1話 退屈からの離脱
あー……退屈だ。
「退屈」――――深く考えたことあるだろうか?
おそらく多くの人は、特にやることがなく何もせず時間を無駄にしている状態、これを退屈と呼ぶのではないだろうか。
だが、そんなものは退屈だなんて言えない。やることがないのならそれを探せばいい。
さっき言ったように退屈を理解している人からしてみれば、それができないから退屈なんだと言われるだろうがそれは違う。
まだその人たちにはやることがない、何かやることはないのか?と悩み、それを見つけるために行動することができる。それができる分だけその人たちは本当の意味で退屈だと言えない、そんなもの退屈のうちに入らない。
では、本当の退屈とはどんなときのことを言うのか?
それは、特にこれと言って困ることも悩むこともない、望めばなんとかなってしまう世界。
これが本当の退屈だ。
そんな自分の思い通りになる世界だったら最高じゃないか!と思うかもしれない、でも考えてみてほしい。親に恵まれ欲しいものは何でも手に入る。運動も勉強も普通に授業を受けるだけで右に出るものがいない。
これが毎日、そう毎日だ。
こんな何の張り合いもない世界、何の刺激もない世界。
端から見れば幸せかもしれない、だが、この中にいる人はどうだろうか?
よく考えてみればわかると思う、こんな何の刺激もない世界それこそが本当の意味での「退屈」だということが……。
そう、まさに俺のように――――――――――――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「おーい、有沙ちゃーん!」
新学期初日からとても不快な声が心地よい暖かな春風とともに聞こえてきた。
新学期早々これとは――よし無視しよう。
「あっれー? アサリ君きこえないのかな~?」
さすがにうざいな。
「おい、俺は女の子じゃないし湖の底で貝に閉じこもってなどいない! なんだ? それは友達の少ない俺に対する嫌みか?」
「おまえが無視するのが悪いんだよーっ!」
「ほう、これはけんかを売られていると解釈して良いんだよな?」
「やんのか? ア・サ・リ」
「よし、ぶっ殺す!」
「うわー、にげろー」
「おい、まて拓!」
***
俺の名前は貝原有沙、今日から中3だ。
俺は金持ちで優しい両親の元に生まれ、何不自由なく暮らしてきた。
父親は開業医、母親は有名雑貨品メーカーの代表取締役――二人とも家族との時間を大切にするとてもいい親だ。欲しいと思った物はたいていそのときには家の中に用意されていたし、何かを欲しがると必ず買ってくれた。
確かこのまえは、海釣りがしてみたい言っただけでプライベートクルーザーを買ってきたっけ……。
この二人に育てられてとても幸せだったし、もちろん今も幸せだ。
小学生の頃まではこの生活を素直に好きだったし、何でも欲しいものが手に入るということがとても幸せだった。
だが、中学校に入ってしばらくした頃からだろうか、この幸せを素直に喜べられなくなった。
こんなに人に支えられてばかりでいいのかと。
それに、親の遺伝によるのか勉強でも運動でも誰にも負けることがなかった。こんなことを意識し始めてからはいままでの生活がなにかぱっとしないものになった。
中1の間考えた末に生活の中に刺激がないからだという結論に至った。そして、生活に刺激を与えるために何か誰にも頼らず自分で苦労できることをしようと考えた。
そこで考えたのが、何かスポーツをやることだった。
中1のときに学校でできるスポーツでは、既に周りに勝てない人がいないと確認済みだったので、中2のはじめから空手を始めた。空手のように今まで触れたことのないジャンルで多くの型のあるものならやりがいがある――――――と思っていた。
結果は初めて一ヶ月で黒帯をとり、三ヶ月後には中学チャンピオン…………他のスポーツともさほど変わらず、むしろ本気でやった分、よりひどいこととなりやはりやりがいを見いだすことができなかった。
それでも納得いかず、柔道・ボクシング・体操とやってみたが、結果は空手と同様に三ヶ月やそこらでのぼれるとこまでのぼってしまった。
結局、得られた物はどうしようもない退屈感と無駄な戦闘力、あとは試合の中での数々の駆け引きから、人の気持ちを表情で読み取るだったりとかそんな物ばっかだった。
こんなことをしている間、友達と遊ぶということもしていなかったこともあり、なんでも話せる親友と呼べる友達がただ一人しかいなかった。
