表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水の七都  作者: Prosit
2/3

第一章 

___新暦52年 7月 4日 昼___


「だぁっ、来るんがおっせえんだよ、ったく。こんなシケたところで蒸し焼きにさせる気かい?運び屋さんよお」


昼下がりの暗がりに、暑さに茹だる情けない中年男の声がする。


光の乏しい空間で壁に寄りかかる中年男は、中背の小太りだがその身体がただの肥満体ではなくある程度鍛えられたものだということがヨレた紺ジャケットの上からでも分かる。


無精髭の生え残る顔には年齢相応の皺と暑さによる汗が流れ落ちているので迫力に欠けるが。


水上都市とは言っても、日中に光が満足に入らない室内では十分に暑い。


ましてや、男がだらしなく壁に寄りかかる室内は、都市郊外の貧民街にある打ち棄てられた廃墟ビルの4階だ。


都市中心部のように空気清浄が成されているわけでも環境を考えて街の構造が練られた場所でもない。


旧時代の建物に隠れ住む者や後ろめたい連中が蔓延る非大衆的区域。


都市中心部に比べて温度湿度が共に高い。


ゆえに、一般的な身体ならば高温と感じる。


最も、そう感じるのはこのような場所に慣れていないという証にもなるのだが。


「無理な取引時間を指定した奴の言うことじゃないな。まぁそれ込みの報酬か。運び屋の”葉月ハヅキ”だ、あんたがラドックか」


その暑い廃墟内にまた一人、今度は若い男の低い声がする。


ラドックと呼ばれた壁に寄りかかる男に比べると暑さ慣れしているように見える。


実際、葉月と名乗ったその若い男はこの都市の住人だ。


少し長めのくすんだ黒髪と美しい鼻筋の面は眠そうに黒い瞳を歪めていても美形であることが一目瞭然。


傷だらけの皮鞘に納められた灰黒色のグルカナイフがぶら下げられた濃青のデニムを履き黒地のV首インナーTシャツを着る長身は細身でありながら全体の筋肉が程良くついていることが半袖からのぞく両腕から分かる。


初対面の人間に気だるそうな狼を連想させる容姿と雰囲気だ。


その雰囲気の中にどことなく警戒するような機微が内包されているのは運び屋という危険と隣り合わせの職業柄か。


職務上このような都市の暗部に足を運ぶことも珍しくない。


「ああ、依頼したラドックだ。それにしても埃くせえとこ指定しやがってクソが」


「はん、俺だってもっと気の利いたカフェかなんかで洒落たかったよ。俺が挙げた場所候補リストをしらみつぶすみたいに却下しやがってからに」


取引場所である廃墟を勧めたのは葉月だ。


急遽飛び込んだ依頼で扱うブツを取引するにふさわしい場所をいくつか候補で挙げろと言われて示した候補の一つがこの廃墟ビルだ。


都市郊外の貧民街である廃墟近辺は治安の悪さに比例するかのように都市警察や軍などの介入が少ない。


分かり易いほどに、なにか後ろめたいことをするにはおあつらえ向きの一帯なのだ。


さらに、この廃墟ビルはその貧民街の外れである海に面した立地で、入り組んで建ち並ぶ襤褸屑と化したビル群の中にあることもあって街の地形に明るくなければ辿り着くことも難しい。


