空への願い ②
第7支部の医務室にて、Drミケイルの姿があった。
フリーアイゼンが改修中、彼は第7支部でしばらく医師として活動している。
E.B.B討伐時に負傷を負った兵士の手当や診察を中心に、多忙な毎日を送り続けていた。
元々医務機関では人不足だったこともあり、最近ではパイロットが増加傾向にありつつ、E.B.Bとの戦いも激しさを増している。
更にアヴェンジャー等の襲撃にも対応している影響で、日々怪我人が増加傾向にあったのだ。
ようやく今日の分が全て終わり、Drミケイルは息をつく。
そんな時、バタバタと慌しい足音と共にバターンと扉が開かれた。
「あ、見つけましたよーおっさん」
「……君、何度も言うがね、いい加減私をおっさん呼ばわりするのは止めないか?」
足音だけでも想像がついたが、やはりシラナギであった。
もっと静かに入ってこれないのかと、思わずため息をついてしまう。
「おっさんはおっさんですよー、今更何を言うんです? それと、頼まれていたものちゃーんと受け取ってきましたよー。
全く、私が直々に持ってきてあげたんですから感謝してくださいよっ!」
「君ねぇ……少しは私の助手ってことを自覚できないのかね。 大体今日も仕事をサボッて遊んでいただろう?
前々から、姿を消してはフラフラと遊んだ挙句私の頼みごとを全てすっぽかしたりと――」
「失礼ですねー、私だってちゃんとやってますよっ! 今日だって、この小包怪しいおっさんから受け取ってきたんですから」
口をとがらせながらシラナギが言葉を返すと、Drミケイルは呆れて言葉を失った。
だが、シラナギも空気は読める。 仮にも患者の命が関わっている仕事なのだから、急患が訪れた場合などは迅速に対応してくれる事も多かった。
……いつもそうであれば非常に助かるのだが、と結局はため息をついてしまう。
「とにかく、それを渡したまえ」
「しょうがないですねー、それにしても中身が秘密ってどういうことなんです? 教えてくれてもいいじゃないですかー」
「ならん、言っておくがこの事は決して誰にも言うんじゃないぞ」
「中身教えてくれないと、皆に『先生が大人のおもちゃを大量注文してましたよー』って大声でわめき散らしますからねっ!」
「……わかったからその口を閉じてくれ。 全く、君に頼んだ私がバカだったよ」
「それで、何なんですその中身?」
何故かシラナギは目をキラキラとさせながらミケイルに尋ねる。
一体どんなものを想像しているというのか。
「現在では入手困難と言われてる薬を裏ルートから手にしてな。 本当は禁じられているんだが、どうしても必要だったんだ」
「ほえー……薬ですか? 面白くないですね……残念です」
「うむ、わかったのであれば立ち去りなさい。 後、くれぐれも内密にするんだぞ。 でないと、私は君を――」
「ふふーん、私は口が固い女の子、なんですよ。 例えおっさんとの約束でも、しっかり秘密を守りまーすっ!」
「……ならいい、下がれ」
「はいはーい、それじゃ先生、頑張ってくださいねー」
シラナギはニコニコとしながら手を振って、医務室を後にする。
……最後だけ、何故かおっさんとではなく先生と呼んでくれていたが。
どーせ意味はないだろう、と深く考えなかった。
「まぁいい、監視ならつけている。 少しでも不審な動きを取れば、その時は――」
Drミケイルがニヤリと笑みを浮かべ、小包の中身を確認する。
その中には……紫色に輝く鉱石があった。
――エターナルブライトだ。
現在ではメシアにて厳重に管理されている、E.B.Bを生み出した元凶。
そして、HAの動力源ともなる使い方次第で、その役割を変える不思議な鉱石……。
メシア所属と言えど、医療機関に属するDrミケイルが……手にすることができないはずの代物だ。
上層部の許可なくエターナルブライトを使用する事は、メシアでは禁じられている。
そう、だからこそDrミケイルは……誰にも知られるわけにはいかなかった。
