旅立ちの朝
初投稿になります。
ルールもよくわからず、技術的にも拙く稚拙な小説ですが、眺めていただけると光栄です。
主人公同様、私も良い小説を作るために日々探究しますので、ご指摘なども大歓迎です。
どうか、よろしくお願い致します。
ーー人間は見たことのないものを信用しない。仮に信用できたとしても、自分達の縮尺であり得ると思えるものだけだ。だから、捉えることができない、本当はそこにいる何かを、捉えることができないのだ。
触れる事も、目視する事も叶わない何かを、居ないものとして考える。
根本から否定されるべき事象だ。捉え、感知できなくとも、そこに居る何かを、意識しなければならない。
そこに居る、鬼という存在をーー。
✳︎
院長には、本当にお世話になった。
感謝、などと言う言葉では表せない程に。親を早くに失い、道徳を欠いた僕を優しく指導してくれた。あくまで、生活面においてだが、彼は優しかった。一緒に遊んでくれたり、勉強をしたり。院長の優しさは、時に僕の胸を突き刺すように、僕を励ましてくれた。
「今日未明、都内のアパートで男子大学生三人と、女子大学生三人の遺体が発見されました。遺体は、四肢がもがれた状態で発見され、遺体の状況から警察は、鬼の犯行であるとして捜査を進めています」
女性キャスターが、殺人事件の報道をしている。テレビの音声が少し大きく、耳に入る惨劇の様子が脳に浮かぶようだった。
孤児院を出る日に、恐ろしい事件が起こったと僕は思った。
「理がこの院を出る日に、鬼の殺人事件か……。全く」
院長は、この事件に少し怒りを覚えているようだ。声量や声の勢いから、院長の心に灯る怒りを感じた。 孤児である僕を育ててくれた優しい院長先生とは思えない様子である。
たしか院長先生は、親友を鬼に殺されていたはずだ。
『鬼』というのは、この世界に二十年前くらいから姿を現した得体の知れない怪物である。未だ、科学的な根拠からの解明は進んでいない。元々は、人間が想像の中に生み出した化物である。
基本的に、妖怪や悪霊と言った類は人間には忌み嫌われている。人間は、彼らの事を見たことが無いから、信用しない人もいた。しかし最近になり、鬼の存在を目にしたという人間が急激に増加した。人間が変化したのか、彼らが変化したのかは明らかになっていないが、鬼の存在は、少しずつ世界に認められるようになっていったのだ。
僕も、両親と兄を殺されるときに彼等の存在を目視した人間の一人だ。
見ればすぐに、これが鬼であると断定できる姿をしている。角があり、目つきが悪い。牙をむき出していて、狂気と殺戮に満ちたオーラを放っていた。
鬼になぜ僕の家庭が襲われ、そしてなぜ僕が生き残る事になったのかは、未だに不明だ。鬼の目的、存在を明かそうと研究施設や対策本部が作られ、今も研究が進んでいると、報道は伝えている。
「おになんてほんとにいるのー?いんちょーせんせー!」
ちびっ子の元気な声だ。先月四歳になった子供まで、鬼に親を殺されている。僕が親を殺されたのは四歳の頃だったが、その存在は今でも目に焼き付いている。何故、鬼は子供を狙わないのか。そんなことは分からないし、子供でも狙うのかも知れない。
院長先生の親友が殺されたのは、一〇数年前らしく、院長と親友は二十歳を超えていたらしい。よって子供を狙わないというのは迷信かも知れないそうだ。
子供が襲われる件数が少ないというのは顕著に現れ、僕の兄も当時十八歳だったため、狙われたのはおかしくのない話なのかもしれない。だが院長が生き残ったのは、はっきりいって謎だ。
大人でも殺されないことがある。
その程度でしか、理解できないのだ。
さあ、院長はなんと答えるだろうか。
「いるよ。私は鬼に友達を殺されたんだ」
と、正直に伝えた院長に、僕は少し驚いた。ちびっ子軍団も、しょんぼりとした顔になっている。
そのままトボトボと後ろに後ずさりしていった。
「さて、理もそろそろ駅に行かないとな。準備は済んでるか?」
「あ、はい」
「よし。じゃあ行こうか」
