結界にて1
守備隊の人が案内役を引き継ぎ、私達は守備隊の本部に向かう事になった。
先導して歩く案内役の後に続きながら街の様子を観察してみる。
碁盤目状の道路と画一的なデザインのビルは結界内の限られたスペースに一つの街を収めるために計画的に建造されたからだ。
結界内への自家用車の持ち込みは許可されていないので道路を走る車は少なく、目に付くのは物流センターが管理する小型の配送トラックくらい。そして通行人の多くが一目で守備隊員だと判る人達だ。制服を着ている人もそうだし、私服姿であってもいかにも腕が立ちそうな雰囲気を漂わせている。子供の姿は無い。まず間違いなく私達専門校生組がここでの最年少になるだろう。
そうした些細な差異に目を瞑れば、ここが魔界に一番近い場所だと忘れそうな街並みだった。
通り過ぎざまにチラ見した書店の店頭には新刊コミックや今週発行の週刊誌もしっかり並んでいた。シネコンでは封切りされたばかりの国内外の新作映画が上映中だ。
「ある意味、世界で一番便利な街なのよね」
「そうだねー。ちょっと歩けば行ける範囲に何でも揃ってるなんてここくらいだよねー」
思わず呟いた感想に成美が同意を返してくる。
半径約一キロの円形の土地。
その半分は戦闘域になっていて、残る半分から物流センターや各種の施設(守備隊関連も含む)を除いた残りが街になっている。そんな狭い範囲に普通の街にあるべき施設を考えられる限り詰め込んでいるのだ。実際にちょっと歩けば何でも揃うし何でもできる。
ただ一点、自由に結界の外に出られないのを除けば他に類を見ない利便性に富んだ街だと言える。
ちなみに、これが結界への物品持ち込みを最小限にするべきもう一つの理由だ。既に検査済みの商品が普通に売られているので、わざわざ手間を掛けて持ち込む必要が無いのである。この辺はコンビニが全国に普及した結果、旅行者の荷物が小さくなった経緯と同様だ。
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物流センター前から一度も曲がる事無く直進して、正面の建物が守備隊本部だった。
本部前で道路がロータリーになっていて、ぐるりと巡る道路に囲まれて特徴的な構造物がある。見た目は地下鉄駅への入り口そのまま。しかし地下へと続く階段は重厚な金属扉で閉ざされている。
「あれが地下に安置された結界核へと続く階段だ。見ての通り立ち入り禁止だがね」
と学園長が教えてくれた。
階段は本部の方向に向かっているから、恐らく本部の真下に結界核がある。そこが四号結界の中心だ。
しかしそれにしては……。
「結界核が壊れると結界も消えちゃうんですよね?」
成美が首を傾げている。
「そうだが、滅多な事は考えないでくれよ」
「むー……学園長まで……。そんな事するつもりはありませんよー!」
「そうかそうか。それは済まなかった。君の力は特別なのでつい、な。それでどうしたのだね? 君が言った通り結界核はこの結界の要、あれが破壊されれば結界も崩壊する」
「そんな大事な物の隠し場所への入り口が、あんな目立つ所にあるのはなんでかなーって」
「うむ、それはだね……」
成美も私と同じ疑問を持っていたようだ。
要という言葉の通り結界核は四号結界を維持するための必須の存在であり、これが破壊されるのは四号結界の消失を意味する。その結界核へ続く階段がこれ見よがしに開けた場所に設置されているのは「どうぞ狙って下さい」と言っているようで奇妙な感じがした。
「大事な場所への入り口だ。それこそ本部棟の奥深くにでも隠しておけば良かろうと、そう思うのだろう? だが結界核を狙うのは、核を破壊すれば結界を無力化できると考える知恵のある存在、魔族だ。上位の魔物もそれなりの知性を有しているようだが、いずれにしろ強い力を持っている。そういう奴らは入口を建物内に隠していてもやはり狙ってくるだろうね。そうなると守る側は狭い場所で迎え撃つ事になる。必然的に少数で対することになるが……これは頂けない。魔族と戦うならこちらは数を揃えるのが鉄則だからだ。と、言う訳でこうなっているのだよ」
いつの間にか他の専門校や上級専門校の人達も堂島学園長の講義に聞き入っていて、終わると「おおー」とか「なるほど」といった声があちこちから聞こえてきた。私もなるほどと思った。人数を揃えて魔族と戦うために敢えて広い場所に入口を晒しているのか。成美と和気藹々なのが引っ掛かるが、流石は学園長、私にも判り易い説明だった。
「もう良いですか?」
守備隊の人は学園長が説明している間なにも言わずに待ってくれていた。
「おっと、済まんね。時間を取らせてしまった。職業柄生徒の質問には答えたくなってしまう」
「構いません。自分も初めてあれを見た時には同じように疑問に思ったものです。それにしてもお詳しいですね。以前もここに?」
「うむ。とは言え二十年も前だがね。二期八年間、ここに勤めたよ」
「八年!? これはお見それしました」
驚きと敬意が守備隊の人の顔に浮かんだ。
学園にいる時はまるきり怪しいおじさんなので私も忘れがちになる。堂島学園長、実は凄い人なのである。
