寝ている彼女のことを。
人間がなぜ生きているのかなどという問いを、俺に投げてきたのは誰だったか。
そして俺はなんと答えたのだろうか。
正直どうでもよかった。
俺が答えた内容がではない。この問い事態がだ。
問われた時もそう思ったはずだ。
どうでもいいと。
では俺は確かにそう答えただろうか?
いや、そんなふうに蔑ろに答えてはいなかったはずだ。
俺はあの後輩の先輩でありたかったし、あの後輩は俺を先輩として見ていた。
だから背伸びしていた俺はこう答えたのだ。
「そういうのを探すために、生きてみるのが楽しいんじゃないか」
少し困ったように口元を歪めた後、心を決めたみたいにふっと息を吐いて眉尻を下げて。
「太一先輩のばか」
生きたくなっちゃうじゃん。と。
宮園唯華は泣きそうに笑う。
;*;*;*;
「後悔を残したまま生きることを俺はあまり良く思わないね」
白髪の女性はタバコに火をつけて前髪をかき上げながらそう言った。
由利亜先輩の言葉通り、真赤な太陽が登る海を眺めてのことだった。
ちなみに、太陽を楽しみにしていたロリっこは完全に爆睡していて全く起きる気配がない。
「おいガキ」
「はいはい、ガキですよ」
車の中で由利亜先輩の頭を撫でていたらタバコ臭い人から呼びつけられてしまった。
「さっきの話の続きだ」
「続き? 話ってなんでしたっけ」
「そういえば、まだ本題は全く何も話していなかったか」
そりゃすまないね。そういって吸っていたタバコを車に押し付けて火を消した。
そんな人いるんだと驚いていると、吸い殻をポケットに突っ込んで胸ポケットから新しいタバコを取り出した。
「だがこれは言ったな、俺の研究を手伝え、って」
言い切ると、タバコを咥えて火をつける。
その所作には1ミリの迷いもなかった。
「ええ。それは聞きました。聞きましたけれど、俺はあなたの研究がなんなのかを知らないし、それに、俺程度の人間にこんなところで研究に没頭している人たちの手伝いができるとも思えないんですけど」
「はっ、安心しろ。お前にそんな難しいことを頼むわけないだろ。たかが天才の弟程度に頭を下げるほど俺は安くねえ」
「その割にはなんか色々手を回してから交渉にきたみたいですけど」
たった数日で由利亜先輩をこうも手懐け、俺を懐柔しにこようとするとは恐れ入る。
ただ残念なことに、俺は別に由利亜先輩に言われたからと言ってなんでもやる犬ではないのだ。
そう。俺は人間。
嫌なことにはNOと言える人間だ。
「俺の研究は、脳の支配だ。未だ未解明な部分の多い脳という器官を暴き、自由に操作する術を研究している」
脳の支配と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、由利亜先輩だった。
「どうだ? お前はこれが、喉から手が出るほどに欲しいんじゃないか?」
脳の支配。
脳を、支配。
「脳、支配?」
その言葉を聞いて思い浮かんだ由利亜先輩は車で爆睡中だ。
寝顔が天使な由利亜先輩は、怒ると怖い。
怖い由利亜先輩は困った時口をすぼめて眉がよる。
「なるほど。確かに支配されていやがる」
由利亜先輩に脳を占拠されてしまった。
思考どころではないな。
「そういう意味じゃねえよ」
は一言そういうと一息にタバコを半分ほど灰に変えた。
その肺が落ちるのを見て、俺は捲し立てる。
「は? これだって立派な支配だろうが。手ぬるい研究してんじゃねえぞボンクラ研究者!」
自分で思っていたよりずっと強い言葉で紡がれた言葉。
白髪の女性はタバコを取りこぼしながら、
「……なんか、悪かった」
「あ、いや、すいません、熱くなっちゃって……」
自分が一体どれほどのレベルで鷲崎由利亜という人物に埋もれているのかという事実を否定されて、どういうわけか恥ずかしげもなくブチギレるという、恥ずかしいを通り越して死にたくなるような行いをしてしまった。
頭の中は由利亜色、ということになるのかもしれない。
しれてどうする。
「お前のあの娘への感情をお前が履き違えていないことはわかるが、それはお前側だけの問題だということは言うまでもないのかね?」
女性は数拍の時間を置いて、俺にそう尋ねた。
尋ねている時点で答えなど分かりきっているであろう。
つまり、俺の口から直接、どうしたって聞きたいということなのだろう。
俺がどうして由利亜先輩と一緒にいるのか。ここでそんなことを聞く必要があるのかは、わからないけれど。
「いやさなに、お前は俺がどうしてお前に研究の手伝いを依頼しているのかわかっているはずなのに、疑問に思っているふりをしているのがちょっと気に食わないだけさ」
「俺が脳の支配に一家言あると、そういうことですか? 残念ですがそういうのとは縁遠い生活を送ってまして」
というか、脳の支配はされるのが専門であることを今さっき証明して見せたばかりだが。
「いやいや、お前にはあるだろう。ここに。研究の代償と、それに釣り合うほどの対価が」
俺は女性を見る。
その顔にタバコはすでにない。
俺を見る女性の目には、光がなかった。
「心が読める人間と喋って平然としていられる人間というのは貴重だよ。まして、読んでいる前提で、言葉にしないで会話をしてきたのはお前を含めて二人だけだ」
俺以外の、後一人。
それが一体誰なのか。
その人のことは知らないけれど、俺にははっきりとわかる。