言われるがまま、院長と共に外に出た。駅までの道のりは、街を歩いて十五分位である。そのため、僕達は歩いて行くことにした。
「理も、もう十八歳か」
「はい。お陰様で」
院長は、少し改まっている。
今日まで、本当に色々なことがあった。僕は、院長無しで生きていけるか不安だ。親がいない僕を、しつけ、育てた院長が、今日から居なくなってしまう。心にぽっかりと大穴を開けられる気分である。
「一応、富戸では、私の友が経営している本屋で働くことになる。お前なら心配ないと思うが、しっかりな」
「はい」
富戸というのは、僕が一人暮らしする事になっている場所だ。
十八歳を超えると、孤児院では面倒を見てもらうことができない。十五歳の時点で、院長に申し訳ないので孤児院を出ようと思っていたが、高校に行かせたいという院長の願いから、三年間多く孤児院にいる事になってしまった。
お陰で学校に通えたものの、出来るようになったのは勉強と剣道くらいだ。
実は、院長は剣の達人『鑑 夜叉丸』の血筋を引く、剣豪なのだ。
鑑 夜叉丸というのは、強力な殺人剣技を生み出した男である。流派としては、夜叉流と呼ばれる流派である。夜叉丸は、明治時代に時代が移ると共に、剣の世界から身を引いた。しかし、剣技の継承は行われ続けたらしい。そして、平成の今でさえもその殺人剣技は息をし続け、裏社会では少々有名な流派となってしまったのだと、院長は語る。
実際、絵空事のようにしか捉える事は出来ないが、鬼の存在が認められた世の中ならば、こんな小さな事、簡単に認めざるを得ない。
鬼が認められるのなら、夜叉流の存在も認められ、大半の嘘でさえも本当に聞こえるだろう。
そんな殺人剣技を、院長に毎日死ぬほど稽古されて十二年が経った。
正式に僕に剣技を継承する為には、道場に行ってある儀式をする必要があるらしい。よって、駅に行く前に、地下道場に向かうようだ。
僕は、剣道が好きだ。しかし、正直継承などどうでもよいと思っていた。
地下道場にて、毎日の稽古は行われた。竹刀を振り続けた。その道場とも、今日で別れる。道場は、孤児院の向かいの路地から、地下に下る階段を降りると姿をあらわす。
薄暗い路地に、光の入らない階段下の重い扉。小さい頃は怖かったものだ。
木製でできた二枚の板の重い扉には、何重にも鍵がかけられている。
重ね掛けを繰り返すことによって、屈強になった鍵を一つ一つ院長が開ける。重い扉の鎖を外して、扉を押し開ける。軋む木の音が、地面の下の階段にこだました。
妖刀の継承、と言うのは一体何をするのだろうか。
不安と共に道場内に足を踏み入れる。
そんな不安が、暗黒の室内と重なった。暗闇を取り払うように、扉の横にある電灯をつける。天井に縦列で並べられた蛍光灯が、四つほど光を帯びる。五つある電灯のうち、一つは電力を喪い、点滅もする事はない。
その電灯の下は照らされる事がないので、仄暗く不気味な感覚が空間を漂っている気がした。
「理、何年くらいここで稽古をした?」
唐突に、ぼんやりとしたトーンで院長が僕に尋ねた。
「十二年です」
「そうか……。お前は、立派に剣技を習得した。私よりも今は強いだろう」
世辞でも言っているのだろうか。
確かに、僕は死ぬ気で稽古をしたし、剣道と勉強以外特にすることもないので、それのみに打ち込んできた。
夜叉流は、完全に習得しているだろう。
しかし、場数を踏んで居ない僕が、院長よりも上という事はまず無いだろう。
「それは言い過ぎです」
僕は、それ以上の否定が見当たらず、そのように答えた。
「どうだ、最後に一勝負。してみないか? 」
と、院長が云った。特に拒否する理由はない。今までも、散々組手をしてきた。勝率は、四割から六割程度だろうか。勝てる時と負ける時があった。
「い、良いですけど」
「今日は、防具は無しだ」
「ーーは?」
あまりにも訳のわからない言葉に驚いた。竹刀とはいえ、ちゃんと訓練している人間の攻撃を生身で受けたら怪我をする。下手すると骨が折れたり、内臓が破裂したりもする。危険だ。