移動を再開し、本部に入って案内されたのはミーティングルームだった。折り畳みできるタイプの長机とパイプ椅子が並んでいる、刑事もののドラマで捜査会議シーンに出てくるような部屋だ。
ここに来るまで行き会った何人かの守備隊員は、私達を見ると一様にほっとしたような感じの歓迎ムードだった。二号結界増援として引き抜きにあった結果の人員不足は余程深刻らしい。守備隊採用基準に満たない私達であっても歓迎したくなるくらいだから相当だ。
ミーティングルームには既に数人の守備隊員が待っていた。
「ようこそ。お待ちしておりました。ひとまず学校別に集まって貰います。あちら、箱に書いてある学校名に従がって分かれて下さい」
見ると所々の机の上に段ボール箱が置いてあり、側面に校名がマジック書きされていた。『私立宇美月学園』と書かれた箱の所へ行くと「参加確認と、それから配布物があります」との事。
「宇美月学園さんは生徒十人と、先生が引率役でお二人、再雇用枠でお一人ですね。では名前を呼びます」
箱に入っていたのはB4サイズの封筒だった。担当者は表に書いてある名前を読み上げ、私達は自分の名前が呼ばれたらそれを受け取る。封筒を配りきる=全員参加、という形での出席確認になっているようだった。
渡された封筒は分厚く膨らんでいてずっしりと重く、しかも部分的に膨らんでいて中に入っているのが書類だけではないのが窺える。
配布と出席確認が終わると、そのまま学校別に分かれて席に着いた。
守備隊側は前の方で横一列に並んで一礼、その後真ん中の人が口を開いた。
「改めまして、私は四号結界守備隊本部付の前園と申します。この度は当結界の短期隊員募集に応じて頂き、まことにありがとうございます。配属やパーティー編成、ローテーションなど、実際の勤務体制に関しては明日以降となります。この場では皆さんの生活面でのお話をさせて頂きます」
丁寧な挨拶からばりばりの戦闘職ではなく、本部付と言うなら事務方かと思ったら「私達は普段は結界住人からの相談窓口を担当しています。皆さんも結界での生活で困った事があったら遠慮せずにいらして下さい」と続いた。イメージとしては市役所で市民の相談を受ける窓口か。街があって、そこでの生活があるのなら、そうした裏方の役割も必要なのだろう。もちろん守備隊の制服を着ている以上は入隊基準を満たした実力者なのは間違いない。
「さて、まずは配布物の確認をして貰います。封筒の中身を出して下さい」
前園さんの指示で封筒を開けて中身を取り出す。
出てきたのは数冊の冊子と書類、ドッグタグと鍵だった。
「冊子は当結界で生活するにあたってのルールや注意事項、施設のガイドブックや受けられるサービスの一覧などです。これらは快適な結界生活を送っていただく上で大事ですので、時間を取って一読して下さい」
ちょっと気になったガイドブックをパラパラ捲ってみると、街の中のどこにどんなお店があるのか、取扱商品も含めて細かく紹介してあった。狭いとは言え一つの街であり、ありとあらゆる商業施設が詰め込まれている。これから色々と買い物しようと思っていたので大助かりだ。
「認識票はこの場で確認をお願いします。表記に誤りがあれば明日までに訂正しますので申し出て下さい」
ガイドブックを見ていたら次に進んでいた。
認識票は片面に氏名、所属、血液型などが日本語で表記され、裏面には同じ内容がアルファベットで表記されている。
形式も見た目も海魔迎撃戦の参加者証とそっくりで、これは守備隊に憧れながらも入隊基準を満たせなかった人達の為に守備隊の認識票を模して参加者証にしているからだ。もちろん万一の場合には認識票本来の役割を果たすとは言え、海鎮祭を運営する自治体の粋な計らいと言える。あちらには『海鎮祭・海魔迎撃戦』と刻印されていて、こちらには当然『四号結界』とある。
「どうですか? 間違いはありませんか?」
前園さんが念押しで確認を求めている。
私のはちゃんと宇美月学園の天音桜となっていて血液型も合っている。誤字も脱字もスペルミスも無かった。
ところでタグにはチェーンが付いていて、これで首から提げる事になる。私の首には既に二つのペンダントがあり、あまりじゃらじゃらとさせるのはどうかと思うものの、認識票の役割を考えれば着けないわけにもいかない。
まあ慣れれば気にならなくなるだろう。
特に訂正依頼も無く、前園さんは満足げに頷いていた。
「鍵は皆さんの住居の鍵です。同封の書類に割り当てられた住居の住所がありますのでガイドブックを参照して行って下さい。基本的に出身校別に固まるようにしてありますが部屋割については勝手ながらこちらで決めさせて頂きましたのでご容赦ください。また住居に何らかの不都合があった場合はお手数ですが本部設備課まで連絡をお願いします」
鍵は使いこまれた鈍い色合いをしている。
ピカピカの新品ではないけれど、そこに不満は無かった。
歴代の守備隊員達が――世界を守る大切な仕事をしてきた先輩達が使ったのだと思えば、この古びた鍵が畏れ多くもあった。