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245回 あ、えーっと、どちら様でしたっけ……?


「どうも、お久しぶり、というほどではありませんかね?」

 どこかで見たことのある顔だった。

 記憶の浅いところにうっすらと、その顔があるがどこであった誰なのかははっきりとは思い出せない。

 首を傾げていると、由利亜先輩が驚きをあらわにした。

 俺の背後に半身を隠し、

「どうしてここにいたっしゃるんですか、神末さん?」

 由利亜先輩の知り合いか? と思ったが、確かこのひと俺に向かってひさしぶりって言ってたような気がする。

 しかし俺に彼がどういう人物だったのか思い出せない。

 このままでは顔見知りのことをすぐに忘れる酷いやつという汚名を貼らせないどころか、改めて背負うことになってしまう。

 必死になって思い出そうとする俺を見て、何を思ったのか彼は微苦笑気味にこういった。

「そんなに警戒しないでください。山野さんも、俺はもう由利亜さんと山野さん、二人のことを応援するって決めているんですから」

 嘘はなさそうなその言葉に、俺はしかし眉間にシワを寄せる以外の対応をすることができなかった。

 せいぜい、「は?」と言わなかっただけマシというものだろう。

 そう、俺は表向きはげしい反応は示さなかった。

「はぁあ???」

「ついに味方ができた!!!」

 後ろの二人に比べれば。




:*:*:*:



 神末翔馬は鷲崎由利亜の許嫁候補である。

 御牧に連れて行かれたフレンチレストランで、里奈さんと一緒に仰天しながら別世界を覗いたのがつい半月ほど前。

 ひと月という時間がどれほどに怒涛にすぎたかがわかる自身の記憶のなさに、当時の仰天を圧縮したほどの驚愕を感じながらも、えー、そんな人いたっけぇと首を傾げていた。

 正直全く記憶にない。

 あの時は、里奈さんが誘拐されるわ由利亜先輩が厄介だわで色々と精神的に本当に危機的状況だった。

 後から思えば里奈さんの誘拐は必然だった。

 しかしあの必然がなければ俺はもしかしなくても流されるままに由利亜先輩の許嫁を決めていたかもしれない。

 そんな無責任を、俺はやってのけていただろう。

 そう考えてみると、覚えていないのは自己防衛ということになるのかもしれない。

 長々と言い訳しているが、二度目になるが、目の前の少年のことを俺は全く覚えていない。

 いないのだが、許嫁イベント自体は覚えている。

 言われてみれば、いたようないなかったようなと唸ることくらいはできた。

「ははは、天才の記憶に残れるほどの存在感はなかったですかね、俺」

 存在感の有無はともかく、俺の記憶にはない。

 でも確かに由利亜先輩は覚えていた。

 覚えているのだからいたのだろう。

 だが、2対1。

 知らない方が、多数派だ。

「いや、君は覚えてないだけでしょ。私を巻き込まないでよ」

 さっきの由利亜先輩の発言じゃあないけれど、俺の周りにはどうも味方がいない気がしてならない。

 味方。

 まあ深く考えるようなことではないけれど、俺の味方らしく味方をしてくれたのは、まあ、一人だけだ。

「天才なんてこの場にいない。つまりこの場に罪人などいない」

 こんな発想ができてしまう自分を、天才だと思ってしまうということはあるけれど。

 ある種才能の無駄遣いである感の否めなさが否定できなかった。

「おちゃらけてる暇があったら荷物運ぶの手伝って」

 先輩に言われ、再度呼びつけてしまった高速タクシーから先輩たちの荷物を下ろす。

 2階に持っていってベッドの上にボンボンと置いていく。

 ひとり三つくらいの荷物があって、なかなかにハード。

 小さめのリュック一つできた俺とは天と地の差があった。

「太一くんは逆にその鞄に何を詰めてきたの?」

「え?」

俺が何が入ってたかなと頭を捻っている間に、二人は俺のリュックを開けて「財布(円の小銭しか入ってない)、パスポート、読み途中の文庫本、3枚の下着と一式2着の服」という構成であることを暴き出していた。

「この財布、いる? なんで両替してこなかったの?」

 先輩からの質問はもっともだった。

 しかし当の俺といえば、いつも財布を持ち歩いているだけで、結局払うのは由利亜先輩だから支払う状況のことを想定していなかった。とはいえないので。

「ポケットに入ってなかったので忘れてきたんだと思ってました」

 割とデカ目の旅に出るというのに、平然と最も貴重なものを忘れてきたことにした。

「まあ太一くん的には私が払うのが前提だもんね」

 完全に裏目だった。

 闇に落ちそうになる由利亜先輩。

 目が据わっていくのを、

「まあでもわしちゃんが出してるお金って太一君のなんだもんね? なら別にヒモってわけじゃないのか」

「そうなんでけどね」

 あっけらかんという由利亜先輩の表情は、普段のものに戻っていた。

 どうやら先輩に救われたらしい。

 というか、

「そういえばそんな感じでしたね」

 あまりにも自然に奢られているからもうなんだったら開き直っていたのだが、一周回るまでもなく自分の金だった。

 正確には兄や両親の金だけれど、まあ、俺が使うことを許された金だ。

 管理を丸投げして全て由利亜先輩に任せてしまっているのが原因で、自分の金を自分のものと認識すらできていないと言うのはなかなかに問題なのではなかろうか。

 そうは思うものの、俺が持っていても別に何かあるわけでもなく。

 由利亜先輩が持っていた方が効率がいいのだった。

「君は忘れちゃいけないと思うけどね、切実に」

「私が覚えてるから大丈夫だよ。無駄遣いとかはしないしね」

 呆れる先輩がただ事実だけを告げる由利亜先輩に何やら言いたげな視線だけをむけていた。

「節約してるなら貯まったお金で好きなもの買っちゃっていいですよ?」

 何いう訳でもない先輩に代わって、俺は俺で言いたいことをいう。

「本当に困った時に使えるお金がなくなっちゃうよ」

「それは大丈夫です。部屋の箪笥に現生で1000万入ってるんで」

「どこから盗んできたの?」

「人を大泥棒扱いするのやめてくださいよ」

「小心者のくせに大泥棒扱いされてると思い込むのは太一くんらしいね」

 めっちゃ馬鹿にされてる気がするが、進まなくなっている片付けを終わらせるべく会話を切り上げた。

 これ以上喋っても俺が本当に聞きたいことを聞くことは出来なさそうだったから。

 ダイニングで用意されていたペットボトルを手に取った。

 2階からは二人の声が聞こえてくる。

「山野さん。少し、お話があります」

 音もなく、俺の背後に立つ神末翔馬。

 誠実そうな彼に、俺は答える。

「ごめんなさい。俺、恋愛対象は女性で……」

「告白とかではないので安心してください」

 正直、背後に立たれている恐怖感が、すごかった。



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