四号結界防衛戦5
自分の防具を拭い終えてからは舞弥さんを手伝った。舞弥さんも私と同じように考えていたらしく「先に行って頂いて構いませんのよ」と申し訳なさそうにしていた。
「私は気功スキルでいくらでも誤魔化しが効きますから。舞弥さんにこそきちんと休んで貰わないと」
「気功スキルは便利ですのね。ではお言葉に甘えさせて頂きますわ」
舞弥さんはあっさりと受け入れていた。断っても私が引かないと悟って切り替えたのだろう。二人がかりなら舞弥さんの鎧が大きくても手早く終えられた。頻りに礼を言ってくるのに恐縮しつつ二人でシャワールームに向かい、一歩踏み入って立ち尽くすことになった。
シャワールームもクラブハウスのそれのようになっていて、縦に長い部屋の右側の壁はロッカーに、真ん中にベンチ、左側が個別のブースに仕切られたシャワースペースとなっている。
そのベンチに上半身をひっかけるようにして、成美がうつ伏せに倒れていた。
「成美!? どうしたの!?」
「……これは、寝ていますわね」
「あー……そうですね、寝てますね」
一瞬最悪の事態が脳裏を過ぎったが、良く見てみると成美の顔は安らかで、すーすーと可愛い寝息を立てている。
寝顔だけ見れば微笑ましい光景なのだが、
「でも、これはいったいどういう状況なのでしょうか」
全体図は舞弥さんが首を傾げるような有様だった。
成美のズボンは足首の辺りまでずり下されていて、上半身をベンチに乗せているのでぷりっとしたお尻が突き出されたようになっている。横縞のぱんつが元の色も判らないくらいに魔物の血で汚れているのが勿体ない光景ではある。
そして成美の足もとまで、這いずったような痕跡が床に残っていて、しかもそれが赤黒い血痕だったりするから下手なホラー顔負けの凄惨な有様なのだ。
「あれでしょう。ズボン脱ごうとしたらブーツ脱いでなくて引っ掛かって転んで、あそこまで頑張って進んだけど力尽きて寝ちゃったと」
「……それ、本気で言ってますの?」
「多分ですけど、早脱ぎやろうとして失敗したんだと思います。ブーツを忘れるほど眠かったんでしょう」
舞弥さんが絶句してしまった。
目に見えるありのままを素直に受け止めればそうとしか解釈できないと思うのだけど……。
「ま、まあ、それで良いですわ。でもどうしたものでしょう。気持ち良さそうに眠っていますし、このまま寝かせておいてあげたいところですが」
「そうもいきませんよね」
「ですわよねぇ」
私だって眠い。舞弥さんだって眠いだろう。
でも成美のそれは私達とは少し違う。さっき話題になった成美の食事量の件。食事で摂取したエネルギーを使いきるまでを一つのサイクルとすると、成美は私達の何倍もそのサイクルを繰り返していることになる。これ、体感的に私達よりも長い時間を過ごしていることになる。と、思う。そんな単純な話ではないかもしれないけれど、補助スキルありきで行動している私達よりも深く疲労しているのは間違いない。
だから、眠っているなら眠らせておきたいのは山々なのだ。
でも、床の痕跡やもとの色も判らないぱんつを見ても判るように、成美もまた魔物の血を浴びている。異なる世界の生き物の血だ。どんな影響があるか判らないし、仮に何も無くても不衛生なのは変わりない。このまま放っておいて乾いてしまったら後の始末が大変だ。
「成美、ほら、起きて。シャワー浴びよう。成美ってば」
ゆさゆさと揺さぶると、成美は「むうー」とむずかるような仕草をしている。
そして、
「あうー、もう食べられない……」
なんてべったべたな寝言を言うものだと思ったら、
「……なんて事は言わないからどんどん持って来てー」
「ね、寝言で裏をかいてくるなんて、さすがは成美さんですわ!」
「いやいや、これ起きてるんじゃないですか? 成美、ふざけてないで、ほら」
抱え起こすと、成美は薄っすらと目を開いていた。やっぱり起きてるじゃんと思ったのも束の間、成美の瞼は重力に逆らう力を失って再び落ちてしまう。体の弛緩具合からして狸寝入りではなさそうだ。
「しかたありませんわね。成美さんには悪いですけれど、私達で洗ってしまいましょう」
と言うわけで一つのシャワーブースに三人で入り、私と舞弥さんで成美を綺麗に洗い上げた。具体的には私が成美を抱えて支えながら体を洗い、その間に舞弥さんが髪を洗うという分担だった。
用意してあった清潔な服を着せてベンチに寝かせ、今度は自分達の番だ。成美を洗っている間に体に付着していた汚れはあらかた落ちていたので、後は髪を念入りに洗うくらいとなる。
「ところで舞弥さんって小さい子供の扱いに慣れてるんですね。とても鮮やかな手並みでした」
成美の服を脱がせたり着せたりは主に舞弥さんがやってくれて、寝ぼけてグダグダな成美に「成美さん、ばんざいですわよ」とか「右足をあげて、はい、次は左足ですわ」とか上手くコントロールして実に手際良く脱衣着衣を済ませてしまったのだ。ぱんつを履かせるために成美の前に屈みこんでいる時に「あら、可愛らしい」と言ったのは、多分成美のつるつるなあそこを見たからだと思う。その時も、驚きよりも微笑ましそうな感じで、同じようにつるつるなあそこを見慣れている――つまり幼い女の子の着替えを手伝う機会が多かったのだろうと推測できた。