それが今いっしょに話しながら登校していて、中3の初日の第一声から俺をおちょくってきた中島拓実だ。
こいつとはなぜだか中学校に入ってからずっと仲がよく、気が付くと一緒にいることが多々あった。いつもチャラチャラとしていて馬鹿そうな見た目とは裏腹に物知りで、こいつから教わった雑学も少なくはない。まぁ、この年頃の男子学生のよくするような内容や女性のおとしかた・縛り方なんてくだらない雑学も少なくなく、無駄な知識までついてしまったのだが……。
それでも、なんだかんだでこいつには感謝していたりする。
***
「ふぅ-、疲れた」
「自業自得だ――――あー、俺まで無駄に疲れちまったじゃねーかよ!」
「ははっ、あ、そうだ有沙、お前どの子と同じクラスになりたい?」
めちゃくちゃ唐突だな。
しかも友達すらろくにいない奴にそれを聞きますか……。
こいつ、にっこにっこしながらこっち見てやがる。
どうせ女子となんて話すことないから、正直誰でもいいんだよなー。悩むと変に誤解されそうなのでとりあえず返答はしておこう。
「興味ない」
特に何も考えずに返答したから本音がでてしまった。
しかし、はじめからその答えを予想していたのだろう。変わらずにっこにっこしながら、何でだよーと言ってきた。始めから分かってるなら聞かないでほしい。俺だって友達がいないことは気にしているんだ……。
そして今度は、聞いてもいないのに自分で語り始めた。
「俺はやっぱ美希ちゃんかなー? あっ、でも葉那ちゃんも可愛いからなー。くーっ、でも美香ちゃんのナイスバディもすて難い! うーん……あーもう、くそー! みんなオレの嫁になれー!!!」
めちゃくちゃだ。こいつ遂に壊れやがった。
いや、これがノーマルだったか……。
「なぁ! 有沙どうしよう? 選べれないよー!」
知らない。
そんなこと言われても俺にどうこうできるものではない。選ばなかったら良いじゃないか。
面倒だから無視しよう。
――――――5分程経過した頃――――――
「やっぱ美希ちゃんかな? あー、でもな~でもな~……」
まだ言っていた。
いくら考えても無意味だというのに、なぜそんなに悩めるんだ。少し見習いたいぐらいだ……。
そうこう話しているうちに交差点で信号に引っかかった。交通量は少なく、その日もいつものようにパラパラとしか走っていない。
道路挟んで反対側には、小さな子供――3歳ぐらいだろうか――とその母親が同じく信号待ちをしている。
もうすぐ信号も変わろうとしていた頃だっただろう、俺たちの隣に犬を連れた美人なお姉さんが来た。
犬の種類はチワワかな?
拓実に確認しようとして隣を見たが、どうやらこいつはそんなことよりお姉さんに夢中のようだ……。
このお姉さんと犬もここを渡るのだろう。
お姉さんが来て間もなくして、俺たちの右の青信号が点滅をし始め赤に変わった。そこに信号が黄色になったことに焦り、スピードをやや上げたトラックが走ってきた。
ちょうどその頃、反対側にいた男の子がこちらの犬に気がついた。
「あーっ! ワンワンだー!」
嫌な予感がした――が、見事的中した。
タイミングを見計らったかのように、その男の子は交差点へ飛び出した。
トラックの目の前に――――――。
やばい! と思った瞬間には、手に持っていたカバンを地面に投げ捨て、思いっきり地面を蹴っていた。
中2の一年間が始めて無駄ではないかと思ったかもしれない。なんとかトラックが到達する前に男の子の元にたどり着くことが出来た。
だが、トラックはすぐそこまで来ていた。
(どうする? 男の子を抱えて歩道に出る時間はない、かといってこのスピードをつけた状態でこんな小さな男の子を突き飛ばすのは、それこそ殺してしまいそうだ……)
悩んでいる暇など無かった。
俺は咄嗟にその男の子をお腹の前で強く抱いて、背中でトラックの突進を受けた。物凄い衝撃が背中から全身に伝わり、至るところの骨が折れていったのが自分でも分かった。はねられた衝撃で俺は男の子と空中に投げ出され、何回転かした後に背中から地面に叩き付けられた。
自分の死をさとった。
もうどこも動かす事が出来ない。
だが、幸いなことにトラックは俺たちの落ちた手前で止まったみたいだ。
(どのくらい飛ばされたんだ……)
遠から俺の名前を必死に叫んびながら近づいてくる声がある――――おそらく拓実だろう。
他にも、救急車を呼べだの、生きてるのかだのいろいろな声が遠くから聞こえる。
そういえば、まだ肝腎なことを確認していなかった。
(あの男の子はどうなった……?)