「いやいや、冗談ですよね」
「冗談じゃないぞ。夜叉丸は、剣技を殺人のために生み出したんだ」
「だから、本当に殺せる剣技か確かめるという事ですか?」
「その通りだ。私も殺す気でやる。お前も殺す気でやる。どのくらいの勝負ができるか、やってみたくないか?」
攻撃的な思考を煽るような言葉ではあるが。僕の変人的な考えがここで出てしまう。
少しだけ、命を取り合う勝負に興味があるのだ。自分がやってきた剣技が本物なのか、気になってしまう。
僕らは一通りの動作を終えて、竹刀を構えた。喉仏を打突できるような位置に置いた、竹刀の切っ先が触れる。
院長の冷たい殺意が、身に刺さるような感覚がした。
その時僕は、彼が僕を殺す気なのだということを悟った。
ここまで育ててくれた親が、僕を殺す。既に、サイコパスのような思想が僕にも院長にも流れている。十八年間育ててもらって、こんな事に気づく事になるとは。旅立つ日に殺しあう。愚かで、人間のやることではないのかもしれない。しかし、どうしても興味がある。
僕自身に、継承される資格があるのか。殺し合いでしかわからないだろう。他を痛めつけ、自を本気で守る。
そうでなければ、己の本当の実力は現れない。
院長の教えで、僕にも流れる意識だ。
何としても、この男を殺す。
脳にスイッチが入るなり、院長の目が変わり、竹刀の一閃がひたいに向かって飛び込む。紫電の様な一撃を、物打ちに抑え、弾き返す。そのまま攻撃に移り、僕は小さく牽制の一打を放つ。距離を取るための牽制でもある。院長は、少しだけ後退りした。竹刀を構え直す。もう一度、沈黙の中に殺意が流れる。普通、この沈黙と触れる竹刀に、攻守の駆け引きの愉しみがあるのだ。しかし、これは剣道ではない。ルールも型も関係ない。純粋な殺し合いの前に、実力と機転が逆巻く。
そして、院長が先に動く。
前足を一気に踏み込ませ、防御不可能とも言える位置に潜り込む。素早く、胴に向かって一打。これはフェイントだ。僕も、一歩大きく下がる。警戒すべきは次の面。尋常では無い速さの面が飛び込む。回避は間に合わない。
叩き伏せることが出来るだろうか。
考えている場合ではなかった。
速攻の面には、俊敏性と力強さがある。自分では攻撃を止めるのが難しい。しかし、院長ならば何か仕込んでくる。ここは無難に攻撃を無力化するのが懸命だ。
「守式、三……!」
僕は、半歩右足を横へ踏み出す。構えを下段へ変える。そして、院長の竹刀の芯を捉えるように自身の全身全霊を乗せた竹刀を振り上げる。
真っ直ぐと、ど真ん中を捉えた一撃は、院長の竹刀を叩き折り、弾き飛ばした。何か、仕込んで来ていても、竹刀を折って仕舞えば攻撃はできない。
はずだった……。
院長は、折れた竹刀を僕に向かって投擲した。あまりに大それた行為に僕は驚愕した。これは、剣道じゃない。殺し合いだ。その時、もう一度痛感した。眼球目掛けて風のように迫る竹刀。守式の方を使用した後では、再度の防御に手が回らない。体の硬直は、止むことはなかった。回避する技は、ない訳ではないが、今の状況では無理だ。なんとかして、目以外の場所に竹刀を当てなければ。
僕は、自らの竹刀を右手のみに持ちかえる。瞬時に左手を目の前に構える。刹那、飛んでくる竹刀が突き刺さった。痛みに思考が支配されそうになる。痛みは、思考を鈍らせる。
無理矢理にでも、僕は右手に意識を集中する。
振り上げた右手の竹刀を、院長の肩目掛けて振り下ろす。ちょうど良く、面が狙えない。だが、肩を破壊すれば、もう攻撃は出来ない。
この一撃に、全てを込める。破壊の一撃。肩を複雑骨折させる勢いだ。叩き込め、自らの本気を。
そう念じながら、竹刀に確かな手ごたえを感じる。叩き割った、院長の肩鎖関節の手ごたえを。
このまま、面を叩き込んで試合は終了だ。肩への攻撃の勢いで、膝から落ちる院長の面に、攻撃を叩き込む。
これで終わり。脳挫傷を狙う。脳内出血でとどめを刺せばいい。
そう思っているはずが、攻撃は震えるようにして止まってしまった。