また、室内中央には家具などはない。


埃を被ったオフィスデスクが数台壁際に寄せてあるだけだ。


柱も必要な部分以外が壊されて広い空間となっているため、物陰に隠れたり待ち伏せしたりすることが出来ず、真っ向からの取引にはうってつけだ。


他にも理由はあるが、結果として、数多くあった取引予定集合地はこの場所に決まった。


取引、この二人の男はそのためにここに集まった。


もっと言うならば、それぞれの仕事のために。


ラドックの方は依頼品の受け渡し。


葉月の方は運び屋として依頼品の受け取りに。


互いの利潤のみを求めたビジネスとしてこうしてここにいる。


「それにしても、なんだ、仰々しいことだな。そんなぞろぞろ引き連れて、これから隣街の第八都市に上陸して強制占拠でもするつもりか?」


若干の呆れを乗せた声で葉月はやや冗談めかすように言いながらラドックを見る。


正確には彼の周囲を。


壁際で茹だるラドックの周りには、旧時代の貴重技術ロストテクノロジーで作られた銃器を装備した男たちが十数人いた。


電子機器全てが御釈迦となった現代では銃一丁も貴重な武器だ。


当然、刃物類に比べると入手は困難だ。


今の世で銃器を惜しみなく使うことが出来るのは各都市お抱えの軍や警察などの公的機関を除けば一部のずば抜けた金持ちや堅気ならざる者たちだけだ。


つまり、銃器を一人ひとりが持っているこの集団はそれなりの地位なり資金力なりがあることになる。


逆に言えば、弩級の犯罪者集団である可能性も高い。


第一、いくら武装都市といえども真昼間から大仰な武装集団が出歩くなど尋常ではない。


さらに、この廃墟ビルに入る前に建物周辺にもかなりの人数が隠れ潜んでいることを葉月は分かっている。


外で隠れている者たちの数はざっと見積もっても数十人。


その全員が、銃器を装備する言わばラドックを守る兵団。


運び屋の仕事をしている葉月は取引依頼品の重要度によってある程度の私兵を纏わせることがあるということを心得ているが、明らかにただ取引と即金の受け渡しをする状況には過分な兵力だ。


それを揶揄する気はなくとも、この場所に単身で来ている葉月にとっては居心地のいいものではない。


「うるせえ。だが、群島紛争の方がマシかもしれねえのは確かだ」


「おいおい、領有権問題より深刻なのかよ。穏やかじゃないな」


半ば相手が腹を立てることも考慮に入れた発言だったのに対し、ラドックが存外に現状を重く見ていることが窺い知れて葉月はさっさと取引を済ませることにした。


「まぁ詮索はしないのが俺の数少ない信条の一つだ。それより、手短に終わらせよう。お宅らから受け取る即金目当てで今日は酒場に良い酒を頼んであるんだ」


冗談を吹きながらも周囲に警戒しつつラドックに真っ直ぐ近づく。


「運び屋なんだからこのヤマが明けるまでむやみやたらとうろつくんじゃねえ」


軽口を返しながらもラドックが壁際から離れると自身のジャケットの懐から何かを取りだした。


特殊硬度強化プラスチックの小さな貼箱だ。


ラドックがその貼箱をあたかも女性に婚約を申し出るかのように震える手で大事そうに開けるのを葉月は気色悪く思いながらも無表情に見ていた。


貼箱の中は真っ黒な衝撃吸収生地が拡がっている。


生地の奥へとラドックが指を伸ばし入れると、何かを掴んで取り出した。


それは、子どもの掌にも容易に収まる小さな物だった。


黒藍色の薄い長方体には掠り消えて読めないが、何かの文字が今は剥げた金色塗料で彫ってあったようだ。


ラドックが差し出すそれを見て、葉月は少量の驚きを交えて箱に戻しながら受け取った。


(…これは、旧時代のストレージか?)


葉月の思うとおり、それは旧時代の終末ならば多用されていた補助記憶装置にして手軽な電子記録媒体として非常に優秀だったメモリーチップだった。


電子の死んだこの世界ではもはやただのガラクタに過ぎない。


にもかかわらず、先程からこの貼箱を持っている葉月にラドックの私兵らしき連中は今にも引き金を引きかねないほどに緊張状態で視線を送っている。


それだけ、このメモリーチップが重要なのだろう。


貼箱をベルトポーチにしまう葉月に、ラドックの声がかかる。


「運び屋の若造、絶対に”ソイツを二日以内に例の場所へ届けろ”それだけ守ってくれさえすりゃあこっちは御の字だ、オーケイ?」


敬虔な信徒が懺悔をするかのように歪められたなんともいえない顔つきでラドックは葉月に即金を渡しながら言った。


「了解。なに、ここからならそう遠くない。夕方のガキ共が帰る鐘が鳴る前にパスするさ」


皺ばんだ紙幣の束を懐に突っ込みながらそう答えて背を翻しそそくさと早歩きで出口へ向かう葉月。


一先ず、取引の第一段階スタートラインはクリアということもあってか、ラドックはじめ武装兵数人たちは少しほっとした。


しかし、その一分の隙は、突入の機としてまずまずの好機だった。


突如、襲撃が展開された。


空気が僅かに振動する。


容器に溢れる液体に波紋が断続的に続くかのような感覚。


誇張ではなく、空気中にある”粒子が共振している”のだ。


そして、その振動が何を意味するのか、何の兆候なのかをここにいる者たちは全員が理解していた。嫌になるほどに理解していた。


”攻撃が来る”


