いざ結界へ2
私の胸元には黒と青の石が並んでいる。
ミアが作ってくれたペンダントには中級程度の治癒魔術が封入されている。
一つで一回だから二回分。これを「たったの二回か」と言っちゃう人がいるなら、その人には現実が判っていない。治癒術士は希少であり、自身は戦闘能力を持っていない例が多い。配置されるのは安全な後方になり、そこは私のような剣士タイプが配置される前衛からは最も遠い場所だ。
負傷の程度によっては治癒術士の元に辿りつけずに命を落とすことも考えられて、手元に二回分の治癒魔術を持っておける有り難さは計り知れない。
「天音さん、もうすぐ出発よ。そろそろ乗っておいて」
近くを通り過ぎながら委員長が声を掛けてくれた。
見れば相沢さんや森上君、他の参加者もめいめいバスの方へと移動を開始している。
「それじゃあ、桜、成美、いってらっしゃい」
「うん、いってきます」
「いってくるー」
周りの子達にも手を振ってバスに乗り込んだ。
沢山の生徒に見送られて、私達は学園を出立した。
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クラス単位で利用するのが前提のバスなので、今回のようなケースでは定員を大幅に割っている。座席数に余裕があるので席割りなどはされておらず、めいめいで適当に見繕った席に座っていた。
教師陣は最前列に陣取っている。堂島学園長と後城先生、村上先生だ。
学園長は結界勤務経験者の再雇用枠、後城先生と村上先生は生徒の引率役を担っている。
森上君を中心とした男子の一団が一番後ろの横並びの席を占領している。
森上君本人は女子の近くに移動したそうな顔をしているけれど、周囲を固める水無瀬君達がそれをさせないでいるようだ。
私達3-B女子は真ん中くらいの席を選んだ。
窓側に成美、通路側に私。
通路を挟んで委員長と相沢さん。
その他の参加者も適当に散らばっていた。
「姫木さんが来られないのは残念ね」
通路越しに委員長が言ってきた。
三年生になって始まった集団戦闘実習において、委員長は沙織に手を焼いていた。委員長曰く、大きな盾を持たれるだけでもやり難く、その上光盾で防御範囲を拡大されてしまうと本当に厄介だそうだ。パイルバンカーを地面に打ち込んで固定した大盾と、そこから発生させる光盾で、自分だけでなくパーティーメンバーも守っていた。委員長渾身の砲撃魔術も防ぎ止めていたから、沙織の防御力は折り紙つきだ。
手を焼かされたからこそ委員長は沙織の防御力を高く評価している。後衛の魔術使いにとって、高い防御力で前線をがっちりと固めてくれる盾役は有り難い存在なので、沙織が来れなくて残念というのは間違いなく本心からの言葉だっただろう。
「二次募集を期待して親を説得しておくって言ってた」
「ふうん……期待して良いのかな」
「期待し過ぎない方がいいと思う」
沙織に来て欲しいのは私も同じ。でも期待しすぎないように自戒している。
沙織が一週間頑張っても説得できなかったのだから、彼女の親は相当強硬に反対している筈だ。娘の身を案じての反対である。その理由である結界の危険度が下がる目処など立っていないのだから、沙織は新たな説得材料を用意できない。
その辺りを話してみると委員長も「そうね」と同意してくれた。
「いっそ姫木さんも魔術タイプに転向しちゃえば良いのに。後衛だって言えば説得し易くなるでしょ」
こんな話が出るのも、どうやら沙織の魔術使いとしての適性が高いかららしい。重量操作の術を日常的に使っていた結果、沙織の魔力は魔術タイプとしてやっていくのに十分なまでに成長していて、しかも成長の勢いが未だに衰えていないとか。現在でも適当な砲撃魔術を覚えれば十分に砲台役を務められるレベルだそうだ。
魔術タイプに転向して後衛に回るのは、確かに『危険度を下げる』事になる。両親の説得に際して「後衛だから」を強調しまくったという相沢さんも「それ、うちもそうだったから判る」とこくこく頷いている。
親を説得する材料としてなら魔術タイプへの転向も良いのかもしれないけれど。
委員長が来て欲しいのは盾役の沙織だろうに。
後衛に転向していたら来ても意味が無いんじゃなかろうか。
「別に盾や剣を持った魔術タイプがいたっておかしくないでしょ。ゲームじゃないんだから、剣士タイプとか魔術タイプとか言って装備を制限するルールなんて無いんだし」
「……えーと、つまり説得材料として魔術タイプに転向したって事にして、実際には何も変えないって事?」
「そうだけど。なにその『黒いよ委員長』みたいな顔」
「え!? そんな顔してる!?」
自分の顔を撫でてみる。
考えている事が顔に出やすいと言われて早一年。
表情を変えている自覚が無いから隠す方法に見当が付けられない。
いっそ大きなマスクでもしてしまおうかと思ったり。
「いいのよ、天音さんはそのままで。ポーカーフェイスで無表情な天音さんなんて見たくないし」
そんなフォローすらも、表情から読み取られた結果なのだからどうしようもない。