気づいたら、僕自身も目を瞑っていた。院長の頭部を一寸先に見据えた状態で、竹刀は微動だにしない。
力も入っていないようだ。
「どうした理。もうお前の勝ちだろう」
「出来ないです。出来る訳ないでしょう。血は繋がってなくとも、貴方は僕の親だ。
殺すなんて……無理だ」
「ははは、そーか。しかし、良い覚悟だったなぁ」
肩を抑えながら立ち上がり、院長は僕に微笑みながらそう言った。
「覚悟も決まってて、強烈な攻撃だったよ。防御も良かったな。総じてよかった。本当に強くなった……。私が戦っても殺せないほどに。私を殺せる程に」
院長の目からは、涙が溢れていた。
痛いから泣いているのか、感情的に泣いているのか、僕にはわからない。
親を早くに失い、道徳心の欠如した僕には。
「優しくてあったかい攻撃だった。お前に、夜叉流をを正式に継承しよう」
こんなにあっさりと継承されるのかと、この時驚いた。
まさか、この手合わせが儀式か。
殺しあってみて、師よりも強ければ継承ということなのだろうか。
「って事はもしかして、今のが儀式ですか?」
僕は思い切ってそう聞いた。今後、僕が継承する事もあるのかもしれない。
そう思うと、言葉を放っていた。
「そうだ。本当は手合わせでいいんだがな。お前は手を抜く気がして、殺し合いにしてみた。本気で私を殺すつもりで来てくれて、良かったよ」
また、院長は少し微笑んだ。
先の涙は消え、僕が叩き割った肩をなでおろすように摩る。微笑みは、木漏れ日のように優しく、何か嬉しそうな様子だった。
「お前は、『妖刀』をしってるか ?」
妖刀というワードは、映画や漫画なんかで目にした事があった。しかし、実物の存在を誰も認めない。いわば鬼のようなものだと思っていた。
想像上に人間が作り出した物体。呪われた刀みたいな感じで登場する事が多い。そんな物が、この世に存在してるとでも言うのだろうか。
「映画とか漫画で聞いたことは」
「夜叉丸は、妖刀を手に闘ったと言われてる。そして、この部屋にも妖刀が存在する」
心底驚いた。鬼の次は妖刀か。鬼が認められるなら不思議はないが、現実世界に存在するなんて、なかなか信用ならない。
その時の僕は、そう思っていた。
「冷徹で、明確な殺意。そして、全てを抱擁する大空のような温もりを持った劔を振るう人間に、夜叉丸は妖刀の継承を望んだ。自身の妖刀を、渡せる人間を探していた」
「は、はあ」
なんのことだか、よくわからなかった。
「実は、剣技の継承は行われても、妖刀の継承は行われなかったんだ。夜叉丸は、剣技を継承する事は認めたが、妖刀は誰にも渡さなかった。彼の信じる継承者が現れなかった為だ」
そこまで言って、院長は道場の向かって右側の壁に手を当てた。
「夜叉丸よ。其方の妖刀の継承者が現れた。今一度、妖刀の封印を解放せしものを試すときだ」
僕は、院長に腕を引っ張られ、その壁に手を当てられた。
僕の手を当てた直後に、壁に術式のようなものが現れた。全く意味を理解することができない黒い術式の様なものが、血管みたいに壁に張り巡らされている。
「これは一体?」
体に異常はないが、目の前に起きている事象に恐怖を覚えた。
「……今一度、我を呼び覚ますものよ。妖刀を継承するに値するか、試させてもらおう……」
言葉が、途切れ途切れに力なく耳に響く。この声の主が、夜叉丸なのだろう。死んだはずの人間の声が聞こえる。なぜか、意識が吸い込まれそうな感覚がした。
「この壁の結界は、夜叉丸が妖刀を封印して以来解かれた事がない。数百年の時を超えて、お前に妖刀が託されるかもしれない」
院長の言葉が、全ての謎を解いた。
夜叉丸が生前に封印した妖刀は、未だ嘗て誰も夜叉丸に認められることはなく、継承されなかったということなのだろう。
禍々しいとは違う、だが、重苦しく黒い闇のようなものを、結界から感じた。あの時、鬼から感じ取った感覚に似ている。
この時、僕は思い切って継承を止めることはできたはずだ。しかし、結界から手を離すことは無かった。妖刀の正体に興味があったのか、探究心という感覚に飲み込まれてしまったのか。