すぐに武装した男たちは壁際に寄せていたオフィスデスクに用意していた防弾繊維ケブラーを纏わせ、傾斜を付けて中心に向かって立てかける。


即席とはいえバリケードとなったそれは、並みの銃弾や爆薬ならば防ぐほどのもの。


「壁際から離れろ!デスクの陰に伏せろ!!」


ラドック自身、拳銃M92Fを両手で構えながら立てかけられた机裏に走りすべり込む。


その言葉に、急いで武装した男たちが机の陰に跳び込み隠れる。


彼らは机裏に隠れながらそれぞれの得物を備える。


(…チッ)


葉月も、出口へ向かう足を引き返してすぐにバリケード群に混ざる。


今の空気の振動から、もはや出口は最も危険な場所だと理解したからだ。


実際、もしそのままのこのこと出口へ向かっていたら格好の餌食と化していただろう。


机裏に隠れると、葉月も左腰から重量のグルカナイフをぬらりと抜く。


他の連中に比べるといささか頼りない装備に見えるが、葉月にとっては最も扱いやすい武器だ。


そうこうしているうちに、あっという間に机裏には殆どの男たちが身を潜めた。


けれども、全員が精鋭というわけではないようだった。


まだバリケードに走っている者たちがいる。


元は何かの企業の一部署が使っていたビル内と言うことで、遮蔽物が少ないとそれだけ広いのだ。


もう少しで彼らもバリケードの中に入る。


しかし。


あと数人の男たちが隠れきれば全員というところで、”ソレ”はやってきた。


碌に陽の光も入らない筈の室内が、バリケードに向かって走る男たちと一緒に光に包まれる。


この世界に生きる人間ならば、子どもから老人まで見たことがあるだろう光。


赤い、奔流を帯びた光。


その赤光がまるで今は亡き電気による灯りのように室内に一瞬広がったかと思うと、すぐに光は消えた。


光自体は、何の攻撃でもない。


だが、室内に暗闇が戻ったと同時に、安全レバーの外れたある物がいくつも宙に現れていた。


長さ15cm弱の筒状の物体。


「なっ…!MK3…A2!?」


走る男たちの中の誰かがそう叫んだ。


(攻撃手榴弾)