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二度のトイレ休憩を挟んで、バスはいよいよ目的地に近付いていた。
左右の車窓を流れていくのは途切れることなく続く木々の連なり。
「うわー、やっぱり雰囲気あるなー」
反対側、外の風景を見ながら相沢さんが言う。
釣られて成美の頭越しに外を見る。
ここは日本の象徴とも言われる霊峰の、その麓に広がる森林地帯。
濃く深い緑の広がりを指して古くから『樹海』とも呼ばれている。
そしてもう一つの俗な呼ばれ方として『自殺の名所』というのがある。
地質や地形の関係で方向感覚を失いやすく、迷い込んだら出られないとの言い伝えがあり、第二次世界大戦以前から自殺者が後を絶たなかったそうだ。
夏なので日はまだ落ちていないのに、どんよりと暗く見えるのは『自殺の名所』という異名のせいだろうか。
「幽霊とかでるのかなー」
同じ風景を見ている成美が呟くのが聞こえた。
あいにくと車中に『死霊術』や『精霊術』を扱う生徒はいない。そうした術を使う人は特殊な視覚を持っていて普通に霊の類を見られるそうだから、私達にはただ陰鬱なだけの森の景色の中に違う何かを発見できるかも。
視線を車内に戻して、通路沿いに前方へと転じる。
フロントウィンドウの向こうにはひたすら一直線に伸びていく片側二車線の道路。
樹海を貫く道路の先、四千メートルに迫る標高を誇る霊峰を背景にして、巨大なドームが威容を誇っている。公表サイズは半径一km。霊峰の四分の一サイズを大きいと見るか小さいと見るか。
結界として見るなら間違いなく大きい部類だろう。
あのドームこそ、私達が入る事になっている『四号結界』である。
世界に四つだけ残ってしまった戦場の一つだ。
「流石に凄い迫力。どういう呪文なのか一度見てみたいわ」
委員長も前方の四号結界を見ていた。
あの結界の構築と維持には天使の力が必須で、これは魔力の大小という単純な条件だけでなく、天使という存在そのものが術の一部として組み込まれているそうだ。
それだけに魔術としては複雑高度。
私なんかはただただ外見的な威容に対して「凄い凄い」と言っているだけだが、自分でも魔術開発を学んでいる委員長からすると、そうした技術的な部分への関心が先に立つものらしい。
四つの結界は、第二次世界大戦終結からの約五十年間、数度の張り替えを除けば解除された事が無い。その張り替えも『外側に新しい結界を構築してから古い結界を解除する』という手順だったため、『穴』が外界の空気に直接触れる事は無かった。
ふと、思った。
あの結界、どれだけの能力と強度を有していても、魔術の産物である事には変わりない。
「ねえ、成美のユニークスキルって、あの結界には……」
「天音さん!」
成美に話しかけた言葉の途中、委員長の鋭い声で遮られた。
いつになく切羽詰まったような響きがあったので、驚いて声を呑み込んでしまった。
「ど、どうしたの委員長」
「滅多な事は言わないで。それ、試しちゃってもしもの事態になったら、本気で洒落にならないから。結界に対するテロって世界で一番重い罪になるんだからね」
「やだなあ委員長。ちょっと興味があって聞いてみただけよ。成美だってわざわざ犯罪者になんてなりたくないでしょ」
言いながら成美を顧みると、彼女は真剣な顔でじっと自分の手を見ていた。
「桜は『破神』が結界に通用すると思うんだ?」
真っ直ぐに私の目を見ながら成美が問い掛けてくる。
彼女のユニークスキル『破神』は非物理系のスキル――魔術がその代表だ――を無効化するという反則級の性能を持っている。純粋な魔術タイプにとっては悪夢のようなスキルのため、学園側から使用自粛要請が出されていた。
なのでCOD内で『破神』を使っている光景を見た事が無い。
唯一それらしい場面を見たのはミアが『破神』を確認したいと言い出した時だけだ。その時も、傍から見ている私からはミアが成美の手を握っているだけにしか見えなかった。成美が『破神』を使っていて、ミアが使った何かの魔術を打ち消したのだろうと判っていても、視覚的にも聴覚的にも何も捉えられなかったのである。
そんな訳で私も『破神』を具体的に知っている訳ではないけれど、ミアと成美の遣り取りから相当凄い魔術でも消せちゃうだろうと思っている。何しろ神様がどうとか言っていたくらいだ。
いくら天使が作った結界でも全く影響を受けないとは思えない。
完全に破壊してしまうのか、一部を破るだけになるのか、そこはどうなるのか判らないけれど、結界は無事では済まないだろう。
まあそんな内容を聞かせると、成美は満足そうだった。
「でもさ、結界の中で使うのは問題無いのかな」
「大丈夫よ。ああいう結界の場合、球状の結界面と中心にある結界核に直接触れない限り影響は無い筈だから」
「結界核かー。そこを壊すと結界も駄目になっちゃうんだっけー」
そう言う成美がなんだかうずうずしているように見えて、「試しちゃ駄目だよ」と委員長や相沢さんと念押ししたら「そんなに子供じゃないよ!」と拗ねられてしまった。