鬼に似た感覚に、支配されたのか。
結界が解き放たれる一瞬まで、ボーッと神秘的な黒い文字を眺めていた。そうして、光を放って散った道場の壁の向こうに、大きな洞窟のようなものが現れる。
僕は、洞窟の中心に、眩ゆい光を感じた。
その光は、僕を吸い込むようにして洞窟へと誘った。
✳︎
自分が、何を考えているのかは分からなかった。だが、足は歩みを止めない。踏みとどまればいいのに、止まらない。
壁の向こうに空いた穴の中心から、何かが光を放っている。青白く、そして仄暗い光に向かって、僕は歩いている。トンネルの様な場所で、あたりは闇に包まれている。振り返っても誰もいない。闇の中でも目を使えるのは、左右の壁にある蝋燭のおかげだろう。 薄気味悪く、先ほどまでいたはずの院長は何処かに消えている。光は、少しずつ僕に迫る。僕に迫っているのか、僕が光に迫っているのか、意識は困惑の彼方に浮遊している。
やがて、僕は光の正体にたどり着いた。光を発していたのは、刀だった。
恐らく、これを妖刀だと思って間違いないだろう。刀は、『封』と書かれた札が大量に貼られた岩の上部にフワフワの浮遊している。どういう原理で浮いているのだろうか。
鞘は黒く、青白く輝くラインが入っている。刀身は見えないが、普通の刀よりも少し長めだ。柄も同じく、少々長め。鐔は金色である。何百年と放置されて来た刀なのに、新品同様だ。
近づいて見てわかったが、光は刀からというより、鞘の中心にあるひし形近い石のようなものが複数光っているのだとわかった。
「結界を破りし者よ……。妖刀が汝を主に選ぶかどうか、試すときだ」
まただ。あの時の声。強かったり弱かったり、不安定な声。出所のわからない声。頭にガンガンと響く声。
それでいて、少し若々しい。夜叉丸の声である。実際に聞いたことがあるわけではないが、直感的に夜叉丸の声だと分かる気がした。
「ーー妖刀で、汝の心臓を貫け」
「……は?」
僕の驚愕の声は、洞窟内にこだました。自分の体のどこから出したのか分からない声が出てしまった。声変わりした僕からは出ないような声。
当たり前だ。心臓を貫くなどと馬鹿なことを言われてしまっては、このような声が出ても仕方ないと思う。
「それが継承試験の内容なのか?」
僕は夜叉丸に問う。
もし、それが継承試験の内容なのだとしたら、僕は継承を諦めようと思った。わざわざ死ぬような行為をするのは、正直頭がおかしい。
「妖刀に宿る鬼が、汝を認めるかどうか、汝を喰らうかどうか、決定する」
望んだ答えとは違うし、意味もわからない。この男は何を言っているんだ。
こんなことならば、もう少ししっかりと院長に妖刀の事を聞いておけばよかったと、僕は後悔した。
「夜叉丸。あなたにはいくつか質問がある」
僕は、今頭の中にある疑問を解消しようと、夜叉丸に話を持ちかけた。
「なんだ?夜叉流の継承者よ」
急に呼び名が、『汝』から、『夜叉流の継承者』になった。そして、この男は夜叉丸で間違いないみたいだ。
「妖刀って一体なんなんだ?」
質問に対する答えを待つ。五秒程度空いて、質問に対する答えが返ってきた。
「鬼が宿る刀……。この世界に七本しかないと言われる、呪われた刀。手にした者が、絶対的な力を手に入れると言われる刀。説明は複数できる。しかし、真実は手にした人間にしかわからない。手にした者が、それを使って何をするのか。妖刀というのは、宿した鬼と主人たる人間の関係を表す刀……」
夜叉丸が言っていることが本当ならば、僕の親を殺した鬼のことが掴めるかもしれない。しかしながら、鬼というものに恐怖もあった。鬼が宿る刀を、心臓に突き刺す。仮にそれで死ななくとも、危険な気がする。
こんな風に落ち着いて考えれば分かることも、思考が鈍ると分からないものだ。
好奇心に飲まれ、鬼の存在を確かめようとする。
非日常の空間で、死への恐怖など無かった。いや、非日常性は関係なかったのかもしれない。元々、死への恐怖は薄かった。院長からの殺し合いを受けたのも、そういう理由なのだろうか。自分の心がわからない。