葉月が理解した次の瞬間、複数の爆発が立て続けに起こった。


「!!」


赤光とは異なる目も眩む光が弾ける。


一つでも十分な威力のそれがいくつも爆ぜる。


つい数秒前まで静寂を極めようとしていた室内には鼓膜を叩く爆発音が響いた。


爆発音に紛れて誰かの断末魔や絶叫が聞こえた気がしたが、何と言ったかを判断する間もなくすぐに掻き消される。


ただの炎熱だけでなく、手榴弾内に内蔵されていたトリニトロトルエンが爆発したことによって起きた衝撃波が、辺り一帯を殺傷力のある暴風で包み込む。


バリケードに隠れる男たちは皆、その衝撃を机越しにビリビリと感じ取っていた。


時間にすれば僅かな数瞬だったが、その爆発は場の状況を一変させた。


爆風が過ぎ去った室内には、撒き上がる煙や破片、肉の焦げた臭いが満ちる。


壁や床、天井や机には破片と肉片がこびり付いていた。


いくら一つ当たりの危害半径が2mとはいえ、いくつも同時に爆ぜれば威力が増すのは当然。


ましてや、背を向けていた生身の人間を害するなど容易いこと。


再び静けさを取り戻し始めた室内中央には、もはや生きている人間の気配はしなかった。


数秒、煙埃の舞う音だけが場を支配した。


しかし、その数秒の沈黙は、冷静さを欠いた人間を爆発させるのに十分な時間だった。


「……くっそぉぉぉおおお!!」


突如、ヴァルメ62アサルトライフルをジャキリと振りかぶりながら、焼け崩れた机裏から立ち上がる武装した男。


そのまま全身の筋肉を力ませ一気にバリケード向こうへ跳び出す。


本来なら、状況確認を怠った状態で出ていくなど恐慌状態の少年兵がするような自殺行為だ。


恐らく、手榴弾による爆発で室内中央を走っていた仲間たちが殺されて頭に血が昇っていたのだろう。


つまりは、彼らが洗練された兵ではないということ。


「馬鹿野郎!やめろ!」


ラドックがすぐさま呼びかけるも、一歩遅かった。


興奮した男がバリケードを跳び越えたその時。


室内に、またも空震が訪れる。


そして。


先ほどよりも一段と強く輝く赤い光が、廃墟ビル内を大きな松明のように照らした。


「くっ、また投擲爆薬か!?」


バリケードに隠れる男たちがそう勘繰る。


色めき立ち、衝撃に備えようと態勢を取る。


だが、葉月とラドック、そして一部の男たちは歴戦の経験で知っていた。


(先程より強い光、ってことは手榴弾なんかよりデカいモノが送られてくる・・・・・・


瞬きの間に、赤い光は消え去る。


次の瞬間。


室内の温度が一気に上昇する。


熱砂の上に立っているかのような錯覚を覚える。


同時に。


「がっぁぁぁぁあああああああ!!」


興奮して跳び出していった男の無惨な叫び声が響いた。


既に火薬と肉の焦げる臭いが沸く室内にさらに焼ける異臭が発ちこめる。


戦闘慣れしていない数人の男たちは、もう駄目になったと思っていた自分の嗅覚が仲間の死臭を嗅いだことに驚きと嫌悪、憎悪を感じた。


ずしゃりと男が崩れ落ちる音が続く。


もうその口からは絶叫は出ず、煙だけを吐き出していた。


それを機と見たか。


「今だ!いけえええ!!」


ラドックが攻撃の合図をしながらバリケードから跳び出した。


「うおおおおおおおおお」


彼に続いて一斉にバリケードから弾丸のように出ていく武装集団。


室内に充満する臭いと煙に咳き込む者たちも遅れて出ていった。


「!!…撃て!撃てえ!」


何かを見たラドックが焦燥感も露わに引き金を引きながらそう叫び伝える。


一つの軽い銃声を合図にするかのように始まる銃撃音の重奏。


拳銃、小銃、自動機関銃、散弾銃、それぞれの異なる発砲音が凄まじい勢いで室内を駆け巡る。


どんどんそこかしこに散らばる様々な型の薬莢。


武装した男たちは全員、室内中心に向かって撃っている。


なぜ一心不乱に全員がそこを撃ち続けているのか。


室内中心にあるものは、炎。


キャンプファイヤーも如何という、燃え盛る炎。


どうしてそんな火かここにあるのか。


おかしい。


この室内には火種になりそうなものはあれども、燃え続ける増してや燃え盛る・・・・などということになりそうなものは無い。


加えて、水上都市の端という水蒸気塗れの立地と夏という湿気の高い気候。


尚更燃えにくいはずだ。


にもかかわらずなぜ猛々しく燃えるのか、火が起きておさまらないのか。


大体、仮に燃える火があったとして何の必要があって彼ら武装集団はそこを一偏等に撃つのか。


答えは簡単だ。


室内の中心に起きている猛炎。


”その炎は人為的に起こされ続けている”代物なのだ。


超能力として二番目にポピュラーな能力。


発火能力パイロキネシス


それも、これほどの炎熱を発生させ断続的に維持していることから、かなりの能力者であることがわかる。


現在、超能力には段階付けがされている。


上から、A、B、C、Dといった型。


実際にはより細かく分けられているし、A以上やD以下の能力もある。


とはいえ、一般的にはA~Dランクが能力を左右している。


特に、Aランク以上の能力者たちは高位階能力者ハイランカーと呼ばれ、各分野で活躍している。


同時に、ハイランカーは戦闘能力も軒並み高い。


その中でも戦闘向けと分かり易いのがパイロキネシスと念動斥力サイコキネシス


他の超能力もそうであるように、その二つの能力は大気中に多数飛散している粒子を伴って発揮される。


パイロキネシスは炎を、サイコキネシスは不可視の物理干渉を行使する。


どちらも、低位階能力者ロウランカーでも脅威となる力だ。


そして。


(あの感じ…銃弾は一発も本体・・へ達していないだろうな)


