由利亜先輩の好意は、俺への感謝のようなものだろう。
それだって、俺はただ場所を提供しているだけ。親が借りている部屋の余っている一室を、我が物顔で貸しているだけ。
実質俺は何もしていない。
だから感謝など無用なのだ。
するのであれば、俺を今の学校に入れた兄と、部屋を借りている両親へするのが妥当だろう。
俺はそれを伝えるメッセンジャー程度にしかなり得ない。
何か卑屈にも聞こえるが、客観的な事実だと思う。
ふと、この数日のあからさまさは、清算期間が終わって、これからは普通に過ごしますよという由利亜先輩からの合図なのかも知れないと思った。
アメリカに連れて行ってもらって、過去の因縁のようなものも晴らさせてもらった。
半年、美味しいご飯や良好な生活を提供してくれた。
そろそろ、俺は由利亜先輩を解放するべきなのではないか。感謝の檻に閉じ込めているのは、俺なんじゃないだろうか。
息を呑んで、詰まって、むせた。
「はぁ……」
薄々は気づいていたし、何度か思うことはあった。
でも、きっと違うと思っていた。
由利亜先輩も楽しんでくれていて、今の生活が一番だと思ってくれていると思っていた。思い込むようにしていた。
でも現状違うだろう。
たぶん俺は貰いすぎた。部屋を貸した程度のことではあり得ないほど。
由利亜先輩もそう思って、関係性の改善に動いたのだろう。
だから、微妙とかではないのだ。
ようやく普通の高校生らしい、歪な同居生活に収まった。
ただそれだけなのだ。
:*:*:*:
「まあ太一君はそうやって思うよね」
帰宅して風呂を終えて、食卓でただボケッとしていた俺にペットボトルの水を渡してくれたのは先輩だった。
これまでは、俺が帰宅するときにはほとんど間違いなく由利亜先輩がいて、一息つく頃にお茶をいれてくれていた。
たった三日、それだけの日数で俺はその光景さえ遠いもののように思っていた。
「そう、って?」
受け取った水の蓋をとって飲む。
風呂から出てから何も口にしていなかった体に染み渡る水を感じる。
先輩が定位置に腰掛けて、俺の目を覗き込んでくるのを視線だけで逃げて再度「あの」と聞き返す。
「いや、太一君はさ、いいんだよ、今まで通りで。これまで通りのやり方で、いつも通りにやってくれればさ」
「意味がわかんないんですけど」
いやね、と。
「太一君が私とか、鷲崎ちゃんのことを考えてくれているのは見てればわかる。いつも私たちのことを優先してくれてるのもわかってる。だから、太一君が一人で思い悩んでるのもわかってる、つもり。でも、鷲崎ちゃんのことを考えている時の太一君はどうしても、なぜか、マイナス方向に思考が傾きすぎている気がする」
マイナス、だろうか?
先輩の目が細くなる。飲み込まれるような感覚に、俺は頭をぶんぶんと振り、眠気のようなものを飛ばした。
「好きな子でもいるのかなと思ってたの」
「は?」
突然の言葉にそう返す他ない。
「だってそうじゃん? 鷲崎ちゃんも里奈ちゃんも綾音ちゃんも、みんな可愛いし太一君に好意を持ってる。言葉にしてさえいる。なのに太一君は頑なに知らんぷり。角を立てないように拒絶はできないけど、受ける気も絶対なくて、だから、好きな子でもいるのかなって」
「好きな子……」
そういう言われ方をすると、俺が何かすごくモテているような言われようだ。
「先輩だってさっき言ったじゃないですか。俺ならそう思うって」
「いやいや、だからさ。そう思うことで誘惑に抗ってるのかなって、そう思ってたの」
誘惑って言われると今度は俺がすごくお堅い人みたいだ。
「べつに好きな子なんていませんし、告白されたら結構ころっと付き合うと思いますけどね」
先輩は眉間に皺を寄せて、
「へー? そうなんだ?」
「え、なんですかその感じ」
「じゃあ太一君、私と付き合ってよ」
「じゃあって言っちゃってるじゃないですか、嫌ですよ」
俺の返答をわかっていましたとばかりに先輩はしてやったりと、
「ほら、絶対断るじゃん? 太一君は鷲崎ちゃんにも同じこと言うよ」
「由利亜先輩から告白されたら断れませんよ、俺の意思力はそこまで強くありません」
「それだと私に魅力がないみたいなじゃん」
そんなつもりはないんですけどね。
目を逸らして水を飲む。
「太一君はこう思ってる。私たちからの好意は、自分が強要している感謝の形なんだって」
そうやって、の部分はズバリだった。むせるところだった。
「太一君は、鷲崎ちゃんが自分に都合がいい女の子を演じてくれてると思ってる」
そんなことないとは口が裂けても言えなかった。
「これだけ一緒に生活してきて、たった三日で、太一君はもう鷲崎ちゃんのことを別の女の子のように思い始めている。ん、違うな、思おうとしてる、って方が正しいか」
間違っていない。どこまでも正確に、俺の思いを言い当ててくる。
だからもう、いいかなと思った。
「俺、もう由利亜先輩を解放してあげたいんです。親から逃げて友達の家を転々として、そんな生活の中で俺のことまで心配してくれて、たまたま俺が手を差し伸べられる環境の人間だっただけで、住む場所を提供しただけで」
宝石のような碧をした瞳が、俺を射る。