隣のブースから「そうですわね」と舞弥さんが肯定の言葉を返してきた。
「私の親戚には小さな子供のいる家が多いのですわ。お正月やお盆や、親族が集まる機会があると私は子守役を仰せつかっていましたから。良い子ばかりで手間はかからないのですが人数が多くて大変でしたわ」
「良い子ばかりなのは舞弥さんだからだと思いますよ。優しくて綺麗なお姉さんを困らせたくないんじゃないですか」
「あら、嫌ですわ桜さん」
おほほ、と上品に笑う舞弥さん。これは、言われ慣れてると見た。
ともあれ、舞弥さんが子供の扱いに慣れている理由は判った。日本有数の武具メーカー『ワカバヤシ』の一族となれば分家やらなんやらで相当の人数になるだろうし、そこに含まれる子供の世話を一手に引き受けていたとなれば、そこらの保母さんより上かもしれない。
……あの撫でテクも親戚の子供相手に培ったのかな。
とてもありそうである。
「何にせよ舞弥さんがいてくれて助かりました。私一人じゃ脱がせるだけ、着せるだけでも一苦労だったでしょうし。それにしても成美は……」
振り返れば、ベンチで幸せそうに寝ている成美がいる。
「あれだけやっても起きないなんて……」
脱がせてみれば、案の定成美は全身魔物の血に塗れていて、私はそれを洗い落としたのである。もう隅から隅まで念入りに洗って差し上げた。なのに成美は最後まで寝たままだった。
隣のブースから舞弥さんがくすくすと笑う声が聞こえて、「なんです?」と問えば、
「成美さんにとって、桜さんの腕の中というのは余程安心できるのでしょうね。警戒する必要など微塵も無く、一番無防備な状態で身を任せられるほどに」
「え……舞弥さん、それってどういう……」
「さあ、どういうことでしょうね」
笑い含みにはぐらかされてしまった。
これは深く突っ込むと藪蛇になりそうなので、追及はしないでおこうと決めた。
それよりも一つ舞弥さんに釘を刺しておかなければいけない。
「あの、この件は私達だけの秘密にしておいてください。みんなに知られると、私が何か悪戯したんじゃないかと言われそうなので」
「そんな事を言う人がいるかしら?」
「いるんですよ。まあ誰とは言いませんが」
誰とは言わないが、まあ黒間先輩とか珠貴とか黒間先輩とか黒間先輩とか……だ。
特に黒間先輩はかなりの色眼鏡を掛けて私を見ている節があるので、成美の全身隈なくを私が洗ったと知ったら何を言い出すか判ったものではない。
「判りましたわ。加代子さんには黙っておきましょう」
「そうして下さい。お願いします」
私が誰を最も警戒しているのか、舞弥さんにはお見通しだった。
「ふふ、でも加代子さんも、先ほどの桜さんを見たら邪推はできないと思いますけれど」
「さっきの私?」
「ええ。成美さんを抱いて洗って差し上げている時、桜さんはとても優しい顔をしていましたわ。慈しみに溢れた……そう、母親のような」
「は、母って。そこはせめて姉にしておいてください」
十八歳にしてお母さんはない。
そう思って抗議すると、舞弥さんは「うふふ」と悪戯っぽく笑い、
「そうですか。では優しい綺麗なお姉さんという事にしておきますわね」
さっきの私の言葉をそのまま返してきた。
優しい、綺麗な、お姉さん……。
優しいはともかく。
格好良いと言われる事は良くある。
そして男っぽいと言われる事も良くある。
優しい綺麗なお姉さんなんて全く言われ慣れていない私は、舞弥さんみたいに余裕のある切り返しなんてできずに撃沈されるしかない。
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シャワーを終えて、私は成美をお姫様抱っこ。舞弥さんが三人分の汚れ物をクリーニングに出しに行ってくれた。
そうして待機室に戻ってみると、室内は照明が半分に落とされて薄暗く、そんな中先に戻っていた黒間先輩や、いつの間にやら合流したらしい珠貴達が毛布に包まって眠っていた。急遽後衛の引率役を買って出た堂島学園長もいて、後城先生や村上先生と真面目な顔をして何やら話している。
「む? 天音君か。霧嶋君はどうしたのだね?」
「疲れて寝てしまいました」
「そうか。君達の奮闘ぶりは上から見ていたよ。霧嶋君も頑張っていたからな」
寝ている人もいるので囁くような声で会話しつつ、成美を毛布に包んでテーブルの上に寝かせた。そこに舞弥さんもやって来て、初対面の学園長と一頻り挨拶を交わす。もちろんこれも小さな声でだ。
「ところでなにやら深刻そうですが」
舞弥さんも先生達の様子がおかしい事に気付いたようで、遠慮がちに訊ねていた。
先生達は僅かに逡巡したが「いずれ知ることになるから」と言ってPCのモニタを指差した。守備隊ニュースサイト専用と化しているPCには、今、一つの新着記事が画像付きで表示されていた。
それを見た私と舞弥さんは息を飲み、声も出せない。
「二号結界で戦闘が始まった」
後城先生の厳かとも言える声を聞くまでも無い。
画像一つで判った。
二号結界は、この四号結界など比較にならない程の過酷な戦場になっているのだと。