室内中心で燃え盛る炎は、紛れも無くハイランカー、少なくともBランク以上のものと見て間違いない。


一人バリケードに隠れたまま机越しに状況を判断する葉月。


葉月は今二つの道を選び悩んでいた。


それは、ここからどう脱しようかということだ。


室内の中心では戦闘真っ最中だが、そんなことは知ったことではない。


運び屋の仕事はブツを届けることであって、前衛戦闘など報酬リワードの中に含まれていないのだ。


契約内容によっては戦闘もあり得るが、今回はそう言ったことは訊き及んでいない。


最も、あれだけの武装集団を引き連れていたのだからそれも自然なことだが。


とりあえず、今はこの状況を早急に抜け出して街方面に行きたい。


実は、ラドックたちには一言も言っていなかったが、この廃墟ビル内には葉月が仕込んだ緊急用の狭い脱出経路がある。


全ての階にあるわけではないが、今いるこの4階にはある。


なにより、だからこそこの階を指定したのだから。


というわけで丁度良い具合にバリケードに隠れて尚且つ全員の意識が室内中心に向かっている今こそ脱出には絶好の機会である。


しかし、葉月が脱出に今の今まで踏み込んでいない理由がある。


外の様子だ。


葉月は、この4階に来るまで多くの潜伏武装集団を感知した。


ならば、外敵と最初にかち合うのは彼らのはずだ。


ところが、最初の手榴弾投下までも今この時も外から発砲音などは聞こえてこない。


それが意味するのは、外の集団が音もあげずに屠られたかそれともこの階に敵が攻めいっているということを外の集団が知らないのかはたまたラドックたちの中からの裏切りか。


他にも様々な可能性があり、どれもそうであったなら危険だ。


どのみち、この階が攻められているということは下の階は制圧なりなんなりされた可能性大。


つまり、ここで葉月がするりと脱出出来てもその先でさらなる戦闘が待っているかもしれないのだ。


それならばいっそこの階にいる連中と一緒に外へ出た方がマシではないのか。


(…あー、めんどくせぇ)


思考が高速で堂々巡りを行おうとしたのを遮って、うんざりするような表情で軽く柔軟運動をする。


(俺は元々考えて何かするタイプじゃない。アイツらの様子をもう少し見て流れに乗ればいい)


そんな適当思考でいつでも動けるように身体を解す葉月。


勘の良さなのか実力なのか運の良さなのか、今までこの方法で生き残っている葉月は今更賢いタイプになろうとは思わなかった。


手に馴染ませるように重厚なグルカナイフを握ったところで、状況に変化が起きた。


炎が、弱くなり始めたのだ。


発生からずっと轟々と燃え盛っていた炎が嘘のようにみるみる小さくなっていく。


炎が小さくなっていくと、それと反比例するかのように室内中心から濃灰色の蒸気やら煙やらが雲のように積もり昇っていく。


「っ!!発砲やめ!はなれろ!」


ラドックが左手を挙げながら叫び指示する。


ジャキジャキと音が木霊する。


武装した男たちが、引き金から指を離して後退したのだ。


途端に静かになる室内。


中心から発生するシュウウという蒸気の音と大量に転がる薬莢やら破片やらの金属音だけが場に残る。


後退した男たちが銃を構えながら中心に食い入るように注視している。


手練れである数人の男たちが目は中心に向けながらも周囲へ気を配り警戒する。


ごくり。


誰かの喉が無意識の内に鳴る。


微音であるはずの隙間風がやけにはっきりと聞こえる。


誰かの革靴裏が金属片を踏んだジャリという音が離れたところにいる者たちにも我がことのように聞こえる。


静寂。


不気味なほどに静寂。


中心に沸き上がる蒸気の中から何が出てくるのか。


発火能力者パイロキネシストの穴あきチーズのようになった死体か。


それとも、あり得ないだろうがまだ生きているのか。


もしかしたら警戒が薄い後方から新手が来るかもしれない。


かといって壁際もどんな能力者が仕掛けてくるかもわからない以上迂闊に近寄れない。


極度の疑心暗鬼による緊張状態。


誰もが汗を滴らせている自身の強張りに気付かない。


それほどに集中力が高まっているのか。


いや、そうではない。


「はぁっ…はぁっ!…はあ!」


戦闘経験の薄い数人の男たちはもはや肩を激しく上下させ息も荒く目も焦点が定まっていない。


確かに暑い空間だが、まるで煮えたぎる溶岩の上で綱渡りでもしているかのようなマイナスの高揚感は異常だ。


次に何かあれば誤って誤射しかねないほどのそれだが、誰もそれを注意しようとはしない。


何か刺激すればそれこそ彼らを触発しかねないということもあるがそれは主たる理由ではない。


単純に自分のことで手一杯なのだ。


最初に手榴弾で死んだ数人やバリケードから跳び出して焼き殺された男は運と状況判断能力の無さが命取りとなった。


避けようのある死だったのだ。


しかし、今は違う。


何が起こるか分からないこの状況では、何が”してはいけないことなのか”が曖昧だ。


ゆえに、より細心の注意を払う必要がある。


ましてや錬度の低い他人を気遣うなど困難なこと。


それらが相まって全員が全員、過程は事なれど硬直という結果を出していた。


出していた、のだが。


「くふ、くふふふふ」


突然室内中心から漏れる男の高い声に、全員が一斉に慌てふためく。


「ありえねえ…あんだけ撃ったんだぞ!林檎が柘榴になるくらいカマしたはずだ!!」


一人の武装した男が驚きと恐怖からカタカタとSIGP229Rの銃口を上下させながら揺れ歪む口で言ったことは、この場の多くの男たちの代弁となった。


だのに、それを嘲笑うかのように、晴れ始める煙の中から出てきた優男が口を開く。


「撃った?かました?くっくっふ、ボクの甘い顔が.40S&W弾や.357SIG弾如きで耕せるとでも?くふ、くふ、笑わせないでくれ。ボクは漫談をしにここへ来たのではない」


