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アンダーヒル邸の密談(7)

 街の灯は往路の半分ほどに減り、それでも王宮のあたりはまだ明るさを残していた。私たちの頭上には星が瞬き、工場地帯の空は煤煙でどんより曇っている。


「もし」とセラヴィは言う。


「もし、鳥を操ってほしいと依頼されたとしましょう。私は魔法で鳥を操ることはできません。方法があるとすれば、鳥を誘うよう精霊にお願いすることです。人間以外の動物の多くは精霊を見ることができますから。一方、悪魔の力は相手に従属を強いるもののようですし、人間を操れるのなら他の動物も可能かもしれない。言語理解を前提としているのならごく一部の動物に限るか、できないか。いずれにせよ、精霊の力は悪魔に対しては役に立たなさそうです」


「なぜ?」


「精霊たちは、本能的に悪魔の力を忌避するのではないかと思います。その力が従属なら」


 死にそうだ、と言っていた出目ちゃんを思い出した。


「そうかもしれない。舞踏会の翌朝と、私がアリシアと庭を散歩した直後、出目ちゃんは嫌な感じがするから近づきたくないって言っていたわ。息苦しくて、弾けて死にそうだって」


 その時の状況と、アリシアが部屋に籠もって人を遠ざけていたことを私はセラヴィに説明した。「ふうん」と彼が漏らした吐息が私のこめかみをなでる。


「情報が足りませんね。散歩の時、何の話をされたのです?」


「……婚約に関することよ。使命だと思って王国民のためにがんばると言っていたわ」


「それはそれは、ずいぶん殊勝な悪魔のようですが、倒れる直前はどうでした? 何か、洗脳を試みるような言葉を口にしていましたか?」


 アリシアが倒れたのは、私が部屋に戻ろうと言った直後のことだ。そういえば――、


「あの時、『なぜお姉様はお父様を閣下と呼ぶのか』と聞いてきたわ。六年以上前から私は公爵を閣下と呼んでいたし、それはアリシアも知ってる。何を今さらと思ったの」


「洗脳を試みたわけではなさそうですね。しかし、彼女の発した言葉が仮に純粋な疑問だとしたら興味深い出来事です。洗脳を解く鍵は〝疑問〟かもしれないのでしょう?」


「皮肉で言ったのだと思うわ。あの子は小さい頃からずっと『お父様、お母様』と呼び続けているのだから」


「でも、悪魔の〝のっぺり〟の一部が動き始めたのでは?」


 出目金はパランの白いたてがみに埋もれて夢の中。


「出目ちゃんがその話をしたのはお茶会の後よ。アリシアと散歩する前」


「では、機会があればもう一度アリシア公女の〝中身〟をデミュチューンに確認してもらってください。アリシア公女の洗脳が解ければ、悪魔から身体を取り戻せるかもしれません」


「でも、アリシアは――」


 反論しかけてやめた。どうやら、セラヴィと認識の違いがあったようだ。

 セラヴィはアリシアもレイモンド殿下と同じように洗脳されていると思っているようだが、私は洗脳だとは考えていない。アリシア本人の魂は生まれてすぐ食べた――そう悪魔が言っていたから。


 しかし、それならなぜ〝のっぺり〟の一部が動き始めたのか。

 魂を食べたというのは、悪魔の吐いた嘘?


 思い返してみれば、『悪魔の中身はのっぺりしている』と私が勝手に決めつけていたのではないだろうか。アリシアは悪魔だと小説に書かれていて、出目ちゃんがアリシアを見て〝のっぺり〟と言ったから。


 それなら――、

 もしアリシアの魂があの身体の中にあったら?

 悪魔のせいで意識を隅に追いやられ、

 それでも消えることなく耐え続けていたのなら?

 強制的に眠らされた魂が何かの拍子に目覚め、悪魔に抵抗しようとしているのなら?


「一人でいるはずのアリシア公女の部屋から話し声がしたんですよね?」


 セラヴィが何を考えているのか予想できた。


「アリシアと悪魔が話していたと?」


「かもしれないでしょう? 変化のはじまりは舞踏会です。レイモンド殿下がおかしくなったのも、アリシア公女が部屋に閉じこもり、その部屋から話し声がしたのも。デミュチューンが現れたのも舞踏会の夜ですし、ラニア公女様自身が変わられたのも舞踏会の後から。違いますか?」


 パランはすでにフランクリン公爵邸の別棟裏手に着地していた。話の区切りがつかず、私とセラヴィは背に乗ったままでいる。


「私のことを調べた?」


「ほんの少し、あの炊事場の使用人たちの会話を盗み聞きしました」


「それで?」


「あなたを気に入りました」


 思いがけない言葉だった。


 セラヴィは先にパランの背から降り、私の手をとる。ふわりと風が吹いてパランが消えたが、出目ちゃんは宙に浮いたまま気持ち良さそうに眠っていた。


 少年のような見た目で、私より十五歳年上だというセラヴィ。彼から向けられる眼差しに恋情のようなものは感じられない。


 自由を愛する魔法使いは恋ができるのだろうか?

 愛ゆえに魔法を失うのでは?


「おやすみなさい、公女様」


 セラヴィは私の手の甲に口づけ、風とともに姿を消した。


 部屋に戻って出目ちゃんをベッドに寝かせると、時計は午前三時半。目が冴え、窓辺の椅子に座ってウォルト殿下のことを考える。


 小説には出てこなかった人。

 穏やかな顔つきに親しみのある笑み。

 レイモンド殿下と同じ金髪と碧眼。

 ついこの前まで少年だったのに王族らしい気品をまとった青年になった。


 ウォルト殿下の隣に並ぶ私を見て、レイモンド殿下は何か思うだろうか。

 彼が聖征記念祭に行くことはないのに過去に囚われてそんな想像をする私は、きっと魔女にはなれないだろう。


 期待していないつもりでも、諦めたつもりでも、不意に落ちてくる雨粒のように、前触れなく彼の青い瞳を思い出す。凍てついた眼差しではなく、揺らぎ、さざめく瞬間を。


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