寝て待てるのは果報の特権。
全員の視線が俺を射抜く。
きっとこの場の誰もが俺の言葉を待っていたその時、我が家の電話機が音を鳴らした。
俺を見ていた目が全てそちらを一瞥し、そして、集中が途切れたように息を吐く。
由利亜先輩のお爺さんが肩の力を抜いて、少しだれるように椅子の背もたれに体を乗せた時、俺は口を開いた。
「あの、電話出てもらっていいですか?」
誰に言っているのかは、視線で示していた。
「私か?」
「はい。あなたへのお電話ですから」
おじいさんは訝しがりながらも立ち上がり、受話器に手を置く。
「本当に、出ていいのかな?」
俺は首を縦に動かして、行為を促した。
音のないように持ち上げられた受話器におじいさんは耳を当てる。
「はい、もしもし」
電話に出るには少し言葉足らずで、しかし、それはある意味正解だった。
相手は出る人間を知っていて、俺は電話の主を知っていた。
だから、名乗る必要はないのだ。
「何?」
電話越しの声は聞こえない。
だがおじいさんの反応で単刀直入に話を進めていることが窺えた。
「いや待て。それでは話が」
電話をかけてきたのは川島だ。
そして、今回の一件を仕組んだのも、川島。
「おい! 契約と違うじゃないか!」
全ての仕込みをあいつは一人でやったのだろう。
もちろん、首謀者があいつと言うだけで、他に手を貸した人間にも心当たりはある。
「なん、だと……?」
電話するおじいさんの姿を見て、この場の誰もが首を傾げた。俺と兄以外は。
川島は由利亜先輩には言わなかったのだ。今回のアメリカ渡航の本当の目的を。
あいつがそれを言っていたら、もしかしたら由利亜先輩は嬉々としてアメリカ行きを受諾し、そして由利亜先輩は俺にアメリカに来るように説得する側に回っていたことだろう。
「いや、ないか」
思考が独り言として溢れた。
それを由利亜先輩は聞き逃さないけれど、しかし問い返してきたりはしない。
「君は、それでいいのか……? そうか……わかった……ああ……」
力の抜け切ったおじいさんは、青い顔で受話器を置く。
ガチャと、落とされた受話器が音を立てた。
川島のやつ、いったいどういう説得の仕方をしたのか。
いや、ただ真実を告げて諦めさせたに違いない。
あいつはゴシップ記者で、それ以上でもそれ以下でもない。
それがあいつを信頼できる理由で、あいつと距離を置く理由。
おじいさんはゆらゆらと力なく戻ってくると、椅子に倒れるように沈む。
「太一、誰からの電話だったんだ?」
「さあ? 電話に出た本人に聞くのが一番じゃない?」
兄は鼻で笑うと、両手を広げてやれやれと呆れてみせる。
大仰な身振りが若干イラッとさせる。
俺には聞く理由がなく、由利亜先輩は俺に説明を求めて目を向けてきている。
兄は全てを理解しており、おじいさんが口を開くそぶりはない。
何が起きたのかわからず説明を求めているのは俺たちではなく、大人たちの方だった。
「お父さん、電話で何を言われたんですか? というか、相手は誰だったんですか?」
そうして沈黙を破ったのは正造氏だった。
「…………なにもない……。全部、なくなった……」
なくなったんだよ、とぶつぶつ呟き続けるおじいさんに正造氏は席を立って近づくと肩を揺すって問いかけた。
正直俺には正造氏がどういう心持ちでこの場にいるのか理解できない。
理不尽に娘を連れ去られる父親の気持ちも、それから目を逸らしながら良しとして仕舞える父親の気持ちも、怯える娘を前にして申し訳なさで押しつぶされそうになる父親の気持ちも、俺にはわからないから。
そもそも、真面目な父親というものを深く知らないので、存在そのものに疑問さえあるのだが、そこはそこ、生活環境の差だった。
俺が与太事に思考を引っ張られていたその時、突然おじいさんが叫んだ。
「お前になにがわかる!!!!!」
それはやはり、俺にはわからない心の機微だった。
:*:*:*:
結局のところ俺は由利亜先輩の呪いも、鷲崎家の呪いも、どちらも解呪などという根本解決を放棄した。
一週間というタイムリミットがなかったとしても、俺には確実に不可能だったから。
簡単にあらましだけ説明すれば由利亜先輩の呪いというのは、小学生の時の心の傷だ。
半ば母親に捨てられ、父親には虐待を受け、手助けはなく、しかし心の中にある父の面影だけが救いだった。
求める面影を、求められる時間軸で彼女の体の時間は止まり、しかし、逃げ場のない成長は身長以外の部分に顕になった。
胸はわかりやすい成長だが、優しさも、正しさも、彼女のその高校生らしからぬ大人らしさは求めるものの反動によって生じたものだろうと考えられる。
鷲崎家の呪いとは何か。
端的に、『金』以外にない。
おじいさんがなぜ、由利亜先輩をアメリカに連れて行きたがったのか。
なぜアメリカで婚約者決めを続けると宣ったのか。
正造氏の仕事とは無縁で、なにもコネのないはずのおじいさんが、どうやって?
答えは簡単。
山野一樹と手を組んだ川島恭吾に唆されたのだ。
正造氏が資産を手離して、遊ぶ金がなくなるだろうとか、そういうデマを吹き込まれたのだ。
だから、玉の輿を狙え、そしてそのために孫を使えと。
川島の狙いは俺をアメリカに行かせることだ。
だから、川島をどうにかすれば解決すると踏んだ。
結果、うまくいったが、事態はなにも改善されていない。
「うまくいった、よな?」
微かな違和感を覚えながら、俺は首を傾げた。