我慢できないという風に笑い咽びながらふるふると周囲を観察してそう言う優男。


髪は金髪混じりの茶髪がかかる俳優のような二枚目、疎らな日焼け模様のようなシャツを着た観光客モドキの風体。


見た目はただの勘違い野郎だが、本質はそこではない。


奴は、燃え終えた所から現れた。


それが指すのは一つ。


その優男こそが炎の原因パイロキネシストであるということだ。


”銃弾の雨に対する傘”を持っている程の。


そして、態々炎を一時断って周りをぐるっと見渡すくらいの余裕を持っている。


どう考えても武装した男たちが何人も銃を向けている中で炎を断つことによる周りを見られるというメリットは、銃撃に合うというシンプルなデメリットに見合わない。


ともすれば蜂の巣も真っ青な芸術アートになりかねないときにする判断ではない。


では、なぜそんな危険を冒したのか。


それこそシンプルなことだ。


つまり、優男は銃撃が恐ろしくないだけの高い能力を持っているということ。


銃弾を弾き融かす炎を撃たれるよりはやく発生させるだけの技量があることゆえの余裕。


銃撃になれたハイランカーの能力者ならではの、発射音を聞くと瞬時に無意識に自身へ炎を纏わせる条件反射的技術。


言いかえれば、いつでもお前らなど殺せるぞという無言にして無意識の絶対メッセージ。


したらばなぜ今ソレをここでやらなかったのか。


それは何かを探すという目的があることに他ならない。


ラドックたちの中にいる誰が炎に耐え切れなさそうな大事なモノ、”メモリーチップ”を持っているのか。


なればこそ優男は炎から出てきた。


そして、その優男の判断こそが決定的な分かれ道となったことを、誰も知らない。


(この状況で出ていったら俺が持ってますって言うようなものだ。けど、どのみちこれ以上の長居は外の状況に関わる、それに―――)


優男パイロキネシストがハイランカーと分かった以上、ラドックたちに勝ち目が薄いのは明らかだ。


なにより、時間を稼いだところで外から優男の仲間が増えてこられたらたまったものではない。


ここは、一か八かの賭けに出るか。


否。


(奴はハイランカーだが、見た感じA以下・・・だ。それなら)


