230回 一週間の成果。
まず第一に、お金というものの話をしよう。
生きるのに必要なもので、あればあるほど自由になれて、持てば持つほど縛られる、お金の話だ。
人間社会で生きていくためには、お金が必要不可欠だ。
何かを買うのに必要で、何かを得るのに必要で、誰かに何かをしてもらうのに、必要だから。
ではお金とはなんだろう。
俺にとってお金とは、そこにあるものだ。
元々あって、なかった時などない。
それは由利亜先輩も同じだろう。
お金持ちの両親の元に生まれ、何不自由なく、困ることなく育ってきた。
俺にも、由利亜先輩にも、お金というものへの執着心と言うものはあまりない。
それは、お金というものに本当の意味で困ったことがないからで、それはきっと、本当に幸せなことなんだおろうと思う。
そういう意味では、先輩は俺や由利亜先輩よりも大人かもしれない。
まああまり深掘りすると無粋というものなので、言明は控えさせてもらうけれど、それでも、誰も知らないことを本当の意味で知っているというのは階段の、一つ上の段にいるような、そんな壁を感じる。
壁なんてない、そんなことはわかっているけれど。
ともかく、そんな先輩はいう。
「お金は大切にしなきゃダメだよ」と。
ぶっちゃけ、先輩がお金を大事そうにしているところなど一度も見たことはないし、なんだったら人の金を嬉々としてバンバン使うところしか見たことないが、それはそれだ。
俺や由利亜先輩、そして俺の兄のように、お金に困ったことのないものにはわからない感覚というものがある。
それはきっと、先輩にもわからない、麻薬のような感覚。
飢えが急激に満たされる感覚、と、いうんだろうか。
だから、俺にもわからない感覚で、言葉の表しようがないのだ。
ただ、状況だけならいえる。
別に、生きるのに困るというほどではなくて、でも、贅沢ができるというほどでもないそんな日常の中で、その人たちには突如として、大金が降って沸いた。
それはそれは恐ろしいほどの金額で、男にとっては、汗水流して働いていたのがバカらしくなるほどだった。
バカらしく、などとは生ぬるい。
男は降って沸いた金で、札束で、社長の頬を引っ叩いて仕事を辞めた。
それくらいの、人間としての理性が壊れるほどの衝撃を、その大金は男に浴びせたのだ。
そして男は笑った。
笑うことしかできなくて。
呆れるくらい、笑って、死にたくなるほど、泣いた。
今までの努力と、今まで見ていたもの、見据えていたもの全てを否定されたような、そんな気分を味わって。
しかし、逃げることなどできなかった。
男にその大金を降って沸かせたのは、誰あろう、実の息子だったから。
金を得て、仕事を辞めた男は、妻を連れて旅に出た。
これまでの自分の世界を否定された今、できるのは自分の中の世界を広げることだけだった。
見聞を広め、絶望から立ち直ろうと、決意して。
どれだけ世界を見て回っても、どれだけ人々と触れ合っても、男の世界に希望が降ってくることはなかった。
妻はそんな夫を、必死になって自分の未来を見つけようとする夫を支えようとした。
見る人が見れば歪で、見る人が見れば麗しい、そんな関係。
誰もが羨む夫婦円満。
身の毛もよだつ、夫婦円満。
そして、お金の魅惑に取り憑かれた人が、もう一人。
鷲崎美紀。
由利亜先輩の実の母。
母子家庭に育ち、商業高校を卒業。
二つの会社で契約社員として働き、三社目の会社で秘書として雇用される。
小さな会社ながら、大手の企業とのコネクションを持つ優良企業で、仕事のできる有能秘書として働いていた。
社長に連れて行かれた立食パーティー会場で、鷲崎正造と出会い、そして、取り憑かれた。
彼女自身、なぜ自分がそこまでしてその男と結ばれようとしていたのか、理解できていなかった。
一目惚れというのでもなく、ただ、結婚したら、人生が変わるとそう、本能に突き動かされた。
それからは何もかもが目まぐるしく変わって、由利亜先輩が生まれて、それでも女は正造を好きだと思ったことはなかった。
そんなこと言ったら、バッシングは免れ得ない。
だから、誰にでも一目惚れして猛アタックしたと説明していて、しかし母親には、「汚い娘だ」と、そう罵られた。
だが、お金があるというだけで、心の支えが取れた気がした。
お金があるというだけで、選ばれたような気がした。
母と過ごした貧しい世界に、戻らなくてもいいと許されたような気がした。
俺には、わからない世界の話。
そして、由利亜先輩には知らせたくない、腹の底の方がゆらゆらと揺れて、吐きそうになる、そんな話。
俺は首を横に振って、邪魔な思考を振り払う。
由利亜先輩がアメリカに行けないようにする。
俺がするのはそれくらいのことでいい。
呪いなんてものを、解く必要はない。
何せ、この一家の抱える呪い、それは─────