ある者の目的の為に、これを使ってやらなければならないことがあるのだから――
「さて、準備を進めようか」
Drミケイルは怪しく微笑んだ。
その表情はまるで、狂気に満ちた者のように見えた――
第7支部の休憩所にて、ラティアの姿があった。
何処か寂しそうな表情を見せて、一人でポツンと座っている。
もう何年も顔を合わせていない妹……シリアについて、考えていた。
ラティアはHAに憧れて、親の反対を押し切って強引に出て行った。
シリアには人類を絶対に守って見せる、だとか大きなことを抜かしていた事を覚えている。
その時のシリアの目は、輝いていた。
シリアは唯一、ラティアのパイロットへの道を賛成してくれたのだ。
シリアにHAの事を語る時は、いつも一緒に空を見上げていた。
当時は、飛行機能を持ったHAは何一つ存在しない。
始めは必要性が感じられていなかったが、対大型E.B.Bへ向けてや、飛行型のE.B.Bが確認されてから徐々にその必要性が認められてきた。
研究段階にあった飛行型HAについてシリアに語ってあげると、凄く楽しそうな顔をしてくれた。
『お姉ちゃんがパイロットになったら、このでぇーーっかい空をHAで駆け抜けるんだよね?』
『うふふ、そうね。 もし、空を飛べるようになったら……駆け抜けてみたいわね、きっと気持ちいいわよ』
『ねぇねぇ、もしお姉ちゃんがパイロットになって、私がバケモノに襲われた時は……空から助けに来てくれる?』
『勿論よ、私の家族を狙う悪い奴は皆お姉ちゃんがやっつけてあげる』
『約束だよ、絶対に……助けに来てよ?』
『当たり前よ、何の為にパイロットやると思っているの?』
『えへへ、お姉ちゃん流石っ!』
当時の会話は、今でも鮮明に思い出せる。
その記憶がはっきりと残っているからこそ……顔を合わせるのが辛かった。
「悩んでいるようだな、ラティア」
「……わかるかしら?」
ふと、姿を現したのはイリュードだった。
イリュードとラティアは、同期であり昔から行動を共にしていたことが多い。
当時は二人とも優秀なパイロットであったが、ある日を境にイリュードはソルセブンの艦長へと就任した。
立場は思いっきり変わってしまった今でも、二人の絆に変わりはない。
「その顔は、妹の事か」
「貴方には隠し事できないわね」
「……奢りだ、受け取れ」
イリュードは片手に持っていた缶コーヒーをラティアに渡して隣へ座る。
ありがとう、とラティアは一言告げた。
「そんなに怖いのか、妹と顔を合わせるのが」
「……そう、ね。 私、怖いのかもしれない。 あの子が私を恨んでるのが、わかってしまったあの時から。
今逢えば、きっと拒絶される。 ……わかってしまっているからこそ、怖いのよ」
「だが、いつまでも目を背け続ける訳にもいかん。 ……一度ちゃんと、顔ぐらい合わせてやれ。 実の姉を、本当に恨む事なんでできないだろう?」
「でも――」
「俺が一緒に行ってやる……だから、来い」
イリュードは静かに、手を差し伸べた。
正直、シリアと再開する事は怖い。
家を飛び出して以来、一度も顔を合わせていないのだ。
自分が留守の間に、両親を失い……両親を助けられなかった姉を恨んでいる。
拒絶される事はわかりきっているのだ。
今のラティアには、それを受け止める覚悟がなかった。
「……いつものお前らしくないな。 いつもの部下相手に怒鳴り散らすラティアは何処いったんだ?」
「なっ――なななな、何言ってるのよっ!?」
「大男も蹴り一発で黙らせるお前は何処行ったんだよ? そんなお前が、妹一人にビビってんじゃねーぞ」
「ち、ちちち違うわよっ! そ、それとこれとでは全然違うでしょっ!?」
ラティアは顔を真っ赤にさせながら叫んだ。
普段の行動や言動こそ、シリアとは似ても似つかないラティアではあったが
どうやら軍隊での彼女は、シリアに本質が近いようだ。
やはり血が通った姉妹なのだろう。