トラックにはねられてから体に力が入らず、感覚もほとんどないから確認することが出来ない。
空中でしっかりと抱えていたかも定かではない。
しかし、一瞬、感覚を失った体が微かに軽くなった気がした。
そして次に視界が曇った。
微かに見える視界の中、俺の顔をのぞき込んで泣きじゃくる男の子を見つけた。
(あぁ……よかった…………無事だったんだ……………………)
何をしても空回りばかりだった中学の2年間、最後にひとついいものを残すことができた。
そして、さっきまで近づいて来ていた拓実の声がまた遠くの声へとなり始め、死への時間が刻一刻と迫っていた。
辺りから音が消え、小さくなっていく心臓の音だけが響く中、俺の心は満たされていた――――今まで味わったことのない何かによって。
(あー、これが達成感ってやつなんだな――――良いもんだなぁ…………)
さっきまでぼんやりと見えていた男の子の顔も見えなくなった。
もう心臓の音すらも遙か遠くへ遠ざかって行った。
そして、世界から音が消え、遂に意識が途絶えた――――――――――――――。
◆貝原有沙死亡◇
「っ…………!?」
ん!?
はっ? 意識がある?
手には何かツルツルとした物を触る感覚、何か紙をめくるような音、そして甘ったるい匂い。これは香水か?確かに感覚がある。
そして俺は恐る恐る目を開けた。俺は四角い部屋の中にいた。とても奇妙な部屋だ。中央には、ツルツルとした手触りの肘掛けのついた椅子があり、俺はそこに座っていた。
服には血がつき、破れてぼろぼろになっている。
この部屋は出入口がどこにもなく、向かって正面以外の三面をすべて本棚でうめられている。床には赤いカーペット、天井には金を基調とした装飾、そしてその天井から伸びるミラーボール……?
目を開けているとちかちかしてしまう。ほんと、なんなんだこの部屋は。センスのかけらもない。
そしてこのイチゴと芋を一緒に煮込んだような甘ったるい匂い。気分が悪くなりそうだ。
おそらくその匂いの元であり、この部屋の何よりも怪しいひと? は俺の正面で俺と対面するように椅子に座り、机に肘をついて何か紙の束をながめていた。
イケメンだがどこか厳つく、肌黒でシルバーロングの髪を後ろで束ねている男は、ピチピチの黒スーツとその下に黒文字で「マジ天使」と書かれた黄色いTシャツを着ている。背中には真っ黒な二枚の翼がついている。
(天使……にはとても見えないな――――)
というかまずここはどこなんだ!確かめようにも確かめようがない。気は進まないが、目の前のこいつに聞くしかないみたいだ。
「あのー……ここはいったい…………?」
目の前の男は見向きもせず手に持った紙の束を見ている。
人が丁寧に尋ねているというのに――聞こえてないはずないよな?
「もしもーし、すいませーん……!」
反応がない。
これはほんとに聞こえてないのか? それとも無視されてるのか?
「トラックにひかれそうになった男の子をかばって死亡」
お、やっとしゃべった。
ところで、死亡って俺のことか?まぁ、そんな気もしていたからそんなに驚くことでもないが……。
というかやっぱ聞こえてるじゃないか!
そして、男はさっきの言葉きりでまた黙って紙の束を見ている。と、思ったら唐突にこちらを向いて言った。
「ふっ……いい子ちゃんかよ」
あざ笑うような目をして鼻で笑ってきた。
これ言うためにこんなにためたのか? こいつやっぱりけんか売ってやがる。
「何だよ、その言い方! べつにいいだろ、命救えたんだから!」
「あーはいはい、いいこーいいこー」
くっそこいつ完全になめてやがる!
「さっきからおまえ、何なんだよ!」
「ふっ……私は天使。私はここで貴様らの世界で死んだクソどもを新たな世界へ送り出している。人間どもを他の世界で転生させてゲームを楽しんでいるのさ!」
おい、こいつ今、人間をクソ扱いしてゲームの駒のように言ったぞ!? これが天使? あの神の使いの天使? この野心にまみれてそうなのが天使だというのか!? こんな天使がいていいのか?
いや、翼だって黒いしこいつ堕天使だろ……。
「おまえが天使? こんな口が悪くて、スーツ似合ってなくて、ダサいTシャツ着て、背中に黒い翼はやしたやつが? どっちかというと天使より堕天使だろ!!!」
そこまで言い切って自称天使の方を見ると、さっきまでの俺をあざ笑うにくったらしい笑いが消えてこちらをにらんでいた。
さすがに堕天使はまずかったか...。
ついつい、カァーッときて言ってしまった。
そう思っていると自称天使が口を開いた。
「――――――おい……撤回……しろ…………!」
おーっと、これはまずい、かなりまずそうだ。しょうがないここは素直に謝っておいた方が良いか?
