はじまり
□噂
暗い酒場のテーブルで
囁かれる陰鬱な噂話。
「やっぱり死んだんじゃねえか…。」
「ああ、もう五日だ。死んでるんだろ。」
「誰も生きて出られはしねえのさ。あの悪魔の城からはな。」
「いくら財宝が眠ってるからってよ。命を捨ててまではなぁ…。」
側で聞いていた男が
テーブルに歩み寄る。
「面白そうな話してるじゃないか。詳しく聞かせてくれないか?」
「あんた、旅の人かね。」
「ああ、傭兵だ。酒を奢る。さっきの話を聞かせてくれ。」
「かまわんよ。」
村人の話によると
半日ほど歩いた山懐に古い城砦があるという。
はるか昔に建てられた城砦は
すでに廃墟となっていたのだが
三百年程前にひとりの魔術師が住み着いた。
以降、この世のものとは思えぬ恐ろしげな声を聞いたとか
近くを通りがかった人が奇怪な獣に襲われたりと
不審な事件が相次ぎ誰も城砦に近づくことは無くなった。
それから百年も過ぎた頃
「さすがに魔術師もすでに死んでるだろう。」
といいだす輩が現れ、
大胆にも魔術師の遺産を盗みにゆこうと企てた。
三人の豪胆な村人が魔術師の城砦に向かったが
誰一人として帰ってくるものはなかった。
それからというもの
ほとんどの村人は魔術師の城砦に近づこうとはしなかったが
数年に一度の割合で城砦に挑もうとする人間が現れるのだという。
そして、五日前にまた一人出かけたまま帰ってこないので
その噂話をしていたとの事であった。
それを聞いていた傭兵は
「面白い話だ。だが、誰一人として戻ったものはいないのか?」
「ああ、一人もいない。」
「ふむ。では財宝があるかどうかはわからんなぁ。」
「まぁ。噂だよ。長いこと語り継がれてきたからな。尾ひれがついてんのさ。」
傭兵は少し考え込むとこう言った。
「誰か道案内をしてくれないか?」
「やめときなされ。命を落とすことになりますぞ。」
「俺は数多の戦場を渡り歩いてきたし、魔術師とやりあった事もある。
いつでも命がけで戦ってきたのだ。どこで死のうとも後悔は無い。」
傭兵の強気な態度に折れて、一人の青年が道案内を引き受けた。
傭兵は身支度を整えると
翌朝に道案内の青年とともに村を出立した。
□城砦
すでに案内の青年とは別れ
城砦の入り口に立っていた。
日も傾きかけていたが
傭兵は建物の中に入ることにした。
城壁に鬱蒼と巻きついた蔦植物が
廃墟となって久しい事をものがたっている。
巨大な落とし格子を備えた城門を潜り抜ける。
城壁に囲まれた広大な空間の中に
崩れ落ちた無数の建物や何かの残骸があり
その奥に昔ながらの外観を保っている城館が見えた。
瓦礫の山を乗り越えて城館の入り口に立つと
何とも形容しがたい異様な雰囲気が感じられた。
それに周囲の建物が朽ち果てる中
一棟だけ残っているのはいかにも不自然だった。
魔術師が住んでいた影響だろうか?
木製の扉を押すと
軋みも立てずにすんなりと開いた。
城館の中は薄暗く、湿っていて、独特な臭いがした。
傭兵が中に入って数秒後に突然周囲が暗くなった。
開いていた扉が音も無く閉じたのだ。
この建物の中には何かがいる。
傭兵の直感が告げていた。
傭兵は荷物の中から発光石を取り出すと左手に掲げ
右手には長剣を構えた。
周囲に気を配りながら慎重に
広間を抜け、階段を上ると
ひとつの部屋の前で足を止めた。
血の臭いだ。
戦場で嗅ぎ慣れた独特の臭気がかすかに漂っていた。
瞬間。
頭上から巨大な獣が傭兵に襲い掛かる。
鋭い爪の一撃が傭兵の体に振り下ろされたと見えた
その刹那に傭兵の長剣が獣の前腕を斬り飛ばすと
返す刀で胴から真っ二つに斬り裂いていた。
床に頭から突っ込んで派手な音を立てた時には
半獣半人の怪物ははすでに絶命していた。
傭兵が獣の死体を検分していると
広間の方から手を叩く音が聞こえてきた。
吹き抜けの広間の最上階の踊り場近くに
ローブを纏った人物が腰掛けて
傭兵を見下ろしていた。
「たいした腕前だね。」
ローブの人物が声をかけてきた。
「お前がこの城の魔術師か?」
「そうだよ。君は?」
「傭兵だ。お前の財宝をもらいに来た。」
「財宝?ここにそんなものは無いよ?」
「ふぅ。やっぱりか。
じゃあ帰るかな。収穫はなしだが。」
「帰さないよ。君はここで死ぬんだ。」
魔術師はきっぱりと言い放った。
「村人との約束でね。
僕は彼らから食料を供給してもらう変わりに
ここを訪れた人には死んでもらうことになってるんだ。」
「村人もグルだったというわけか…。」
傭兵は、すばやく周囲に目を走らせる。
今いる場所は二階だ。
相手は三階の踊り場にいるが、
二階と三階をつなぐ階段は崩れ落ちている。
階段を駆け下りて、扉から出てゆくことは出来そうだ。
「心外だなぁ。むしろ首謀者は村人の方だよ。
僕はその話に乗っかっただけ。
彼らはならず者や怠け者を厄介払いするために
この方法を昔から続けてるんだよ。」
魔術師がしゃべり終わる前に
傭兵は階段を大股で駆け下り、扉へと直進した。
しかし、扉はピクリとも動かず
長剣を叩きつけても傷もつかなかった。
「この城からは、出られないよ。」
魔術師の声が広間に響き渡る。
扉に、いや、この城自体に
何らかの魔法が掛けられているのは間違いなかった。
魔術師を殺すしかないか?
と傭兵は一瞬考えたがすぐに打ち消した。
相手はこの空間を完全に支配している。
どう考えても勝ち目は無かった。
とすれば、考えられる方法はひとつだ。
「なあ。俺とも取引をしないか?」
傭兵は魔術師が見える位置まで戻ると
そう話しかけた。
「食料なんかよりずっと価値があるぞ。」
「悪いけど。興味ないね。
だって三日もすれば君は干からびて死ぬから。
君の持ち物は全部手に入っちゃうもの。」
「クケルニウスの魔術書の在り処を知ってる。
俺が取引したいのはその情報だ。
死んだらどうやっても手に入らないぞ。」
クケルニウスは大魔術師の一人で次元魔法の名手であり
その魔道書は世の魔術師からすれば金の山より価値のある代物であった。
「!!
本当に!!
本当かそれは!?」
「俺は数多の戦場で戦ってきた。魔術師とやりあったこともある。
その中にはクケルニウスの弟子もいたのだ。
俺はその男の命と引き換えに、この魔法の長剣と篭手を手に入れた。
その男は魔術書を引き継いだと語ったし、その居場所も知っている。」
傭兵は自信ありげに語った。
「その男の居場所を教えてやるから。俺をここから出してくれ。」
魔術師は考えているようだった。
「うん。いいよ。
けど条件がある。
君がその場所まで僕を案内するんだ。
もし、嘘だったら、その場で君を殺せるようにね。」
ここで引いては
この城から出て行くチャンスは無い。
「よし、取引成立だな。」
傭兵は大きくうなずく。
「俺の名はクロム。お前は?」
「僕は。メル。って呼ばれてた。」
かくして
剣士と魔術師は旅に出る事になった。