何かを決めると、すぐに周囲に横たわる死体が握りしめたTEC-DC9を奪い、ネジの切れた銃口を離れたところの床に向けながらバリケードから跳び出した。


「!!そこか!」


「バっ…なにを!?」


葉月の低く疾駆する姿を捉えた優男が腕を振りかぶり、ラドックたちはなぜ今出てきたのかと我が目と葉月の頭を疑った。


すぐさま優男の両腕から銃弾をも融かす炎が発生し、何人か燃やし巻き込みながら葉月に迫る。


葉月も、見据えた床へ向けて9x19mmParabellum弾を連続的に吐き出す。


兆弾も踊る程に金属板が貼られた部分の床を撃ち抜くと、すぐさま”最初から開くべくして開いた穴”に跳びこむように入る。


黒皮のショートブーツが穴におさまったというところで炎がギリギリブーツ裏を掠めたかという具合に葉月の姿が秘密脱出口へと消える。


優男の炎は葉月を取り逃がした。


「くそっ!くそがっ!!」


先程までの余裕が嘘のように悪態をつきながら、唐突に不自然に滑らかに開いた穴を睨みつける優男。


なぜ炎が追い付かなかったのか。


離れた地点と言うことはあったが、これぐらいの距離ならば両足を焼き切ることは出来たはずだ。


ではなぜか。


答えは簡単だ。


優男と葉月の間には何人もの男たちが炭酸飲料のオマケよろしく突っ立っていたからだ。


葉月へと迫る炎は、途中で彼らを燃やしながら進んだ。


いくら激熱の炎と言えど、人体が複数あれば燃え拡がるのはほんの僅かとはいえ縮まる。


加え、葉月の疾走速度が優男の、いや、ここにいる誰の予想よりも速かった。


真っ当な鍛え方や動きではあり得ないほどに。


さらに、葉月が銃を持っていたのを見た優男はそれが自分を攻撃するためのものだと勘違いした。


それゆえに自身の周りにも炎の壁を纏わせた。


その分の遅れも僅かとはいえ出た。


それらが重なり合った結果、葉月は見事靴裏を焦がす程度の被害で現地調達の武器も手に入れまんまと脱出したのだ。


思わず、あまりの一瞬の脱出に唖然とする面々。


だが、呆けるのも長く続けさせてもらえないようだった。


「くっふっくっふっふ…貴様らぁ!よくもボクをコケにぃぃぃ!!」


優男が狂ったように怒り、喚き散らしながら歪む炎を燃え上がらせる。


先程の発火速度と密度を見ていた男たちは理解していた。


”自分たちは、ここで燃え死ぬ”


男たちの脳裏にそれぞれ様々な記憶や思考が瞬く間に巡る。


その中でも大半を占める人気者は葉月だ。


先程の仲間たちを盾に利用して逃げ果せた姿に憎しみを覚える。


だが、ラドック含む数人はその葉月に対して違うことを思っていた。


(まさかこっからさらっとトンズラできるとはな。ありゃオツムよりハナが利くタイプだったか。腹は立つがあの若造に預けて正解だったな)


自分たちが選んだ運び屋の若造。


彼が噂通りの腕利き、彼を選んだ自分たちの選択。


自分たちの目的をビジネスと割り切って遂行してくれるだろう男。


(クソロメオが、頼んだぞ)


葉月に、明かしてはいない、明かす必要もない自分たちなりの”大義”を託した。


「おおおおおおおおお」


咆哮する優男と怒号を上げながら引き金を引こうとする男たちの声々がラドックの鼓膜を殴る。


最後に感じるは仲間や自分の身体が焼け融けていく血生臭い悪臭だろう。


そう、思っていた。


神にでも祈るか。そんな一銭にもならないことを思って今かと最期を受け入れようとするラドックの耳には、終ぞ死の音色は届かなかった。


代わりに届いたのはゴズッという鈍く湿った音だけ。


ラドックは呆けるように無防備な姿で室内中心を見た。


男たちも同様に呆然としている。


それもそのはずだ。


彼らが刺し違えてでも最期に一矢報いてやりたくて銃弾を浴びせようとしていた相手である優男。


ラドックたちには勝機など無かった。


せめてひとっ弾掠れば上々。


それほどまでに勝ち目が見えない相手。


その優男の頭から大きな角・・・・がぬるりと生えてきたのだから。


理解できない。


何が起きた。


一瞬のうちに状況が激変したことに一同固まるが、そんなことは知ったことではないという風に声がする。


「ハイランカーに多いミスその一、前しか見えてねぇっ、てな」


知った声だ。


もっと言えば、聞こえるはずの無い声でもある。


だが、間違いようがない。


低く気だるそうではあるがどこか鋭さを含む若い男の声。


運び屋にして今し方逃げ果せたはずである男、葉月だった。


驚きに包まれる室内。


混乱するような気配が声を通さずとも伝わってくる。


逃げたはずではないのか。


それなのになぜ戻ってきたのか。


いやそもそもこの状況は何だ。


動揺を隠せない男たち。


その中に立つラドックは、あるものに気が付いた。


「…!!」


優男の頭から生えた角から赤い液体が脈動を伴って流れ出てきたのだ。


いや、そもそも角ではない。


暗くて分かりにくかったが、それは”刃”だ。


重厚なフォルムが無骨なまでの大きさと曲線からなるそれは、今の世ではさらに珍しい武器、グルカナイフククリだ。


そう、角が生えたかに見えたソレは、優男の頭蓋を後頭部からお邪魔して前頭葉を突き破って出てきた葉月のグルカナイフだったのだ。


決して切れ味が良いとは言えないグルカナイフが、骨を突き貫くほどに強い力で頭に刺さった。


つまりは即死。


そして、脳波が発動必須条件である超能力パイロキネシスも同時に抑えた。


葉月は、燃え散る寸前の武装した男たちをあの世への特急便から引きずり落としたのだ。


その葉月はいま崩れ落ちる優男の後方にある、カーテンも枠も無い窓からさっと入ってきた。


ここは4階だ、一体どうやって散歩から戻った犬のように入ってこれるのだろうか。


だが、驚くばかりではいられない。


すぐにラドックが警戒しながら確認する。


「…若造、スペアリブになる前に助けてくれたことには礼を言っとく。だが、なんで来た?いや、方法はいい。大方緊急通路か何かだろう。それは置いといてだ、どうやってあの野郎パイロキネシストを一撃で倒しやがった?」