生きることは重要だ。だが、死ぬのはあまり怖くない。僕が死んで悲しむ人間はさほど居ないし、ここで刀を突き刺して、鬼の存在を確かめるのは良い選択だと、僕は思い込んでしまう。
死ぬも生きるも構わない。ならば、何かある方を選ぶ。人間として、ポジティブで良好な選択ではないだろうか。
僕は、妖刀を鞘から抜き取る。光は、一層強くなる。
青鈍色に、仄暗い閃光が刺さるように飛沫する。
光は、時と共に少し治まる。刀身を露わにした妖刀は、精巧な作りの刀だった。フォルムは普通の刀同様なのに、人を引き込むようなオーラを秘めている気がする。刃を見つめる。そこに移る、自分の顔を見つめる。
いつも通りの表情だ。これから、死ぬかもしれない人間とは思えない。
「これを、心臓に突き刺せばいいんだな?」
刀を胸元に構える。切腹とはこういう感覚か。
「そうだ。今ここに、妖刀の継承を行う……」
夜叉丸の声が、はっきりとしだした。若い人間の声だ。僕の意識が人間で無くなれば無くなるほど、彼の声は鮮明になる。
僕は、刀をきつく握り締める。
「妖刀に眠りし鬼の記憶を、汝の魂に捧げよう」
夜叉丸がそう言い放つとともに、僕は妖刀を心臓へと突き刺した。
✳︎
重くのしかかるような瞼を、思い切って開く。
懐かしい木の香りと、薄汚れた天井が覗く。僕の意識と記憶に、地獄のような稽古を乗り越えた道場が現れる。そうして、視界にも道場が入る。院長が、心配そうにこちらを見ている。
「理……?理!」
院長の歓喜を含む声を耳にして、僕はのっそりと起き上がる。腰あたりには、妖刀が鞘に入った状態で転がっていた。
「は、はい。なんとか」
実際、あまり何があったのかは覚えていなかった。
夜叉丸と会話して、心臓に刀を刺した。何が、僕の心がどんな風にその行動に至らしめたのかはわからない。しかし、今の僕は死んでいないことに驚いていた。それと同時に、何も自分の体に変化がないことに拍子抜けした。
「その妖刀は、お前のものになったんだな?」
そう言えばあの時、夜叉丸は継承すると言っていた。
おそらくもう、この妖刀は僕のものだ。
「はい。用途は全く分かりませんが」
「それでも構わないよ。何百年の歴史でお前が初めてだからな。私は嬉しい限りだ」
院長は、少し微笑んだ。
僕は立ち上がり、妖刀を荷物カバンにある予備の竹刀ケースにしまう。荷物カバンを左に、竹刀と妖刀は、右の肩に担ぐ。力を込めて立ち上がり、道場の重い扉から二人で外に出る。
結局、なんの意味があったのかわからない継承式だった。
ただ一つ意味を見出すとするのなら、僕の故郷はここなのだということが、再確認できたという点だ。
親が居ない僕を親切に育て、打ち込める物を与えたくれた院長。明るく、いつも楽しそうなちびっ子軍団。
ここが僕の故郷だ。一人暮らしへの不安は、消えた訳じゃない。だが、なんとかなってしまう気がする。
妖刀を心臓に刺しても死ななかった僕だ。
鬼にでも襲われない限りは大丈夫だろう。
「院長。この継承式には、意味があるんですか?」
見いだす事でしかわからない継承式の意味を、院長に尋ねる。
「私にもわからない。だが、夜叉丸が命をかけた剣技を、継承してあげたい気持ちになるんだよ。
人が命をかけていれば、なんだって美しいものだ」
院長の一言には重みがあった。自分が何者なのか理解できない僕にも、命をかけられるものがあるだろうか。
思い返す。そう言えば、今日は二度も命をかけている。剣技の継承と、妖刀の継承だ。どちらも、僕の好奇心からだ。これは、好奇心というよりは探究心なのかもしれない。自分を探し、生きる意味を見つける。自分を探求しているのだ。
自分が理解できないというのは、探求の途中だからだろうか。少なくとも今はそういう事にしておこう。
僕が命をかけられる物が、探究心なのだから。
読んで下さり、誠にありがとうございます。
第2話も製作中ですので完成し次第、またよろしくお願い申し上げます。