「ほら、行くぞ。 ちょっとぐらい気が楽になっただろ」
「……え、ええ」
悩んでいても仕方がない、とにかく会ってみろ。
イリュードの伝えたい事は、ラティアにしっかりと伝わった。
勇気を振り絞って、差しのべられた手をラティアはギュッと握る。
そのまま、イリュードに連れられてラティアはシリアの待つ病室へと向かっていった。
シリアの病室。
シリアはため息をつきながら、窓の空を眺めていた。
既に日が落ちていて、夜空が広がっている。
今日は星がはっきりと見える程、綺麗な空だった。
「おい、リンゴ食うか?」
「ん……ああ、ありがとな」
病室にはライルの姿もあった。
心配になって様子を見に来たライルは、リンゴの皮を剥いていたようだが
形がゴツゴツとしていて、何故か食べる部分がほとんどない状態で渡される。
「……丸ごと渡す奴がいるかよ、しかもへったくそだな。 もっとちゃんと剥けないのかぁ?」
「なっ、文句言うなら食うんじゃねーよっ! ったく、人が心配してきてやったってのに……」
表向きでは文句を垂れつつも、内心では気を使ってもらって申し訳ないと感じている。
普段は料理もしないライルがリンゴの皮むきをしてしまえばこうなってしまうだろう。
指を切って怪我をさせなかっただけでもマシだ、と考えた。
「なぁ、ライル。 聞いてもいいか?」
「なんだよ」
「……流れ星って、本当に願い事叶えると思うか?」
「ああっ!? お前が流れ星に願うだぁ? おいおい、勘弁してくれよ……」
シリアの口から似合わない単語が出てきたおかげで、ライルは思わずそんな事を口走ってしまう。
「あ、アタシは真剣に聞いてんだよ。 ……アタシさ、パイロットになってからずっと空に願ってたことがあってさ。
毎日空に飛びたいとか、翼がほしいとか、羽ばたかせてくれとか、願い事変えてったんだけど……どれ一つ叶わなかったなぁ」
悲しそうな目を見せながら、シリアはそう呟く。
むしろ願いが叶う所か、HAのパイロットすら辞めざるを得ない身体にされてしまっていた。
とてもじゃないが、流石のライルでも茶化すことはできない。
「……ま、流れ星がないときに願ってもしゃーねぇさ」
「そう、だよな。 無闇に願いすぎた結果なんだな、アタシの足がこうなっちまったのは……きっと、欲張るなって伝えたかったんだろうよ」
「んなわけねーだろ、本当ネガティブなお前って何か気持ち悪いなー」
「な、なんだよ……アタシは元気だ、いつも通りだろ?」
「……あんま強がるなよ、お前は泣き崩れてもおかしくねぇ状況に追い込まれてんだからさ。
だけどな……俺もお前も、諦めるつもりはないだろ。 なら、前向きに考えようぜ……この足を治す方法を、さ」
今は全く動かない足を指さして、ライルはそう言った。
励ましてくれたのだろうが、シリアは浮かない表情を見せる。
やはり、自分の足は動かない。
……姉の後を追ってパイロットになったというのに。
いつか空を駆けるHAで大活躍してやる、と強く願ったというのに
この結末は、あまりにも残酷すぎた。
コンコン
ふと、扉の向こうからノック音が飛び込んだ。
どうぞ、とシリアが声をかけるとガチャリと扉が開く。
そこには赤い長髪長身の男がいた。
そして、その後ろには――
「あ、姉貴――」
数年経った今でも、一瞬でシリアはラティアの事がわかった。
シリアは驚きのあまり、言葉を失う。
ラティアは気まずそうにただ、目を逸らすだけだった。
「あれ、お前確か――」
ライルがラティアに気付いた途端――
「今更、何しに来たんだよっ!?」
シリアの怒声が、響き渡った。
「……シリア、ごめんね。 私――」
「何でだよ……あの時以来、ずっと顔を見せなかったくせに……っ!! アタシらが襲われた時だって、助けに来なかったくせにっ!!」
「シリア? そんな、私は――」
「黙れよ……言い訳なんて、聞きたくもないっ! 辛うじて私が救出された後も、ずっと顔を出さずに……今更のように姉貴面して出てきやがってっ!!」