矢継ぎ早に疑問をぶつけるラドック。


彼の問いに男たちも同じように複雑な思いなのか黙って様子を見守る。


葉月は、あくまであまり気にせずにすらすらと言う。


「ハイランカーってのは確かに厄介だ。実際、こいつの炎は威力といい精密度といい制圧可能範囲といいかなりのランクだった。けどな、さっきも言ったがハイランカーってのはどうしてもその強力な力を振り回すのに集中力がいる。そしてその集中力ってのはマトを絞っている方が練るのは簡単だ。そこでどうしても自分の視界に入る敵から片付けたがる、無意識にな。特にこいつら発火能力者パイロキネシストはそれが顕著な奴が多い。まぁ超能力特殊攻勢部隊にでも入らなきゃそこまでの知識が必要になることは早々無いがな」


そう一息に語った葉月は崩れ落ちた優男の方へと近寄る。


「こいつもその例に漏れずだったが、いざ回り込むと予想以上にがら空きだったな。はぁ、前の方フロントばっかり攻める男じゃ女も欠伸が出るだろうから頭に新しいオモチャイチモツ生やしてやったってのに地面とキスしてちゃ話になんねぇな」


軽口を叩きながら優男の頭に抉り刺さったナイフを抜く。


抜いた途端に溢れ零れる大量の血液を見向きもせずにポケットから取り出した布切れでナイフの刃を拭く葉月に、ラドックが溜息を吐きながら問いかけた。


「ああったく。それで?どうして助けに来た?お前の仕事は運び屋だ、こう言っちゃ何だがお前が戻らずに街へ向かってくれても一向に構わなかった。護衛の依頼をしたわけじゃねえんだしな」


ラドックの溜息交じりの質問に、拭き終わったナイフを仕舞った葉月が右掌をラドックたちの方へ向けながら片目を歪ませて言った。


「そう、”今の”は俺の仕事のうちじゃねぇ。”解説”もな。それで、だ。こいつは俺の独り言なんだが、街までの護衛が一人欲しくなったらちょいとこの掌にお布施をするといい。今なら優男の首とありがたーい超能力講座の分も併せて安くしておく。なぁにこれは俺の独り言だ、掌が空気しか掴まなけりゃ頼もしい護衛兼街案内兼運び屋さんは一足先に街へ戻って酒場バーで一杯だ」


悪びれずに笑顔でそう言う葉月。


すかさず、気性の激しそうな男の一人が叫び抗う。


「ふっざけんな!確かに火事野郎の件は助かったがそれはおめえが勝手にやったんだ。報酬の外で散歩した馬鹿にやる金なんざねんだよ!!」


男の雑言を受けても、葉月は至って落ち着いてまた口を開いた。


「あー、なんだか喉が渇いてきた。酒場で飲みつぶれるまで飲みてぇ、誰に呼びかけられても起きないくらいに」


「んなにい!?」


「待てジェイク。そうだな…これくらいでどうだ?」


葉月に掴みかかろうと大股で歩き出した男を制止したラドックが葉月の掌に二束の紙幣を乗せる。


顔を上げて葉月を見るも、掌上で何が起こっているかなど知りもしないという顔で葉月は言葉を続ける。


「何飲むかな。偶には白ワインでも…」


「ちぃ、わーったよ、これでどうだ?」


葉月の掌にさらにラドックが三束を乗せる。


「オーケイ、なんだか子守りしながら寄り道して帰りたくなってきた。酒場はその後にするか」


そう言いながらにやけた表情で札束を懐へ仕舞う葉月。


そのやり取りを見て、先の男がまた騒ごうとする。


「おい旦那!こんなセコい奴の助けなんか要らねえだろ!あんの火事野郎はもうおっ死んだんだからよ」


「必要だ。それにまたあの優男みてえなのが出てきたらどうする?」


「そいつは、ぶちのめせば…」


ラドックの瞳が細められる。


「”今まさにぶちのめされそうだったおれたちが”か?寝言は目を瞑ってほざけ」


もう相手にならないとばかりにその場を離れるラドックに、葉月が近寄る。


「俺はそんなに阿漕なことしたか?」


その言葉にラドックは悪戯を叱られた子どものように顔を歪めて言った。


「いや、真っ当過ぎるくらいだ。正直助かった。…ムカついてんのはおれもだがな」


「なるほど確かに正直だ」


得意げに微笑む葉月と舌打ちをするラドック、二人と武装した男たちはその階を後にした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