距離
貴方が見ている私と、私の見ている私。
時々ね、どっちが『本当』なのか判らなくなるの。
「ねぇ、私のこと好き?」
「当然」
間髪いれずに返って来たのは、私が望む答え。
「本当に?」
なのに、それすら信じられない自分がいる。
「っ、本当だって」
「……そう…」
短く舌打った彼は舌打つ。
「じゃあさ、私が死んだら一緒に死んでくれる?」
次の私の言葉に、完全に彼が絶句した。
けど、それは予想の範囲だった。もしここで即答し承諾する相手だったら、絶対に彼を選んではいない。
その逆も、また然り。
自由で、気ままで、自分勝手。猫のような彼の性格は好きだ。
彼がそう言う性格だと知っているからこそ、彼を選んだのだ。
「冗談よ」
でなければ、絶対に付き合わないような相手。
「……お前なぁ…」
「あははっ、吃驚したでしょ」
「……………」
「あ、もしかして、怒った?」
「飽きれてんの」
「ねぇ」
「…今度は何だよ」
ば い ば い 。
そう、唇だけを動かした。
彼は不思議そうにあたしを見るが、直ぐにその視界を遮る。
一瞬だけ、触れるだけのキスをした。
付き合ってからも、それ以前からも、彼からキスをすることはあっても、私からしたことは一度もない。
微かに驚きに目を見張った彼に抱きつく。
「ありがと」
「何が…」
ぎゅっと、まわした手に力を込めた。
「思ったよりも楽しかったよ」
「おい…」
「恋人ごっこ」
抱きついたままで顔は見れなくとも、彼が息を飲む気配が伝わった。
最後にもう一度、私はその手に力を込めた。
「じゃあね」
言って、私は彼から離れた。
そのまま踵を返して、段差に足をかける。錆びたフェンスが軋んだ。
フェンス越しに見た外の世界は、とてつもなく焦がれた世界だった。
最後に、この景色が見れてよかったと思う。
「止めっ!」
ば い ば い 。
彼が私を止めるよりも早く、病院の屋上から身踊らせた。
一瞬の無重力状態。
次の瞬間には、物体法則に従って落下する。
覚えているのはそこまでで、
ぐしゃっ、
と、熟れた果実が潰れたような音だけが、辛うじて耳に届いた。
衝撃の痛みすらなかった。
咄嗟に伸ばした手を擦り抜けて、彼女はここから飛び降りた。
会う度に精神が病んで行く彼女を見ているのは辛かったが、ただ自分を見てくれるだけでもいいから生きていて欲しいと思ったのも、また事実。
涙で滲んだ視界で、フェンスを乗り越えて俺は彼女だったモノを見た。
『じゃあさ、私が死んだら一緒に死んでくれる?』
混乱した頭の中で、彼女の言葉が聞こえた気がした。
「今、そっち行くから」
その声に後押しされるように、俺の体は空中に舞った。
死への恐怖も、絶望も、何も感じることのないまま、アスファルトの地面に叩きつけられた。それに気づくことなく、俺の意識はそこで途切れた。