込み上がる感情は、姉妹の再会を懐かしむものではなかった。
積もりに積もった姉に対する『憎しみ』……自分でも驚く程、込み上がってきたのだ。
E.B.Bの襲われたあの時も、シリアが救出された後の時も……メシアへ正式に入隊した時も
ずっと、姉は姿を現さなかった。
顔を見せなかった。
なのに、足を失ったこのタイミングで……何故、今頃現れたのか。
「落ち着け、彼女はただ――」
「嫌だっ! 何も……何も、聞きたくない。 ……全部、姉貴が家を飛び出したせいなんだ。
両親が死んだのも……アタシがパイロットになって、足がこんな事になっちまったのもっ!! 全部、アンタのせいだよっ!!」
「シリア……っ!? お前――」
シリアが口にした言葉にハッとしたライルは、思わず立ち上がった。
同時に、ラティアは涙を見せながら病室の外へと駆け出していく。
「ラティア、待てっ!!」
イリュードはラティアの後を追い、病室を後にしていった。
「おい、シリアてめぇっ! わかってんのかよ……仮にも姉貴だろうが……今の言い方は、酷すぎるんじゃねぇかっ!?」
「……だって、だってアタシの足はもう――」
気が付けばシリアは泣き崩れていた。
久々に姉が訪れた事に混乱し、込み上がってきた感情を思いっきりぶつけた。
……その結果、現実を再び直視してしまった。
どんなに姉を責めても、両親は返ってこない上に足だって治らない。
勿論、全て姉が直接的な原因を作ったわけではない事もわかっている。
だが、どうしようもなかった。
怒りに近い感情を抑える事も出来ずに、ただ力強くわめき散らしていたのだから。
「お前の気持ち、わからなくもねぇ。 だがよ……あいつお前の姉さんなんだろ? お前の身を心配して、来てくれたんだろうが。
それを……そんな言い方で突っ返すなんて、酷すぎやしねぇか?」
「誰も、アタシの気持ちはわからないさ」
「チッ……ああ、そうかよっ!? なら勝手にしろ……お前らしくねぇったらありゃしねぇっ! ……もう、俺は行くぞ」
ライルは乱暴にドアを閉めて、病室を出て行った。
あんなに怒っているところは、晶がいなくなった時以来だろうか。
わかっている、姉に酷い事を言ってしまったことぐらい。
姉は何も悪くない事は、頭の中ではわかっているつもりだった。
だけど、どうしても抑えられなかった。
頭でわかっていても……誰かのせいにしたかった自分がいたのだろう。
そんな自分に悔やみ、シリアは涙を流し続けた。
何度も壁を殴り、ぶつけようのない自分に対する怒りを発散させる。
ようやく落ち着いてきたのか、深呼吸をして横になった。
「……アタシは、もうおしまいだな」
真っ白な天井をボーッと見つめて、シリアはそう呟いた――
再び、ラティアは休憩所まで走って戻ってきた。
……やはり、予想通りだ。
シリアは姉である自分を恨んでいた。
わかっていたこととはいえ、面と向かって言われてしまったラティアは……心が痛んだ。
それだけではない、今の足の状態でさえも……ラティアが起因していると言われてしまったのだから。
「……ラティア、すまない。 お前を無闇に傷つけてしまったようだな」
「いいの、わかっていた事だから……」
「だけど彼女……一つだけ勘違いしていたな。 いいのか、訂正しなくても」
「いいのよ、同じことよ……シリアにとっては。 それにね、逢ってみたのは正解だったと思ってる。
これで心置きなく……シリアと顔を合わせない事を、決心できたから」
「……今日はもう休め……妹の事は、少しずつ解決していくぞ」
「……ええ、ありがとう」
既にラティアは諦めようとしていたが、イリュードはそうではない。
まだ諦めるな、と言っていた。
ラティアもそれに応えようとするが……内心ではもう、どうしようもないだろうと覚悟を決めている。
それ以上、言葉をかけることなくイリュードはその場を後にした。
一人に戻った途端、ラティアは再び涙を流していた――