怯むことなく俺は続けた。
「俺は由利亜先輩からの好意を受け取っていいほどの人間じゃないでしょ? 何もしてないんですよ。だから、もういいんですよ。寝泊まりする場所がある。由利亜先輩にはそれだけでいいんじゃないですか? 今までがおかしかったでしょう?」
ガタンッと先輩が椅子を鳴らして立ち上がり、震える唇が開く。
言葉が紡がれる前に、玄関が開いた。
視線が向くのは同時だった。
これまで見たことないほど、怒りが見てとれた。由利亜先輩が本気で怒っていた。
暴力に関するときでさえ、もう少し、ほんの少し優しく見えるほど。
「わたしの……私の心を!! 太一くんが決めないで!!」
戸が閉まる音をかき消して、由利亜先輩は怒鳴り上げた。
「私ずっと言ってたよ……? 太一くんが好きだって、太一くんだから好きなんだって……!!」
それは叫びだったのかも知れない。
涙が混じり、目を大粒の滴が伝う。
「言葉じゃだめ? どうしたら伝わる? ねえ‼︎ わからない……わからないよ……」
由利亜先輩が帰ってきたばかりの家を飛び出していく。
なんでそんなに怒るのか頭が混乱していて、俺には止めることができなかった。
大きく呼吸をして椅子に座り直した先輩が、俺を見ていう。多分、さっき言おうとしていたこととは全く違うことを。
「いつまでつったってんの? 早く追いかけなよ。いる場所なんてわかってるでしょ」
立ち上がる勇気がなかった。
俺が追いかけて何になるのか、全くわからなかった。
これはただの時間稼ぎ。追いかけなくていい時間の引き伸ばし。
「先輩はこの家にいたいですか」
質問でもなんでもなかった。ただの八つ当たり。
「夫婦喧嘩なんか私は食べないよ。ていうか、ここ私の家でもあるから」
親を亡くし、現状保護者がうちの兄であるこの人は、その保護者からこの住所をあてがわれている。つまりこの部屋はこの人の家でもあるのだ。
だから先輩はこの家から出ていくことなどあり得ない、そのことをわかっていて俺は恥知らずにも意地の悪いことを言った。
「………」
自分が何をしたのかも棚に上げて。碌でもない人でなしだった。
「私、太一君に何か言われても特に何も思わないよ。それくらい感謝してるし、それくらい何も返せてないと思ってる。だから、たまにサンドバッグにされるくらい気にしないよ」
「ごめんなさい。二度としません」
「あの、いや、なんか言い方難しいね。本当に、思うところはないんだよ? ていうか早く行きなって、結構寒いから上着持ってってあげて」
「お母さんみたいなこと言うようになりましたね」
「あんたたちが子供なのよ」
重ねてお母さんみたいなことを言うと部屋から由利亜先輩の上着をとってきて渡してくれた。いつだったか、俺と一緒に買いに行ったやつ。普段は着ずに丁寧にしまってあると聞いていたそれを、わざわざ引っ張り出してきて。
しかしその姿は、夢で見た先輩のお母さんとはまったく似つかないものだった。
家から少し走ると見える公園のベンチに由利亜先輩は座っていた。
そしてその周りを小学生男子に囲まれていた。
遠目に見ると、人気の女の子を男の子たちが取り合っているように見えなくもない。
「どうなってんじゃ、ありゃぁ」
俺は近づくのを躊躇い、自販機の陰から様子を伺う。風向きがいいタイミングだけしっかりとした声になって聞こえるくらいのギリギリの距離だった。
「泣いてんの? 大丈夫? どこか痛いの?」
声が聞こえなくても、どうにか唇の動きで何をいっているのかはわかった。
「彼氏にやり逃げされたの……」
あの人小学生相手になんてこと言うんだ。そう思ったが言われたいま出ていくと小学生の総攻撃が待っている気がする。
今は大人しくしていよう。
「ずっと好きって伝えてて……でもわかってもらえなく……だから体で───て? 太一くん????」
これ以上は子供には早いお話だと判断し、ちびっこ先輩を抱えて戦線離脱を決めた。
端的に言えば、お姫様抱っこで掻っ攫った。
「ぼーっとして、変なこと言いそうになってましたよ」
「……ほえ? ──────ッて、離して! 私は今ものすごく怒ってるの‼︎ こんなことで許せる怒りではないの‼︎」
目の前から突如女の子が消えた小学生たちはキョロキョロとあちらこちらに目を走らせているのを横目に、俺は暴れるロリっ子を連れて走った。
目的地は決まっていた。
『ねえ、太一くんてさ、実はまだ鷲崎ちゃんのこと助けられてないと思ってるでしょ。最初の時も、この間の時も。間に入って仲裁はしたけど助けるとまではいかないって思ってるでしょ。だから感謝の度合いが大きすぎることに少し引け目があるんじゃない? それに、「助けた」って上での好意に後ろめたさも感じてるでしょ。鷲崎ちゃんのもどかしさも、君のその潔癖さも、私はどっちも好きだよ。でもだから、さっさと助けてあげてほしい。それから、君の気持ちを聞かせてあげてほしい。大丈夫。事実を受け止められないような人じゃないよ。あんなにおっきな胸があるんだから』
最後台無しだけど、先輩の言葉に俺は決意したのだ。
由利亜先輩をあの家に迎え入れたい、と。




