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巨悪の再来、しかしシリアスは御免。

 兄が俺の事を嫌っていることに気づいたのは中学入学の少し前の事だった。

 何がきっかけと言う事は無かったが、多分俺が思春期に入って兄を見る目が少し変わったことは、そこに影響していただろう。

 露骨に嫌悪感を示されたわけでもなければ、何かを言われたわけでもない。

ただ、俺が何かを成し遂げた時の、兄の俺を見る目が酷く冷たかったことを除いては。

 小学校五年の時、野球の大会で全国大会の準決勝まで勝ち上がった。準々決勝で肩を痛めたピッチャーの俺は、準決勝ではベンチに下がり、チームは負けた。兄は地区予選から試合を見ていてくれて、勝つ度に心から喜んでくれていたし、正直俺よりも喜んでいたように見えた。しかし、準決勝での敗戦にだけは、ほっとしたような顔をしたように、俺には見えたのだ。

 その後、肩のけがはすっかり治ったが、治療の間、体力の維持の為に逆手でバトミントンに励んでいた俺は、もっぱらバトミントンが楽しくなってしまった。六年生になると大会にも出してもらい、唯一の出場大会で全国大会まであと一歩のところまで歩を進めた。

勝ちの報告をし、後一つで全国だと伝えた時、俺は兄に喜んでもらえると思っていた。

結果は、言葉では「おめでとう」と言ってくれているのだが、目には何か言葉にはならない心情が露になっていて、兄の心底からのおめでとうは、それ以降聴くことはなくなった。

 中学入学前に、両親の勝手で全国模試を受けることになった。

どうせお金を払うのだからいい結果が欲しいと思った俺は、平時は学校に置き去りにする教科書を家に持ち帰り食事前の一時間、リビングで読むだけと言う今考えれば明らかに勉強を冒涜している学習法を行い、試験に挑んだ。

 結果を伝えた時、兄は俺に「お前は本当に何でもできるな」と、酷く冷たい目で告げた。

結果は、全国三位だった。



 前回は地図に意識がいっていたため、あまり見ていなかった周りの景色をよく見ていると、住宅街と言った風ではないのだが、マンションがかなり多いことに気づく。

 ところで、アパートとマンションの違いが何なのか、俺は今日日知らないのだが、一体あれはどういう違いがあるんだ?

「それにしても分かりやすくて便利なお家だよね~」

 眼前にそびえる高層物を遠目で眺めながら、現実感を切り離した他人事のように先輩がゆるーくつぶやいた。

 今は由利亜先輩のお父さんに会って、俺の家に泊まる事の許しを貰うという事案解決のための行軍中。二度目の訪問となり、それでなくても見ればわかる建物に向かっている最中なので、地図もアプリも必要なく、ただ空を見上げて道を選びながら進んでいた。

 由利亜先輩が俺の家にとあるようになって早くも一か月が経とうとしていた。確か、おばあちゃんちに行ってくるねと言って家に来なかったのは、四週間のうちの二日ばっかりだった気がする。つまり手遅れなのだ。最早ほぼ住んでいる。

 つまりこれは事案解決などではなく、事後承諾、既成事実はありませんと言う、俺の保身のための行為に他ならない、ような気がしてならないが、さすがに許可を取らないわけにはいかない。スマホから連絡を取るだけでは駄目だと判断したのは、俺の常識的判断の一種なのだが、これが正しいのか間違っているのかを判定してくれる人間はこの場にはいなかった。

「今日はいらっしゃるんですか?」

「んーわかんないけど…いなかったらまたあの人がいるかもなんだよね……」

 俺の腕を取り、右側の感覚を柔らかさで埋め尽くしながら、一気に雰囲気を沈み込ませる。

 重っ! 空気重っ!!

「すいません、うちの兄が……」

 どんなに重い空気でも、俺に言えるのはこれだけなのだ。

「まあでも、太一君のお兄さんだって暇じゃないだろうし、そんなに毎回はいないでしょ」

「で、ですよね!!」


「やあ太一」

「なんでいるんだよ!!」

 首が痛くなるほど見上げることが出来るマンションの玄関口にたどり着き、エレベータに乗り込み、この風景なれないなあと思いながら屋上に到着し、前回と同じに応接室代わりの広間の襖を開けると、前回と全く同じ場所に鎮座していた。

 期待していた分、最強に気分が悪くなったのを責める人間はこの場にはいなかった。

「なんでいるとはご挨拶だな、一か月ぶりに弟に会いに来た兄に向ってその言い草はどうなんだ?」

「ああ…そういうことか……」

 こいつ、実は毎日ここにいるんだな…

 実はあまり兄を良く思っていない先輩は、今日も今日とてマスクに手をかけ相手を硬直させる気が満々で、前回の事がトラウマな由利亜先輩は俺の背後に隠れるどころか背中に抱き着き震えていた。

「なんでまたここにいるんですか」

 鋭い目つき、裏表がないからこその尖った言葉。先輩の持ち味であるが、目の前の男は俺の兄なのだった。

「まあまあ、そう怖い顔するなって。太一の顔を見に来たなんて冗談はさておき、鷲崎さんへの伝言を正造氏から預かっている。今回の依頼はそれさ」

 得意げに何やら紙をひらひらと見せつけて来る兄の伸びきった鼻を折ってやるつもりで俺は口を開く。

「どうせ顧客がこっちに多いからここに依頼を理由に住み込んでたんだろう? それをわざわざ来てやったんだよみたいな言い方をするなよな」

「俺の行動を全部見ていたみたいなことを言うのはやめてもらおう」

 んっんん!

 咳ばらいをし、場を整えようとする兄。

「事実なんだ…」

 ぼそりと呟いたのは由利亜先輩。この家の住人だった。

「私の部屋…」

 さらにつぶやく。

「まさか…兄さん…」

 同調し、俺は一歩後ずさる。

「え…ま…まさかねえ…」

 先輩も空気を読んでくれた。

 怪しい雰囲気に兄は瞠目し、

「…い…いやいや…!? 君の部屋がどれかなんて知りもしないよ!!?」

 じりじりと後ろに下がっていく俺たちを、兄は「えっ? えっ?」と寄る辺なく見ている。

襖の敷居にたどり着き、三人はバっと振り返って由利亜先輩に追随する。

最早そこには、震えるチワワの姿はなかった。

 一つの扉の前にたどり着くと、ノブを回して勢いよく押し入る。

そこは俺のアパートの部屋と同じくらいの広さの一つの部屋が広がっていた。

「特に変わった様子は、ない、かな…」

「タンスは!? あの兄ならやりかねませんよ!」

「お前は兄を何だと思ってんだ!!」

 広間において来た兄もいつの間にか追いついていたらしい。

「何やってんだよ兄さん! 女の子の部屋に入って、しかもタンスに近づこうとするなんて!! 誤解されても何も言えないぞ!」

「お前もだろ!!?」

 絶叫する兄に、俺は言ってやった。

「俺は下着は通過済みだ!!!!!」

 そう、言ってやった、涙ながらに……。

 だってよ! この人風呂出ると下着で動き回るんだよ! 羞恥心とかないんだよ! 俺の感覚は当の昔に下着は衣服だと認識したよ!! もうこの人の下着姿では欲情しない自信があるね!!!!! 全裸でも我慢できるね!!!

 さすがにこれは言えなかったが、兄は何だか察してくれたらしい。

 とてつもない同情のまなざしが、俺を射抜いていた。


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