そう思い頭を下げようと椅子から立ち上がろうとしたとき、それをさえぎるかのように――――。
「俺の宝のマジ天使Tシャツをダサいと言ったことを撤回しろーー!!!」
そんなことをスーツ脱ぎ捨てながら叫んできた。
少しでもまじめに心配し、謝ろうとしていた俺が馬鹿だった。
これ以上刺激するとまずいことになりそうだ。面倒だからよく拓実にしてたみたいに適当にながすか。
「あっ、よく見たらそのTシャツ良いですね! さっきまでスーツで隠れててよく見えませんでした」
なんとわざとらしい演技だろうか……。
でも、自称天使はさっきまでの厳つい顔から一瞬自然な微笑みへと変わり、そしてまたあざ笑うような笑みが顔に戻った。
思いのほか効果はあったみたいだ。そんなにあのTシャツが好きなのだろか? というかこんなことはどうでもいいから、そろそろ本題に移ってほしい――――。
***
早く本題に移れという心の声が聞こえていたのだろうか?
目の前の自称天使、改め、目の前の堕天使があれから、宝物らしいダサいTシャツについて1時間以上語りやがった。
「本題に移ろう」
やっとか……。ここで話していると死んでることを忘れてしまいそうだったが、そういやこいつは死者を転成させてるんだったな。
「わかっているだろうがおまえは死んだ」
「ああ、わかってる」
「で、どこの世界に行きたい?」
「はっ?」
いや、いくら何でも唐突すぎる。他にどの世界があるかなんて、ここに来て初めて異世界の存在を知った俺がわかるはずない。
「そんなこと急にいわれても答えられるわけないだろ!」
「ちっ、どいつもこいつも、何でぱっと答えねんだよ」
「これが普通だ!」
「はぁー、じゃあなんか希望ある-? こんな世界がいいーとか?」
机の上に足をのせ、とても面倒くさそうに聞いてきた。
こいつ、ひとの人生の選択という大事なときに……。
でも、人生の選択かー、せっかくなら前の人生とは少し違う人生がいいな。例えば退屈しないとか? あー、そんな世界がいいな――――。
「なぁ、俺の前いた世界とは違って、俺が退屈しないような世界ってあるか?」
「そうだなー、退屈しないか――朝から晩まで永遠と重労働とか?」
「それ本気で言ってんのか? もっと楽しそうなところでお願いします」
「じゃあ、魔物と戦ってる世界とかはどうだ?」
「おっ! なんか良い感じじゃないか! どんな世界なんだ?」
「あれー? 聞いてもいいのかな? 楽しみ減っちゃうよ~?」
とてもイラっとくる言い方だったが、確かにそれもそうだ。情報収集も楽しいかもしれない。
「よーし、それじゃあこの円の中に入れ」
そういうと、いつの間にか赤いカーペットの上に青白く光る円が現れていた。言われるままに円に入ると、その円から出た青白い光に包まれ出られなくなった。
「お、おい! なんだこれ!」
「なんだっていわれても、見ての通り転生させてるんだが」
「ちょっと待て、もしかして俺は向こうの世界で、一文無しの血だらけの服でどこかにこんにちはするのか!?」
「え、だって何もいらないんだろ?」
「それとこれとは別だ! 武器なしでどうやって魔物倒すんだよ!それにこんな血だらけだと人目につきすぎる!」
「ちっ、しょうがねーな。はい、これがおまえの送られる村で買える一番安い剣の金。服はマジTシャツで語り合った仲だからな、とっておきをやろう!」
そういって指を鳴らすと、肌にあたる服の肌触りが変わった気がした。しかし、下からの光でどんなTシャツなのかは確認できない。
「おーし、もう何もないか?」
「ああ、たぶん」
「それでは――――貝原あさり。汝を神の使いの導きにより新たな世界に転送する」
決め台詞を言い終わると同時に青白い光が輝きを増した。
そこでふと気付いた。
「――――――ん?おい、おまえ、いま貝原なにと言った? あさりって聞こえた気がしたぞ! お、おい!」
だが、ここはすでに異空間扱いで声が聞こえてなかったのか、その男はにこやかに手を振っているだけだった。いくら叫んでも無駄のようだ。
そうしている間に光はさらに強くなり、あの奇妙な部屋もほとんど見えなくなり、なんとか目の前のダサいTシャツを着た男が見えるだけとなった。
しかしそれもすぐにそれすらもすでに消えていき、意識まで遠のいてきている。
そしてすべてが光に包まれる直前、その男の口元に人間をクソ扱いしたときと同じ憎らしい笑顔が見えた。
俺は光に完全に包まれ、再び意識が飛んだ――――――――――――。
◇◆◇◆TO BE CONTINUED◇◆◇◆